春の祭典


 小豆長光と恋仲になりかけたことがある。
 春日山城にいた頃だ。当時の小豆と山鳥毛は気心の知れた同輩だった。酒の飲み比べをしてみたり、意味もなく口喧嘩をしてみたり、その際にうっかり手が出てしまったり、いま思い返せば山鳥毛も小豆もよくはしゃいでいた。ふたりとも家中の付喪神たちの中で重んじられる立場であったせいで、身分の上下を気にせずに済む相手にはつい羽目を外しがちだった。
 冬の最中に降って湧いたような小春日和だった。曇天の多い越後には珍しく、空は晴れて澄み渡り風もなかった。積もった雪は表面が溶け、それがきらきらと輝いていた。
 山鳥毛が帰還した小豆を尋ねてみると、柔らかい陽射しの下で彼は昼寝をしていた。自身に不作法を許すような男ではないから、こんな誰が通るともつかない場所でうたた寝をしているとは珍しい。起こして揶揄ってやろうと山鳥毛は小豆を見下ろしながら立ち止まった。
「小豆欠け」
呼んでみたが起きる気配はない。静かな濡れ縁にすうすうと気持ちの良さそうな寝息が聞こえる。
「おい、小豆欠け」
もう一度呼びかける。閉じた瞼が震えた。
「なあに……」
間延びした声で小豆は答えた。欠伸交じりで、のんびりしたものだ。常にないその様子がどうにも可笑しく、笑いを噛み殺して山鳥毛は隣に座った。
「だらしがないから、君の名誉のために起こしてやったんだ」
「うん……ありがとう……」
緩慢に身を起こし、ぼそぼそと礼を言う。いよいよ山鳥毛は可笑しくなって声を上げて笑ってしまった。素直過ぎて小豆と話している気がしない。礼儀正しい太刀ではあるが、ここで減らず口の一つや二つを言い放つのが小豆だった。彼は舌戦も滅法強いのだ。
 隣で笑い続ける山鳥毛に漸く小豆も意識がはっきりしてきたらしい。決まり悪げに頬を掻いて、忘れてと言ってくる。
「なかなか幼気で愛らしかった」
「よくいうよ……」
「本心だぞ」
「あいらしいねえ……」
悪戯を思いついたように、小豆が山鳥毛の間近に顔を近づけた。
「きみのほうが、みめはおさない」
どきりとしたが顔には出さなかった。眉間に力を込めてから、額を掌で打っていた。
 己の顔立ちがあまり男性的ではないことを山鳥毛は気にしていた。特に目の前の太刀が音に聞こえし武の刀だったからなおさらだった。不機嫌に「涎の跡が残っているぞ」と言ってやった。
「うそ……!」
嘘だと言い返す。
「山鳥毛!」
文句にけらけら笑った。
「君が午睡というのも珍しいな」
「きもちがよくて、つい……」
「のどかだからな」
「うん……」
小豆は穏やかに笑っている。こんな気の抜けた笑い方は滅多に見ない。変わりがなさそうだと山鳥毛はひっそりと安堵した。
 先日、小豆は戦で傷を受けた。よりによって山鳥毛と同じ、はばきに近い部分に切込み傷を負ったのだ。小豆は何でもない風に笑っていたが、謙信公は思うところがあったのか小豆を研ぎに出した。そうして昨日、帰って来たところだった。
 豪刀で鳴らした小豆に傷ができたと聞いたとき、山鳥毛は冷や水を浴びせかけられたような心地がした。謙信公には何事もなかったそうだが、絶対はないのだと改めて思い知らされた。誰がいつ折れてもおかしくない。そして次の戦がまた迫っていた。城内はここ数日、春に遠征をするのだと騒がしい。小豆は必ず同道するだろう。今はほんの一時の休息に過ぎないのだ。
 小豆の隣で青い空を眺めながら、ふと「君が好きだ」と言ってやろうかと考えた。久々の温かな陽射しに気持ちが解きほぐれていたのかもしれない。心の柔らかな部分をさらけ出しても良い気がした。そして何より、言葉にして伝えて、吐き出してしまいたかった。そういう熱を持った衝動が山鳥毛の中にはあったのだ。
「君が……」
小豆に向き直る。小豆も居住まいを正して山鳥毛に向き合った。目が合う。彼は真面目なときは必ず相手の瞳を覗き込んだ。疑念のない澄んだ瞳が山鳥毛を見つめる。
 その青い瞳に魅入られた。小豆の微笑に飲まれてしまった。口にするのはもったいないと思った。
「わたしが……?」
ぴたりと口を閉ざしてしまった山鳥毛に小豆は怪訝な顔をする。
「君は……春が似合うな……」
「ほんとうにどうしたのだ……。そんな、にょにんをくどくときのような……。しかもいま、ふゆだよ?」
「似合うと思っただけだ」
「きみのほうが、はるがにあうよ」
気まずい思いで首を振りながら、なるほどと山鳥毛は納得した。確かに口説かれているようでくすぐったい。
「はるほど、かれつなきせつはないから」
「貶されているように聞こえるんだが」
「ほめているのだぞ。……たくさんのゆきがあっというまにとけて、くさがはえてくるのだ。はるはすごいね」
からからと小豆は快活だった。
「それに、はるになると、こころがさわぐ。ふゆにねむらせていたものがめざめてしまう」
「恋でもしているようだな」
「しているよ」
半ば揶揄って言ったのにあっさり吐露された。
「君がか」
うん、と答える小豆は少し恥ずかしそうに山鳥毛を見た。
「伝えないのか」
「おなじきもちを、だいてくれているとおもう」
「それなら言ってしまえばいいだろう。煮え切らないな」
小豆は一瞬、顔を歪めた。山鳥毛は息を飲んだ。こんな切ない表情を彼がすることにも驚いたのだが、小豆の目が熱を孕んで山鳥毛を見つめていたからだ。ぞわりと背筋が震えた。小豆は切実な思いを抱いている。考えなくても分かってしまった。相手はきっと自分だ。
 意を決したように小豆は山鳥毛を見据えた。表情は張りつめている。山鳥毛も緊張していた。何を言うのか、息を詰めて小豆の言葉を待った。
「わたしはお屋形様のかたなだときめているから」
振り絞るような声だった。
「……それで?」
「りょうほうはえらべない」
「馬鹿だな」
拍子抜けして口にしていた。それから長く深く嘆息した。
 山鳥毛はわざとらしくため息をついてみせたが、小豆の融通のきかなさを馬鹿馬鹿しいと笑うことはできなかった。山鳥毛も同じ物の身として、一人の人間に選ばれる喜びは分かるのだ。たった一振り、戦場で信頼を置かれることがどれほどの誉か、羨ましさすら覚えるほどだ。
 人は物の心を知ることはない。それでも物が一途に人を思うことはある。それを全うしようという小豆を山鳥毛は責められなかった。難儀な話だが小豆らしい。その高潔さに安堵する山鳥毛がいた。
「人間ははかないぞ」
「だからだよ」
 熱のこもった目を向けられたのはこの一度きりだった。
 結局、最後まで互いに思慕を告げることはなかった。やがて小豆は歴史の闇に消え、残されたのは思い出だった。
 友情と呼ぶには切ない感情を抱いていた。はっきりと恋と呼ぶ前に立ち止まってしまった。小豆もいなくなって、それを知っているのは山鳥毛だけだ。
 そのままやがて朽ちるまで、山鳥毛は小豆との思い出を抱えていくつもりだった。




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