俺とおまえじゃたかだかソープオペラ

※本体復活、兄アイドル引退if
※HiMERUが既婚者





 夕方五時、晴天に雷鳴が轟いた。空はすぐに灰色の雲に覆われていき、やがてぽつぽつと窓を叩く音が聞こえ始める。夕立だ。
「やっべ」
 小さく呟くとベランダへ飛び出した。朝から干したままだった洗濯物を保護しなければ。
 Tシャツをせっせとハンガーから外しながら俺はふと、遠くの方でひらめく稲妻に目を奪われていた。何かを予感させるかのような、その青白い閃光に。



   1



 それは騒々しい雨音をも突き抜けて耳に届いた。
 ピンポン。
 滅多に鳴らない部屋の呼び鈴が来客を告げていた。数秒の間をおいて、もう一度。ピンポン。
 俺達が『Crazy:B』でなくなってからも変わらず親友でいてくれているニキですら、ノーアポでこの部屋を訪れることはそうない。荷物でも頼んでたっけ、と記憶を探るがそっちも心当たりなし。
 考えている間もチャイムは鳴り続ける。ピンポン、ピンポン、ピンポン。
 てっきりマンションのエントランスにいるもんだと思ってたが、こりゃオートロック突破されてンな。手前勝手に部屋の前まで上がってくるとはどういう了見だ。
「……ちっ」
 今日は身体がひどく怠かった。せっかくのオフが低気圧のせいで台無しだ。その上騒音被害と来たもんだ、頭が痛いどころの話じゃない。誰だか知らねェが帰ってもらおう。
 ソファに投げ出していた手足をどうにか動かし、インターホンのモニターへ近づく。
「へいへい、どちらさ……」
 「ま」の音が唇から離れる前に、手で口を覆っていた。
『──俺です』
 そこに映し出されていたのはかつて肩を並べ背中を預けて歌ったユニットメンバー、十条要だったのだ。
『入れてください……お願いですから』





 シャツをぐっしょり濡らし髪を乱した見るに堪えない姿で現れた要を、俺は早々に風呂場にぶち込んだ。夏とはいえあのままでは身体に障るだろう。
 適当な着替えとバスタオルを用意しながら、ついさっき玄関で見たあいつの様子を思い返す。
 急な雨だった。たまたま傘を持っていなくて、たまたま近くに俺んちがあって、丁度良いから世話になってやろうと思った──ようには見えなかった。痛みに耐えるために何かに縋りたがるみたいな、不安定なまなざし。声はインターホン越しにしか聞いていないけれど、尋常じゃない様子だった。



 ──要が表舞台を退いてからそろそろ二年になる。

 『Crazy:B』の解散と同時に、十条要は芸能界を引退した。ソロアイドルとして華々しく復帰した『HiMERU』と入れ替わる形で。
 俺達三人は解散以降もそれぞれの形で芸能活動を継続している。プライベートで連絡を取り合うこともある。要とだけは、少し距離ができた。
「要はん結婚したんやって、知っとる?」
 すっかり大人の顔つきに成長した末っ子から教えられなければ、今でも知らなかったんじゃないかと思う。要は一般人の男性として、一般人の女性と結婚した。
「へェ、そーなんだ」
 祝ってやンなきゃな。応えた声は震えていなかっただろうか。

「シャワー、ありがとうございました」
「おー」
「タオル、洗濯機に入れて良かったですか」
「いーよォ」
「──すみません」
 ボリュームを落とした声がリビングにぽとりと落ちた。紫陽花みたいな色の髪の先から床に向かって滴る、水滴と一緒に。
 〝すみません〟。すみません? 何に対する謝罪だ。
「驚いちゃいるけど怒っちゃいねェよ、別に。それよか他に言うことあンだろ」
「……他に?」
 首を傾げて見せるそいつは本当に解っていないようで。俺が手本を見せてやらなきゃならないらしい。おまえらの『首魁』だったあの頃みたいに。
 俺は「ん」と右手を差し出した。
「よォ、久しぶり。会えて嬉しいぜ、『メルメル』♪」
 わざとらしく片眉を上げて『Crazy:Bの天城燐音』の顔をつくる。ほらよ、おまえらが尊敬してやまない無敵のリーダーさまだ。懐かしいだろ?
 要は目を丸くしてこちらを見たあと、思わずといった風に笑みを零した。
「ふふ、そうだな、挨拶が先か……。失敬。お久しぶりです、天城」
 俺はもう、『HiMERU』ではないのですよ、と。はにかみながら握り返してきた手はシャワーでしっかり温まっていて、えらくほっとした。



 ソファに座った奴の前にあったかいインスタントコーヒーを置く(来客用に置いてあるだけで滅多に手を付けない代物だ)。俺はミネラルウォーターのボトルを手に、そこらへんに腰を下ろした。
「で、どォしちゃったわけ」
 答えはない。もうちっとジャブが必要か。
「……結婚祝い以来か。四人で飯食って、それっきり一度も連絡寄越さねェでさ」
「俺は、あなた達とは違って、今は──何者でもないですから」
「俺っち達にとっちゃ特別だっつの。辞めても変わンねェっしょ、それは」
 そう、解散を決めた時に話したはずだ。『Crazy:B』は四人じゃなきゃいけなかった。ニキがいて、こはくちゃんがいて、メルメルがいて、俺がいて。運命の女神の悪戯が生んだ縁だったとしても、勝ってアイドルで居続けるためにはあのメンバーが必要だった。誰ひとりとして代わりはいないのだと。
「今だってそうだよ、『要』。おめェが大事なの」
 ぴく、俯いた彼の細い肩が揺れる。筋肉が落ちたのか、現役だった頃よりも更に瘦せた気がする。
「……」
 しかしまだだんまりか。ここまで来といて何もねェわけねェンだし、言っちまったら楽なのに。
 頑固な態度に呆れ半分懐かしさ半分。まあいいか、俺は明日もオフだし──と、軽い気持ちで「夕飯うちで食ってく? なんもねェけど」なんて声を掛けた。きっとこいつは断るだろう。何せ家じゃあ愛する嫁さんが待ってンだ、帰りたいに違いない。経験がないからわからないけれど、たぶん、結婚ってそういうもんじゃねェの。
「天城、は……俺が、大事、なのですか」
 きっと、たぶん、などと。そんなお気楽な想像はまったくの見当違いだということを、おずおずと顔を上げた要の表情からはっきりと察する。正直に言えば俺はこの時気圧されたのだ。
「お、おお……そう言ってるっしょ?」
「じゃあ──俺を抱けますか?」
「だッ、はあ……?」
 脳味噌が理解することを拒否した、気がした。言葉が右から左へ抜けていく。永遠にも感じられる、数秒間が通り過ぎた。
 ──何を言っているんだ、こいつは。
「要、一旦落ち着け。な? 何があったのか知らねェけど、おめェちょっとどうかしちまってるよ。頭冷やせ、そんで、」
「もう冷やした」
「っ、」
「冷やして、凍えそうになるまで冷やして、ここに来た……」
 小一時間前にずぶ濡れで玄関先に現れた時の、かたかたと震える身体を両手で抱き締めてぎりぎりで立つ姿を、鮮明に思い出す。
「……なァ、ほんと、どうしちまったンだよ……」
 要は拒むように首を横に振る。
「抱けるはずだ、あんたは、俺を」
 ──ユニットを組んで間もない頃のことだ。確かに俺は、一度だけこの男を抱いた。生き残るために最低なことをやって、歳下のこいつにも手を下させて、愛すべき偶像を汚した。良心の呵責に耐えられなかったのだ、俺もこいつも、若かったから。身体を重ねることでしか互いを慰められなかった。
「……はは、ンな昔のこと蒸し返すなって。あれは」
「一時の気の迷い、とでも? あんたは──」
 金色の目に射竦められる。俺達のユニットカラーと同じ、明るくてあたたかくて、心が躍る色だ。その瞳が、真っ直ぐ俺を見ている。咎めるように。逃がさないとでも言うように。
 駄目だ、と思った。その先を口にしてほしくない。俺のそんな願いを嘲笑うみたいに、薄い唇が低い声で囁く。
「あんたは、俺のことが好きだった。違いますか?」
 蠱惑的な笑み。歳を重ね、誰かの神さまだった頃よりも更に色香を増した元相棒が、うっそりと目を細めて誘う。瞬間、腹の奥底に仕舞い込んでいた、とっくに消えたと思っていた小さなちいさな火種が、ぱちん、と。真っ黒な燃えカスになるはずだった恋心が、再び赤く燃え始めたのだ。
 気付けば衝動のままに肩を掴み、奴をソファに押し付けていた。
「ッてめェ、どういうつもりだ……!」
「言ったでしょう、〝すみません〟と。俺はあなたを利用しに来た。見損ないました?」
「そういうことを聞いてンじゃねェよ、俺は、……ッくそ……!」
 頭の中が真っ赤に染まって言葉に詰まる。俺が殺して二度と暴かれないよう奥深くに埋葬した恋。なのにどうして。よりによっておまえが、そんなことを言うのか?
 思い出したようにズキズキと頭が痛みだす。だん、と顔のすぐ横を力任せに殴り付けても動じやしない。思い切り舌打ちをして俺は、もうどうにでもなれとその唇に噛み付いた。
「ん、ぅ。ぁ、まぎ」
 堪え性のない男が性急に舌を絡めてくる。ぬるぬると蠢き翻弄しようとするそれに、嫁とのセックスはこいつがリードするのだろうかと余計な想像をしてしまう。ああそういや、キスは初めてだったか。意外と情熱的というか、好きなンだろうな、口ン中弱いみてェだし。口蓋を舐ると背を反らして感じ入り、互いの舌先をすり、とこすり合わせると「くぅん」と喉を鳴らす。犬みてえ。舌の根が痺れてくる頃にようやく口づけに飽きて唇を離した。零れた唾液まで惜しいのか、俺達の間を繋いだ糸を追いかけてちゅっと吸い付いてきたのには流石にくらっとした。
「ぁ、あ……そ、なとこ触っても、」
 適当に貸しておいたTシャツを捲り上げ胸元をまさぐる。触れられ慣れてなさそうな反応に気を良くして、そこを苛めることに専念しようと決めた。嫁さんがしてくれねェこと、俺がいくらでもやってやるよ。
「ん、んっ、ふ、」
 指先が当たるか当たらないかの曖昧な力加減で乳輪をなぞっては時折先端を掠めて。やんわり触ってやると胸を突き出してもっとと強請るから、気紛れにきゅうっと摘まんだり爪の先で潰したり、ちょっと痛いくらいの刺激も追加する。その度に要は嬉しそうにアンアン鳴いた。
「ひゃ、あ、あう、ぁ」
「……感じすぎじゃね?」
「だ、ってそれ、知らな、あん」
「いつもそーやって声出してンの?」
「ん、なことな、ない、れす、っ」
「へェ? いつもよりきもちーんだ」
 ハーフパンツの中で窮屈そうにしている中心に手を伸ばす。びっくりしたのか引けてしまった腰をぐいと引き寄せれば、ガチガチに兆した俺のと熱い昂ぶり同士が擦れる。ふたり分の先走りでねとねとになったそれに要の右手を導いてやり、自身の掌で亀頭を包む。
「なァ要、コーフンしてンの、わかる?」
「っひ、ぅ」
「おまえが感じてンの見てたらさァ、俺もうこんななの」
 ローションを足しながら「扱いて」とオネダリ。滅多に褒めてくれなかったこいつも、俺の見目だけは手放しで賞賛してくれたのだ。眉尻をしゅんと下げて『お願い』すれば大抵の願望は叶うと知っている。狙い通り、さしもの十条要も現役アイドルさまこと俺のツラに根負けして、ゆっくりと手を動かし始めた。直接的な快感と併せて、ぐちゅりと粘っこい音が耳を犯す。
「あー……いい」
 自分でも驚くほど余裕のない声が出た。誤魔化すべく目の前にあった形の良い耳にかぶりつく。自宅のシャンプーの匂いがこいつから香るってだけで、どうしてこうも興奮するんだろう。全身の熱がぶわりと上がった気さえする。もう無理、このままだと挿れてすぐイッちまいそう。でも男としてそんなみっともないことは避けたいし、今のうちに一旦出しておくとする。要には竿を扱かせたまま、掌を亀頭に押し付けぐりぐりと愛撫して。そうしたらほら、頂上はすぐそこだ。
「要、かなめ……イく」
「や、これだめ、だめっ、ぃや、ッあ!」
 少し遅れて要も射精した。気が急いて息を整えることも忘れ、てめェで出したばかりの精液をたっぷり絡ませた指をうしろへと伸ばす。中指と薬指がすんなり入った。
「おま……もしかして普段から使って」
「違っ、さっき! シャワーを借りた時に!」
 焦って弁解する様はらしくなくて面白い。ぶはっと吹き出すと同時に、いつの間にかはじめの緊張感が解けていることに気付く。そうだ、俺達はあの頃もこんな風だった。一緒にいてストレスを感じなかったし、同じポイントで笑ったりふざけたりできた。恋愛感情を抜きにしたってやっぱり俺は『十条要』という人間が好きで、隣を歩めて楽しかった。嘘を吐くくらいじゃろくに痛みも感じない救いようのない俺らだったけれど、この記憶は嘘じゃない。上書きしたくない、覚えていたい。──なのに俺はまた、汚してしまうのだろうか。
「──天城?」
「……ん、あァ悪りィ、なんでもない」
 ――駄目だ、感傷的になるな。首を振って必要以上に美化された思い出を追い払う。黙りこくってしまった俺を怪訝そうに見ているこいつは、明確に〝あなたを利用しに来た〟と言ったのだ。誠実に向き合うほど馬鹿を見るのだ、俺が。
「ほら……来て」
 自ら脚を開いて見せるこの男は、かつて恋焦がれた綺麗な偶像じゃない。「汚してやれ」。胸の内に巣食う悪魔が囁く。唆されるまま、彼のナカに欲望を埋めていく。
「うぁ、っ……は、あっ」
「フゥン……勝手に期待しててめェでケツの穴解して待ってたンかよ? 淫乱」
 わざと酷い言葉を選んでぶつけてやれば俺を咥え込んだ縁がきゅんと締まる。あられもない姿で己に組み敷かれる要を見下ろしていると、支配欲のグラスが泥水でひたひたに満たされていくような心地がする。気持ちいい。
「良いぜ、泣くまで犯してやるよ」
「ひっ、あ……!」
 ぎりぎりまで引き抜いてはひと息に根元まで突き入れる、乱暴なピストンを繰り返す。ばちゅんばちゅんと肌がぶつかる度じんわりとした痛みが骨盤のあたりに溜まっていき、要とセックスをしている現実が実感を伴って襲ってくる。彼が妻帯者であるという事実に余計に煽られる。どうかしているのは俺も同じだ。
「あっあ、あん、ぃあ、あう」
「は、はあッ……きもちい? 要」
「ん、いい、きもちいです、あまぎ、あまぎっ」
 甘ったるいふたつの蜂蜜キャンディは涙でコーティングされて蕩けきっている。「きゃはっ、カワイ~」だなんて言いながら腰を使ってぐる、と奥を抉る。「きゃんッ」と甲高い嬌声のあと、ぴゅっと要の先端から白濁が飛んだ。云年ぶりとは思えないほどに思い通りになる身体、こんなの可愛いに決まってる。ナカでイけて偉いなと褒めてやりたいところだが、生憎こちらはまだイッてない。組み敷いた身体を引っくり返して寝バックに切り替え、うしろからガツガツと貪るように腰を打ち付けた。
「それっ、ッ、それすき、あまぎ、すきぃ……!」
「っは、あんま可愛いこと言ってると……もう、女抱けなくしちまうぞ」
 誤解するようなことを言わないでほしい。そう言外に咎めたかったのに、思わぬ反撃を喰らうことになる。
「いいっ、いいれす、天城の好きに、してくださ……っ」
 こんなこと言われちまったらもう駄目だろ。
 優位に立ちたいという思いだけでなんとか掴んでいた理性を、手放した瞬間だった。
「要、もっかいイけるよな? な、イけよ、イけ」
「むりっ、あ、あ~~、だぇ、むりぃ、っ!」
「無理じゃねェっしょ? 良い子だから……」
 泣き叫ぶ彼をソファに押さえ付け、いちばん感じるところを執拗に捏ね回す。情け容赦のない快楽を与え続けながらも掛ける言葉は甘く、まるでちぐはぐに細い身体を愛し尽くした。
「ひぅう、ッ、やあ、ん、ア!」
 悲鳴を上げて達した要はカバーがぐちゃぐちゃになったソファに沈み、そのまま寝入ってしまった。ことりと電源が落ちたように動かなくなった背中を見下ろすこと数秒。ここでようやく己のしでかしたことに気付く。やってしまった、つーかやりすぎだ。
「あ~……しかもナカに出しちまってンな」
 ──まあいいか。シーツに縋る代わりにぎゅっと指を絡められていたため、後処理ができませんでしたと。そういうことにして、俺も一旦すべてを忘れて目をつむってみることにした。
 頭が痛い。──寝て起きた時にもし、あいつがいなかったら。その時はぜんぶ、夢だったということにしよう。「ひでェ悪夢だった」と笑い飛ばして、忘れてしまおう。それで終いだ。
 さらさらと雨が降る音がする。雷鳴はとうにどこかへ遠ざかっていた。





 先に目を覚ましたのは要だったらしい。遅れて俺が起き出すと彼は最中に泣いて腫らした目を保冷剤で冷やしながら、冷めたコーヒーを啜っていた。
「起きましたか、間男」
「……」
 とんだゴアイサツだ。無言で頬を抓ってやると手の甲を抓られた。痛い。
「──ンで、話す気になったかよ?」
「……はい」
 要の話はこうだった。結婚相手の女性は、要が『HiMERU』にばかりかまけているのを良しとしなかった。否、『HiMERU』のサポートをすることが彼の仕事だったわけで、かまけるも何もないのだが。
 それはともかくとして、新婚にも関わらず外泊ばかりでほとんど家にいない要に嫌気が差し、嫁は先月会社の同僚と不倫。夫に気付かせるために不倫相手の私物を部屋に転がしたりしたものの、仕事でそれどころじゃない彼はそういったサインにも一切気付かぬまま、夫婦関係は悪化の一途を辿り──
「とまあ、そんなかんじです」
「あんたらお互いに興味無さすぎじゃねェ?」
「まあ……ひとりになった俺を案じたHiMERUが結婚を勧めてきて、成り行きでそのまま……でしたので」
 ──続くとも思っていません、はじめから。
 マグカップの中の真っ暗闇を覗き込みながら、何でもないことのように言ってのける。
「……あっそォ」
 きっと近々別れを切り出されるでしょう、と淡々と続ける冷たい声に、背筋がヒヤッとしたのは内緒だ。
 それからしばらく他愛もない話をした。お互いの近況報告、ニキやこはくちゃんや一彩の話、最近アツいドラマや音楽の話、歳食って身体がなまったよなって話。ひとしきりどうでもいいことで笑ってから、彼は何事もなかったように「では」と立ち上がった。
「──あなたの気持ちを利用したことは、悪かったと思っています。すこし、自棄になりたい気分だったので。……もう会いに来ませんし、嫌ってくれて構いません」
 数時間前まで死にそうな顔してた癖して。少しだぼついた俺のスウェットとスキニーを身に着けた要は、綺麗に笑ったのだった。
「会えて良かった。ありがとう……天城」





 あいつが出て行った玄関扉がぴったり閉じるのを見届けて。よろりと壁に寄り掛かり、そのままずるずるとその場に座り込んだ。
「はあ〜〜〜……」
 夢なんかじゃない。寝て起きてもやっぱり要はいた。ひとりで加害者になる勇気もねェ臆病者が、裏切りに加担させるために俺に抱かれ、ちゃっかり『共犯者』に仕立て上げやがった。まるであの頃の焼き直しみたいに。
「……それならそうと言ってくれりゃ、端から協力したっつーの」
 『アイドルロワイヤル』であんたにやらせたことを思えば、今更あんたのために悪者になるくらい、なんて事ないのに。そりゃ純情を弄ばれて腹も立ったが、頼りにしてもらえないことの方がよっぽどきつい。
 ──ああ、今になって鼻の奥がツンとしてきた。情けねェ。
 俺はさ、要。お互いにいけ好かねェわかんねェと文句を垂れながらも、夢にかける情念と命を燃やす熱狂でひとつに溶け合えたあの時、確かに『おまえ』に恋をしたんだ。
「……かなめ……」
 ず、と鼻を啜る。泣きそうだ。同じ恋を二度も殺すことになるだなんて、俺の生きる現実は悪夢などよりもよっぽど酷いらしい。
 途方に暮れたように玄関先に座り込んだまま、時間だけが過ぎてゆく。無性にむなしい。俺はただ、あいつに必要とされたかっただけなのだ。




 その日から一週間。俺達の再会は、案外あっさりと果たされた。
「二゙度゙ど結゙婚゙な゙ん゙がずる゙も゙ん゙が」
「ハイそれ八回目~」
 もう来ないっつったじゃん、とか。相変わらず嘘ばっかりだなおめェは、とか。
 部屋に押し掛けて来たかと思えばストロング缶を開けてくだを巻く元アイドルに、言いたいことは山程ある。何よりも俺は傷付いている。それはもう、すこぶる、傷付いていると言うのに、だ。
「り゙ん゙ね゙~~、りんねがいて良かった、おれ、あんたにしかこんなこと言えない……ひっく」
 ──さて、どう受け止めたもんか。
 酔っ払いのたわ言だと言ってしまえばそれまで。だけど事実、離婚届を突き付けられてハートブレイクなその日のうちに、ご近所でもなんでもない俺のところにやって来た。それって結構、いやかなり、嬉しいかもしれない。
「……脈アリ、かねェ」
「脈ぅ~? おれはとっくにBPM200超えですよぉ、っうぃ」
 ソファのアームレストに引っ掛けていた脚に絡み付いてくるそいつはもうすっかり出来上がっていて、きっと寝て起きたらこの夜のことなんて綺麗さっぱり忘れてしまうのだろう。あの頃から虚勢を張るのばかり上手くて、格好つけたがりで、自身の失態は誰にも明かさず墓まで持って行くような奴だから。
 こんな時に言うのはずりィよなァ。でもま、俺は昔から狡い大人だったろ、なァ要。
 いつだって凜とした白い顔は今は火照って真っ赤で、とろんとした垂れ目は情事を思い起こさせる。ああやっぱり、俺以外がこいつの世話を焼くなんて耐えられねェな、なんて。こいつも勝手だが、俺も大概勝手だ。似た者同士のどうしようもない俺達。
「かなめ、」
 指の背ですりと頬を撫でると、甘えたように擦り寄ってくるクソ酔っ払い。そしてばっちり興奮している自分。こんな時だけど、──こんな時だからこそ、言わせてくれないか。
「結婚しなくていいからさ、そばにいてくれよ」
「ん、りん、ね……ぐう」
 はは、やっぱり聞いてねェ。要の目はもう半分閉じちまってる。
 まあいいさ、嫁に捨てられて帰るとこの無くなったこいつは当分、うちで預かるわけだし。その期間にゆっくりじっくり真心を注いで、スープをことこと煮込むみたいにじわじわと思い知らせてやりゃあいい。
「なァ、やっぱりおまえには俺が必要だろ?」
 おまえは首を縦に振らないだろうけど、いつか諦めて認めるまでそばにいるつもりだよ、俺は。
 くたりと力の抜けた身体を持ち上げてベッドに運ぶ間、緩みきった顔で眠る彼の額に口づけを落とす。こんな風にひっそりとしか触れられない俺の臆病さなんて、おまえは一生知らなくていい。

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