相生


 大包平は戦後間もない頃から「所在不明」扱いだった。池田の重宝が金沢にいることを知っている人間はいなかった。
 あれは昭和二十三年の、池田に挨拶を済ませた後のことだ。そのときの大包平は大典太の屋敷に自身を置いていた。このまま置いておくか世に現れるか、大包平は進退を考える必要があった。
 隠させてくれと言ったのは大典太だった。唐突な話だった。
「どこにだ?」
大包平は朝起きて、着替えている最中だった。大典太に至っては、布団に横になったままだ。
「この家の中ならどこでもいい。あんたの部屋に置いてもいいんじゃないか」
要するに外に出したくないと言うことだった。
「理由を言ってくれ」
「今出て行ったらどこに連れて行かれるか分からない。……あんたの家はここだろう」
しかめっ面で大典太は言った。売り払われることは回避できても、委託や寄贈という形で博物館に行くことになる可能性はある。少なくとも世の中は、博物館を文化財にとって最良の場所とみなしつつあった。
「傍にいて欲しい」
ぼそりと漏れた本音に笑った。御託を並べていたが言いたいのはこれだろう。
「せめて起き上がって言ったらどうだ?」
「起き上がったら頷いてくれるか」
「態度次第だな」
大典太は目を擦りながら布団から出て来た。もう冬だ。ぶるりと一つ身を震わせていた。もたもたした手つきで半纏を着込むと、隣に立って大包平の顔を覗き込んだ。
「いいか?」
上背はあるのに上目遣いを使われている気になる。
「いつまでもというわけにはいかないぞ」
自分でも甘いと思うのだ。それでもやはり大包平は恋をしているので、大典太の要求が嬉しかった。真面目な顔で言っている男を可愛いとすら思う。
 こうして大包平の本体は隠されてしまった。
 隠されるということは、決して悪いものではなかった。第一に錆びたり朽ちたりする懸念がない。大包平は鋼の寿命が尽きるまで、何としても生き残るつもりであったから大変都合が良い。それに加えて不埒な人間の手から守られるというのも魅力的だった。大包平は宝物だ。うっかりすると盗まれかねないし、似非古物商に売り飛ばされるのも困る。数年後に、あの童子切が戦後のいざこざで裁判沙汰になっていると聞いて、正しい判断だったとつくづく思い知った。
 それに何より決定的だったのが、大包平は博物館に対する信用がなかったことだった。
 大包平は博物館を含め、展覧会というものを戦前から好んでいなかった。まず一つの空間に並べ立てられるのが面白くない。さらには人が代わる代わるやって来てはガラスケース越しにじっと見て、そして通り過ぎるのだ。こんなの見世物ではないかと初めて展覧会に出品されたときは憤慨したものだ。
 展覧会で注がれるまなざしは異質なものだった。主が所有物へ向けるものとは大きく異なっていた。分類し、比定し、展示しようとする欲望だった。無自覚の支配欲だ。そこにあるのは、そうあれかしという願いではなかった。時を止めることを求められているのだ。生きた道具として見られていない。
 幸いなことに主は戦後も無事に生き抜き、大包平は主家についてあまり心煩わせることもなく済んだ。隠されて最初の十年はいつ出て行ったものかと頭を悩ませていたものだが、そのうちに長い休暇の最中だと思うようになっていった。大典太にも大包平にも互いのためだけに生きる時間が必要だったのだ。
 きっかけが掴めなかったところに転機が訪れたのは平成五年の冬だった。
「光世、見てみろ」
家に帰って来た直後の大典太を居間に引っ張り込んだ。勢いが良すぎてたたらを踏んで転びかけていた。夕方のニュース番組で女性キャスターが原稿を読み上げている。彼女のすぐ左のテレビ画面に晴天の姫路城が映し出された。
「ついに世界遺産に決まったそうだ」
「世界遺産?」
いかにも耳慣れない単語を発音しているかのような言い方だった。
「ああ。法隆寺と一緒に」
「それは……」
「輝政の城が認められたんだ。世界遺産とは、また大仰な名前だな」
「嬉しいくせに」
「当然だ」
堪えきれずに笑ってしまった。
「光世、そろそろ出ようと思う」
大典太は何も言わなかった。
「池田はもう歴史になってしまった。それに準じることにする」
「あんたの家はここだぞ」
「ここ以外にあるか」
三日月宗近も先年、博物館に寄贈されたという。色々なものが戦後の争乱に巻き込まれ、様々な場所に散って行った。だがそれを直に知っている人間はもう少ない。
「俺が嫌だって言ったらどうする」
「困るな」
「困るのか」
「ああ」
大典太は少しだけ眉根を寄せて頷いた。
「あんたが帰って来るのはここだからな」
念入りに確認されるとむっとするものだ。そんなふらふらしていない。
「分かっていると言っている!」
ぺしりと肩を叩いても大典太は仏頂面のままだった。
「いいか光世、私が見つかったらあっと言う間に国宝になるだろう。お前だって知っているだろうが、国宝は厳重に保管される。少なくともそういうことになっている。毎年数ヶ月、展覧会に出て行くだけだ。ちょっと長い出張だ。心配することなど何もない」
正面から目を見て言い聞かせてやる。子供を相手にしているみたいだと思わないでもなかった。
「……ちゃんと帰って来てくれ。土産もあると嬉しい」
心配する気があるのだかないのだかよく分からない。そう思ったが、土産のリクエストには可能な限り応えてやろうと思った。
 大包平が金沢で「発見」されたのはその翌年のことだった。メディアを騒がせながら瞬く間に重要文化財になり、予想していた通りあっと言う間に国宝に指定された。突然どうした離縁かと池田のものには心配されたし、毛利には永遠に出て来ないものだとばかりと厭味ったらしくも丁寧な手紙を貰った。そこまで言うなら会いに出て行ってやろうという思いが届いたのか、新国宝に指定されて、最初の展示は東京の国立博物館だった。毛利にはこれ以上ないほど渋い顔をされた
 それから毎年、大包平は法の許す期間を目一杯使って展示されている。




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