顔見りゃ苦労を忘れるほどの


なるほどな、と僕はこめかみを抑えながら言った。その流れで別れたのであればそりゃ、先方と実家が示し合わせて隠しもするだろう。
 この性格だし、追い出されたとなるとよほどひどい騒ぎを起こしたのかと思ったし、実際ひどい騒ぎは起こしたようだが、恐らく、こいつだけのせいではない――多少は話を盛っている可能性はあるとはいえ、こいつの話は大筋は事実だろうと僕の勘は言っていた。この性格なら何もしなくても武家と相性が悪いのは間違いない。御武家様の信じがたい金の借り方についても、若い男が悪い仲間とつるんで失敗するのも、よくあること――よくあるからといって、商家の女は嫁ぎ先の武家でそういう目にあって当然だ、というわけでもないと僕は思う。少なくともうちのお嬢さんたちにそんな目に遭ってほしくないのは確かだし、もしそうなったら僕だって無理矢理もみ消して別の家に嫁がせてやるだろう。となるとこいつの実家のこともそう責められない。だいぶんな女なのは事実だろうが――。
 この女のもとでこれからうちの娘たちはいったいどう育つんだろうか、と考えるとなんとも言えない気分になって、僕は大きいため息をついた。僕は娘に甘いから、可愛い娘がひどい連れ合いに従順に仕えて死ぬ思いをするくらいなら、そいつをぶん殴って出戻ってきて欲しいとは正直なところ思ってしまうが、とはいえそれは最後の手段ではある。はじめからそれを当然の選択肢として教わってしまって、普通の相手と一緒になれるのか――いや、僕だってこいつにこんな過去があるとは気づきもしなかったんだから、隠してりゃ案外、どうとでもなるのかもしれない。
 道誉は心配そうな仕草で僕の様子を窺っているが、前夫の悪行について熱弁をふるっていたときよりもよほど落ち着いて、どこか清々しい顔ですらある。かくも商人の妻向きの女である自分が離縁されるはずがないとたかを括っているに違いない――業腹だが、そのとおりなのだから仕方がない。せめてこの際、聞きたいことは全て問いただしておこう、と腹を決めて僕は扇子を閉じた。
「……最後の質問だ」
道誉は「昔の話はもう全部しましたよ」と、流石に少しばかり疲れたように言った。
「昔ってほど昔の話じゃないさ」僕は返した。「お前さんは――顔合わせの時、一体全体どうやって姫鶴を手なずけたんだ?」
いつでもつまらなそうにしている、あの気むずかし屋のお嬢さんをどうやって取り込んだのか――。道誉は目を丸くして、「お姫はそんなに人見知りするんですか?」と尋ねた。「南泉くんではなく?」
姫鶴の方がはるかに人に懐かない、と僕は答えた。たしかに南泉は人見知りする年頃だが、二歳児が山鳥毛に抱きついてじいっと黙り込んでいるくらいはまだ可愛いものだ。ここ最近の姫鶴の傍若無人ぶりは本当に、手のつけようがなかった。
「ほかにも見合いをした相手がいたんだが、全員、なんというか、泣かせて――」
「お姫を? 可愛そうに!」 
「……いや、あいつが、僕の見合い相手を泣かせたんだ」
道誉は頭をそらして呵々と笑い出した。さすがにこの場で声を上げて笑うのはまずいと思ったのかすぐに口元を袖で抑えたが、しばらくそのまま肩を揺らしていた。
「――それはきっと、お姫にはわかったんですよ。この家が本当に必要としているのはだれか、とね――」
もったいぶってゆっくりまばたく濃いまつげの下で、明るい色の目がきらきら輝いている。絶対に何かまだ隠しているに違いない。僕はもっと問い詰めたかったが、濡れ縁の方で子供の足音がしたのでいったん口をつぐんだ。
「……ねー、おわったぁ? なにしてんの?」
ちゃんとおけいこ行ったらあそんでくれるってゆったのに、と姫鶴がふて腐れた声で言う。
「姫ちゃん、今は大人同士の話が――」
御前に言ってない、と彼女はにべもなく僕を遮った。
「道誉くん、なにしてんの? さっきから待ってんのにぃ」
道誉は地獄に仏とばかりに明るい笑みを浮かべて、姫鶴に話しかけたそうに腰を浮かせている。僕は道誉を目で制止してから縁側に出、膝をついて小声で姫鶴に尋ねた。
「……なあ、お前さん、なんで道誉を気に入ったんだ?」
何の話だ、と言いたそうにするので、「他の見合い――他の姉さんたちが遊びにきたときは、お前さん、えらく嫌がってたじゃないか」と付け足す。ああ、と姫鶴は首をかしげて、「まぁ、ね」と大人ぶって言った。
「お前さんがあいつのどこを気に入ったのかが知りたいんだがね」
姫ちゃんは良い子だから教えてくれるだろう、と頭を撫でても姫鶴は仏頂面だったが、そのうち、何かしら言わないと道誉と遊べないと察したのか、仕方ない、とばかりに僕の耳にそっと耳打ちしてきた。
「……たかいたかいが、すんごいの」
「――なんだって? 高い高い?」
これか、と抱え上げる真似をすると、姫鶴はうなずいて、楽しいことを思い出しているのであろううっとりした顔で「すんごいんだよ、道誉くん」と熱心に言った。
「すっごくたかくて――うえでちょっと、うくの」
顔合わせの時、僕が客に呼ばれて一寸席を外していた間――そのとき姫鶴は座敷に大の字になってふて腐れていたはずだが――に、高く抱き上げて遊んでもらっていたらしい。そんな阿呆なことで籠絡されていたとは――。呆れ果てて絶句していると、いつのまにか後ろに立っていた道誉が嬉しそうに「お姫!」と姫鶴を抱き上げて庭に降りた。無論僕はなんとか言ってやりたかった。だが、姫鶴の期待に満ちた顔ときたら――。
「御前、口入屋の方がお見えです!」
表の店の方から、日光のよく通る声が響いてくる。今行く、と返事をして僕は立ち上がった。

 鴨居をくぐって廊下を歩きながら、庭から響いてくる姫鶴の悲鳴のような叫び声に驚いて、隣の部屋から外の様子をこっそり覗く。――上に浮くの、と姫鶴が言っていたのは、一番上で天に向かって勢い任せにぽんと軽く放り上げてもらうことを指していたらしい。あの気難しい小さいお嬢さんが、世にも楽しそうに髪振り乱してぎゃあぎゃあ叫んでいる。
 女の子があんな激しい遊びを、と思わなくはないが、僕は乱入してまで止める気にはなれなかった。
 ずいぶん昔、首が座ったばかりのあいつらと遊んでやっていたとき、僕もよくああして宙に高く抱え上げてやっていたものだ。むろん投げ上げはしなかったが、赤ん坊が元気な手足をばたつかせて嬉しそうに声を立てて笑ってくれるのが、なんでもないことなのにえらく嬉しかった。――大奥式の礼儀作法で厳しく躾けてくれるかは甚だ疑問だが、あいつはうちの子供たちを思い切りかわいがってくれているようではある。あんなことをしていて、お淑やかに育つかは怪しいが――だが、元気で大きくなってくれたらただそれだけでいいと、昔は僕だってあんなに思っていたじゃないか?
 女手任せにしないで僕もしっかり様子を見ていればまあ、どうにかなるだろうと僕は思った。前と違って道誉が店の仕事をあれこれ請け負ってくれているから、これからは僕のほうも子供たちや使用人の面倒を見てやる余裕が段々できてきそうだし――元々求めていたものと逆な気もするが、うまく回っているんなら、家の中なんて何がどうなってたっていいのだ。
 母親が死んでからずっと消沈していた山鳥毛が、はしゃいでいる姫鶴を見上げながら、おかしそうに声を立てて笑っている。人見知りのはずの南泉が丸い目を輝かせながら、次は己もやってほしい、とばかりに小さい両手を高く挙げた。横目でそれを見つけたらしい道誉が身体を揺らして笑いだし、姫鶴を軽々小脇に抱えてお嬢さんたちの頭を順繰りに大きくなで回した。
 しばらく足を止めてその様子を見届けてから、僕は今度こそまっすぐ店のほうへと歩いていった。

【おわり】

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