海に生きる男と海を知らない彼女


 マスバでの一服後、再び波止場へと向かう。砂上船に乗り込むとガイド君が声をかけてきた。
「Mr.ロバーツ、船の整備ですか? 本日は船首からの突撃を行いましたが、アナタの卓越した技術と電磁障壁により船への損傷はありません」
 初めは「私は基本的な船の整備機能も備えています。アナタの手伝いは必要ありません」と素気無く断られたものだが、「この船をより知ることは、より快適に船を走らせることに繋がる」と言えば了承を得られた。
 技術が大きく進歩しても、砂の上を走る船でも根本的な部分は変わらないようで、数日と経たず雑談しながらでも砂上船の整備をできるようになった。
「ああ、それもあるが、先ほどの君の疑問に答えようと思ってね」
「「地上の風と海風の違い」ですね。どちらも「風」であることには変わりません。確かに地上と海とで場所は異なりますが、それによって優劣が生まれるという趣旨の意見には賛同しかねます」
 甲板を軽くチェックしながらガイド君の声に耳を傾ける。
 機械らしい、抑揚のない声。だが、そこには「知らないことを知りたい」という好奇心のようなものを感じてならない。
「その前に一ついいかな。ここムーン・ドバイに海はないが、ガイド君は海を見たことはあるかい?」
「「実際の海を知っているか」という前提の確認ですね。その答えは「いいえ」です。E-Ⅵ号はムーン・ドバイで建造された砂上船であり、地球での稼働経験はありません。その船のガイドである私もまた同様です」
 ですが、と声は続ける。
「データとして海、そして海風の知識はあります。海は地球表面の約七割を占める海水で満たされた一帯で、そこで発生する風が海風です。風は気圧の不均一を解消しようとして発生する自然現象以外に、船のような物体が動くことでも発生します。そしてこれは海上、地上共に変わりません」
 もしもガイド君に顔があったなら、無表情のようでいてどこかムッとした表情を浮かべていそうな声音だった。そこにメカクレ要素を幻視しているのは完全に己の性癖《しゅみ》だが。
「確かに定義で表すとそうだ。だがそれだけではない。これは優劣というよりは好みの問題だけどね」
 私は海賊で、詩人でも作家でもない。海風を言葉だけで言い表すのは難しいだろう。それでも海に生きた男として、海を知らない彼女に請われたならば。せめてその一端は伝えたいと思った。
「好みの問題、ですか。高度な操船技術を持つMr.ロバーツは、海上での活動期間が長いと推測します。より親しみのある場所での風だから好ましいのでしょうか?」
「言ってしまえばそんなところさ。私は、いや海賊は海に生き、海で死ぬ生き物だ」

 そして、「奪って奪って奪い尽くして、最後に奪われる者」も、海賊だ。

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