手のほどこしようがない



【苦手なエルフ】

 早朝の草取りを終えたリンは重たい足を引きずり薄暗い道を歩いていた。冬でも暖い土地だがこの季節の日が昇ったばかりのこの時間は冷える。一刻も早く戻ってストーブを焚き、毛布に包まってぬくぬくとしていたかった。でも爪の間に土が詰まったから、石鹸とブラシと冷たい水でよく洗わなくてはならない。リンはショールに包まれた肩を震わせた。診療中に空腹で目をまわすわけにもいかないから何か食べ物を口に詰めこまなくてはならない。憂うつなことこの上ない。

 診療所から離れた区画に薬草園が作られ、リンがそこの管理をすると決まった。幼なじみというには複雑な関係のカブルーのしわざだ。今は王の補佐官の肩書きを持つ。
「以前の事故対応で成果をあげてくれてたから推薦しやすかったよ。体を張って入植者たちにオークの薬を飲ませたって評判だ。さすがはリン」
「私は薬草園なんて話なんにも聞いてないんだけど」
 薬草を近場で調達できるに越したことはない。そして薬草を育てるには魔力も重要なので森に近い土地が選ばれた理由はリンにもわかる。でも、なぜ事前に相談もなく? 怒りを表明する権利はあった。
「薬草園の一つもなくちゃ城の診療所としては不完全だ。リンの他に適任者もいないし」
「そういうおだては私には通用しないわよ」
 リンはカブルーからの甘えをせめて自分だけは許すまいとこれまで何度も決意してきた。なのに頼られると嬉しくて、今回もまた慣れない畑仕事の真似をすることになってしまった。

 昨夜はくたくたになってベッドに潜りこんだとたんに叩き起こされた。年寄りのドワーフの咳がおさまるまでシロップを飲ませ湿布をあて魔力をこめた温石も用意してやったので疲れている。しかもあのドワーフの失礼きわまりない態度ときたら、薬師を使い放題の小間使いとでも思っているに違いない。言い返せるだけは言い返してやったが、寝不足で疲れがひどい。治療術師か薬師をもう一人、せめて助手がほしいと頼んでいるのに全然補充されない。これもカブルーの言う通りだと思うといまいましい。でも本当はカブルーよりも彼を許してしまう自分に腹が立つ。

 メリニの城で働き始めてからリンの長命種嫌いはかなり改善された。もちろん皮肉だ。昨夜のドワーフに限らず偉ぶった大臣や役人、学者に顕著だがトールマンの女薬師に無礼な態度を取るのに種族は関係ないのだから。
 以前親交のあったパーティメンバー、思慮深いホルムや忍耐強いダイアとリンの関係は悪くなかったし、ミックベルの軽口も患者どもの悪態に比べればはるかにマシで、クロはいつも頼りになった。近頃のリンは迷宮に潜っていた当時のふしぎな居心地のよさを思い出してばかりいた。パーティは解散してしまい、カブルーはいつ顔を合わせても仕事に勉強にと楽しそうだ。
(私はいつもつまらない顔をしてる)
 リンは表情をとりつくろえない。だからあの――無愛想なエルフと対面すると自分の欠点を鏡で見せられているかのような気まずさを感じた。しかしエルフが嫌いだと言って診療を放棄するわけにもいかない。
(今日はもう疲れちゃってるからあのエルフが来ないといいけど)


「また倒れた! ヤベえ病気かもしんねえから調べてくれ」
 来ないでほしいと願えば来る。リンの人生は常にそんな調子だ。いつも騒がしいフレキがあのエルフを担いで飛びこんでくる。彼が迷宮探索に熱中して不調に気づかず、地上に戻りしばらく経ってから突然倒れるのはこれが初めてではない。迷宮での凄惨な体験が彼の心身に悪影響を及ぼしているとカブルーに聞いた。
(なぜ私はこのエルフについてカブルーから聞かされなくちゃならないわけ?)
「なんで体調悪いなら悪いってもっと早く言ってくれねえんだよ〜」
 だらしなく床に座ったフレキが好き勝手わめくのもいつものことだ。リンは薬を調合しながらいつもの説教をくり返した。
「あなたはもっと注意深く自分の体を観察して違和感を見つけて、休んだり引き返さなくては駄目」
「うん」
 彼一人の力では難しいことなのだと理解してはいても毎回の同じような返答に腹を立て、今日はもう一言添えたくなった。
「気をつけないと迷宮に潜れなくなるわよ、ミスルンさん」
「わかった」
 冷たい瞳のエルフが肩を揺らして口から短く息を吐き出した。目を細めているのを見るにどうやら笑ったらしい。
(何がおかしいんだか。エルフって何考えてるかわからなくて本当に苦手)


 仕事で多忙なカブルーが時間を作ってあのエルフとたびたび食事に行くのもリンは嫌だった。一応はリンがカブルーと食事をする機会の方が多い。でもカブルーの話から回数を割り出して比較している自分に気がついた時のむなしさと言ったら。
 それにリンとカブルーの食事は回数こそ多くても他の人も一緒にいることがほとんど。カブルーはマルシルとリンが話してるのを見るといつも安心したとばかりにライオスと話しこんでしまう。ライオスはカブルーにしてはかなり長い間狙いをつけていたのに落とせなかった難攻不落の城で、カブルーは友人として彼を手助けできるのをとても喜んでいるようだった。
 マルシルもリンと同じく、額がくっつきそうに熱心に話しこむふたりに呆れていた。
「食事中に仕事の話するの禁止しようとしたんだけど、あの人たちその分夜ふかしするから意味ないんだよね」
「それじゃ手のほどこしようがないわね」
 前に誰かにこんなこと言われた、誰だったっけ。疲労もあいまってリンはちょっとの間ぼんやりした。スプーンを握ったまま考えこむリンにマルシルが愛想よく話しかけてくる。
「リンもお仕事忙しそうだね。診療所で働いてくれる人、探してもらってるんだけどなかなか見つからなくてごめんね」
「カブルーも難しいって言ってたから気長に待つわ。そういえば、診療が終わった後に掃除に来てもらってるんだけど、午後の休診時間にもお願いしたいなって」
「うん、わかった。明日は間に合うか微妙かな。できるだけ早く入ってもらえるようにするね」
 すんなり話が進んでリンはほっとする。マルシルが眉尻を下げて笑う。
「私たちも仕事の話しちゃってるね」
「確かに。あいつらのこと言えない」
 一瞬だけリンに向かって笑顔を見せればあとはほっておいてもかまわないと思っているようなカブルーの態度は気に食わないが、リンは城の二番目に豪華な食堂に招かれるのは嬉しかった。
 マルシルに相談をしやすいだけではない。リンは仕事の外での会話に飢えていたのに、薬草園の世話や深夜の呼び出しのせいで疲れて新しく人づきあいをする余裕がない。マルシルはリンがいわゆる社交的な会話を提供できなくても気にしないし、リンの険しい表情にも何も言ってこないのもありがたい。カブルーから何か聞いているのかもしれない。表情豊かなマルシルからは一緒にいて嫌な圧を感じずに済む。
「あのエルフとは大違いだわ」
「んん? 聞いてなかった。何か言った?」
「大したことじゃない。これ、おいしいわね」
 見た目も材料も変わったところのないスープだったが、悪食王の食卓は一皿一皿の質がいい。これも嬉しいことの一つ。


 診療所で咳止めのシロップを煮詰めながらリンはあくびをした。一瓶を使いきったので早めに補充しておきたい。夜は精霊がうまく仕事をしてくれ、薬をしこむのにふさわしいとろりとした火になる。リンは時折鍋をかき混ぜた。
(さっき、適切な距離感だったわよね)
 マルシルは気さくな人がらだが近づきすぎてはいけない。リンは自戒していた。
 リンの他にも食事に招かれる人間は多数いるから。彼女はエルフだから。顧問魔術師と城内診療所の薬師という立場の違い。何より、リンが彼女に勝手な共感を抱いてしまっているから。
 リンはマルシルの引き起こした事態を目撃した大勢のうちの一人だった。元迷宮の主と言えば普通は恐れられ腫れ物に触るよう扱われる。しかしここでは彼女の明るさや誰にでも話しかけてくる態度が城の風通しをよくしているとの評判でもちきりだ。
(でも、彼女は悪魔との契約を望むくらい深く傷ついてたはず)
 リンも子どもの頃にひどく傷つき、一言も話せず食べられなくなった時期があった。同じトールマンの子どもだという理由で見舞いにきたカブルーと親しくなり、カブルーも傷を負っているのだと明かされて眠れない夜の暗さに押しつぶされそうな気持ちを語り合った。
 カブルーにもはっきり言ったことはないが、傷を持たない人と親しくなれるのかとの疑念をリンは今も捨てられない。元のパーティメンバーも大なり小なり傷――恨みと言い換えてもいいが、痛手を抱えていた。温厚なホルムでさえエルフに拘束された過去がある。そんな人たちだからカブルーの理想に惹かれ集まった。彼らとあの時期を過ごせたからリンは今まともなふりをして立っていられる。
 問題はカブルーだった。いや、リンのカブルーへの思いだ。互いに相手の面倒をみてるつもりでいるが、リンは時々自分が彼に寄りかかりすぎていると感じざるを得なかった。カブルーと仲よくなりたがった人たちが親切にも(これも皮肉だ)リンに忠告してきた時からたびたび我が身を振り返ってきた。
 リンはカブルーと幸福に暮らす未来を想像したいのに、できない。カブルーの興味がライオスや国の運営に向いている今はいい。けれど彼には生涯を共に過ごす相手を選ぶ自由がある。いつか自分が選ばれないことがわかった時、リンはそのあとの人生をどうやって生きていけばいいのか考えられなかった。
 そんな自分がマルシルにのめりこんでしまったら。リンに優しくする理由を持たない彼女はやんわり拒絶するだろう。リンの人生の見通しは暗い。でも強く求めさえしなければ拒絶はされないのだ。ほどよい距離を保てれば大きな損失や痛手をこうむることはない。今までもそうして生きてきた。

 つまらないことを考えてしまうのは夜遅く一人でいるせいよね、とリンは思った。炉の火は暖かいが背中は薄っすらと寒い。誰かにそばにいてほしくて、でもカブルー以外の誰かを想像できない。
(またカブルーのことを考えてる。他の人って言っても誰もいないんだもの)
 暇つぶしにこの土地で知り合った人の顔をざっと思い出しているうち、ふと、あのエルフもマルシルと同じなのだと気がつく。迷宮で受けた凄惨な傷はきっと今生きている誰よりも深い。リンはその事実に思い至っても今後彼との会話がはずむとは思えなかった。
(だって愛想がいい人と一緒にいたいと思うのって当たり前でしょ。あの会話の成り立たなさはどうにもならないわよ。エルフの偉い人がわざわざ私を傷つけるつもりなんてないんでしょうけど)
 リンのエルフ嫌いは治りそうにない。しかしこの頃はカブルーと親しくしている相手を敵視するのにも疲れはじめていた。この数ヶ月でリンもカブルーも関わる人間の数が増えすぎていた。

 鍋をかきまわす手がしばらく止まり、泡立った表面がぶわりと膨らんだ。
(やだ、こぼれちゃう)
 慌てて鍋を炉から下ろしたがシロップが焦げつくにおいにあせりで胃がぎゅっと締め付けられる。リンは目をつむった。
(大丈夫。もし失敗しても明日作り直せばいいんだから。ああでも鍋をもっと買い足さないと)
 恐る恐る、半泣きの表情で覗きこめば、あふれて脇に垂れたものが焦げていた。中身は無事かもしれない。一匙すくって冷ましたものを舐めてみる。思わず顔をしかめたくなる濃縮された甘みとスパイスの豊かな香り。温かいミルクやワインで割って飲むのにちょうどよく仕上がっていた。安堵でどっと肩から力が抜けた。
 その拍子にリンはこの国で一番有名な悪魔との契約者が誰であるか思い出した。ライオスだ。彼はけして愛想か悪い人物ではないがリンは彼と親しくなりたいと感じたことは一度もない。
 それからファリン。契約者ではないが彼女の経験も凄絶だ。それなのにいつも柔和な親しみやすい笑顔。でもリンはかつて腹を貫かれたことを差し引いてもあの笑顔が苦手だった。
 傷を受けながらも愛想よくふるまうという無茶な条件を満たす誰かに惹かれるはずのリンの感傷的な法則はまったく当てにならない。結局、選り好みしていただけかもと気づいたとたんにおかしくなってリンはひとしきり笑った。夜の診療所で笑うリンの顔を誰も見なかった。


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