乾杯
外は小糠雨が降って蒸してるのもあって、冷房の利いてる飲み屋の中は天国やった。
「草若師匠、最近地方の公演よう行かはりますよね、関西離れたら客席どんなですか?」
「そら、客席が流石にそんなに埋まってへんし、いつもの高座と同じように考えてたらあかんで。若手が噛んだり話を忘れてしもて客席凍らせるにも、あれ、客が席を埋めてるのが前提やさかいな。」
「夏でのないのに怖い話止めてください~。」
脅かし過ぎたんか、「ひええ、オレあかん。」とか「続けて行けるんやろか。」て声まで聞こえて来た。
「まあオレの話かて、アレや…場所によっては…『底抜け~』ていう瞬間だけ受けてるて日もあるさかいな。若い時ならええけど、この年になって来たら、そういうの割と辛いもんあるで。」
とまあ、そこまで言ったら頭の中の草々が、『そやからオレがずっと稽古せえて言うてたんやないか!』と言い始めた。
うっさいわ、ボケ。分かっとるがな。
二十代になったら、三十過ぎたら……もっと大人になってるもんやないか、て思ってたけど、四十過ぎたら、二十の時とあんま変わらん自分がいてるだけで、草々みたいに弟子取ってたらそれなりに貫禄も付いてくるやろうけど、オレなんかはずっと教わる方ばっかりやってたら、そんなようなこともないしなあ。
オチコちゃんに『草若師匠、私に茶の湯教えて~!』て言われることもあるけど、オレ、茶の湯はいっぺんも高座に掛けたことないからな。底抜けに慌てて草原兄さんにお稽古お願いして、一週間でなんとか形にして、話のタイトル間違えて覚えてるで、とは言わずに茶の湯教えて、『これ、いつになったら茶金さん出てくんの? いつもの草若ちゃんのはてなのヤツとちゃう~!』て思い切り暴れられるまでがセットていうか……。
とかなんとかバタバタと話しているうちに、やっとジョッキがやって来た。
ジョッキの半分はソフトドリンクで、残りはチューハイとオレの頼んだ生中や。
オヤジ……今は飲まんでも落語談義が出来る時代やで。新しい落語の夜明けや。まあ夜やけど。
「そしたら、乾杯の音頭と挨拶は、草若師匠にお願いします!」
「おぉい! そんなん底抜けに聞いてへんで……!」
「そうかて、僕らの中では一番年長やないですか。ついでに司会もお願いします!」
まあ四草には夕飯いらんし、ここで飲むて連絡も入れといたしええやろ……団体行動やねんから、これは浮気とちゃうで、と思いながら引っ張られて来たけど、なんやこいつら、飲みに行くのに幹事役も決めてへんのか。
「お前らなあ……。」
なんでオレがこんなグダグダな若手の飲み会に巻き込まれてしまわなあかんねん、て思うけど、小草々のヤツがどうも夏風邪になって寝てるとかで席が空いた分、『出番の終わったタイミングで日暮亭におって』『今夜も予定がなさそうな顔してた』オレにお鉢が回って来たちゅうわけや。
まあ喜代美ちゃんには日暮亭のおかみさんの仕事もあるし、後から打ち上げに顔だけ出してくれるて言うてるから、それまではオレも場を持たせんとあかんわけや。
四草呼んでええか、て言ったら、次の瞬間には三人とも首を横に振ってたし、しゃあないわな~。
あいつの人望がないのが悪いていうか。オレは日ごろから財布の紐が緩いような顔してんのがあかんていうか。
しかしまあ、三人もおって、どてかぼちゃみたいな脳みそしかないんか、と思うけど、まあオレと草々かて、若い頃はこないなもんやったかもな。おかみさんに、炊事洗濯掃除の一通りは躾られたとは言っても、落語と一門を出た外の世界のことは、自分で経験せんことにはよう分からんもんや。
「……まさかと思うけど、お前ら、こういう飲み会初めてとちゃうやろな。」
「いや、そんなこともないですけど。」
「師匠とはたまに行くよな。オレが会計で、お前が幹事で。」と二番弟子が三番弟子を差して言って、四番弟子は「オレが日程調整と参加者のとりまとめ役で。」と言った。
「そう言われたら、オレらだけでこういうとこ来るみたいなんは、今までになかったんと違うか?」
目の前の弟子たちがやいやい言い始めたので交通整理が必要になって来た。
「いや、普通は日程調整と参加のとりまとめもまとめて幹事のすることとちゃうか……?」
「そうなんですか?」
日程調整と参加者とりまとめやってるヤツが目を剥いたのと同時に、幹事役のボケが視線を外してそっぽ向きよった。
あ、お前……面倒な役目振られた後で、なんも知らん弟弟子に振り直したな。
まあ普通なら、こまごました雑用なんかは全部末っ子にやらせんのやけど。草々は入門した直後にオレが入って来たから、年数の浅い兄弟子は、弟と面倒を押し付け合いながら一緒にやってくもんや、みたいな頭が今だにあるんかもしれへんな。
「いや、でもそない言われたら、師匠の財布当てにできんと、どこにも行けへんですもんね。酒飲む金あったら、ボーリングとかカラオケ行きたいけど金ないわな、て言うとりますけど。」と言うのは、草々とこの食卓をマリーアントワネットの宮殿みたいにしてる方の三番弟子や。
教育がしばらく小草々に任せきりにしてたら、弟子にした最初の三日で一か月分の食費を使い果たされてしもて、その後は月末までずっとおにぎりしか食べられんかった、ていう喜代美ちゃんの、あの年季明けの頃と同じ絶望した顔は忘れられんで。
「今でもボーリングとかカラオケとか行きたいもんなんか?」
『小草若ちゃんのこれ底抜けに流行りまっせ』に出演してた頃には、もうボーリングブームもほとんど下火になってたけど、あれからもう二十年近く経ってるのに、俺らのちょい上の世代やのうて、若いもんが楽しんでやってんの、なんやおもろいな。
「そらまあ、高校の時とかはゲーセンが流行ってましたけど、オレら、なんやゲーセンとかプレステみたいな遊び、これまでにほとんどしたことないのが共通点で。」と言われたらなんか納得してしまうな。
「オレのとこは、友達と遊びに行くから金くれて言って、親が許してくれるのがボーリングとかカラオケだけで。」
「オレはボーリングとかやってもすぐにガーターしてまうんで、逆に面白くなってしもて。ガーターせえへんかったらポテトのL買ったるで、て親に言われたのもありますけど。」
そんなもんか。
「お前、いっつも酒飲むくらいならその金で腹いっぱいおにぎりかマクドのポテト食いたいて言うてるもんな。」
そこはビッグマックとちゃうんかい。
「そうかてな~、おかみさんに買い物行くたびに毎回二十キロの米の入ってるレシートお願いしますて言うの、ほんまに心苦しいていうか……。うちから送ってもろたら、ただやで。」
「ただとちゃうやろ、お前のオヤジのトラクターのガソリン代やら農薬の費用やら人件費やら送料やらが掛かってるがな。」
ていうか、さっきから三人してジョッキとグラス掴んだままで一滴も飲まずにアホみたいにしゃべくってんな。
酒もなくてこれだけだべってられんのなら、ほんま居酒屋やのうてさっさとマクドに河岸移した方がええんちゃうか?
「お前ら、いつ乾杯するつもりや? このままやとビールぬるなってまうで。」
「せやった!」
「草若師匠、」
「お稽古お願いします!」
「おい、稽古とちゃうやろ、乾杯や乾杯!」
酒飲んでへんのにもう酔うてんのか、と言おうかしたところで「「「ま、ええわ、乾~杯!!!!」」」と三人してグラスを掲げた。
お前ら、もしかして草々やのうて、喜代美ちゃんの弟子になってんのと違うか?
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