1-2 思い出を詰め込んで

 ガチ恋ちゃんとのドーナツパーティが終わった頃、外には朝日が昇り始めていた。リビングの窓から差し込む光が、静かな室内を照らし始め、夜の名残を消し去ろうとしていた。鳳子は、ガチ恋ちゃんから借りたパジャマに包まれ、まるで家族のように過ごした夜を思い返す。お風呂を借り、温かい湯で体を癒した後、彼女がご馳走してくれた色とりどりのドーナツがテーブルに並べられ、二人はネトフリでアニメや映画を見ながら、楽しい時間を過ごしていた。

 やがて、ガチ恋ちゃんが眠気の限界に達し、そのままソファで寝息を立て始めた頃、鳳子は静かに席を立った。彼女は乾いたセーラー服に着替え、眠るガチ恋ちゃんを一瞬見つめた。無防備な姿に、自分の存在が少しでも彼女の支えになったのだろうかと、ふと考える。しかし、そんなことを考えている時間も長くは続かない。鳳子は一言、心の中で別れを告げ、そっと彼女の家を後にした。

 外に出ると、夏の朝の空気が肌に触れ、わずかに涼しさを感じた。けれども、すでに太陽は高く昇り始め、日差しはじわじわと強まっていた。鳳子は日陰を選びながら歩き始めた。向かう先は暁の住居ではなく、かつて和希と暮らしていた自宅だった。和希は今も入院中で、家に帰っても誰もいない。しかし、暁の元へ戻る勇気はどうしても湧かなかった。

 蝉の声が遠くから響き、夏の日差しが徐々に熱を帯び始める。街はゆっくりと目を覚まし、すれ違う人々の姿が増えてきた。鳳子は、変わらない日常の光景に、どこか安心感を覚える。自分の中から仁美里が消えてしまったことには寂しさを感じるものの、それでも呪いから解放されたのなら喜ぶべきだと、自分に言い聞かせていた。

 しかし、全てが終わったわけではない。鳳子の制服の下には、今も拳銃を隠し持っている。それは暁の住居から盗み出したものだ。こんな危険なものを持っている人たちが、自分の保護者を名乗り、一つ屋根の下で暮らしているという現実が、異常だと感じずにはいられない。鳳子はふと、暁が行っていた残虐な行為の断片を思い出し、胸が重くなる。暁の住居の地下室で見た無数の虫の死骸。それが本当は何であったのか、鳳子は想像するのが怖かった。

 暁凰雅と鳳仙和希。彼らは信用できない、してはいけない気がした。記憶を取り戻したことが彼らに知られてしまうわけにはいかない。彼らが敵なのか味方なのか、まだ判然としない今、何としてでも「今の世成鳳子」を守らなければならなかった。

 やがて、自宅にたどり着いた鳳子は、駐車場を見渡したが、そこには一台も車が停まっていない。家の中で暁が待ち伏せしているのではないかという不安が一瞬頭をよぎるが、彼がそれほど鳳子に執着しているとは思えない。とはいえ、拳銃を盗み、こうして家出をしている現状では、彼の注意を引いているかもしれない。それでも、暁が家で待つよりも、どこか途中で鳳子を捕まえに来るだろうと考えた。

 静かに鍵を鍵穴に挿し、音を立てないよう慎重に回す。玄関の扉を開け、中にある靴を確認する。 

(……よかった。誰もいない)

 靴が片付けられていないことから、少なくとも誰かが家に入った形跡はないようだ。鳳子は安心し、そっと扉を閉めた。家に入ると、ふと天井にある点滅する赤い光が目に入った。それは監視カメラだった。

「……そうね、この家は、そういう場所だったわね」

 深いため息を吐きながら、肩の力を抜く。カメラがリアルタイムで監視されているかどうかはわからないが、動態感知機能が付いているなら、鳳子が家に帰ったことはすぐに察知されるだろう。もう警戒しても仕方がない。彼女は平静を装い、自室へ向かった。

 スクールバッグをひっくり返し、中に詰めていた教材を吐き出す。これから当分家を離れるつもりで、必要なものを詰め込むつもりだ。表向きは解決部の活動をしていることにして、暁から距離を取りながら、彼らの正体を探る計画だった。日記帳に自作のオカルト手帳――これは過去の自分が紡いできた大切なもの。これも持っていく。

「拳銃は、縫いぐるみに隠しておこう」

 部屋の隅に置かれた無数の縫いぐるみの中から、一つを選び手に取る。机の引き出しから裁縫道具を取り出し、縫いぐるみの首元の糸を丁寧に切断していくと、胴体と頭部が二つに分かれた。綿を少しだけ抜き、拳銃が入る隙間を作る。その作業をしている間、鳳子の頭の中に、ふと昔の記憶が蘇った。

 それは、仁美里の亡骸を縫いぐるみに詰めた時の記憶と重なっていた。あの時はまだ不器用で、こんなに綺麗に縫いぐるみを裁断することなんてできなかった。

 思い出に浸りながら、鳳子は拳銃を縫いぐるみに仕込んでいく。外から触れても異物の存在がわからないように、抜いた綿を再び詰め直していく。何度も確認し、破壊された縫いぐるみを再び生き返らせる。最後に頭部と胴体を繋げ、見事な縫いぐるみに仕上げた。完璧にできた。それなのに――

「……ごめんね……にみりちゃん……」

 涙がぽろぽろと溢れ、鳳子は思わず縫いぐるみを抱きしめた。彼女はただ、仁美里と一緒にいたかっただけだった。ただそばにいて欲しくて、その願いを叶えただけなのに、誰にも理解されなかった。仁美里という少女が存在したことなど、今では鳳子だけが覚えているに過ぎない。世間にとっては、名前もない哀れな巫女の犠牲者の一人に過ぎず、埋もれた死体の一つでしかなかった。その悔しさが、鳳子の胸を締め付けた。

 涙を拭い、縫いぐるみをバッグに詰める。他に何か持っていくものはあるかと机に目をやると、そこには土や紙くずが詰められた小瓶が置かれていた。それを見て、最初はゴミかと思った。しかし、和希が課題として作らせたものだったことを思い出す。今の鳳子には何の価値もないが、かつての自分が大切にしていたのなら持っていこうと決め、小瓶をバッグに放り込んだ。



 夕方のバーガーショップに、鳳子は静かに腰を下ろしていた。カウンターの隅に差し込んだ充電器にスマホを繋ぎ、ゆっくりと充電が進むのを待ちながら、解決部の掲示板を眺めている。店内のざわめきが遠くで響き、フライヤーの音やオーダーを告げる声がぼんやりと耳に届く中、彼女はただ、スクロールする指に意識を集中させていた。

 結局、呪いを解決した今、鳳子にとって残された道は解決部に貢献することだけだった。暁や和希が何者であろうと、その真相を暴くための表向きの活動として、解決部の任務に参加しているつもりだったが、彼女の解決部に対する憧れは本物だった。正しく生きるためには、正しい存在を模倣するしかない。鳳子にとって、解決部はその「正しさ」の象徴だった。

 仁美里を失った喪失感や、暁たちに対する不信感が心の中に渦巻くたび、鳳子はそれを振り払うように解決部の掲示板を一つ一つ念入りにチェックしていった。スクロールするたびに、彼女は何かを見つけようと必死だった。やがて、ふと気になる依頼内容に目が留まった。

 それは「箱猫市に伝わる怪談」を求める依頼だった。オカルトの分野には、多少の知識がある鳳子にとって、どこか惹かれるものがあった。掲示板のスレッドを開くと、その中に気になる投稿が一つ目に留まる。

 鳳子は無言でその投稿に目を通しながら、何かが心に引っかかるのを感じた。

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【情報提供】
From:通りすがりのオカルトマニア

ちょうど箱猫市や黄昏学園について調べていたら、面白そうな噂を聞いたので、提供するね♡

松本医院ってことろで、リボンまみれのおばけが出るんだって!
ちょうど箱猫市の災害が過ぎ去ったくらいのタイミングくらいかな~そういう話を聞いたの。

このお化けの正体なんだけど、あたしが思うに、きっと昔、この病院に入院してた少女がいたんだろうね。彼女は頭にたくさんのリボンをつけてて、病気で苦しいのにいつも明るくてさ。みんなに希望を与える存在だったんだよ。

でもね、災害の日その子は亡くなってしまったんだ。その後、病院のあちこちで、彼女の姿が見えるようになった。頭にはあのリボンをいっぱいつけたまま、にっこり笑ってね。

どうして彼女の霊が現れるのかって? おそらく、自分と同じように病気と闘ってる人たちを励ますためだろうね。でも、まだ未練があるのかもしれない。だから、今も彼女はこの病院を彷徨っているんだよ。

君たちならもしかしたら彼女を助けられるんじゃないかな?
黄昏学園の解決部……以前から気になっていたんだよね!
何でも解決しちゃうその実力、是非ともあたしに見せてよ🤗
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 鳳子の中で、かすかな興奮が湧き上がった。それは、彼女がずっと感じていた喪失感や不安を埋める手段になるかもしれないという期待だった。

「これなら、少しは役に立てるかもしれない」

 鳳子は小さく呟き、スマホを握りしめた。彼女の心はどこかで、まだ仁美里を探していたのかもしれない。呪いから解放されたとはいえ、その心の一部は未だに失われたままだった。解決部の活動がそれを埋めるための手段となっていることに、鳳子自身も気づいていたが、それでも彼女はその道を選ばざるを得なかった。

 バーガーショップの窓から差し込む夕暮れの光が、次第に夜の闇へと変わり始める。外では、街の明かりが少しずつ灯り始め、人々が家路へと急いでいる。鳳子は、スマホの画面を閉じ、カウンターのコンセントから充電器を引き抜いた。静かに立ち上がると、周りに目をやることなく、彼女はひとり店を後にした。
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