かわいい





腹、減った……。
「……草若兄さん、草若兄さん、起きてください。」
おい、四草、お前ちゃんと兄弟子の名前呼ばんかい、オレは小草若ちゃんやで。
「起きろ。起きんかい。……こら、ヒトシ。」
「んあ?」
目の前に四草の顔があった。
二度寝してたら電車乗り過ごしますよ、と言われて頭がはっきりとした。
さっきまで夕方だったのに、部屋がむやみやたらに明るい。
「今日が何日か覚えてはりますか?」
「……十二月十四日。」と起き上がって首を掻いた。
「忘れてないならええですけど。」
討ち入りの日で、一門が復活した寝床寄席の初回やった日ぃのこと、オレが忘れるかい、と言おうと思ったけど、どうせ昔のこと突っ込まれてしまいやな。
オヤジの逝ったあの年の高座をすっぽかしたこと、このまま一生擦られてまうんやろうな、……まあしゃあないか。
瞬きをして時計を見ると、今から飯をかきこんで髪をセットしてギリギリ、という時間だった。
「あかんわ、身体重い。」
「さっさと起きんからです。三十分前にもドアの外から声掛けましたよ。」と四草は澄まし顔で言った。
「顔もむくんでる気ぃするし。」
「そら、昨日あれだけ酒飲んだらそうなるでしょう。」
「可愛い草若ちゃんが台無しや。」
「顔、むくんでても可愛いですよ。」
可愛い、可愛い、と人あしらいの上手い弟弟子の顔をした四草の、気のない声が聞こえてくる。
こいつのこういうとこ、いまだに腹立つな~、と思うけど、そうやって腹立ててる時間もない。
これまでみたいに、天狗座の横からタクシー呼んで飛ばすわけにもいかん。
昨日のうちに、支度済ませといてよかったな、と思う。
「家遠くなったんですから、あと一時間寝てるのでは間に合わないですよ。」という男もまだエプロン姿だ。こいつはもう、今日は高座に出んからって、他人事みたいな顔しおって。
「お前、もう飯食ってしもたんか?」
「……これからに決まってるでしょう。」
一緒に食いましょう、と家族の声で言われて、もっと腹が減って来た。
「オレ、オムレツがええな。」と起き上がると、「今日は卵焼きです。バター切らしてますから、帰りに買って来ましょう。」と四草は言った。
「帰り、迎えに来てくれんのか?」と尋ねながらベッドを降りる。
「車の鍵は僕が預かってるし、子どもの送り迎えのついでです。」とそっけない。
「なんや、オレはついでかいな。」と言うと、「ほんまについでのわけないでしょう。」と四草は拗ねたように言った。
はは、四草。お前もわりと可愛いで。

powered by 小説執筆ツール「notes」

52 回読まれています