IV、もう一つの顔


 私が死刑執行人の助手になってから早くも一年近く経過した。
 この一年の間ですでに十回は処刑台の上に立った。これは執行回数が多い方なのだろうか、父は度々ため息をついていた。刑の執行がない時は気休めのためか庭の手入れをしている様子が見受けられた。
 実は、父は死刑執行人として務めている反面、庭師としての顔も持っている。
 これはどういうことなのかというと、簡単に言えば副業である。
 刑の執行は毎日行われているわけではないし、仕事がない日は当然収入を得られない。国からは支援金のようなものを受け取ることはできるものの、それでも十分な額とはいえなかった。
 そのため死刑執行人は何らかの副業に就いている場合が多い。ミゼリコルド家の人間は代々庭師としての仕事も受け持っていた。
 草木花を愛することを慰みとしていた先祖は、いつしか庭を造ることが趣味となりやがてそれがもう一つの役職に繋がったのだとか。
 幼い頃、父の仕事は何かと聞くと「悪い人をやっつける仕事」だと教わっており、庭師に関しては触れることはなかったが(恐らく嘘はつきたくなかったのだろう。庭師と言っても嘘にはならないのだが)、父の普段の生活を見て「パパはお庭をつくるのが好き」だということは感じ取っていた。
 余談になるが、死刑執行人という仕事柄、人体構造を理解する必要があり外科医学的な知識を持ち合わせてはいるものの、こちらは基本的に医業として行ってはいない。
 しかし、診療の相談を持ちかけられることもしばしばあり、その時は勿論受け入れる。
 話を戻そう。ミゼリコルド家は庭師としての腕が良いらしく、それを知った富裕層の人間は時々我らに庭づくりを依頼してくることがある。
 その時は「死刑執行人として」ではなく「庭師として」扱ってくれる。我らが人の優しさに触れることのできる数少ない機会である。そして彼らが我々死刑執行人の優しさを知ることができる貴重な機会でもある。
 死刑執行人が忌み嫌われていて恐ろしい存在だという固定観念は払拭できるであろう。
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