001 J
幼馴染と結婚した。
その幼馴染は知るや否やおれを半殺しにするくらいにキレたが、すでに手続きはすべて終わっているのでもう遅い。ざまーみろ。
「てめえ何考えてんだ!」
「先にやったのはそっちだろ」
まだ口先だけは元気だったので言い返すと、幼馴染……エイダンは地面に転がって砂まみれになっている俺の胸倉をつかみ上げようとした。その背後で、太陽を背負って女性が立つ。
「止まれ」
彼女はエイダンの頭をぼかっと殴った。逆光に目が慣れてくると、それがエイダンのママ、ツインカであることが分かった。彼女はおれの支援者で協力者だった。
「ってえな、何すんだよ」
「おめーが何してんだ。ジェマを殺す気か」
「てめえには関係ねえだろ」
「ジェマに何かあったらマリアんとこに申し訳たたねーだろが。ほらジェマ、起きな。あーあー、だらしねーな」
ツインカは手厳しいのでぼこぼこにされたおれに手を貸してくれたりはしない。おれは鼻血をぬぐいながらどうにか一人で立ち上がる。ああもうコレ夜になったら熱出るなと予感する。
「で、説明しろ。何があった」
「こいつが勝手に俺との婚姻契約を提出しやがった。犯罪だろ」
「いや?」
「何ボケてんだ、俺は同意してねえ。同意のねえ婚姻は無効だ!」
「ボケてねーよ、あたしが許可した。ゼフも認めた。おめーの同意がなくてもあたしらの署名があるから有効だよ」
「はあ!? てめえ、何してんだ! 俺の結婚相手はもう決まってただろうが! 面子潰すつもりか!」
エイダンはもう半年以上前に十五になった。うちの村では十五に独り立ちで、その前後に結婚相手が見繕われる。エイダンにも婚約者とでも呼ぶべき人が決められていて冬をめどに新居や婚資の準備が進められていたことはおれも知っていた。
「お前が言うな」
おれは血が喉のほうに垂れてきたせいでがらがらの声でエイダンに言い返した。
「なんだと?」
「エイダンがおれの婚約話潰したんじゃん。なのに自分はのうのうと結婚とかありえなくね」
おれの誕生日はついこの間。だからおれにも夏くらいから婚約話が持ち上がっていた。相手は遠い町の女性で、おれが婿入りすることになっていた。定期的に村に出入りしている商人の友人の奥さんの従妹の知り合いという、完全なる他人。おれは会ったことすらない。距離があるから婚約期間は長くなりますがその分お互いを知る時間が取れますね、なんていい感じに紹介してくれたのを、エイダンはおれの知らないところでお断りしていた。次に会ったとき商人さんからの当たりがひどく辛辣になっていたのでよくよく聞いて判明したのだ。
おれはびっくりした。
別に怒りはしなかったけれど、いややっぱちょっと怒ったかもしれない。エイダン、ちょっとこれはひどすぎないか?
古い古い言葉にはこういうものがある。
目には目を、歯には歯を。
だからおれは考えた。復讐だ。でもすぐに、これは難しいぞと分かった。
なにせエイダンのほうの婚約はほとんど確定事項であり、今からおれがお断りの連絡を入れても、すぐに家同士の話し合いになっておれが勝手にしたことだから破棄は無効、となってしまうだろう。破談に持っていくにはどうしたらいいか。
この国には重婚の制度はないと教えてくれたのは、ツインカだった。
おれがエイダンに復讐したいと相談したら、実母であるはずの彼女は実子エイダンの肩を持つわけでもなく煙草をふかしながら「まああいつがやってきたことが自分に返ってくるんだ、道理だな」とむしろおれを支援してくれたのだ。
おれが先にエイダンと結婚してしまえば、エイダンは他の人間と結婚できない。
本来なら婚姻にはエイダン本人の同意が必要なのだが、まだ成人したてのエイダンの場合は両親の承認で代えられる。そういうわけでおれはツインカとエイダンパパから署名をもらい、頭を掻きむしりながらしち面倒な婚姻手続きを全部終わらせ、町で証明書を発行してもらい、今日。自信満々でエイダンにそれをお披露目してやったというわけだった。
「それとこれとは別の話……」
「じゃねーだろ。観念しな」
「ババアてめえ誰の味方してんだよ!」
「今回はおめーが間違ってんだよ、エイダン。頭冷やしやがれ」
ツインカはぽか、と軽くエイダンの頭を叩いた。エイダンの赤と青の目がぎろりと殺意を込めて彼女をにらみつける。実母に向ける顔か……? これが……。とはいえエイダンとツインカの関係はここ五、六年こんな感じなのだった。思春期ってやつだろう。順調に大人の階段を登っている証拠だ。次は発情期だな。
「気に食わねーなら、不受理届けか離婚届けを出すんだな」
「言われねぇでもそうするよ!」
「ジェマに無理やり書かすなよ。ちゃんと説得するか、おとなしく三年待て」
「死ね!」
ツインカとこれ以上一緒にいたくなかったのだろう。エイダンはおれの腕をつかむと大股で村の外れへと歩き出した。
三年待てば相手の同意なしでも離婚できる。だからツインカは三年と言った。
そして三年と聞いておれはびっくりした。
おれ、三年もエイダンと結婚するのか?
ちょっと……きつくないか? 三年後、おれは二本の足で立っていられるだろうか。
おれはエイダンの結婚を潰したかっただけなので、この先どうするかを何も考えていなかった。おれが婚約を一回ダメにされたんだから、エイダンの結婚を一回ダメにしてイーブンだろう。さっさと離婚してもいいかもしれない。
そんなことを考えているおれを尻目にエイダンは森の中に分け入り村から声も届かない距離を取ったことを確認すると適当な倒木に腰を下ろした。
「お前、今どこに住んでんだ」
「え? 山」
「山のどこだよ。いつも野宿ってわけじゃねえだろ」
「小屋だよ。エイダンも来た事あるじゃん」
うちの村では、十歳から仕事を始めて遅くとも十五までには家を追い出される。家業を継ぐにしても近くに新しい家を建ててそこに移り住むのだ。婿や嫁に行けば別だが、そうでなければ十五で家持ちになるのが当たり前だった。
で、おれは婿に出される予定だった。だからおれには家は割り当てられない。
でも十五になったらみんな家を出る。婚約が破談になったおれも例外ではない。
これってなんだか矛盾じゃないか? 現実に起きてしまっているのが悲しい話だ。
そういうわけだからおれは山中にある狩猟小屋で寝泊りしていた。
狩人は村はずれの山麓に家を建てることが多いが、一時的に武器や獲物をおいておいたり一晩の仮宿にできるような小屋も所有しているのが普通なのである。おれも狩人の端くれなので十を過ぎたころ前任から山中の小屋の管理権を譲られた。粗末だが雨風はしのげるので十分だと、15になってからこっちおれはそこで生活していた。
けれどエイダンにとっては信じられなかったらしい。
「はあ? 家じゃねえだろあれ。用意してもらわなかったんか」
「仕方ないじゃん、婿に行く予定だったんだから」
「その話流れたの夏だろ」
「えー、うん」
「次の縁談もないんだろ」
「ないよ」
「なのに今も家、ねえのか。建てるとか、仮とか、そういう話も?」
「だから小屋が家だって」
「……はあ」
エイダンがなぜか肩を落とした。ものすごく疲れたみたいな、何もかもが嫌になったみたいな顔だった。
その顔を見てぴんと来た。
「……エイダンお前、まさか、何か理由があっておれの縁談壊したん?」
「……逆に俺がなんの理由もなくてめえの婿入りに口を出しするなんて面倒なことすると思ったのか?」
「いやあ、エイダンならあり得るかなって」
「ねえよ。なんだと思ってんだ」
「俺様」
「てめえにだけは言われたくねえ……」
「おれにだけは言う権利あると思うけど」
「ほざいてろ」
エイダンは傍若無人なふるまいばっかりするくせにおれにそれを指摘されるのをひどく嫌がる。図星刺されて不快っていう話でもないらしい。エイダンって難しくてめんどくさい。
「……仕方ねえ、小屋行くぞ」
「え、マジ? エイダンは自分ち帰りなよ」
ここから小屋までは半日かかる。小屋に着くころには夜だろう。エイダンは寝具に異常なこだわりがあるので小屋では眠れないはずだ。
「あの家に帰ったら何言われるか分かんねーだろ」
「あー、ごめん?」
「分かってねえなら謝んな」
面子がどうこう言っていた。結婚っていうのは家や村同士の契約っていう側面があって、同年代のリーダーみたいな立ち位置であるエイダンの婚約はそれはそれは重要だったんだろう。それを潰しておいて、婚約のために整えていた新居に帰ったら……たぶん方々から文句を言われる、のかもしれない。おれは社会生活を放棄しているので、あくまで推測だが。
「お前苦労してるな」
「誰のせいだボケカス脳みそ一回洗ってこいや」
「エイダンが勝手に背負った苦労だろ」
「今回はてめぇのせいだって自覚ねえのか? もっかい理解らせてやろうか? あ?」
エイダンは周囲の期待に応えようとしすぎなんだよ、と言いたかったのだがうまく伝わらなくて怒りに油を注いだ形になった。うーん言語コミュニケーションってむずいわ。
「じゃあエイダンは今家なし子なのか……離婚する? 今だと不受理届のが早いか」
「あ? てめぇそれでいいのかよ」
おれの提案に、エイダンは喜ぶより先に不審がった。なんでだよ。
「エイダンに家なしになって欲しかったわけじゃないよ、おれ。ただおんなじことやり返したかっただけだし。おれが独身なのにエイダンだけ結婚するのは、なんか違うだろー」
「それだと俺が独身なら自分も独身で良いって聞こえるぞ」
「ええ? なんかその言い方キモくね?」
「てめぇが言い出したんだろうが!」
「声でっか」
ギャー! っとエイダンが喚く。驚いた鳥達や獣達が我先にと逃げ出して木々が騒がしく揺れた。
エイダンはこめかみをぎゅーっと押さえて、それから「離婚はしばらく考える」とうめくように絞り出した。
「今テメェとの結婚をなかったことにしたからって婚約が元通りになるわけじゃねえし」
「まだツインカさん以外言ってないよ」
「書類出した時点でもう周知されてるようなもんだろーが」
「あ、そっか」
狭い村だ。情報は一瞬で駆け巡る。
「明日っからおれたちどんなふうに言われんだろな〜」
「……考えたくねえ」
「ま、じゃあしばらく山ん中で大人しく引き篭もるか。エイダンは枕だけでも持ってきたら? 寝れないと死ぬぞ」
「枕だけあっても意味ねえだろ」
エイダンは重たそうに腰を上げた。ひとまず心の整理ができたのだろう。整理が終わってはないのだろうけどぐだぐだ悩んでも仕方がないと諦めたとも言う。
エイダンには申し訳ないことをしたなあ、とおれはちょっと心の中で謝った。
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