002 A
俺にはとんでもない幼馴染がいる。
名前をジェレマイアと言い、みんな奴をジェマと呼ぶ。ジェマというのは女性名なわけだが、俺と同い年の歴とした男だ。
ジェマは端的に言えばひどい変わり者で、そのうえ壊滅的な不器用だった。一日に何度も水浴びをしたがり、わけの分からない理屈を並べて人を煙に巻いて、農具や武具を妙な使い方でぶっ壊す。裁縫をさせれば布と指がずたずたになり、料理をすればあらゆるものから味が消える。
奴は妙なところで頑固で融通という言葉を知らず、俺が死ぬ寸前まで殴ってさすがに命には代えられないと思うとやっと折れる。それでも折れないときは折れない。何をしても折れない。
自分の中に確固とした世界があって、そこから一歩も出てこないやつ。それがジェマだった。
当然のように奴は大人からもこどもからも遠巻きにされて村の鼻つまみ者だった。
家族でさえ、ジェマを持て余しているようだった。ジェマだけがそれに気が付いていない様子で、のんきに棒を拾ってきては振り回し、怒られながら水浴びをしていた。
その幼馴染のバカに巻き込まれて結婚直前で婚約をふいにされた男が俺だ。俺なんてまだいい。完全に何の非もない相手のほうが不憫だろう。とはいえ、お互いに情があったわけではなく、村と町の関係を密にするための結婚だったので俺がダメなら別の奴に話が行くだろうからそこは少し安心だ。
バカがそんなバカをやった理由は、俺があいつの縁談を破談にしたせいだ。
だが俺は、何もジェマに嫌がらせをしたくて奴の婚約を止めたわけではなかった。
そんな面倒、誰がするか。
ジェマにはいくつか才能があった。
あの男は、この世のほとんどのことがきちんとできないけれど、限られたことに関しては目を見張るほどの成果を出した。それは動物の鳴き真似であったり、天気読みであったり、なにより狩りであったりした。
こいつが狩人になると言い出した時は何の前触れもなくて誰もがびっくりしたものだが、誰も言い返せなくなるくらいの才能がジェマにはあった。十歳で山に入り始めると、半年もしないうちにまだ成人していないのに地区をひとつ割り当てられて、大人と同じようなノルマをこなすようになった。ふつう、十歳のこどもは大人について仕事を見て盗む時期であり、半人前と呼ばれるようになるのに二年かかる。そこからさらに三年かけて独り立ちするのだから、ジェマの腕は異常だった。
ジェマは一年のほとんどを山にこもって過ごし、眠るために夜中帰ってくる以外、七日に一日しか村で過ごさないようになった。そうして距離ができたからだろう、ジェマは村人たちから「おかしな子」ではなく「気味が悪いやつ」と思われるようになっていった。
おれが初めてジェマの婚約話を阻止したのは13歳の頃だ。
ジェマは同年代の奴らの中でも一番最初に婚約話が出た。三つも四つも遠くにある村の、三十を過ぎた未亡人のところへの婿入り話。
明らかに厄介払いだった。
俺はそれに待ったをかけた。
この頃になると、ジェマはただ動物を狩るだけじゃなく魔獣の討伐にも精を出していた。俺は傭兵見習いだったから、奴と一緒に討伐をすることもあったし、魔獣素材の買い取りや討伐報告は村ではできないから対魔協会のある隣町まで一緒に行くこともあって、奴がどんな腕前でどれだけの成果をあげているのかを知っていた。
十三歳のジェマは、並み居る大人を優に超える討伐数をたたき出していた。
あのファーグ山で、だ。
俺たちの住む村はファーグという山の麓にある村で、開墾してから百年も経っていない歴史の浅い村だ。
この地方では開かれてから百年が経つまで、村に名前はつけられない。なぜかと言えば、ファーグ山は魔獣のはびこる恐ろしい山で、これまでもいくつもの村が拓かれては魔獣によって滅ぼされてきたからだ。ほとんどが百年、どころか半分の五十年ももたない。そんなのいちいち登記していられないし、人々も覚えていたくない。
ファーグ山の魔獣は他に比べて屈強で執拗で残虐なのだと、傭兵組合の先達が教えてくれた。しかも十年周期で大氾濫と呼ばれる魔獣の増殖期がある。
それが俺たちが十三歳の年だった。
今、ジェマが抜けるのはどう考えてもまずい。
ジェマは並みの大人以上に魔獣討伐の腕が立つ。狩人としても一人前だ。そのジェマが抜けるのは単純に一枚戦力がいなくなるということだった。これからどんどん魔獣が増えるのであれば今から人を育成している時間なんてない。ジェマを追い出すことは自分たちの首を絞めることになる、と俺は大人たちに主張した。
大人たちは半笑いで、全くと言っていいほど取り合わなかった。
開墾村では農家の意見が一番強い。次が職人、狩人、木こりの順に続く。傭兵はそれまでの村での貢献度によってかなりばらつきがあるから人による。俺のような見習いは最下位だった。
村でのジェマの様子しか知らない農家と職人たちは俺の主張に懐疑的だった。あのジェマが、ひとり減るくらいで何が変わる、という軽視を隠しもしない。
ジェマと一緒に討伐をしたことがあるはずの狩人や傭兵は口を閉ざしていた。自分が未成年に負けていることを、しかもそれが鼻つまみ者のジェマだなんて素直に認められないのだろう。
そんなくだらない見栄、村を滅ぼすだけなのに。
叫んで暴れて無茶苦茶にしてやりたくなったがそんな子供の癇癪が通用するわけがない。13歳ともなれば、仕事は半人前とみなされ、半分大人の扱いを受ける。主張を通したければ、大人のやり方に準じなければならない。
俺は母と養父に頭を下げて、とにかくジェマの婚約話をうやむやにして流してもらった。まだ本決まりではなかったからだろう、それは案外すぐに破談となった。
その年、村は滅びなかった。
その年、ジェマは昨年の二倍以上魔獣を討伐した。
魔獣はほぼ全て直接町に卸すからその大量の死骸は村の人々に見られることはなかった。
村人は「今年は魔獣被害が少なかったな」なんて笑っていて、明らかにジェマのおかげなのにそれを見ないふりをして「この村もそろそろ五十年だから、魔獣も奥に引っ込んだか減り始めたんだろう」なんて笑っていた。どうしてもジェマの功績だとは思いたくないみたいだった。たぶん、というか明らかに、誰かがジェマの成果を握り潰していたが、誰かまでは分からなかった。
ジェマは全てにおいてどうでもいいようで、多すぎる魔獣の素材が買いたたかれても知らんぷりだった。生ゴミが金属ゴミになったな、みたいな顔で対魔協会から支払われた金を見る。
「お前、なんで村にいるんだよ」
「暗に出てけって言ってる?」
「言ってねえよハゲ」
「ハゲてねーよハゲ」
ジェマは家族以外からはほとんど無視されていたし、同じ狩人仲間からも成果を握り潰されて、なんならその家族からも白い目で見られていた。なのに村を出ていく気は全然ないみたいでイライラした。
俺はジェマに出て行ってほしかったわけではない。
むしろ、ジェマが抜けたらこの村はかなりの危機に瀕することは長じるほどに理解することになった。なにせジェマに割り当てられた地区は人の入れ替わりの早い、一等危険とされる地区だったからだ。そこを任せられる狩人や討伐人が、今、この村にはいない。ジェマを追い出すなら奴と同じだけの力量があるやつを育てないといけないが、あんな化け物みたいなのがそうそう生えてくるわけがない。ジェマが出てくるまでそうしてたように、歴戦の討伐人を使い捨てのように投入していくことになるだろう。そしてそれは遠からず村を滅ぼす。
村の存続を望むなら、ジェマはこの村から出してはいけなかった。
だがそれからも、ジェマには何度も婚約話が持ち上がった。俺は全部それを破談にした。
村の奴らは何にも分かってないみたいに、ジェマを外に追い出そうとしていた。
でも実際はジェマの実力を知らないわけではない、ということも分かってきた。
ジェマの実力が並外れていると分かった上で、村が傾くかもしれないと知ってなお、彼らはジェマを追い出そうとしていた。鼻で笑うようなちゃちな嫉妬もあれば見栄だけではない複雑な事情もあるらしい。大人達も一枚岩ではないようで、俺が手を回すまでもなく婚約話が流れることもあり、表立ってジェマの婚約話を止める俺を咎める者が出てくるわけでもなかった。
結局のところ、誰もジェマのことを扱いきれないことが不安なのだ。
ジェマは強いが、理解できない。彼の中の法則性を誰も捉えきれない。討伐と狩り以外、奴は村のお荷物だし、もっというなら時限爆弾だった。魔獣となら四十年分は経験と知識の蓄積がある、でもジェマとは一瞬一瞬が未知。どんなことになるのかも分からないリスクは冒せない。
……大人になるほどに、大人たちの考えは理解しやすくなっていった。
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