SS.救国の聖女と呼ばれた村娘

 どこから話すのが良いのでしょうか?
 私と彼の記憶は少ないとは言いませんが、お世辞にも多いとは言えません。ですが、その一つ一つが大切なのでついつい長々と語ってしまうかもしれません。
 なので、私と彼の始まりの記憶、そして悲劇的な結末を話すことにします。
 今となっては過去。
 もうどうしようもない事ですが、それでも願うことは悪いことではないでしょう。


「貴方は何処から来たのですか?」
 私が目の前に居る少年に声を掛けると、少年は首を傾げ「解らない」と答えた。今思えば、これが今の彼にできる最良の返答だったのかもしれません。
 続いて彼は、「君の名前は?」と聞いた。私としても、彼の名前を知りたかったので「私が答えたら貴方も答えてくださいよ」と念を押した。
「私の名前はジャンヌ。ドンレミのジャンヌです」
「俺は藤丸。藤丸立香だ」
 当時、立香の名前は村から大きく出たことのない私からすると、珍しくて仕方がない名前でした。その上、彼の肌の色と私の肌の色は違うので「きっと異国から流れてきた人なのでしょう」と一人で納得していましたっけ。まあ、その考えは間違っていなかったのですが。
 彼の人柄はすぐに村中で受け入れられ、彼を異邦の人だからと奇異の目で見る人は居なくなっていた。立香は良く村の子供達と遊んでは泥だらけになって帰ってきて、母さんに怒られてましたね。もっと、この時を大事にすべきでした。
 まあ、もうどうしようもないのですから、後の祭りというものでしょうが。
立香がこの村を訪れてからしばらく経った頃、私の頭には知らない声が度々聞こえてきました。『貴方はフランスに赴かなければならない』という声が、私に直接伝えるのです。
 神の代弁者が。
 私は涙するしかありませんでした。
 その時、私は何の力も持たない非力な村娘。とてもフランスを救う存在になどなれようはずもないような生娘でした。
 しかし、お告げは日に日に鮮明に、具体的になっていきました。それが疑いようもない主のお告げだというのは言われるまでもなく、確かなことだと確信できました。
 私は戸惑いながらもヴォークルールを経由し、フランスを目指す旅を始める事にしました。それは村人達は祝福してくれましたが、一人だけ伝えていない人が居る事を思い出しました。
「ねえ、立香」
 私は少し緊張しながら、草原に座る背中に話しかけました。
「ん?どうしたの、ジャンヌ?」
 立香は何時もと変わらない笑顔で、私を迎えてくれた。
「えっとね、私ね、旅に出る事になったの!」
 私は自分の緊張を振り払うように声を張り上げて、彼に告白しました。
「それで、えっと、私に付いてくれませんか……?」
 私は深々と頭を下げて、返事を待っていました。
 しかし、返事が私に返ってくる事はなく、私はただ静寂に包まれていました。
 おかしい、と私は顔を上げるとそこには草原に雑に放り出された衣服と帽子が寂しげにおいてあるだけで、彼の痕跡はこれだけでした。
「どこ?どこなの、立香!?」
 私は叫んで彼を探しましたが、結局その日彼は姿を表しませんでした。困ったことに家に帰っても、何時もなら私の方が遅いと返ってくる「お帰り」という言葉すらありませんでした。
「あの、母さん?立香はどうしたの?」
 そう聞くと、まったく予想していなかった答えに再び困惑してしまいます。
「誰よ、それ。人の名前だとは思うけど、そんな人村には居ないよ。さ、夕飯なんだから貴方も突っ立ってないで手を洗ってきなさい」
 私の言葉は虚しく、母さんどころか他に聞いた父さんや要件があって来た隣人ですら、誰も立香の事を――藤丸立香の存在を覚えていませんでした。
 でも、あそこに落ちていた衣服は確かに彼が来ていたものでしたし、天日干しで飛んでいく程家から近くありませんでした。
 たったのそれだけでしたが、私にとってはそれだけで十分な証拠に成り得ました。
 そうして約束の日、私は立香が何時か私の元へ現れると信じてフランスの旅を始めました。


 そうして、年月は流れて次に再開したのは異端審問で有罪判決が下った後でした。
 なんと、彼はふらりと現れて、憔悴しきった私にニコリと笑顔を向けてこちらへ向かって歩いてきたのです。自分に掛かった重圧による幻覚、もしくは異端審問の結果が自分で思っているよりも心の余裕を奪っていたのかもしれません。
 気付けば私は幻覚でも良いと思い、彼に縋り付いていました。そんな私を彼は何も言わずに抱き締め、頭を撫でてくれました。思えば、彼が私にとっての初恋だったかもしれません。
「どうして、あの時私を置いて何処かに行ってしまったのですか……?」
 私は涙混じりの震えた声で彼の顔を見て聞いてしまいました。それに対し、立香は困ったように「実は解らないんだ」と答えた。私はその言葉に疑念がどんどん深まっていきますが、次の彼の言葉を信じずには居られなませんでした。
「俺はあの時から、記憶がないんだ。ここが何年か後なのは解るけれどそれだけ」
 最初は信じられませんでした。
 だってそうでしょう?
 記憶がなく時を過ごしているなど、有り得ません。
「ほら、見てくれよ俺の身体。まったくあの時から成長していないだろ?」
 それを聞いてハッとしました。彼の外見をしっかりと見ていませんでしたから、言われるまで気付きませんでした。
 彼の外見があの時からまったく成長していないことに。
「そんな……、まさか時間でも超えたというのですか!?」
「まあ、そうなるのかな?」
 彼は曖昧に答えた。しかし、彼の先程までの言動は正しい事になる。
「そう、でしたか」
 私はそれ以上掛ける言葉を失ってしまった。
「そう言えば、ここに来る前にジルさんと交流を深めたけど、彼は良い人だね。ずっとジャンヌの事を気にかけているよ」
「あの、外の皆はどうでしたか……?」
 私が恐る恐る聞くと彼は、
「皆ジャンヌの事を少なからず思っていたし、ある人は悲しみに暮れて、ある人は異端審問には納得できないと抗議に乗り出そうとする人、そしてジルさんのように心配しつつも信じている人とか。まあとにかく、君は色んな人に一杯思われているんだよ」
 彼の言葉は憔悴しきった私の心をすっきりとさせてくれました。
「有難うございました、立香。最後に貴方の声を聞けて本当に良かった……」
「それは何よりだよ」
 私の感謝の言葉に立香もはにかみながら答えてくれます。
「でも、ごめん。君を助けることはできそうにない……」
 彼は先程とは打って変わって沈んだ顔と声になっていました。
「良いんです、私は。もう、役目は果たしましたから」
 私は自分に出来る限りの優しい表情と声で、彼を励ますように言いました。
「ですが、死後にどこかで会うことがあれば、また一緒に居ましょうね?」
 私が笑い掛けて、彼も笑顔になる。これ程嬉しかったことは、生涯で一度もなかったでしょう。


 そして、私は磔にされて守った民の前で焼かれた。私は最後まで主の言葉を信じる事をやめませんでしが、最早そこに迷いも悔いもなかったでしょう。私が今まで主の言葉に従い続けたからこそ、死に目には彼と――立香とまた巡り会えた。
 短い人生でしたが、私にとってはとても満足のいくものになりました。
 ただ、一つ未練があるとしたら、彼と死ぬ前に添い遂げたかった事でしょうね。
 きっと、彼も集まった民衆の中に居て、火炙りにされている私を静かに見守ってくださっていたのでしょう。
「ああ、イエス様……」
 私は信じたお方の名を口にする。もう私は死ぬけれど、立香と出会えたのが主の巡り合わせであれば感謝しなくては。
「イエス様……、イエス様……。イエス様……!」
 事切れるまで、私はイエス様の名を口にしていました。
「立香……」
 私は最期、誰にも聞かれないような声で愛しき名をポツンと燃え盛る炎の中で呟きました。
 主よ彼に平穏を。
 そして願わくば、彼の人生に幸あらんことを。


 そして、再開したとき、私の願いは打ち砕かれました。
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