IV、小さな執行人


 わずか二年間の在学生活を終えた後は、両親から教育を受けることになる。
 死刑執行人組合の中では子供に教育する立場の者もある程度は存在している。彼らは学校へ通えない処刑人の子供たちに勉強を教える役割を果たす。
 そういった教育を施すのは女性の役割でもあった。というのも、処刑台は女人禁制であり女性は処刑人としてその上に立つことができないからである。
 そのため、読み書き計算などの基本的なものから少し専門的な分野まで様々な知識を身につけ、子供の教育係となることが多かった。母もそのうちの一人である。
 その学ぶべき分野の中には当然のことながら刑罰に関するものが含まれていた。死刑執行人になるには避けては通れない。
 こうして父からは処刑技術と知識を、母からは読み書き計算を教わった。
 このような日々の中で、自分の運命は決して避けられないという事実を少しずつ突きつけられていった。



 「シルヴァン、よく聞きなさい。お前にはこの父の血が、死刑執行人の血が流れている」
 ある日の夕食の時間のことであった。家族で食卓を囲んでいる中、はじめに父はそう言った。いつもは穏やかなのだがその時は厳格だった。
 やっと父の口からはっきりと告げられたのだ。私が死刑執行人の子供であるという証明が。
 私はずっと下を向いてトマトスープを見つめたままで、父の顔を見ることすらしなかった。まだ自分の運命に抗おうとしていた。
 父は更に強い口調で言う。
 「シルヴァン。顔を上げなさい。下を向かないで前を見なさい」
 恐る恐るゆっくりと顔を上げるとテーブルを挟んで向かい合って座っている父がこちらを睨んでいた。しかしすぐに柔らかな表情に変わる。
 「近々、君に見せなくてはならないものがある」
 「なに?」
 「死刑執行人となるために必要なものだよ」
 一瞬目を輝かせてしまった。秘密の宝物でも披露してもらえるのかと。だが想像していたものとは別のものを見せられるに違いないのだ。
 「…」
 私は何も言わずにスープを一口すすった。まるで味気のないように感じられた。いつもなら大好きなトマトの風味豊かな味わいが口に広がるはずなのに。


 数日後、父は「見せなくてはならないもの」を見せるために私を連れて家を出た。
 荷馬車に乗り、故郷であるアンシヤンから少し離れたところにある広場までやってきた。
 ここは普段は大勢の人間が行き交うところだが、時として「舞台」となる。
 ─処刑が始まる「舞台」に。
 広場の真ん中に組み立てられた処刑台はまさに観劇が行われる壇上さながらである。
 その「舞台」を囲むようにしてすでに大勢の民衆が集まっていた。
 「観客」は喜劇でも観るかのように楽しそうにしている。まだか、まだかと餌を乞う犬みたいに待ちきれない様子だ。
 明るく賑やかな雰囲気、それなのにどこか恐ろしさがある。私は父に「何が始まるの?」と訊ねた。
 「パパの役職は何だったか思い出しなさい」
 父はそう答えただけで説明はしてくれなかった。
 パパの役職は死刑執行人…。何が始まるのか、拙い想像力を働かせるしかなかった。
 どうせなら、王子と姫が現れ手を取り踊る。そんな幸せな「喜劇」ならばよかったものを。

 やがてひとりの男が死刑執行人助手(死刑執行人には何人かの助手が付くことになっている)に支えられながら処刑台に連れてこられた。
 後ろ手に縛られており、自由は奪われている状態だ。処刑台の真ん中まで来ると両膝をついた。
 男の姿を見た「観客」は、
 『今まで何人の女を犯したんだ?』
 『随分と細い身体してんだな』
 『まだ若いのに惜しいことしたな』
 と、好きなように野次を飛ばしていた。
 その光景は私が想像していたものよりも遥かにおぞましいものだった。
 男は何を言われようが全て受け入れるといった潔い姿勢であった。
 そこで父が己の脚程の長さがある剣─処刑人の剣と呼ばれる斬首剣─を持った状態で男にゆっくりと近づいて行った。
 刑場での父の姿は、私が見慣れている父の姿ではなかった。笑いもせず怒りもせず、ただ無表情で立っている。あの優しい父はどこへ行ってしまったのだろう。
 私は何を見せられるのか、未知の世界に引き込まれようとしていた。
 目を伏せたい。まだ刑の執行が始まったわけではないが、とても見たくなくなったのだ。さりげなく目線を逸らすと、それに気付いたのかすかさず父が睨んできた。(実際は睨んでいないかもしれないが、この時の私にはそう見えた)
 「シルヴァン。これから起こることをよく見ておきなさい。目を逸らすんじゃない」
 静かながらも威厳のある物言いだったため私は思わず萎縮してしまった。
 ああ、逃げ出したい…。自分の服の裾をぎゅっと握りしめ、必死に恐怖に打ち克とうとした。
 もうここから逃げられない。僕も、罪を犯した人も。
 間も無くして父は、跪いて頭を垂れる男の後ろ首にめがけて一思いに剣を振りかざす。男の首は一瞬にして胴体から離れた。
 しっかりとこの目で見てしまった。まさに「あっという間」の出来事だった。目を閉じていればよかった、とさえ思ってしまった。
 その後私は全身の力が抜けその場で倒れ込んだ。一瞬の出来事とはいえ刺激が強すぎたのだ。
 父は刎ねた首を堂々と高らかに持ち上げ民衆の前に差し出した。敵の首を討ち取った戦士のように。民衆はその様子を見て歓喜の声を上げている。祝杯をあげるかのように。
 その光景は実に不気味だった。耐えられず吐き気を催してしまう。なんとか持ちこたえたが気分は悪いままだった。
 あれが私の知らない父の姿だったのだ。
 これが父が私に「見せなければならないもの」だったのだ─。


 公開処刑の様子は私の頭の中に残り続け、ふと思い出しては散々苦しくなった。
 思い出したくない、見たくない。処刑人にはなりたくない─。
 いくら私が拒絶したところで着実に死刑執行人への道は続いていき、やがてはそこにたどり着く。
 別の日に父と出かけた時、道行く人々がこちらを見ながら心無い言葉を投げかけるのを何度も耳にした。
 「処刑人がいるぞ…!」
 「正義の仮面を被った死神だ…」
 「恐ろしい…人の心もないなんて」
 私はそこで以前ロランから言われたことを思い出し、改めて実感した。処刑人はこんなに嫌われているんだ…。ロランだけでなく、知らない人からも。
 処刑人とはいえ同じ人間だ。彼らと同じように何かを愛し、失くせば悲しむ。そういう人間の心はきちんと持っている。
 「正義の振りして平気で罵声を浴びせる者」の方が人の心など無い「悪」なのではないかと私は思う。
 幼い頃はその心無い言葉を真に受けて処刑人という存在そのものを否定されているような気がしてならなかった。それはこの世のどんな拷問よりも耐え難い苦難であった。
 『どうして処刑人は嫌われているの?』
 『なにが穢らわしいの?』
 ねえ、どうして。その答えは自分で気付くしかないんだ…。

 人の心がない人間による数多の罵声や、逃れられない運命の中で生きることや、処刑という「残酷な」場面を目の当たりにしなくてはならない苦痛によって、私の精神は次第に殺がれていった。
 そしてついには、
 「処刑人にはなりたくない…」
 という一言を父の前で言ってしまった。
 父はただ冷徹な声色で「運命を受け入れろ。死刑執行人の家に生まれた運命を」と言い、私に剣を手渡した。
 「これは処刑人の剣を子供でも扱えるような大きさにしてつくられた模擬剣だよ」
 初めて触れる感触には感動を覚えたものの、柄を握りしめる手はまだ小さかった。
 「お前もいずれはその手で首を刎ねることになるのだ、シルヴァン」
 「!」
 「死刑執行人になる以外、お前に生きていく術はない」
 「いやだ…! 死刑執行人になんてなりたくないよ…ひどいことしたくない!」
 「シルヴァン! お前の嘆きは愚かなものと知れ。死刑執行人はただその使命を果たしているだけにすぎない。それ以上もそれ以下もない!」
 「…」
 「いいか、ミゼリコルド家は死刑執行人組合の頂点に君臨するのだ…! この家に生まれたことを誇れ!」
 父の瞳は力強く私に訴えかけていた。その圧倒的な説得力と眼差しに反抗する気も失せ、弱々しく「はい…」と答えるのが精一杯だった。
 父から手渡された「処刑人の剣」の柄を手にかけたその瞬間から、もう運命を拒絶してはならぬのだと悟る─。
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