ユア・マイ・ウォータールー(バンドパロ)

 毎度お馴染みの貸しスタジオにて、楽器も持たず床に円陣を組む形で座り込んで顔を突き合わせる男が三人。ベース担当椎名ニキ、ドラム担当桜河こはく、ギター担当HiMERU──近頃のインディーズバンド界隈をにわかに騒がせている彼らは、上り調子のCDセールスに反して大層神妙な面持ちであった。誰も口をきかず誰も音を出さず、ひたすらに向き合うこと数十分。スタジオの重たい扉が開け放たれ、無音の室内に廊下のスピーカーが垂れ流すザ・リバティーンズが一瞬だけするりと入り込んだ。重たい空気にそぐわぬ軽快なギターリフを引き連れて闖入した男は、一斉に向けられた六の眼光に「うげっ」とたじろいだ。
「あ! や〜〜〜っと来たっすね、燐音くん!」
「遅いんじゃおんどれボケカスゥ」
「天城。いいからそこに座りなさい」
 闖入者の名を天城燐音と言った。このバンド『Crazy:B』のフロントマン、ボーカル担当である。
「……今日は俺っち帰ろっかなァ」
「天城」
「……ハイ」
 踵を返しかけたところで一喝された燐音は、HiMERUが顎で示した場所に大人しく正座をした。
 詰られるだろう予感はしていた。内容はわかっている。ゆうべ遅く、バンドメンバー宛に新曲のデモ音源を送った。それ以降、たった今スタジオに到着するまで、メンバーからの電話もメッセージもシカトし続けた。その狼藉に対して文句を言いたいのだろう、こいつらは。だが燐音は譲らなかった。
「反対意見なら聞かねェぜ」
「燐音くん! 自分が何言ってるかわかってるんすか⁉」
「俺っちがやるっつったらやンの! おめェらもやンの!」
「駄々っ子かおんどれは。ワガママ言いなや、HiMERUはんの顔見てもそれ言えるんか? あ?」
 こはくが指す方に目をやれば、女性ファンに大人気の端正なお顔をこれ以上ないほど歪ませたHiMERUがこちらを見下ろしていた。そんな顔ステージでしてみろよ、ファン離れンぞ。
「メルメルゥ〜、怖い顔すんなってェ。なっお願い。一生のお願い!」
「一昨日も使いましたよね一生のお願い。嫌です」
「ンっでだよォ」
「あなた以前もギタボに挑戦して大失敗したでしょうに。俺達三人は決めているのですよ、二度と天城にギタボはやらせないと」
 うん、うん、とHiMERUを挟んだニキとこはくが無言で頷き合う。この場に燐音の肩を持つ者はいないようだった。実際のところ、燐音はギターに関してはずぶのド素人だ。作曲に使うのは専らピアノだし、言われた通りかつて一度だけギターボーカルにチャレンジした際はしこたまこき下ろされた。しかしここで引き下がったら負けを認めたも同然だ。燐音は諦めの悪い男であった。
「わァってンだよンなこたァ。そう言われンだろうと思ってなァ、先手打ってンだよこちとら。さァさァ全員刮目するっしょ!」
 そう啖呵を切るや否や、背負っていたセミハードのギターケースをシュッと降ろしバッと広げて現れた中身をどーんと掲げて見せてやった。どうよ俺っちのmy new gear…は。……なんだおめェら、こいつの美しさにぶったまげて二の句が継げねェか。クールだよなァ、このブラックチェリーカラーのボディ。
 目を見開いて固まっていた三人のうち、最初に我に返って声を発したのはやはりそいつの価値をよく知るギタリストのHiMERUだった。
「おまっ……馬鹿‼ なんてことしてくれてんだ‼」
 珍しく声を荒げた彼は燐音の手からギターをひったくると正面から見たり横から見たり裏返したり忙しなくしていた。それから恐る恐る顔を上げてニキとこはくを縋るように見た。
「ポール・リード・スミス、カスタム24コアモデル……10トップ」
「HiMERUくん、やっぱそれ高いやつ?」
「高いどころの騒ぎじゃないですよ、こいつ俺達の活動資金全部溶かしやがった……」
「え⁉」
「だァから言ってっしょ? 俺っちがやるっつったらやるンだって!」
 メンバーの反対を押し切って貯金を切り崩し、ハイエンドの機材をこっそり購入していた人間とは思えない開き直りっぷりで燐音は言い切った。ちなみに、こいつを買ったことによりバンドで共有している預金口座の残高はマイナスになった。
「おいゴラ、ぬしゃあやってええことと悪いことっち言うんがわからへんのか!」
「もお〜‼ やっと週五でバイトしなくても食費に困らないくらいお金貯まってきてたじゃないっすかあ! 勝手なことしないでほしいっす‼」
「ぎゃはは! これで後に引けなくなっちまったなァ〜!」
 ギャアギャアと罵詈雑言を浴びせられても痛くも痒くもない。何故なら今度の新譜は燐音とHiMERUのツインギターが話題を呼びバカ売れするという確信があるからだ。だからこれは先行投資であり一世一代の賭けなのである。
 そう自信満々に語ればHiMERUが低く唸った。
「あなたねえ……本職の俺より良い機材買うなんて何考えてるんですか」
「おっ、メルメルも触りたい? 憧れのカスタム24。俺っちにもおめェのカジノ触らしてくんねェ?」
「……あとで。もういいわかりました、ギターは俺が教育してあげます、確かにデモは悪くなかったですしね……厳しくやるのでそのつもりで。椎名、桜河、迷惑掛けますが必ず形にしますので少し時間をください」
 HiMERUの表情には諦めの感情が色濃く滲んでいた。こはくが「HiMERUはんがやる気んなったっち言うんなら、わしは反対できひんなあ……」と零し、ニキが「やっぱやめた〜とか絶対ナシですからね燐音くん」と釘を刺した。その日は既存の曲をいくつか合わせて、来月に控えている自主企画ワンマンのセットリストを話し合って、ひとまず解散ということになった。





 スタジオに居残って夜中まで練習するつもりだったが、お金が勿体ないという理由で却下されてしまった。どうしてもギターを教えてほしいと燐音が駄々を捏ねた結果根負けしたHiMERUが「では俺の家に来ます?」と渋々提案し、今はHiMERU宅でふたりきりのギター教室が開かれている。
「あっ、やべ」
「……またF。あなた手大きいんだから押さえられるでしょう、人差し指寝かせて、ああ小指、余計なとこ触らない」
「はァーい」
 素直に返事をしてもう一度頭から。せっせとコードを押さえる反復練習をしているとHiMERUが整った眉を寄せて黙り込んでしまった。
「なァにィ? メルメルせんせ」
「いえ……いやに熱心だなと」
「燐音くんだって真面目に練習くらいしますゥ〜。おめェと違って天才じゃねェからなァ」
 HiMERUが未だインディーズで燻っているのはバンドに拘るせいだと燐音は考えている。単純にギタリストとしてならば、とっくにプロとして活動していても何らおかしくない力量の持ち主なのだ。彼がそうしないのはバンドで大成したいという夢があるからで、同じ夢を追う連中で結成したこのバンドに彼は全てを賭けている。時に炎上しつつも地道に続けてきた活動がようやく軌道に乗ってきたところなのだ、この大波を逃す手はない。
 燐音が鳴らすコードに合わせてHiMERUが音を紡ぐ。ゆうべ送ったばかりの歌メロを早くも完璧に覚えて、ラララと小さく口ずさむ彼の繊細な指先が綴るアルペジオ。まだひとつも歌詞をつけていなかったのだが、歌う彼を眺めていると言葉が次々に湧いてくる。
「ン〜、『恋しちゃったんだ』……?」
「そんな歌詞? 不採用ですね」
「だよなァ〜」
 歌詞だけじゃなくてメロディも、おまえを見てたら降ってきたんだけど。なんて、口には出さない。音楽を武器に戦う者として、愛を伝えるならばもっと別の形が良い。
「今度のはラブソングですか」
「なんでわかんのよ、名探偵?」
「そんなものは推理するまでもないのですよ。歌っているあなたの顔を見ていればわかります」
「え〜見られてたのかよォ、メルメルのエッチ。金取るぞ♡」
「殺すぞ♡ いいから手を動かせ」
「あはは、怖ェなァ」
 歯に衣着せぬ物言いに苦笑して、再び手元に目を落とす。どうしても燐音がFのコードを押さえられないからと、HiMERUが愛用しているエピフォン・カジノを一時的に貸してくれた。使い込まれた、しかし手入れの行き届いたそれはよく手に馴染む。HiMERUを見る。「弦高を調整すればいけるかも……」と燐音のPRSを抱えて六角レンチを手に何やらごそごそやっている。ギターと向き合う時の彼の、真剣そのものの表情が燐音は好きだった。唇に咥えられたピックになりたい。それに思った通り、洗練されて美しいカスタム24のルックスは彼にこそよく似合う。
「なァ〜メルメル。それやるよ」
「それ……って、どれ……はあ?」
 新品のギターをピックで指せば彼は意味がわからないとでも言いたげな顔をした。いや「意味がわかりません」と言った。
「あなたが買ったんでしょう」
「そうだけどさァ。おまえがあんまりにも楽しそ〜に弄るから、ライブでそいつ掻き鳴らすおまえを見たくなっちまったンだよなァ」
「……また勝手なことを……」
 満更でもなさそうな顔をしている。HiMERUの音とパフォーマンスに惚れ込み、半ば無理矢理メンバーに引き入れた燐音にはわかる。
「代わりにおめェのカジノ、俺っちにくれよ。等価交換ってやつっしょ」
「全然等価じゃないのですけど……?」
「いんや、メルメルのお下がりならご利益ありそーだし? モノの価値は値段だけじゃねェンだよなァこれが」
 わかる? とウインクしてやれば彼はぐぬ、と唇を噛んだ。今日は色んな表情を見せてくれる。
「……、……。う……わかりました」
「っしゃ! サンキュー☆」
 取引成立だ。燐音は片想い相手のお古を手に入れて、HiMERUには燐音が彼に一等似合うと考えるギターを与えることに成功した。しかもボディの深紅は燐音の色でもある。自分の色を携えた彼を全世界に自慢することが出来るだなんて、なんという贅沢。
「……なにニヤついてるんですか、気持ち悪い」
「んーん。ビール飲んでい?」
「は? 真面目にやるって言ったのはあなたですよ。バレーコード練習しなさい早く」
「へーへー、お姫様の仰せのままに」
 鬼講師スイッチの入ったHiMERUは止まらなかった。彼の新たな一面を知ることが出来て喜ばしい反面、酒も煙草休憩も満足にとらせてもらえない夜は、燐音にとってはなかなかに辛いものがあった。それでも好きな奴が自分の為だけに時間を使ってくれる悦びはそれ以上のものである。ふたりきりのレッスンは、燐音が音を上げる明け方まで続くのだった。





 それから二週間。燐音とHiMERUがすっかり習慣となったふたりの自主練を終えていつものスタジオに合流すると、リズム隊のふたりがぶすくれていた。
「来よったわ。おうおう、ぬしら随分人気もんやないかわしらを差し置きよってからに」
「納得いかないっす〜納得いかないっす〜」
 こはくが苛ついたようにペダルを踏みしめる。ドッドッドッ、備品のバスドラムが破れるんじゃないかと不安になる程のけたたましい音を出した。こはくの持ち味はその小柄な体躯からは想像もつかないパワープレイなのである。一方ニキは首から提げたフェンダー・ジャズベースを鈍器のように振り回しめそめそと嘆いた。
「どうしたんですかあなた達……うるさ、うるっさ」
「こはくちゃんバスドラやめ! ストップ! ニキてめェべんべんうるせェ歪ませンな!」
「どうしたんですか〜って、ふたりともツイッター見てないんすか? 反響すごいんすよ、新しいアー写の」
 昨夜は新譜リリースに向けて撮り下ろしたアー写の解禁日だった。燐音とHiMERU、ニキとこはくのコンビに分かれたそのビジュアルは、燐音がカジノ、HiMERUがPRSを携えて挑んだ初の撮影だった。話題性は十分。反響が大きいことは予想の範疇だ。
「んで? なんでまたこはくちゃんとニキはンな不機嫌なワケ? そっちのビジュアルもカッコよかったっしょ」
「見てみい、これ」
 ずい、とこはくが突き出したのはスマホの画面、某巨大掲示板の中のとあるスレッドであった。太字のスレタイが目に入った瞬間、燐音はぶはっと吹き出し、HiMERUは口元を覆った。
「〝遂に燐音とHiMERUが付き合いだした件〟っち言われとるでぬしら。話題かっ攫われたお陰でわしとニキはんの影が薄いんじゃ、んなもん納得できるかい」
「くっくっく……そいつァ悪かったな」
「……」
「あーあHiMERUくん黙っちゃったっすよ。燐音くんこうなるのわかってたでしょ」
「そりゃまァ」
「天城……!」
 顔を真っ赤にしたHiMERUが振り下ろした拳を甘んじて受け止めながら、燐音はにやにやと頬を弛ませた。外堀から埋める作戦、首尾は上々。「ていうか、」チューニングをしながらニキが間延びした声を出した。
「ふたりまだ付き合ってなかったんすか? そっちにびっくりっすよ」
「それや。むしろそれや。ファンもそうなんちゃう?」
 ニキとこはくの言葉にシールドを伸ばす途中のHiMERUがびくりと動きを止めた。そのリアクションに驚いたのは彼以外の三人だ。顔を見合わせ、おやおや、と肩を竦める。沈黙に耐えかねたHiMERUが、普段の彼らしくなく叫ぶように言った。
「れ、練習! しましょう! 新曲のリフ、相談したいところがありますので……! ソロも数パターン用意しましたので合わせてみましょう、ねっ」
 ……これはこれは。燐音の恋心に気づいていないのは当人であるHiMERUだけだったのだが、長い長い片想いがようやく鈍感な彼に届きつつあるのかもしれない。燐音くん頑張ったっすもんね、と親友の意外なほどの一途さを知るニキは微笑ましく思った。
 来月のワンマンが、バンドにとって恐らく節目になる。そんな大きな局面に際してひとつの恋が走り出そうとしている。どちらも上手くいきますように、と願うのは強欲だろうか。
 仕切り直して四人で奏でるロックンロールが、尖ったサウンドを売りにしている自分達にしては変にまあるく甘く聞こえて、それがやけに心地好くて、狭いスタジオの中には擽ったいほど幸福な音色がしばらく溢れていた。
 燐音の淡い恋が実るまで、あと少し。
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