Route88(バンドパロ)
アイドルじゃあるまいし、恋愛禁止の掟だなんてしゃらくせェもん必要ない。そういうのを俺っち達に求める方が間違ってンぜ、とすら思う。純粋に俺らの音楽を愛してくれてる奴らはそんなことで離れていかないはずだ、という驕りも多少、ある。
まァ要するにプライベートは好きにさせろっつう極めてシンプルな話なんだが。こういう話題になると何かと槍玉に挙げられがちなのが俺っち達のような存在だ。
「燐音さあ、『付き合ってはいけない4B』って聞いたことある?」
一杯二九九円のしょうもない居酒屋で、しょうもないザーサイをつまみながら、しょうもないハイボールを片手にぼそぼそと零したのは先輩バンドのドラマー、ナオさん。むっつ年上。
「んあ、ヨンビー? B…… 〝bee 〟?」
「バッカそれじゃただのおまえら向けの悪口じゃねえか、『Crazy:B』よ」
「ま、確かにおまえらとはぜっっってー付き合いたくねえわな。いくら顔が良くても無理。揃いも揃って曲者すぎ」
そうバッサリ切り捨てたのはナオさんとこでマニピュレーターやってるアッキーさん。女好き。
「じゃあ何スか、4B」
「諸説あるらしいけどね」
俺が学生の頃に女の子が言ってたやつなんだけど〜、と前置きしてアッキーさんが指を折る。
「美容師、バーテンダー、バンドマン、ベーシスト。で、4B」
「ちょ、最後おかしくねェスか」
「え〜おかしくないよ、なあニキ?」
「ニキちゃ〜ん」
俺っちの横でテーブルに突っ伏して寝こけているニキの肩を、ナオさんが雑に揺さぶる。
「おォい、おめェ言われてるっしょニキ」
「ん〜なに……? 眠くて目が開かないっす……ナオさん送ってぇ♡」
ゆっくり起き出したニキは肩に置かれた手に絡みつき、上目遣いで甘えて見せた。絡みつかれた当人は「ゲェ」とか言いながら慌てて手を引っ込めている。
「ほらあ!! こーいうとこだよベーシスト!! なあ見てこの地雷男」
「あ〜ね、わかるわ〜」
酔って笑いのツボが激浅くなった先輩達がゲラゲラ笑うのをよそに、ニキは再び夢の中へと旅立ってしまう。
わかる。わかるぜナオさん。この昔馴染みには極力女の子を近づけないように、実は俺っちも結構気を遣っていたりするのだ。
「つーか燐音聞いた? ノリちゃんの彼女」
「え、なんかあったンスかノリさん」
「あいつ今年で三十じゃん? んで彼女に結婚迫られてるらしいのね」
「あ〜、ハイ。付き合って長いっしょ? 確か」
「そー、四年くらい? 曰く〝いつまで定職に就かねえでフラフラしてる気だ〟ってブチギレられたんだと」
「うわ、出たよ」
バンドマン連中が女と揉めた時のお決まりの台詞に辟易とする。
つってもノリさんはインディーズ界隈じゃそこそこ名の知れたバンドで活躍してるし、もうちょいでメジャーにだって行けるはずだ。今の売れ方なら音楽一本で食ってくのだって夢じゃない。
だけどその彼女が言う『定職』ってのは、そういうことではない。そう、俺っち達はよォ〜く知っている。
「ンで?」
どうせこれまたお決まりの、キレて手ェつけられなくなった彼女にストラト折られたとかいうオチだろう。
「ストラトならまだいーよ。よりによって彼女、Mac叩き割ったらしいかんね」
「……ノリさん、ゴリラとでも付き合ってたンスか?」
「うはは! 殺されるぞ燐音!」
いやいや怖すぎっしょMac叩き割る彼女。
当然アルバムのために録り溜めてた音源は全部パァ。ここ何ヶ月か、あるいは何年かぶんの苦労が水の泡ってわけだ。そんなん、なァ、やってらンねェよな。
「それ大丈夫なんスか」
「や〜、ダメだね。今後のアルバムリリースは白紙、ノリは彼女と別れて燃えカス。可哀想で見てらんないよ」
「な。女関係で揉めて音楽やれなくなっちゃうのマジでキツいよな。あ〜あ、オレはひとりで穏やか〜に生きてこ。なっアッキー⁉」
「おまえは孤独に生きてろ。俺は女も音楽もテキトーに楽しむ」
「イヤ!! 突き放さないでっ!!」
「……」
大丈夫じゃない。そりゃそうだ。俺らみたいな人種にとっちゃ音楽が、バンドが、人生における最優先事項だ。寸暇を惜しんで曲を書いて、歌って、叫んで、ステージに立てば〝ここが世界で一番面白い場所だ〟って顔で大暴れして。そうして生きてきたし、そういう表現の仕方しか知らない。たぶんだけど、その彼女と俺らは別の生き物なんだろう。
いい歳こいて夢追い人だなんて恥ずかしいと後ろ指をさす奴もいれば、音楽は金にならないと自ら遠ざかっていく奴だっている。そんなヒンヤリした眼差しが世間では圧倒的多数派であり、それが一般的な『大人』の対応なのだと言う。誰もが知る通り、世間ってやつはいつだってお利口さんぶってつまらない。でもそれがなんだってンだ。
ロックバンドなんてもん掃いて捨てるほど溢れているこの世の中で、それでもてめェのロックをブチ鳴らしたいと思ったから、敷かれたレールをわざわざ踏み壊してこっちに来たンだろ? だったら、世間さんが理解してくれねェなら、身体に覚え込ませるまで叫んでやりゃあいいンだ。勝負を降りるまで負けじゃねェ。おめェらが馬鹿にしてる音楽が俺達の魂で、鎧で、兵器だろ。
「勿体ねェ、よなァ……」
消えてしまった音源は単なるデータじゃない。折れたギターはただの道具じゃない。演奏時間たかだか四分、たかだか一フレーズを生みだすまでに、死ぬほど重ねた練習やインプットの結晶だ。その努力を知ろうともしない誰かによって、ミニトマトよろしくぷちっと潰されてしまったのだ、彼の音楽バカとしての矜持は。それを思うと、俺っちは何も言えなくなる。
その後。
真面目なツラをして考え込んでしまった俺っちを訝しんだ先輩達が心配二割悪ふざけ八割で勧めてきた安酒をぐいぐい煽っているうち、無事潰れてしまったのがゆうべのこと。恐ろしいことに途中から記憶がなくて、目が覚めたらニキんちの床に大の字だった。
スマホを見るとナオさんから謝罪のラインが入っていた。どうやら潰れた俺っちをニキが持って帰ってくれたっぽい。家主はバイトに出掛けたらしく、自分のぶんのついでに作ってくれたのであろうサンドイッチがちょこんと置いてあった。俺っちはただの居候の身だってのに、律儀な奴。
「あ〜くそ、頭痛ェ〜……」
しょうもない酒で悪酔いすると損をした気持ちになるから嫌だ。こんな朝は二度寝を決め込むに限るっしょ。そう決めてさっさとベッドに潜り込んだ。
夕方からのスタジオ練まではまだ時間がある。俺っちは寝転がったままSNSのチェックを始めた。こはくちゃんがインスタにアップしているパフェはメルメルが食べたいって言ってたやつ。カボチャとキャラメルソースに生クリームがたっぷり、とてもじゃないが二日酔いの朝(もう昼近いけど)に見るもんじゃない。いいねをタップして早々にスクロールした。
「……なんだ一緒に行ってンのか」
メルメルの投稿は別アングルから撮った同じパフェの写真、それからこはくちゃんとのツーショット。案の定ファンからの『仲いいね♡』的なコメントがいくつもついている。営業に余念がないことで。
俺っち達はアイドルじゃないけれど、この手の営業に一定の需要があるのはどこの界隈でも同じだ。そしてそのへんはあいつが抜群に上手い。ンで、ニキとこはくちゃんはたぶん天然(それはそれで才能だけどな)。バンドマン連中の中にはそういう手段を嫌う奴もいるが、売れるためには必要な方便ってことで許されたい。
バイブレーションがメッセージの受信を告げる。ポップアップを確認するとアッキーさんだった。飲まされた側とはいえ世話かけたなと申し訳なく思いつつ、トーク画面を開く。
『燐音すまんナオが調子こいて悪いことした』
『また今度』
『酒と女で失敗してからがいっぱしのバンドマン』
『男になれ燐音』
『(女の子ウケしそうなゆるいクマのスタンプ)』
──前言を撤回させてほしい、あの人全然反省してねェわ。つーか謝る気ゼロ? こういう男がいるからバンドマンと付き合ったらダメとか言われンだろ。
「……。『あざした』、と……」
つーかなァにが〝男になれ〟だ、死ねよ。
ラインはいい加減に返信して、やっとこ身体を起こした。クソ先輩のことは一回忘れよう、うん。
さて、頭痛もだいぶマシになったことだし、いい天気だし。たまには洗濯でもすっか、と脱衣所に向かう。サンドイッチの礼だ。
「ふんふふ〜ふんふ……お?」
──待てよ、今の良いフレーズじゃね?
鼻歌の途中ではたと動きを止めた俺っちはばたばたと廊下を引き返し、部屋の隅に置かせてもらっているローランド製電子ピアノの電源をオンにした。iPhone のボイスメモアプリを立ち上げて赤いボタンをタップする。
「あ〜仮タイトル、『酒は飲んでも飲まれるな』……〜〜♪♪♪〜♪〜」
歌いながら順番にコードを鳴らしていく。A♭メジャーセブンス、Gセブンス、Cマイナーセブンス……ちょっとジャジーなムードもあって俺らっぽい。あいつの──メルメルのエロいソロが映えそうだなんて、Aメロが出来たばかりで気が早すぎるだろうか。
「きゃはは☆ 調子出てきたぜェ〜」
スタジオに着いたら即興で合わせてみるのも面白そうだ。楽しくなってきた。
『Crazy:B』は三ヶ月後に控えているツーマンでメジャーデビューを発表する予定だ。本チャンまでに引き出しを増やしておくのも悪くない。
善は急げだ。早速撮りたてホヤホヤの音源をドロップボックスに放り込んで、バンドのラインに共有しておいた。
「ふふーふふんふん〜俺っちすげェ〜♪」
良い曲が降ってきた日は気分がいい。まるで自分が生まれつき偉大な人間であるかのように思えてくる、例えばそう──どこぞの君主さまとか、そんなかんじ。
音楽のこととなると猛烈にこだわりが強く口煩い、うちのギタリスト兼恋人の顔を思い浮かべる。あいつに褒められたいという下心も少なからずあるけれど、ひとまずそれは内緒にしておこうか。
予約の時間まで麻雀でもやって時間を潰そうと考えた俺っちは、結果負け倒して文無しの状態でいつもの八番スタジオへ乗り込むこととなった。
「ちわ〜っす、燐音くん入りま〜っす!」
手をぶんぶん振ってアピールして見せると、気付いたこはくちゃんが演奏を止める。釣られて手を止めたニキ、メルメルもこっちに目を向けた。刺さる視線が痛い。
「──二十五分遅刻ですよ」
「わ〜りィ、野暮用で」
ライダースを脱ぎ、ハンガーに掛けようとニキの横をすり抜ける。瞬間「くさっ!」と悲鳴が上がった。
「煙草くさ! またパチンコ行ってたんすか!?」
「ん〜ん、雀荘」
「あっそう! どっちでもいいけど臭いっす!」
鼻をつまみ、しっしっと手で払う仕草をされた。言うほど臭いか? 麻痺しちまってて自分じゃわからない。
「あァそう、雀荘って言やさ」
嫌な予感がしたのだろう、こはくちゃんが眉を寄せた。さすが勘が良い。
「大負けに負けて手持ちスッカラカンになっちまってよォ、今日のスタジオ代ツケといて……ってオーナーに言っといてくんね?」
「アホちゃう?」
ここのオーナーと彼は親戚同士、ガキの頃からの付き合いだと言う。朱桜さんちは他にもでっけェ事業を抱えてる大金持ちだし、音楽スタジオ経営なんていくつもある道楽のうちのひとつだろ、どうせ。そんなら俺らのレンタル料をツケとくくらいどうってことねェっしょ?
「出世払いでヨロ」
「ざけんなや」
「だってよォ〜今日藪さんいたンだもん。強ェンだよあのじいさん」
「何が〝だもん〟じゃ、何回目やと思ってんねん」
「やだこはくちゃん顔怖ェんですけどォ。ぴえん」
「──天城」
ドスの利いた声にぎょっとして振り返ると、メルメルが鬼の形相で仁王立ちしていた。ニキは……あいつ逃げたな、いねェ。
「バンマスだからってあなたに会計関係を任せた俺が馬鹿でした」
俺っちは笑ってしまった。
「え! メルメル今更じゃね!? そんなん勝手にギター買ってきた時点で言えよ!」
「HiMERUはんな、嬉しかったんやって。新しいギターもろて」
こはくちゃんからのタレコミに俺っちはいよいよ爆笑だ。バンドの貯金で勝手にハイエンドギターを購入するバンマスも、そいつを献上されたら掌返して許しちまうリード・ギタリストも、どっちもどっちだろ。少なくとも俺っちだけが攻められる謂われはねェわな。
「おめェも同罪じゃねェか!」
「あの時は、最終的にバンド全体のクオリティの底上げになったからで……! 金銭面でもバンド内の問題に留まっていたから良かったものの、スタジオ代はそうはいかないのですよ! 他人様に迷惑をかけているのです、わかっているのですか!?」
「ええ〜」
そりゃ今は迷惑かけまくってるかもしれねェけどさ、俺っち達『Crazy:B』はこれからドカンとビッグになる予定なんだぜ?
「将来この八番スタジオもファンにとっての聖地になるかもしれねェっしょ? コンチネンタルハイアットハウスみたいな。それを思えば安いもんっしょ」
「ああ言えばこう言う!」
俺っちの未来予想図はまったく聞き入れられなかった。
「話にならへん」とこはくちゃんも出ていってしまい、誰に助けを求めることも出来ず、ひとり粛々とメルメルのお小言を受け止める羽目になる。
「ひとまず今日のぶんは俺が支払います。そうしておいた方があなたの罪悪感を喚起しやすいでしょうから」
ため息混じりに言うメルメル、さすが俺っちのことよくわかってる。今更後輩に対してカッコつけたいとかはねェけど(だからニキとかには平気でたかるけど)、歳下の恋人の前では最低限カッコイイ彼氏でいたいと思う男ゴコロをしっかり掴んでやがる。
「ほんとスイマセン、今度ラーメン奢らせていただくンで」
「味玉」
「ハイ」
「チャーシュー」
「ハイ」
「替え玉ふたつ」
「めっちゃ食うじゃん...... 」
「最近ストレスが溜まっていますのでね。誰かさんのせいで」
「悪りィって、反省してマス」
この約束も何度目だろうか。俺っちの負債はラーメン何杯ぶんになっているのだろう。想像するだに恐ろしくてすぐに考えるのをやめた。
バンドマンという生き物はとにかく金がない。それはもう引くほど、四六時中金がない。そのくせ音楽をやるには金ばかりかかる、これを『バンドマンのジレンマ』と言う。嘘だ。今考えた。ともあれバイト増やさねェとだなァ。
自分の預金残高と日雇いバイトのラインナップを思い、ぼや〜っと空中を見つめる。そんな俺っちの間抜け面を眺めた奴は一度天を仰ぎ、それからもっと恐ろしいことを言い放った。
「ギターのレッスン料もいただいていないのですけど」
「え、あれ有料だったの?」
「仕方ないですね。出世払いで良しとしましょう」
「マジで金取る気かよ」
「冗談です」
「面白くねェよ!?」
うっかり真顔になってしまった。笑えない冗談はよせ。意外とがめついところのあるこいつは、取ると言ったら本当に取るから怖い。実際、講師として金を貰えるレベルだから尚更だ。
この俺がそれなりのギタボになるだなんて、半年前には誰ひとり想像していなかったはずだ。応援してくれているファンだって、うちのバンドメンバーですらも。現に一度頓挫しているわけだし。
でも今それなりになれたのは(俺っちのセンスが良かったってのもあるけど)間違いなくメルメルの指導の賜物で。あいつが〝必ず形にする〟と宣言してからはマジでトラウマになるくらい厳しく『教育』されたもんだけど、その甲斐あってか近頃『Crazy:B』の評判は上々だ。元からのファンは勿論めちゃくちゃ喜んでくれたし、界隈でも結構な話題になったし。そこまでは計画通りとして、〝楽曲に深みが増した〟だの〝音楽性が更なる拡がりを見せている〟だのと批評家気取りの連中にネットで持て囃されるようになったのも、あいつのお陰と言って良いだろう。メルメルさまさまだ。
だから俺っちは、『HiMERU』という光輝く才能を|インディーズ《こんなところ》で腐らせておくわけにはいかない。もっとでかいステージで気持ち良さそうにギターを掻き鳴らすあいつが見たい。武道館だってドームだって、世界だって魅了してしまえるあの綺麗な音を、もっと遠くまで届けたい。子供じみた我が儘でこの道に引っ張り込んだニキ、成り行きで合流してからここまで付き合ってくれているこはくちゃん。あいつらだってそうだ。今よりもずっと高いところへ連れて行ってやることでしか、俺っちは誠意を示すことが出来ない。彼らにもらったたくさんの価値あるものと釣り合うだけの地位と報酬を与えてやりたいのだ、たとえどれだけ辛酸を嘗めてでも。
「──何をにやにやしているのですか」
バンマスとして真剣にバンドの将来のことを考えていましただなんて、言ってやるもんかと思っている。刹那的快楽主義者風のキャラで通っている俺っちの柄じゃねェからだ。
「バレた? 明日新台入るンだよなァ」
「はあ。呆れた」
適当に誤魔化せばメルメルはすんなり飲み込んでくれた。「あなたはギャンブルの話しか出来ないのですか」と失笑されたけど構わない。俺っち的には本当のことを話す方がよっぽど大怪我だ。根は真面目な良い奴だなんて思われるのは御免こうむりたい。
「大丈夫ダイジョーブ。負けるためにギャンブルやってるわけじゃねェから、俺っち」
人生を賭けて挑んでるこの博打にも、当然勝つつもりなんだぜ──とは、口に出さず大事に胸に仕舞っておく。
「……? 当たり前でしょう? 練習再開しますよ」
興味なさそうにスパッと会話を切り上げた彼は、ふたりを呼びにさっさと出ていった。いつもながら冷たい──なんて言ってる間に俺っちも準備しねェとな。
「……さて、今日もやりますかァ」
まずはチューニングから。
今日の一発目に鳴らすコードは何にしようかと考えるだけで、自然と口角が上がる。楽しい。四人で爆音をブチ鳴らすあいだ、俺っち達は向かうところ敵なしなのだ。
喉をあっためるために二、三曲軽めに歌ってから、「とりあえず」で新曲をセッションしてみた(昼間俺っちが思い付きでつくったジャジーなやつな)。うちの奴らは基本的に自由人だから、こんなかんじで適当に曲作りをすることもしばしばだ。
「──椎名」
「んぃ? 僕なんかやっちゃったっすか?」
Aメロ→ Bメロ→ サビをふた回しやったあたりでメルメルが「ストップ」と手を挙げた。奇遇だな、丁度俺っちも止めようと思ってたとこっしょ。
「いやニキ、逆」
「逆?」
「おめェ今バキバキにクールなフレーズ弾いてたっしょ? なんかエグいシャッフル」
同調したのはニキ以外のふたり。かたや当人はきょとんとしている。これはあれだ、いつものやつだ。
「おめェ……無意識かよ」
「う? うん」
「オイオイまたかよォ……」
天才肌の人間には(というかニキには)よくあることらしく、こういう時奴は往々にして自分のやったことを覚えていない。つまり二度と同じことが出来ない。天才とは難儀なものである。
「ちぇ〜、さっきのに限って録ってねェし」
「ああ……そら残念。もういっぺん聞きたかったんに」
「──仕方ないですね。いつものことなのです」
「な、なんかごめんなさい……?」
そう、メルメルの言う通り仕方ねェ。バンドはナマモノ、ニキのベースプレイはナマモノ通り越してふわっふわのかき氷みてェなもん。無念がる俺っち達と何もわかってなさそうなニキといういつもの対立構図だ。
「では」と顎に手をあてて考え込んでいたメルメルが声を上げる。
「この曲では我々が椎名に合わせましょう。椎名は好きにやってください」
「え!? むしろいいんすか? いつも僕がひとりで突っ走って怒られるのに……?」
「そろそろベースをフィーチャーした曲があっても良いのでは、と考えていたのですよ。最近、以前よりも練習頑張っているでしょう?」
「いいンじゃねェの? ニキは突っ走れば突っ走るほどいい音出すしなァ」
何より好き勝手に弾いている時のニキは本当に活き活きしていて。技術のあるベーシストなんか他にいくらでもいるけど、あいつの演奏からしか生まれないうねりが、グルーヴがある。この昔馴染みはたぶん、天性のパフォーマーなのだろう。時々その才能が眩しく見えるのは墓まで持っていく予定の秘密だ。
「仮におめェが暴走してもこはくちゃんがなんとかしてくれるっしょ、なァ?」
「せやな、それがわしのお役目やし……任しとき。がっちりテンポキープしたるわ」
末っ子ドラマーの頼もしさにニキは涙目になってやがった。ベースソロつくるからマジでちゃんとやれよ、と伝えれば別の感情で泣きそうになっていたが。
「そーだ、こはくちゃん。デーレッデレッデーのあとフィル入れてみてくんね? 短いの」
「……こう?」
「それそれ。からのサビ前、デ〜デデッデ〜で、ブレイク。どォ? ドラムだけ残すからなんかいい感じにキメてほしいンだけど」
「ああ、わかった。ええよ」
身内以外にはサッパリなやりとりをこんなかんじで繰り返して、残りはノリで一曲仕上げた。アレンジは基本全員で話し合いながらやる。マイペースな奴らだからすぐ脱線するし、収集がつかなくなることもざらだ。でもこれが楽しくて仕方ない。スタジオ練が終わったら馴染みの居酒屋に雪崩れ込む。音楽談義をしながら飲んだくれたあとにいただく締めのラーメンも格別だ。
マンネリしないように既存曲もちょいちょいアレンジし直したり、ライブの演出を話し合ったり。メンバーが揃ったらやることは山程ある。
「──ああ、もう時間ですね」
夢中になって手を動かしていればあっという間にレンタル枠が終わってしまう。まだまだ歌い足りないし、このあとは駅前のカラオケに移動するのもアリかもな、と考える。
と、ぽこんとラインの通知が入った。送り主はナオさんだ。
「んん……? ちょい、待って」
何気なくメッセージに目を通した俺っちは、思わず固まった。
「どないしたん、なんやけったいな顔して──」
不審がって手元を覗き込んできたこはくちゃんまでが同様に口を噤んでしまう。ニキとメルメルも様子が変だぞと片付けの手を止め、こちらを振り返った。妙な緊張感が場を支配している。ひやりと背筋が冷える。
「──天城?」
名を呼ぶ声に促され、無言でスマホを手渡した。ナオさんから送られてきたのはツイッターのスクリーンショットとYouTube のリンクだった。そこまではいい。問題は中身だ。
「『絶賛売り出し中イケメンバンドマンの下半身事情を晒す! 〜クレビ古参ファンが語るメンバーの闇〜』…… なんですかこれは」
「……ナンダロネ……」
暴露系の動画で活動している配信者だろうか。どこの誰とも知れない奴が『天城燐音の爛れた女関係』をリークしているらしいことがわかるスクショに、わかりやすく過激な言葉で飾り立て、ゴシップ好きの大衆を煽る動画タイトル。しかも六時間前の〝投稿しました〟ツイートは既にまあまあ拡散されちまってる。インプレッションを増やすのも癪だからリンクには触らないでおいたが、この調子だと再生数もそこそこいってそうで嫌すぎる。
タイトルを低い声で音読したあと黙り込んでしまったメルメル、ドン引きしているニキ、呆れてものも言えんという顔をしているこはくちゃん。いやちょっと待ちやがれと、俺っちはメンバーのリアクションに動揺する。
「あの……一応言っとくけど、ねェよ?」
この間たっぷり五秒。
「…………え〜〜〜っ、とぉ。燐音くんのこと信じてるっすよ、僕は」
「オイオーイ。今の間何?」
嘘だろ、どこの馬の骨ともわかんねェ人間の言うことを真に受けちまうわけ?燐音くんと愉快なバンドメンバーの間にあるはずの絆的な何かは、一体どこへ行っちまったンですかね。それともそんなもんはじめから無かったか?
「メルメル、」
助けを乞うように呼んだらスッと目を逸らされた。え〜、これは結構マジでショックなんですけど。
「こんなもん信じるってのか、おめェも?」
「……」
「メルメル……!」
語気を少し強めるとやっと、びくりと肩を揺らした彼と視線が交わった。
「俺っちも何が起きてンのかわかんねェんだよ、心当たりなんか勿論ねェ。でもこうして動画が出回っちまってる以上、何かしら説明しなきゃなんねェっしょ?」
現時点でどの程度のファンの目に触れたかは不明でも、だんまりというわけにはいかない。バンドだって人気商売だ。
純粋な実力だけで売れることが出来りゃ万々歳だし、音楽に携わる人間のほとんどがそう願っているだろう。そして願いながらも、世の中そんなに甘いもんじゃないと知っている。金、権力、人脈、運──様々な不確定要素が複雑怪奇に絡み合い、結果売れたり売れなかったりするのだ。バンドの生き死にを左右するのは何も音楽の質だけじゃない。
「燃えちまったもんはしょうがねェ、撮られたのは油断した俺っちが悪かった、謝る。けどそれより今は、どうやって火を消すか考えねェとだろ。おめェらの知恵が必要だ、頼む」
「──天城の言うことはもっともです……が、」
メルメルは唇を噛んで目を伏せた。水色の睫毛が僅かに震える。
「少し、時間をください。……すみません」
「あっおい!」
ギターケースを引っ掴み、止める間もなくスタジオを出ていってしまった彼。置いていかれて途方に暮れる俺っち。ちょい、残ったふたり、白い目を向けるンじゃねェ。「あ〜あ」とか言うンじゃねェ。
「あ〜もうなんだってンだよォ! ニキ!」
「んぎゃあ! 何するんすか!」
むしゃくしゃして隣にいたニキに関節技を仕掛けてみたところですっきりするわけもない。当たり前だが暴力では何も解決しない。同様にラブアンドピースな音楽でも以下同文。 ──今にして思えば『Crazy:B』の炎上商法なんて可愛いもんだった。余所のバンドの悪口を言って叩かれてみたり、大物バンドに擦り寄って売名行為だと叩かれてみたり。計算尽くの炎上だったら大して痛くもない。でも今回みたいに意図せず燃やされるのは、わりと本気でキツい。思わぬところで新しい知見を得たぜ。知りたくなかったけど。
「大丈夫。わかってるっすよ燐音くん」
長い髪をまとめ直し、よっこらせとベースを背負ったニキが笑う。
「HiMERUくんもわかってるはずっす。燐音くんはろくでもない人だけど、身内を傷付けるようなことは絶対しないって。ろくでもない人だけど」
「ニキてめェ〜」
「たぶんちょっと戸惑っちゃったんすよ。今は落ち着くために距離を取っただけっしょ? HiMERUくんのとこには僕が行くからこっちは気にしないで、さっさと解決しちゃってほしいっす」
「……おう。あいつを頼む」
「わかったっす」
今度ラーメン奢ってね、と言い残してニキも行ってしまった。俺っちのラーメン負債はこうしてじゃんじゃん膨らむ。
スタジオには俺っちとこはくちゃんのふたりだけが残された。
さて、俺っちも頭を冷やさねェと。アッキーさんから『男になったじゃん燐音』とクソみたいなラインが来ているのは既読無視した。
「もっぺん聞いとくわ。『ない』んよな?」
「当たり前っしょ。俺っちがンな嘘つくように見えるかよ?」
「コッコッコ。見えるなあ。日頃の行いが悪いんじゃ、ぬしはんは」
「悪いのは金にルーズなとこだけっしょ? こう見えて誠実よ、俺っち?」
「〝だけ〟やとして、マイナスがえげつないんよ」
「うぐ……」
燐音くんの傷付いたメンタルに特大ダメージが入った。この子の歯に衣着せないとこは好きだけど今じゃねェと思う。こはくちゃんは俺っちに厳しすぎる。
「ほな、ひとまず状況を整理しよか?」
現状わかっていることは少ないけれど、それでも確実なことがひとつ。でっち上げの噂で炎上させるという汚い手口を使ってでも『Crazy:B』を陥れたい輩がいる。言い換えれば俺っち達が売れることで不利益を被る奴がいるのだ。
先の暴露動画はファンを騙っていたが、実際はたぶんそうじゃない。同業者、同世代、音楽性の近いバンド関係者の仕業だと考えた方がしっくりくる。つまり『必然性がある』っつーわけ。
しかしよりによってメジャー移籍を控えたタイミングで炎上騒ぎとは笑えない。
「ん? 待てよ、メジャー行くって話、誰にしたっけ……?」
よくつるむナオさん達のバンドと今度のツーマンで一緒になる『UNDEAD』、他には? ここにヒントがある気がする。思い出せ俺っち、思い出せ。
「あ」
床に座って椅子の上に広げたPCを弄っていたこはくちゃんが不意に顔を上げ、手招きをした。
「見てみい」
「あン? さっきの動画?」
「ん。動画ん中で指摘されとる写真の、これと……これ。よぉ見て」
「あ〜……?」
写真は夜遅くに撮られていて、風俗街を歩く後ろ姿だけでは誰なのか判然としない。暗いし荒い画像の中で唯一はっきりと区別出来るのは、無駄に派手な赤い頭。言うまでもなく俺っちなんだけど。
「いやァ〜さすが俺っちっつーか、オーラがあると目立っちまうもんだよなァ!」
場を和ませる冗談のつもりが、「あ゙?」と凄まれて速攻頭を下げた。大変失礼しました、今はふざけてる場合ではございませんでした。
「ぬしやのうてこっちや、こっち」
言いながら画像の明度を調整してくれる。誰かに後ろから抱き着くみたいなだらしない姿勢で歩いてる俺っち、抱き着かれてる髪の長いおね〜さん。
──んん? おね〜さん?
「なァ……これ、」
「せや、この写真はやましくもなんともあらへん。ニキはんやもん」
「だよなァ〜!? あ〜良かった」
よく見ないとわからなかったのは、ニキが珍しく髪を下ろしているからだ。あいつがしっぽ髪にしてるとこしか見たことねェファンは尚のこと気付きづらい。し、たぶん撮った奴もニキだって気付いてねェ。早とちりもいいとこだ。
では他の写真はどうか。こっちの、俺っちにしなだれかかってる金髪ボブの子はどっからどう見てもうちのメンバーじゃない。
「なんっか見たことあんだよなァこのおね〜さん」
「わしも思たんやけど……。ああ、もしかして」
何かに気付いたらしいこはくちゃんが画像を目いっぱい拡大した。蛍光グリーンのスウェットはやっぱり見覚えがある。
「この女のひと、先月の打ち上げにおったで」
「あァ、『おにぎりチャーハン』のギターか、この子」
ニキがいたら反応しそうなフレーズだが、バンド名である。通称『おにチャ』、四人組ガールズロックバンド。過去に一度だけ対バンしたことがある。確かに先月招待されて見に行ったライブの打ち上げで一緒になったっけな。
「覚えとる? この日のこと」
「……イヤ……」
はああ、と深いため息を吐かれてしまい申し訳なさが募る。飲みすぎた時は大概酔っ払い即寝落ちな俺っち、落ちてからの記憶はいつも綺麗さっぱり残ってない。
「わしはち〜っと覚えとるんやけど。この日な、わしとHiMERUはんだけ先帰らしてもろたんよ。かなり遅くなりそうやったし、社交は年上ふたりに任せてええんちゃうかってHiMERUはんも言うてたし」
「そうだっけ? やべェそこから記憶ねェわ」
「ま、そうなんよ。ほんでこの女のひと、丁度わしらが帰る頃に燐音はんの隣におったなあ〜思て。バンドのメンバーはんも周りに集まって、せっせとぬしはんにお酒勧めてはったわ」
「その日メジャー移籍の話は?」
「わしは知らんけど、話したんやない? 燐音はんベロンベロンやったし」
「俺っちベロンベロンやったンかよォ……」
「反省せえよ。海よりも深く」
ふん、と鼻を鳴らした彼はPC画面に目線を戻した。
「あとな、これやけど」
「どれどれ──ぐわ! なんッだこれ!?」
件の動画で公表されてたのは写真だけじゃなかった。俺っちが〝更に別の女の子に送った〟とされているラインのスクショには心当たりがある。
「これメルメルに送ったつもりだったンだけど……?」
連なるメッセージは『ダーリンお疲れ♡』『酔っちゃった♡』『迎えに来てくんねーの?(泣き顔の絵文字)』『燐音くん待ってる』みたいな、シラフで見るにはなかなかにキッツい内容だった。
「ぬしはん、いつもこんなかんじなん? キショいわ」
「ひでェ……けど返す言葉もねェっしょ……」
酔っ払いの戯れ言くらい許してほしいもんだが、目下の問題はそこではない。俺っちはこのメッセージをメルメルに送ったつもりで、別の誰かに誤送信していたらしい。道理であいつからの返事がねェと思った。マジでしばらく待ってたのに。
自身のアプリを見返してみれば、例のメッセージはすぐ見つかった。
「宛先、『おにチャ』のボーカルじゃねェか……いつライン交換したンだよ俺っち」
「やられよったな燐音はん。『おにチャ』、真っ黒やで」
「そのようで……」
〝酒と女で失敗してからがいっぱしのバンドマン〟──某先輩の含蓄あるお言葉が身に沁みる。思考がマトモならこんな風に謀られることはまずあり得ないと断言出来るのに、生憎酒が入るとマジで雑魚なのだ、俺っちは。相手はそれを承知で仕掛けてきた。〝天城燐音は複数人のファンに手を出すヤリチンクソ野郎です〟と吹聴し、『Crazy:B』のお株を下げるために。
動画を見た連中は、たぶん鵜呑みにしちまうンだろうな。こちらにその気がなくてもこれだけ材料が揃っているのだ。大衆にとって事実なんかはどうでもよくて、信じたいものを信じるのが人間心理だ。思考停止した奴らは〝これが本当だったら面白いのに〟をコロッと信じやがる。
「どないする? 弁解するんやろ」
「ん……そうだなァ」
弁解というか、何らかの対応策は必要だ。しばし目を瞑って考え込む。
どうしたらいい? 「嵌められました」なんて言ったところで余計心証が悪くなるだけだ。それとも本人達にコンタクトを取って発言を取り下げてもらうか? 否、それも悪手だろう。こっちが格下だと認めるようなもんだ。むろんそんなのは俺っち達の望むところじゃない。
ヴー、ヴー。アンプの上に置きっぱなしにしてたiPhoneが震えた。しばらく鳴り止まないバイブレーションは着信を告げている。おそるおそる手に取る。
「……メルメル?」
「HiMERUはんか。ほなわしはお暇しよか」
にやりと人の悪い笑みを浮かべ、「気張りや」とひと言残してこはくちゃんは出ていった。あとで手厚く礼をしなきゃなんねェな。もう三人まとめてラーメン奢ってやりゃいいか。
電話をとる。「もしもし」を言い切るよりも前に、メルメルは食い気味に話しだした。
『天城。まだスタジオにいますか』
「あン? いるけど」
『今から行きます。そこにいてください』
「今からって、スタジオ代どうすンだよ」
『ツケといてください!』
それだけを告げて一方的に電話は切れた。丁度ニキから『がんばれ』のスタンプが送られてきたから、あいつはニキと別れてひとりでここに来るはずだ。
「何だってンだ一体……」
あの様子だと何か思い付いたンだろうけど、何を持ってくる気だろう。まさか〝浮気男とは別れます〟なんて言わねェよな、なんて最悪な想像までしてしまう。そうなったら泣いちまうンですけど。
あいつが来るまで俺っちは、そわそわと落ち着かない心地でひたすら待つのだった。
数分後。ギターを背負ってスタジオに現れたメルメルは、「まだ歌えますよね?」とせっかちに尋ねてきた。「歌えますよね(確認)」ではない、「歌えますよね(威圧)」ってかんじだ。
「ん? あァまあ歌えるけど……どした?」
「明日の夜までに一曲仕上げます」
PRSをアンプに直で繋いでどかっと椅子に座ったそいつは、手際よくチューニングしながら顔も上げずに答えた。
「謝罪はスピードが命なのですよ」
会社員みたいなことを言う。
「そりゃそうだ。ンで? そう言うからにはなんか策があるンだろ?」
「ありませんよ、そんなもの」
俺っちは引っ繰り返りそうになる。ねェのかよ。
「策なんかありません。俺達の弄する言語は音楽なのですから」
そうでしょう? やっと顔を上げた彼の金色の瞳は、ギラギラときらめいて野心と情熱とを覗かせていた。
「つまり……音楽で殴って黙らせる?」
「言葉のチョイスが野蛮で気に入りませんが、まあいいでしょう。そういうことです」
成程。それが『Crazy:B』らしいっちゃらしいか。
それなら、と俺っちも停滞していた脳味噌をなんとかエンジンかけて回転させる。
「明日スタジオからライブ配信で新曲発表、それまでに俺っちは台本を考えとく。ニキとこはくちゃんには?」
「椎名も桜河も、ノリで合わせると言っていましたよ」
「さっすが」
「曲は──まだ途中ですが、案はあります」
言うなりギターを奏で始めた。アン直で出す音にはギタリストの力量がもろに出るもんだが、メルメルはやっぱり上手い。精緻な音粒。スムーズに指盤を滑る左手、ティアドロップのピックを操る右手に目を奪われる。
「ぼうっとしてないで。ちゃんと、見ていてください」
イントロ、彼の得意とするBPM120前後くらいの、八分音符のアルペジオ。閉塞感と物悲しさを感じさせるが美しい旋律だ。
「──前奏はドラムにリバーブを効かせて、どっしりと……」
息苦しさすら覚えるマイナーコードが続く。刻み付けるみたいにひたすら反復されるリフが、重く重く胸に迫ってくる。
「お、おう……?」
頭の上には疑問符が浮かぶ。王道に4×8小節の前奏から歌に入る曲がほとんど(たまにドラム始まり、ボーカル始まりの曲もあるがスパイス程度だ)の『Crazy:B』らしからぬ曲展開に戸惑いを隠せない。
俺っちの動揺に気付いているメルメルは、しかし目だけで「黙ってろ」と言った。承知。わたくし天城燐音は名ギタリストHiMERUさまのご意向に従いますとも。
イントロ。まだ続く。上半身全体を使ってリズムを取り、変拍子。八分の六。十六分音符でアクセントをつけて、また四拍子に。なかなかに攻めた構成だけどマジでこれでいくつもりか?
「──うん。ディレイ強めにかけて、ここは……」
このあたりで俺っちの我慢は限界だった。
「待て待て、イントロで一分近くあったけど?」
「何か問題でも?」
「問題大アリっしょ。この大サブスク時代になっげェイントロ聴いてくれる奴なんかそうそういねェンだよ、飛ばされっから」
言えば名ギタリストさまは「へえ」と何故か愉快そうな顔をした。
「たかが一分、聴かせられないと思っているのですか?」
片眉を跳ね上げた強気な表情に、言葉に詰まる。
「自分のところのメンバーを随分と信用していないのですね。心外なのです」
「ぐうっ、そういうつもりじゃ……」
「やれますよ、俺達なら」
確固たる自信を持って言っているのがわかる。『HiMERU』という男は、見栄やハッタリや気休めを口にするタイプでは決してないからだ。
「──それに。歌うのはあなたなのですよ、天城」
曲調が変わり、歯切れのよいカッティングとシンコペーションを生かしたリフに移行する。たぶんここでやっと歌が入るのだろう。
「俺が。俺達が、必ず一分繋ぎ止めてやります。そしたら──」
メルメルの薄い唇が、蠱惑的な笑みを形作った。
「──あとは、あなたに託す。あなたの歌でぜんぶ奪ってしまえばいい。耳も、目も、心もぜんぶ」
「...... っ、」
「出来ないとは言わせない。これまでだってそうしてきたはずです、あなたはいつも」
なんでこいつがここまで自信満々なのかわかった。なんか上からだからわかりづらいけど、俺っちやニキ、こはくちゃんの力量を心から信頼しての発言なのだ、すべて。この男は天邪鬼が過ぎて誤解されやすいだけで、バンドメンバーのことを実はとてもよく見ている。そして本人すらも気付いていない深層で、俺っち達を愛している、きっと。
だよなァ、メルメル。このバンドが好きだから、まだまだ一緒に音を鳴らしていたいから──こんなところで貶められて踏み躙られて、終わりたくなんかねェよな。
「てめェ誰に言ってンだァ? やってやンよ、当然っしょ」
出来る出来ないじゃねェ、やるンだよ、俺っち達は、やっと掴んだ〝生きててよかった〟って大声で叫べる場所を誰にも奪わせない。
「そう来なくては、ね」
こちらを真っ直ぐ見返す眼差しは、ステージに立つ時に時折見せる好戦的な色をしていた。
翌日のライブ配信は俺っちによる謝罪からスタートした。とは言え喋りすぎないように。ファンが欲しがっているのは言葉よりも音だろうから。
今後どうしていきたいか、音楽やファンとどう向き合っていきたいか、それらを何よりも雄弁に語るのは俺っち達の鳴らす音だ。今までもこれからも。そうして思いを交わしてきたファンはたぶん、解ってくれるはずだと信じて。ついでに小うるさい外野も何かを察して黙ってくれることを願って。
──結果から言えば、首尾よくいった。一晩で突貫工事した新曲『Route88』は真新しさもあって評判が良かった(あとでエゴサした)し、次のアルバムのリードトラックにしようという話にまでなった。
そして成功の要因は曲だけじゃなく、もうひとつ。
すべてのパフォーマンスを終えて最後にひと言ふた言挨拶をするべきタイミングで、メルメルの手でがっつり襟首を掴まれた俺っちの頭からは予め考えていた文章が全部ぶっ飛んだ。
「うおいてめェ、何すンだ!」
まさか生配信中にカメラの前で殴られるのかと身構えると、ただでさえ近かった恋人の綺麗〜なお顔が更に近付いてきた。
そして、キスをされた。もう一度言う。生配信中だ。
「!?!????? 待っ、カメラ、こはくちゃ……!!」
かと思えばぱっと手を離され、俺っちはその場にどすんと膝をついた。あまりの衝撃に思考が停止しちまって言葉が出てこない。
床に這いつくばって見上げた先に立っているメルメルは、唇をぺろりとひと舐めしてから悪びれもせず言い放った。
「──公衆の面前で唾をつけておけば、誰も手を出そうなんて思わないでしょう?」
……わお。俺っちの彼氏、宇宙一男前なんですけど。
アーカイブの残らなかったこの配信は、ファンの間で後世まで脈々と語り継がれることとなる。それから勿論、これ以降俺っち周りのスキャンダルは嘘みたいにぱったりと聞かれなくなったのだった。
『Crazy:B』、メジャーデビューから三ヶ月前の出来事である。
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