我妻・惇②

我妻

 どうやら、我妻は俺の名前じゃないらしい。転がり込んだ先で教えてもらった。俺が俺っていうのも教えてもらったし、酒の飲み方と吐き方も教えてもらった。喧嘩のやり方も女の抱き方も、殺し方以外はぜんぶ。
 ついでだから、分からなかった言葉もぜんぶ、聞いてみることにした。
「『みごとだ』って、なんだ」
 ――すげぇって意味だよ。褒められたんだ。
「なんで、名前を聞くんだ」
 ――すげぇやつだって、覚えとくためさ。
「『まことに』って、どういう意味だ」
 ――さあ、それだけじゃなあ。続き聞かなかったのか?

 続きがあったらしい。聞くことはできなかった。俺は褒められてたのか。あの顔は、笑っていたのか。俺に名前がなかったから、あんな顔をしたのか。でも、じゃあ、あれはどういう気持ちだったんだろう。
 名前を知れないことが、覚えておけないことが、どんな気持ちにさせるんだろう。隣だったあいつらに、俺は同じような顔をしていたんだろうか。

 俺には、知らないことが多い。

 ◆

 俺に色んなことを教えてくれた連中は、良い奴らだ。食って行くためには金が必要なことも教えてくれて、さしあたりの寝床も食い物も金も用意してくれた。気にすんなと笑って言うから、気にするもんなのかと聞いたら、また笑われた。
 いつも笑って飯に誘ってきて、仕事に誘ってきて、時々遊びに誘ってきた。俺がムキになるとまた笑ったし、そんで失敗するともっと笑った。

 一人で夜に仕事を任されるようにもなった。俺の仕事は褒められたし、俺の当たり前はすげぇことらしい。俺くらいの年の我妻なら、誰でも同じことだけど。
 それでも、良い奴らが喜ぶのは気持ちが良いし、酒も旨くなる。少ない俺のできることで喜ぶんなら、簡単なことだ。だから俺は、今日も殺す。武器をもってなくても、我妻って言わなくても、向かい合っていなくても――敵じゃ、なくても。

 ◆

 どうやら俺は、利用されていたらしい。誰かにとって都合の悪い奴を、誰かも知らないままに殺すのが、俺の仕事だったらしい。昨夜の仕事の場所をたまたま通ったら、死体の近くで誰かが泣いてたし、他の誰かは悲しい顔をしていた。

 ああ、この顔は、あいつと同じ顔だ。
 俺があがつまって名乗ったときの、変な顔はこれだったのか。でも、じゃあ、どうしてそんな顔をしたんだろう。他人に名前がないことが、そんなに悲しいことだろうか。俺の周りの我妻たちは、だれも悲しそうじゃなかったけれど。

 俺には、まだまだ知らないことが多すぎる。
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