4-1 月は沈み、太陽は再開する
秋の風が肌を撫でる黄昏学園の校庭には、紅葉した木々の葉が舞い落ちていた。夏が過ぎ、|黎明唯一《くろあきゆいち》は高等部一学年の秋の新学期を迎えていた。
新しい刺激を求めて入学したこの黄昏学園には、奇妙な面々が集う解決部という部活動があり、今まで退屈だった日常に、程よいスパイスを与えていた。普段の生活では味わえないスリルと謎解きの興奮。まるで学園の裏側を覗き込むような気分で、ユイチはその不思議な部活に引き込まれていった。
二学期が始まった黄昏学園では、一週間ほど短縮授業が続き、下校時間も午前中に設定されていた。夏の暑さが和らぎ、風が冷たく頬に触れる季節。早めに家に帰っても特にやることのないユイチは、解決部の掲示板を何となく眺めながら時間を潰していた。秋の淡い光が教室の窓から差し込み、静けさが漂う午後。校舎内にはすでに人影が少なく、静寂の中、掲示板の画面が青白い光を放っていた。
そのとき、ユイチはふと掲示板の中に新しい投稿があることに気がついた。画面には、ずいぶん昔のスレッドにぽつんと一件、新着のコメントが浮かび上がっていた。
「これって……俺が初めて立てた依頼のやつじゃないか……」
彼がそのスレッドを立てたのは、今年の四月のことだった。校舎内の誰も使っていない空き教室で、誰もいないはずなのにピアノの演奏が響くという奇妙な現象。それはユイチにとって最初の怪異事件となり、「姿無き奏者」と名付けられた。その依頼が、今になって反応を得たのだ。
不意に胸がざわついた。どうして今になって投稿が? ユイチは指先に少しの緊張を感じながら、掲示板を開いた。
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【未解決】
From:菖蒲最
半年間調査した結論は、分からない。だね。残念ながら。……力不足を実感する毎日だよ。
正直不確定要素を報告文に書くのは性分じゃないんだけど、間宮さんの件もあるし、気になる事は全て報告する。
僕が調査したのは平日の放課後がほとんどなんだけど、4/24、5/16、7/1、7/18にそれぞれ教室に女の子が入っていくのを確認した。黒髪で、黄昏学園の制服を着てたと思う。そのうち7/1までは教室にピアノが鳴り始めた瞬間に教室に突入した。ただ、入った途端に何も音がしなくなるし、少女はいなかったんだ。
ただ、7/18だけは違った。教室に少女が入った途端、追いかけるように教室に入ってみたんだ。
少女は教室にいた。長い黒髪が特徴的だった。彼女は僕の方を一切見向きもせず、「何ですか?」って呟いたんだ。それから続けて、「教室に男性の人と二人きりは怖いです」と言ったんだ。
そう言われると僕もどうしようもない。教室を出たよ。しばらくしてもピアノの音は鳴らないし、不審がられてもいけないから、その日はその場を後にしたんだ。
それ以来、ピアノの音を聴いた日はない。
……やっぱりわからないね。教室に入った少女が、4日とも同じである確証はないし、4日目の少女がピアノを弾いていたとは断言できない。
以上で、報告を終わるよ。
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投稿を読み終えたユイチは、思わず苦笑いを浮かべた。半年もかけて調査をした上で「未解決」と報告してくるとは、予想外だった。しかし、それもまた解決部らしいというか、どこか憎めない。まさかこんな些細な依頼に半年も執着するとは、解決部のメンバーたちは本当に変わっている。でも、その奇妙さがユイチにとって退屈させない刺激となっていたのも確かだった。
|菖蒲最《しょうぶかなめ》――その名前には見覚えがなかったが、半年もこんな依頼にこだわり続ける彼の熱心さに少し感心しつつも、ユイチは適当に労いの礼文を投稿して立ち上がった。空は夕焼けに染まり、薄紅色の光が校舎の窓から射し込み、静かな廊下を淡く照らしている。帰るべき時がきた、とユイチは思い、廊下を歩いて下駄箱へと向かった。
下駄箱に到着し、靴を履き替えると、校門へ向かって歩き出す。外に出ると、ひんやりとした秋の風が頬を撫で、夕暮れの空は少しずつ夜の帳へと変わりつつあった。静かになった校庭には、まだ日暮れ前の寂しさが漂っている。校門をくぐろうとしたとき、ふと視界の端に一人の少女の姿が映った。
その少女は、黄昏学園の制服ではなかったが、どこか見覚えがある制服を身にまとっていた。ユイチが歩みを進めると、彼の気配に気づいた少女はそっと振り返り、彼を見つめた。目が合うと、彼女は満面の笑みを浮かべ、両腕を広げて駆け寄ってきた。
「クーくん! 久しぶり!」
突然の抱きつきに、ユイチは思わずその場で固まってしまった。見知らぬ少女からの急なスキンシップに戸惑い、頭の中が混乱する。
(誰だ、こいつ? クーくん? そんなふうに馴れ馴れしく呼ぶやつなんて……)
――一人だけ、いた。
その瞬間、ユイチの脳裏にある少年の姿が浮かんだ。23区に住んでいた頃の幼馴染だ。年齢はユイチより二つ下でありながら、幼い頃から慶應の幼稚舎で一緒に勉学を積んだ少年――|東雲全《しののめあきら》。彼こそが、ユイチを「クーくん」と呼んでいた唯一の人物だった。
「……まさか、お前、東雲か?!」
ユイチが驚き混じりに問いかけると、彼はくすっと笑って、少し離れながら言った。
「くすっ、やっと気付いたの? どう? 可愛くなったでしょ?」
そう言うと、東雲はわざとらしく身体を揺らし、身にまとった慶應義塾中等部の女子学生用の制服を見せつけるような仕草をした。彼は幼い頃から美しい顔立ちをしており、そのためにしばしば女の子と間違えられ、さらには稀有な白髪が悪目立ちして、いじめの対象になることも多かった。その頃、いじめから彼を守っていたのがユイチだった。
黄昏の中で、彼らの再会はどこか奇妙で懐かしい感情を呼び起こした。
◆
箱猫駅前のスターバックス。ガラス越しに夕方の賑わいが溢れ、店内には人々のざわめきとコーヒーの香りが漂っていた。ユイチと東雲はカウンター席に座り、それぞれの飲み物を前にしていた。ユイチはブラックコーヒーを静かに啜り、東雲は抹茶クリームフラペチーノにチョコチップをトッピングしたものをストローで吸いながら、落ち着いた表情を浮かべている。
「まあ、聞きたいことはいろいろあるけど……なんで黄昏学園で俺を待ってたんだ?」
ユイチが唐突に切り出すと、東雲は一瞬視線を落とし、フラペチーノを一口飲んでから、冷静な表情に変わった。その目の奥には、冷たい怒りが微かに見え隠れしていた。
「それこそ、僕の最大の疑問だよ。なんでクーくんはあんな底辺高校に転校しちゃったの? 僕と一緒に慶應大学を目指そうって約束してくれたのに……君は突然いなくなった。許せないよ」
東雲の声は落ち着いていたが、その内に秘めた感情は明らかだった。彼はずっと、ユイチに裏切られたという思いを抱えていた。
ユイチはその視線を避けるように、コーヒーを一口飲んでから、軽く肩をすくめた。
「勉強なんて、本人のやる気次第だろ? どこで勉強しても結果は変わらないよ。それに、学校の授業なんて、ほとんど……」
「……クーくんは、本当に天才なんだね。羨ましいよ」
東雲の皮肉を含んだ言葉に、ユイチは一瞬戸惑った。彼にとって、勉学は独学で容易にこなせるものだった。周囲のペースに合わせる授業は遅すぎて、苦痛に感じていた。その退屈を埋めるため、彼は黄昏学園に転入した。そしてその選択は、解決部と出会うことで、彼にとって充実した毎日をもたらしていた。授業に関しては、独学で先を進むこともできるユイチにとって、成績に問題はなかった。
「俺の人生だし、寄り道するのも悪くないと思ってる。まあ、それよりも……お前は今どうなんだ? 今は中学二年だっけか?」
「そうだよ。来年で中学三年。僕はこのまま慶應の高等部へ進むよう義理の両親達に期待されてるから、もう受験勉強を始めてるんだ。君と違って、僕は天才じゃないからね。努力しないと」
東雲は、頬杖をつきながら窓の外に目をやった。駅前には街頭が灯り、学生たちが楽しげに笑いながら通りを行き交っている。その光景を眺める東雲の瞳には、一抹の寂しさが浮かんでいた。かつて、いつも自分を待っていてくれたユイチが、今ではどんどん遠くに行ってしまうように感じていた。昔のように、もう一緒に歩くことはできないのかもしれない――そう悟った瞬間だった。
「ねぇ、クーくん。解決部ってどうなの? 随分と楽しんでるみたいだけど」
東雲がふいに口を開く。その声色は無邪気さを装いながらも、どこか探るような響きを含んでいた。ユイチはポケットからスマホを取り出し、画面を開いて掲示板を見せながら笑った。
「変人ばっかりだよ。今日だってさ、四月に立てた依頼を半年も調査して、結局未解決のままだって報告が来たんだよ。笑えるだろ?」
ユイチは笑いながら、その掲示板を開こうとした。その時、伝言版の方に新着の投稿が一件入った。「あ、ちょっと待ってな」と東雲に一言告げてから、ユイチはその投稿を確認する。それは菖蒲最からのものだった。
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※世成鳳子は閲覧不可
From:菖蒲最
#姿無き奏者の掲示板にて、僕は未解決の報告をさせてもらった。ただ、調査自体は打ち切っていなかったんだ。
昨日、一人の少女ーーいや、濁すのはやめておくよ。解決部の世成鳳子さんが件の教室に入っていくのをはっきり見かけた。しばらく待つと、ピアノの音が聞こえてね。それを聞いて教室に突入すると、世成さんがーー教室にいなかったんだ。ピアノの音も鳴り止んでいた。
一連の報告と、昨日の事象を掛け合わせると、世成さんは【幽霊】である可能性が非常に高い。幽霊以外で説明できる事象がないからね。
ただ、悪霊には思えないんだ。世成さんが悪いことをしている様子はないからね。ただ、本当に心霊なら僕は成仏させてあげたいと思っている。
みんなも出来れば協力してほしい。僕は、何が心残りで現世に残っているのか、もう少し調べてみることとする。必ず成仏させてみせるよ。
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それは菖蒲最が世成鳳子という少女を幽霊と断定した書き込みであった。なんの根拠もなく非科学的な結論に、ユイチは思わず顔をしかめた。
(いや、いくら未解決が悔しかったとはいえ、さすがに名指してこんなことを書き込みのは……)
ことの発端が、自分が出した依頼である理解している以上を、少なからずの責任をユイチは感じていた。
そういえば、とある噂を思い出す。ある時まで菖蒲という人物はアイカツというゲームに長らく夢中になっていた時期があるらしい。つまりは、何か一つの物事に集中しすぎると、時間さえも忘れてそれに囚われてしまうということ。下手をすればこの世成鳳子という少女が、菖蒲によって半年も付きまとわれる可能性があるかもしれない。なんとかしなければ、ユイチはそう思いながらも頭を悩ませながら机に突っ伏した。
「なになに? いきなりどうしたの? クーくん」
東雲は無防備になっていたユイチのスマホを覗き見る。そこに表示されていた書き込みの中から「世成鳳子」という単語を拾いあげた。
「世成鳳子……世成鳳子……ああ、リボンおばけを解決した子だ!」
「知ってるのか?」
東雲の言葉にユイチは顔を上げた。そして東雲もまたスマホを操作し、自身が匿名で投稿していた黄昏会談の掲示板を開く。
「この『通りすがりのオカルトマニア』って僕のことなんだ。実はクーくんの事を調べているうちに、黄昏学園の解決部っていうのが気になってちょっかい出してみたんだ~」
ユイチはその掲示板の内容を一通りチェックする。
世成鳳子という少女は、どうやらオカルトの類を信じているようで、幽霊がいることを前提に話を進める傾向があることが伺えた。その特性が、執着心の強いであろう菖蒲にどう影響するか全く想像できない。
「はぁ~……幽霊なんているわけないじゃん……」
ユイチは深いため息を吐きながら、菖蒲に向けて返信のメッセージを投稿した。
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To:菖蒲最
From:黎明唯一
ま、まだ諦めてなかったのか……。
しかも、幽霊だなんて、未解決が本当に悔しかったんだな。
わかったよ。協力するぜ。ただし、俺は幽霊なんて信じていないからな。その世成って子が幽霊じゃないってことを証明して、お前の心残りを払拭してやるよ。
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投稿ボタンが押され、更新される伝言板。それをリアルタイムでチェックしていた東雲は口を開く。
「へぇ、クーくんは世成鳳子が幽霊じゃないって思うんだね。その根拠は?」
「根拠もなにも、そんなものは科学的にありえない。ありえないものは証明しようがないだろう」
ユイチは、鳳子が幽霊ではないということを証明できれば菖蒲は納得し、諦めてくれると思っていた。だけどそんなユイチの姿を見て、東雲は悪戯な笑みを浮かべた。
「ねえ、この件……僕にも関わらせてよ。彼女が実際に幽霊か人間かはどうでもいいんだけどさ。なんとなく、彼女って自分から進んでオカルトに首を突っ込んでる気がするんだよね。そこにどんな目的があって、どんな信念があって、どんな因縁があって、どんな物語があるのか……僕はそれを知りたいよ」
いつの間にか飲み干した抹茶クリームフラペチーノの底をテーブルに押し付けるように転がしながら、東雲は目を細めて囁いた。たった一つの真相を追い求めるユイチと違って、東雲はたった一つの謎から生まれるあらゆる可能性という物語を好む人物だった。
東雲の言葉に、ユイチは暫く考えた。しかしやがて静かに首を縦に振り、それを承諾した。
「ま、久しぶりに幼馴染に会えたんだ。ここでお別れって言うのも寂しいしな。来年になったらいよいよ勉強漬けだろ? じゃあそれまでの間、一緒に俺と謎解きして遊ぼうぜ」
ユイチは柔らかな笑みを浮かべ東雲に笑いかけた。そこれ遠い日の優しい彼の微笑みそのもののままだった。東雲は懐かしさに胸が締め付けられた。
――ああ、やっぱり彼を追ってここまできてよかった。
東雲は心の中で呟いて、微笑みを返した。
やがて時刻は午後七時前を回ろうとしていた。時計を見て東雲は「あ、そろそろ帰らないとあの人達に怒られちゃう」と言って、慌てて帰り自宅を始めた。二人は飲み終えたカップをゴミ箱に捨ててから、箱猫の駅へと向かう。そしてユイチは改札口の前まで東雲を見送ってから、自分自身も帰宅した。
その帰り道。ユイチはつい聞きそびれた疑問を頭に浮かべた。
「そういえば東雲……なんで男なのに女装なんてしてたんだ……?」
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