コメンタリー:6.去りし夜

6.去りし夜

 回想の佳境の回です。タイトルの「去りし夜」は、惨劇の夜が明けること、そしてその夜を象徴するかのようなロクスブルギーが去っていくことの二つの意味からつけました。回想パートなので過去形になっています。

 ルー少年はロクスブルギーに背負われながら、その揺れで目を覚まします。前回のコメンタリーでのロクスブルギーが持つ社会性の話を踏まえると、馴れた様子を想像できて微笑ましいですね。

 近くの町へと向かう道中で、ルー少年はなぜ自分の名前を知っていたのかをロクスブルギーに訊ねます。そしてここで、実は眠っている間に聞いたことを断片的に覚えていることが明かされます。ルー少年は自分の心の内を素直に何でも話していた――まさか聞いているなんて思わない――ので、途端に恥ずかしくなってきます。おませな坊やは一丁前に口説いたりもしていましたから、それも無理のないことです。
 ロクスブルギーがここで「興味の無い話は聞き流したりもした」と言ったのは、恥ずかしがる少年に対するフォローの気持ちもありました。君が恥ずかしがるようなことは聞いてないよ、ということです。実際は、意識の覚醒に波があるので、結果として聞き流していた部分もあるでしょうが、そうでない限りは、ロクスブルギーは夜の来客の話に、静かに耳を傾けていたのではないかと思います。綺麗だと褒められたことも聞いています。そんな褒め言葉は聞き慣れて飽きているくらいだと思いますが、褒めた矢先に照れて黙りこくる様子を微笑ましく感じていたのではないかと思います。

 そして吸血鬼のそんな言葉を鵜呑みにしたルー少年は、美しく繊細そうな容姿にそぐわない、ふてぶてしい回答に笑ってしまいます。それにつられてロクスブルギーも笑うのですが、この瞬間にふたりは「無二の友人」になったのだと思います。眠っている吸血鬼に一方的に声をかけ続けていた少年と、少年の話を一方的に聞いていた吸血鬼は、擦れ違いを清算し、共に過ごした時間として共有することができたのです。それはたった一年ほどの、人の一生から見れば短く、吸血鬼の過ごす永劫から見ればなお短い時間です。しかし一夜の惨劇と甘い血の味が、お互いへの印象を強烈に焼き付けたのだと思います。

 友人たちはしばし穏やかな時間を過ごしますが、同時に別れの時が近づいていることも感じています。遠くに見える町。駆け上る朝日。ルー少年はここでお別れだと言われずともロクスブルギーが自分をこの町に置いて去っていくことを予感して「行かない」と言いますが、我儘を言うんじゃないと一蹴されてしまいます。ここで変に優しく取り繕おうとしないあたりに、ロクスブルギーが確固たる意志で少年と別れることを決めている様子が伺えます。だからこそ、ルー少年もはっきりとそれを拒否し、一緒にいてほしいと懇願します。少年からすると、自分は吸血鬼を恐れてもいないし、血だって分ける気でいるし、たったいま友人として笑いあったところなのに、別れる理由や合理性が分からなかったのでしょう。

 少年の意志もまた固いことを理解して、ロクスブルギーはもう一度少年から血を吸い、抵抗する力を失わせるという強硬な手段を取ります。子供の小さな体が、短い時間のうちに相応の血液を失えば、意識が朦朧としてくるのは当然です。勿論どんな形でだって血を吸うことはできたでしょうが、抱き締めるようにして首筋に牙を突き立てたのは、彼なりの親愛の気持ちがあったためでしょう。また、明確に「吸血鬼に襲われた子供」であることを示すためにも、分かりやすい場所にその傷があることは重要でした。身寄りを失い、恐ろしい吸血鬼にまで傷つけられた少年であれば、教会がさぞ手厚く保護するだろうという考えがロクスブルギーの中にはあったのです。ルー少年が、この先不足の無い人生を送っていけるよう、吸血鬼としては最善を尽くしたのでした。それがまさか、命懸けの職務に就くことになってしまうというのは、想定外だったと思いますが……。

 またここで、ロクスブルギーは自分が人間についてどう思っているかを語ります。強欲、嘘つき、か弱い。これらはここに至るまでに、彼が人間との関わりの中で抱いた感情です。2話のコメンタリーで、何故ロクスブルギーの素性が語り継がれているか、という話をしました。いつか物語として書く予定だということを踏まえつつ、もう少しだけその話に触れると、ロクスブルギーは本来、棺を作ってくれた職人の家で、安らかにその眠りを守られるはずでした。「子々孫々に渡って、あなたの眠りをお守りする」――そう約束してくれた職人の死後、その彼の子孫が棺を売り飛ばしたのです。中に眠る高貴な吸血鬼と、その逸話を添えて。彼らはそれにより、大きな富を手に入れることになりました。強欲、嘘つきという感情は、この経験が元になっています。

 しかしそれに続けて、ルー少年に対してつい世話を焼いてしまったということも口にします。ロクスブルギーは口では人間のことを悪く言いつつも、内心では憎からず思う感情も確かにあるのです。俗っぽく表現すればいわゆるツンデレ、というやつにも当てはまると思うのですが、もう少しこのあたりの心の機微は複雑なものがあります。愚かで許しがたい性質を持つ半面、孤独に寄り添ってくれるような温かさもある人間を、嫌い切ることはできない、といった感じです。かつてルー少年は、棺の中にいるロクスブルギーに「勝手に売り買いされて嫌じゃないか」と声をかけたことがありましたが、ぼんやりとした意識でそれを聞きながら、ロクスブルギーは嫌に決まっているよ、と答えていたと思います。子供だからこそ思いついた素朴な疑問だったのですが、このひとことがロクスブルギーの気を引いた要因のひとつだったかもしれません。

 ルー少年は子供らしい感情を爆発させます。これまでは少し背伸びをした、ませてひねくれた賢い子供として描写していることが多かった少年ですが、ようやく子供っぽい一面を出せたという、そんな場面です。ひとりでオークションの会場に忍び込んだ時ですら、彼は目的のために堂々と行動していましたが、ここでは心細さや寂しさ――おそらくは母の死からずっと心の奥に押し込めていた感情――を前面に出しています。そんな子供の泣き落としにすら、吸血鬼は自らの意志を曲げることはありませんでした。

 別れ際のロクスブルギーの言葉は、優しさの分だけより少年を突き放すものであったかもしれません。互いの生活に互いが不要であることを突き付け、そのうえでルー少年のことを「友人」と呼ぶのです。そう思うのなら傍にいてくれたって良いのにと、少年が駄々を捏ねるのもいたしかたないことでしょう。

 しかし、ロクスブルギーのこの決断は正しかったといえます。結局のところ、日差しの下では思うように動くことのできない吸血鬼と生活力も社会的立場も持たない子供がふたりでは、当然ですが普通の生活は送ることはできなかったでしょうし、ルー少年はどんどんロクスブルギーに依存することになっていったと思います。それはそれで、本人たちは幸せに過ごしていくのかもしれませんが、関係性としてはいささか歪なものになったはずです。

 あたりまえではない相手と、あたりまえの信頼や愛情を構築する。それは物語を通して描きたかったテーマのひとつであります。物語を「広義のBL」と称しつつ、殊更にふたりが男性同士であることに言及をしないことも、彼らが互いに一個人としてあたりまえに友情や愛情を向けていることを表現したかったためです。

 夜が去って、ルー少年の意識が落ちていくのと同時に、回想も終わりを迎えます。
 そして場面は現在に戻り、二十年の放浪を揺るがす出来事が起きる――

(7話コメンタリーにつづく!)



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