コメンタリー:7.手紙
7.手紙
回想が終わり、現在の時間軸に戻ってきたところ。ここまでの回想は、ルーが見ていた夢という形になります。回想の中でもちょうど夜が明けて朝になったタイミングで、現在でもルーが朝起きたところになるので、自然に時間軸が繋がっています。回想の出来事は二十年も昔のことですが、ルーはかなり多くの部分を鮮明に憶えており、それはもはや、単に忘れがたい記憶である以上に、未練や執念のような重たい感情をも伴っています。
そしてここでオークションに関する補足的な説明、ルーが大きくなってから知り得たことが付け加えられています。夜鬼の遺物は、こうして好事家の間で高値で取引されるため、粗悪な品物が紛れ込むことも少なくありません。不可能ではないものの、人間が夜鬼を殺すことは難しいため、剥製などはかなりの値が付いたのだろうことが予想されます。いったい誰がその剥製を調達したのかといえば、国外から持ち込まれたものだったのかもしれません。物語の舞台となっている国――名称は特に決めていませんが、西洋がモデルです――では、教会機関が大きな権力を持っているため厳しい規制が敷かれていますが、外の国ではそこまで厳しくなく、それで商売をしているような人間もいそうだなと思います。貿易商だったルーの父親は、それらに触れる機会が多かったのかもしれません。
ルーがあの日の惨劇で受けた心の傷は、二十年の間に乾いた瘡蓋のようになりましたが、それ以上に癒えることもないような、思い出して泣いたり、深く落ち込んだりすることはもうなくても、ずっとむず痒いままそこに存在しているような、そんな状態です。誰かを責めたくとも、二十年もひとりの夜鬼に心を奪われ、そのために教会機関すら利用している自分には、その資格はないという思いもあり、責められるべき人間も既に命を落としていることから、割り切って考えるようにしているようです。
しかし、一向に手掛かりを掴めないロクスブルギーを追い続けることに、ルーは少しずつ摩耗してきています。自分の記憶には今なお鮮烈に、美しい姿と甘く痺れる感覚が残っているものの、『ロクスブルギーの棺』は焼けてしまい、確かにあったはずの噛み痕も消えて、その吸血鬼の実在を証明するものは何もなくなってしまいました。脳内で都合の良い虚構を作り上げているだけかもしれない可能性が否定できない程度には、あの惨劇は幼い少年にはショッキングなことでしたから、なおのこと疑心暗鬼になろうというものです。
ここで描写されているシスターとの短いやり取りは、教会の中できちんと周囲に認知されている様子や、危険な職務に就いていることを気遣われている様子、それに半ば軽口のように応じるルーの、ある種の不真面目さが表れている場面です。日頃彼はこのような形で、職場の人と接しているのです。
自嘲的な気持ちを抱えながら、ルーはいつものように市街の巡回に向かうのですが、するとあの骨董屋の窓辺から偽物の棺がなくなっているのです。立ち寄ると、店主は棺を買った客からルー宛の手紙を預かっているのだと言います。心当たりがないルーは間違いではないかと思いますが、話を聞いて間違いなく自分宛のものらしいという確証を得、受け取った手紙を開封します。
そこには、『棺はたった今、本物になった』という一言が書かれており、ルーはこの手紙を書いたのがロクスブルギーであることにすぐに気付きます。1話のコメンタリーで書いたように、棺が偽物であることを知る人物は限られるためです。ガーランド卿は店主の知り合いなので除外するとなると、その他にはもう棺に眠っていた当人しかあり得ません。加えて、「本物になる」というのは「ロクスブルギーの(所有する)棺となった」という意味だからですね。
店主が言うには、ルーが棺を偽物だと言った話で、その客――ロクスブルギーは笑ったのだと言います。ロクスブルギーがその棺に惹かれて店を訪れたのも、かつて友人が自分のために誂えた棺と瓜二つのそれへの懐かしさ、そしてその棺にまつわる小さな友人との思い出に後押しされたためだと思います。店主から棺に関する逸話、棺を偽物だと言った若い男の話を耳にして、その男がルー少年だと思い当ります。
あの少年がここへ訪れた。そして、まだ棺と吸血鬼のことを憶えている。そのことは、ロクスブルギーの心に小さな波紋を起こしました。ルーと別れてから、ロクスブルギーはやはりひとりで人目を憚って過ごしています。友人と認めた子供さえ置き去りにしてまで人間といることを拒んだ彼が、特定の誰かと一緒に過ごすということはなかったでしょう。ロクスブルギーもまた二十年――本質的にはもっと多くの時間――をたったひとりで過ごしてきました。耐えられないということはなくとも、胸の内には常に孤独が張り付いているのです。そのため、『小さな友人』が自分を憶えてくれていたことに、喜びがあったのは間違いがありません。だからこそ、思わず笑みが零れてしまったのでしょう。
骨董屋の店主からすると、ルーの行動は単純に審問官としての職務を果たしているだけだと感じられていたかもしれません。ですから、ここでロクスブルギーとどんな話をしたかと想像すると、「その審問官は吸血鬼を探しているようだ」という、確証のないものになったのでしょう。ルーが自分のことを憶えていて、しかも探しているかもしれないと知ったロクスブルギーは、彼に宛てて手紙を残しますが、ちょっとした気まぐれという側面が強かったのだと思います。しかしその中には、もしかすると彼はまだ自分を友人と思ってくれているのではないか、自分のことを見つけてくれるのではないかという、僅かな期待が込められていました。
会いたいなら店主に直接そう伝えてくれるよう言っておけばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、それをしないのがロクスブルギーの奥ゆかしさでもあり、面倒くさいところでもあります。彼は何も会いたいわけではないのです。見つけて欲しいのです。このあたりには、吸血鬼という上位存在の傲慢さと、期待を裏切られたくないという、ロクスブルギーのごく個人的な想いが強く現れています。だから、手紙には名前も書かず、ただ一言だけをあのように残しました。それを見たルーがどのような行動を取ったとしても、裏切られたり失望したりしなくて済むように。
作品を読んだ方には、それが全くの杞憂だったこと分かることでしょう。棺を買ったのがロクスブルギーだと分かった途端、挨拶もそこそこにルーは走り出します。どこかにいる、ロクスブルギーにを見つけるために。会いたかったのだと伝えるために。
いよいよ物語はクライマックスを迎えます。
再会の時は、すぐそこに。
(8話コメンタリーにつづく!)
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