なまはげ
山鳥毛の主はナマハゲの申し子だった。
そもそも主の生誕からしてナマハゲなしには語れない。ナマハゲの来訪とともに主の母は産気づき、地区中のナマハゲに励まされながらの出産だった。産声が響き渡るや否や、地を埋め尽くす幾十人ものナマハゲが歓喜の雄叫びを上げ、まさしくその様は驚天動地、地区の長老は涙を流して伏して拝み、夜だというのに紫雲が空をたなびき、若人どもは三日三晩酒宴を開き灯が絶えることはなかったという。
皮肉なことに、この事件がきっかけで審神者の両親の離婚は決定的なものになったが、その程度のこと、主の心を曇らすまでには至らなかった。確かに父母は審神者に肉の器を与え給うたが、審神者の魂の父母はナマハゲである。青い面こそ真の父であり、赤い面こそ慈悲深き母である。幼い頃はナマハゲの来訪を心待ちにし、年経てからは狂喜乱舞してナマハゲとなって家々を訪問して回った。
主はナマハゲに祝福され、無論のこと主自身もナマハゲをこよなく愛していた。主はナマハゲであり、ナマハゲの聖なる息子であり、ナマハゲの伝道者であった。
「泣く子はいねえが──!」
左手に桶、右手に出刃包丁、足音は騒々しく、山鳥毛は太い声で本丸を練り歩く。主直伝のナマハゲ作法である。一歩地を踏み、大音声が空を震わせるだけで足下を覆う黒煙は雲散霧消し、空気は浄化され白檀の香りが立ち込める。
庭沿いの廊下をどすどす歩いていると、不意に曲がり角から刀剣男士が三振り現れた。皆、汚れを纏い真っ黒だった。抜刀して山鳥毛に突進してくる。
「怠け者をはいねえが───!」
慌てず出刃包丁を一閃した。風圧で汚れが弾け飛ぶ。
しんとした廊下に残ったのは汚れを払われまっさらになった三振りの刀だけだった。
これがナマハゲの加護だった。この特殊能力ゆえに山鳥毛の本丸はしょっちゅう汚れた本丸の浄化に駆り出されている。
遠くからは日光の「悪か子はおらんか───!」という怒声と南泉の「悪い子はいみゃ―か───!」が聞こえてくる。一家のものたちに負けてはいられない。負けじと山鳥毛も声を張った。こちとら三百年以上の山形暮らし経験者である。秋田弁ネイティブには敵わないかもしれないが、なかなか上手く訛れている自負があった。
さて、そうやって刀を払っては拾い、拾っては払うことを繰り返していくうちに、奥の部屋に巨大な汚れの気配を感じた。ここが汚れの中心であると直感した。正念場である。襖を勢いよく開いた。
「小豆……!」
今の山鳥毛は身も心もナマハゲであるが、あまりのことに思わず刀剣男士に戻ってしまった。
そこにいたのは小豆長光だった。かつて見たことないほどの汚れを纏っている。黒々とした汚れは蛇のようにとぐろを巻いて小豆に絡みつき、呼気には毒気が混じって瘴気を発していた。流石の山鳥毛も息苦しさに息を詰めた。
赤い面の下で山鳥毛はぐっと顔をしかめた。「小豆……」ともう一度小さく呟く。かつての恋仲の変わり果てた姿に唇を噛み締めた。
その隙をつかれた。一瞬で間合いを詰められ、眼前で錆びた刃がひらめく。辛うじて出刃包丁で小豆の刃を受け止めたが、耳障りな金属音がした。間近で見る小豆の依り代はぼろぼろに錆びつき、今にも折れかねない状況だった。
「落ち着け! 小豆長光!」
鋭い声で叫んでいた。だが小豆にその声は届いていない。猛攻は止まらない。何度も刃を交わらせる。打ち合うたびに小豆の刃から鉄粉がはらはらと落ちていた。勢いに押されてじわじわと廊下に押し出されていく。小豆の刃が面の頰をかすめた。
ところで、ナマハゲとは来訪神である。
外から訪う神。もてなされれば福をもたらし、邪険に扱われれば災いを呼び込む。ナマハゲたる山鳥毛も例にもれない。
「あああああああああああ────────!」
突如小豆が火だるまになった。小豆だけではない、山鳥毛の視界に入っていたもの全てが発火していた。襖に柱、天井まで真っ赤な業火に埋め尽くされる。
山鳥毛のもたらす災いは、瞳の炎で一切合切を焼き尽くすことだった。
もうこうなってはどうしようもないので、本丸が崩れる前に火だるまの小豆を庭に蹴り出した。これ以上延焼させるわけにもいかないため、目をつぶったまま山鳥毛も庭に降りる。
手近な場所で結跏趺坐の体勢を取り、心を落ち着ける。隣からは、もがく気配やうめき声が聞こえていたが、落ち着くことの方が先決だった。深呼吸して精神を統一させる。ゆっくり十数えたところで目を開いた。視界に入ったしなびた雑草は、火を放つことはなかった。
隣をうかがうと、小豆が仰向けになって呆然と空を見上げていた。腐ってもナマハゲの炎である。浄化の力は折り紙付きだった。
「正気になったか?」
「え……うん……たすかったよ……、おにさん、かな?」
「ナマハゲだ」
「あ、そう……、うん、ありがとう、ナマハゲさん」
「なに、これも任務だからな」
「ほかのみなは?」
「折れていないものは無事だ」
目の前では、いよいよ火勢は増して本丸を飲み込まんとしていた。火の粉が風に散ったのだろう。枯れた庭木や納屋にも飛び火して次々とあちらこちらで火の手が上がる。逃げそこねて火だるまになった男士の成れの果てが、庭に飛び出してはもんどり打ってのたうっていた。火の爆ぜる音に混じってうめき声や叫び声がそこらじゅうから上がっている。今は業火に焼け爛れているものも、そのうち小豆のように正気付くことだろう。
ゆっくりと山鳥毛は立ち上がった。まだ仕事は残っている。一歩踏み出そうとしたところで、蓑を引っ張られた。
「ねえ、きみは……」
「ナマハゲだ」
嘘だ。今の山鳥毛はナマハゲに扮した、ただの刀剣男士だった。懐かしさを押し殺し、どうしていなくなったのだと詰りたい気持ちを押さえ込んでいる。平静を装って地面に転がった出刃包丁と桶を拾った。早く、早くナマハゲに戻らねば……
「山鳥毛だろう」
包丁を握った手をやんわり握られる。小豆は山鳥毛の正面に立った。
「そのひとみは、なんびゃくねんたっても、わすれないのだぞ」
小豆の手が面を支える紐を解く。両手でうやうやしく山鳥毛から面を外した。汗だくの顔には外気はひんやりとしていた。
「ほらね。すまなかったのだぞ。ぶざまなすがたをみせてしまった」
「君……本当に、その通りだぞ……」
声は震えていなかっただろうか。
小豆はかつて睦み合っていたときのように、山鳥毛を抱きしめて顔を寄せた。
「きみのほんまるに、わたしはいるのかな」
「……いない」
「よかった。しゅらばはさけたいからね。……こいびとは?」
「何を……」
「たいせつなことだよ」
「いなかった!」
苛立ちまじりに叫ぶのと、唇を奪われるのは同時だった。熱い唇が吐息ごと山鳥毛の口を塞ぐ。甘い悪寒が背筋を走る。
無性に悔しい。ほだされていくのが自分でも分かる。
轟音を轟かせて、ついに本丸は崩れ落ちた。火の粉が花火のように盛大に散っていた。小豆の唇を引き剥がした。離れる熱を惜しく思う自分が嫌だ。
「さっきまで、ひどい有様だった癖に」
「だから、ばんかいさせてほしいのだぞ」
「……私以上のナマハゲになったら、考えてやる」
「がんばるよ」
小豆は晴れやかな笑みを浮かべた。
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