III、哀れみ(2)
死刑執行人は死刑のみを扱っているわけではない。死刑以外の刑罰も行なっている。鞭打ちは割と代表的なものだ。他にも身体を殴打したり一部を切断したりする刑罰も存在する。
死刑以外のこれらは力加減や致命傷にならないように痛めつけることが重要になってくるため、死刑執行人にはその高度な技術を求められ、刑罰の手順も熟知し、人体構造についても理解しなければならなかった(そのため外科医学的な知識も少なからず持ち合わせている)。
いくら必要なこととはいえ、これが死刑執行人の役割とはいえ、人の身体を容赦なく傷つけるための知識を身につけなければならないということが非常に恐ろしかった。
だから私はいつしか罪人に哀れみの目を向けるようになっていた。
あれほど直視するのが怖かった公開処刑の時でさえも。助手として携わるようになってからは哀憐の念が付き纏うようになった。
ある日、父は私の心を読み取ったかのようにこう言った。
「シルヴァン。処刑台の上では決して情に流されてはいけないよ。哀れみの念は己の心と罪人を苦しめることになるぞ」
「じゃあ父さんはかわいそうだと思わないの? あんなに痛めつけて」
それならば私の哀れみを否定した父はどのような心を持って刑の執行に挑んでいるというのか。
父は言った。
「皆、法の下においては平等なのだ。裁かれるべきものは裁かれる。ただそれだけのこと。我々死刑執行人は命令に従い、任務を遂行しているだけに過ぎない」
だから処刑台の上では私情は無用なのだ─。
ふと鞭打ちの刑に処された女の姿を思い出した。
「…父さん。僕はあの時愚かなことを考えてしまったかもしれない」
彼女に対して少しでも「かわいそう」だと思ってしまったせいで苦しみを覚えたことを父に伝えた。
「はじめのうちは仕方ないさ。そのうち慣れるだろう」
ああ、慣れるのか。
罪を犯した者とはいえ人間。彼らを平気で痛めつけることに慣れてしまうのか。
そしてやがてなんの感情も抱けなくなってしまうのだろうか。
「そんなの嫌だな…」
人間らしい感情は失いたくない。「死神」にはなりたくない。何故死刑執行人が忌み嫌われているのか、その理由がなんとなく理解できたような気がした。
「シルヴァン。君が処刑人になった時、私が言った言葉の本当の意味がわかるだろう。そう、今はわからなくてもいずれ嫌でもわかる時がくる」
ああ、少しずつだが着実に、僕は死刑執行人へと近付いているんだ。
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