VI、友達


 刑の執行がない日は度々ノアイユ邸へ訪問した。
 花壇の整備は一日では終わらず、他の庭の手入れなども行うため定期的に足を運ぶ必要があった。
 私は父に同行するのが当たり前になっていた。貴族の邸宅に行ってイリスの姿が見たい。心のどこかでなぜかそういった思いがあったからだ。父は私が率先して庭仕事の手伝いをしていると思っているため、相変わらず感心した様子を見せている。それが少し後ろめたいのだが。
 ノアイユ邸へ行くと決まってイリスと彼女の父が出迎えてくれる。特にイリスと会話をするわけではないが、私は彼女の姿を目にするだけで満足だった。しかし彼女の姿を何度か目にするたびに、また別の欲が出てきてしまう。
 「(今度は少し話してみたいな)」
 心の中に秘めた密かな願いは遠くないうちに叶ってしまった。




 この日、いつもは出迎えてくれるはずのイリスが私たちの前に姿を現すことはなかった。そんな日もあるだろう。
 すでに彼女の花壇は作り終えていたので、他の庭の整備をすることになった。
 暫く作業を続けていると何故かイリスのことが気になってしまう。脳裏に彼女の姿が過ぎる度、作業をしている手が止まる。
 「シルヴァン、ちゃんと手を動かして」
 父の声で我に返る。
 「ああ、ごめん父さん…」
 いけない。父の前ではしっかり働かなくては。そうは思っていても集中できない。これではダメだ。
 どうしよう…。そう思った時、イリスの父が言ってくれた言葉を思い出した。
 「(そういえば、庭は自由に見て回っていいって言ってくれたんだっけ)」
 何度か訪問しているもののまだ一度もノアイユ邸の庭を散策したことがなかった。ちょうど集中力を切らせているし気分転換になると思った。
 「父さん、向こうの庭を見てきていいかな? なんか疲れたから…」
 「ああ、それならいいよ。見ておいで」
 父はすんなりと承諾してくれた。
 ありがとう、と言って駆け出す。あらゆる草木や花に囲まれた小道を進んでいった。
 多くの植物はきちんと手入れが行き届いていた。これも父が整備したのだろうか。それとも他の庭師が雇われているのだろうか。そんな些細なことを考えながら歩いていると、少し離れた目線の先に「花」の姿を発見した。
 白いドレスを着た美しい横顔…。
 「(イリス…)」
 彼女は咲いている花を見つめているようで、こちらの存在には気付いていないらしい。
 私は思わず近くにあった木の陰に隠れてしまった。
 何と言って声をかければ良いのか、突然話しかけて驚かせたりしないだろうか…。ああ、勇気が出ない。そうだ、相手は貴族だ。話してみたい気持ちはあるものの、こんなに美しい「花」に軽率に話しかけることなど…。
 私が余計なことを考えているうちにイリスがこちらに近づいていた。
 「あら、こんにちは…えっと、シルヴァン君…?」
 「イリスさん…こんにちは…」
 つい油断していた。まさか向こうから話しかけてくれるとは。
 「こんなところで何やってるの?」
 「ちょっと気分転換に…。ずっと作業していて疲れたので」
 「そうだったのね、いつもお疲れ様」
 イリスはにこっと笑った。そしてこう続けた。
 「この前は花壇を作ってくれてありがとう。とても嬉しかったわ…自分の花壇を持つのが夢だったから」
 「どういたしまして…喜んでもらえてよかった」
 今まで知らない誰かに感謝されたことなんてなかった。外に出れば忌まわしく見られ、心無い言葉もかけられる。ノアイユ邸へ訪れる以前、転んだ人を見かけて手を差し伸べたが「処刑人のガキに助けてもらう筋合いはない!」と好意を踏みにじられてしまった。
 そういった経験から、人に優しくするのが怖くなっていた。
 イリスからの「ありがとう」を聞いた時は心の氷が溶けるような感覚だった。この一言でこんなにも喜びを感じられるのか、と。
 彼女の花壇を作り終えた時も、「花が咲くのが楽しみね」と心の底から喜んでくれたのが今も印象に残っている。
 「そうだわ! シルヴァン君、この庭を散策するのは初めて? もしよかったら一緒にお散歩前しない? 向こうにね、小さな噴水があるの。案内したくって。花壇のお礼よ」
 お礼なんていいよと拒んだものの、それではイリスの気が済まないらしく、私は噴水へ案内されることになった。本当はイリスと散歩できるのは嫌ではないのだ。
 イリスに連れられ庭の奥へと進んだ。
 小道がひらけた場所に白い噴水の姿を発見した。水がせせらぎの音を立てている。
 「わあ…」
 庭の中に噴水があるということに感動した。ノアイユ邸の象徴のように思えた。さすが貴族の邸宅だ…。
 「素敵でしょ? ここ、私のお気に入りの場所なの」
 「とても綺麗だね。この庭の雰囲気にすごく合っていると思うよ」
 「ふふ、ありがとう」
 イリスは一人になりたい時や嫌なことがあった時、ここの噴水でゆったりとした時間を過ごすのだそうだ。きっと彼女を癒してくれるのだろう。
 噴水に見入っていると、イリスが静かに口を開いた。
 「…ねえ、シルヴァン君」
 「何?」
 「私たち、お友達になりましょう」
 「友達…?」
 あまりにも突然の申し出だったので言葉が出てこなかった。
 「突然驚かせちゃってごめんなさいね。これも何かの縁だと思って」
 そう言われたのは嬉しかった。しかし…。
 「でもイリスさんは貴族だし…身分も違うのに僕なんかが友達になっていいの…?」
 それに私は処刑人の息子だ…。この時は言えなかったが。
 「身分なんて気にしないで。あなたのお父様と私のお父様だってお友達じゃない」
 そう言われてはっとした。そうだ、父親同士も親友だ。それなら私とイリスが友達になっても何もおかしなことではないではないか。それにかつての友は私から離れていったきり関わることもなくなってしまったし、新しい友達ができるのは喜ばしいことではないか。
 「そうだよね…。じゃあ僕たちも友達になろう、イリスさん」
 「ありがとう! これからよろしくね、シルヴァン君…あ、せっかく友達になったのだから呼び捨てにしてもいいかしら。私のこともイリスって呼んでね」
 「うん、こちらこそよろしく、イリス」
 こうして新しい友情が芽生えた。少し躊躇いはあったものの、仲良くなれるのは幸せなことだ。
 これも何かの縁だとイリスは言った。それならば、この出会いを大切にしよう。後悔しないように。


 その後も二人で噴水を眺め他愛のない話を続けた。
 夕刻に差し掛かった頃、父がこちらにやって来た。私のことを探していたようだった。
 私はあれから父の手伝いをすることなく一日を過ごしてしまったのだ。イリスとの会話が楽しくて時間を気にしなかったせいだ。
 流石に申し訳なくなり謝った。
 そろそろ帰るよ、と言われたのでこの日の楽しいひとときはここまでだ。
 いつものようにイリスと彼女の父が見送ってくれる。
 別れ際、イリスは「それじゃあまたね」と手を振った。初めて会った時と同じように上品に。
 私は「また会おう」という意味を込めて大きく手を振り返した。
 帰り道、この日の出来事を反芻した。
 本当はただイリスのことを見つめていたかった。そして少し話をするだけでよかった。それなのにこんなに距離が近くなるなんて。

 
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