第七夜(外科医×看護師)

 こんな夢を見た。

 当直明けの病棟はしんと静かだ。ぺったぺったと廊下を踏み鳴らすサンダルの音だけが響いて、まるで世界にただひとり取り残されたみたいに感じられる――なんてことはまったくない。静かなのだって今だけで、ほんの小一時間前まではICUで急患の盲腸を切ってた。なんでこんなになるまで放っといたンだてめェ、ふざけンなこの馬鹿。そんな台詞は心の中で吐くに留め、腕利きのお医者サマこと俺っちは淡々と手を動かして切ったり縫ったり、時には人ひとりの命を救ってみたりしている。そうだもっと敬え、崇め奉れ。
「っくしょい! ……さっみィ……」
 ぶるると震えた肩を己の両手で抱き締める。今は三月だ、Yシャツに白衣を羽織っただけの格好じゃまだまだ肌寒い。そして眠い。当たり前か。昨日の九時に出勤してから日付は変わって今日、時刻は既に朝の六時だ。無精髭がつんつん伸び始めた顎を撫で擦りながらため息をつく。
 ちょっと休んだらこの後は日勤の奴らと合流して十七時まで勤務。冗談じゃねェ。勤務医なんてサラリーマンと一緒だ、マジで死ぬンじゃねェかってほど働いても俺っちみてェな若手の外科医が貰えるお賃金なんざたかが知れてる。これは労働力の搾取だ。
「ッか〜〜〜やってらンねェ〜っしょ!」
「――まったくなのですよ」
 屋上で一服していた俺っちは独り言に返事があったことにぎょっとして煙草を取り落としかけた。俺ら喫煙者からすれば正気を疑うが、院内は全面禁煙だ、当然ここも。
「ああ、別に見咎めたりしませんよ。好きにしたらいいのでは?」
「お、おお……」
 備え付けのベンチに腰掛けた俺っちに後ろから声を掛けてきたのは知らない男だった。淡いブルーの制服は看護師のもの。……待てよ、こいつどこかで。
「あ! あんたさっきのオペで巴先生の助手やってた!」
「周麻酔期看護師の十条です。お疲れさまです天城先生」
 ベンチの背凭れに頭を預けて背後から覗き込む彼を見上げる。逆さまの景色の中でにこりと微笑む十条は、同性ながら綺麗な奴だ。看護師になんかならなければモデルにでもなれたンじゃなかろうか。
「いつも〝おひいさん〟にくっ付いてるジュンジュンは?」
「漣は日勤ですので。夜の間だけ俺が巴先生と組んでいたのです」
「あ〜そっか」
 他愛もない会話をしているうち、口に咥えたセブンスターがじりじりと短くなっていく。あ、灰、落ちる。そう思った刹那、煙草はすっと伸びてきた手に奪われていった。
「んあ、なん……」
 不意に視界が暗くなって、唇に何かが触れた。顔に落ちてきて朝日を遮る透ける水色は、十条の髪の色。
え? 俺っちキスされてね?
 次に明るくなった時には、相変わらず逆さまのイケメンに至近距離から見つめられていてウッカリ心臓が跳ねた。期外収縮からの軽い胸痛。鎮まれ俺っちの交感神経。
「キャー! 何すンの⁉」
「――ふふ、そんな初心な反応をされるとは思いませんでした。口寂しいのでは?」
 いや口寂しいだけで煙草なんか吸わねェよ。ガムとか飴とかあんじゃん。……じゃなくて。
「あんたこそ何? もしかして俺っち誘われてる?」
 ようやく身体ごと振り返って、初めて正面からそいつを注視した。食えない笑みを浮かべる美人看護師、だが男だ。
「……だとしたら?」
「くたびれてるンでナシ」
「嘘。しばらくしてないんじゃないですか?」
「溜まってンのはあんたの方っしょ。こんなとこで誘ってくるくらいだし?」
「半分はずれ。ねえ、天城先生。ずっとこうして話したいと思っていました」
 十条の声は、じっと聞き入っているとなんか頭がふわふわしてくる。寝不足なのもあるだろうけど。ああいけね、判断力が鈍る。
 男は親指と人差し指でつくった輪っかを口元に運び、べえと舌を出してちろちろ動かして見せた。なんてこった。下品なジェスチャーもこの顔面を持ってすればこの上なく魅力的な誘惑だ。
「――俺といいこと、しましょう?」
 ンなこと言われて断れる男がいるンなら会ってみてェモンだと心底思う。



 屋上に出るには非常階段を上がらなきゃいけない。そんで非常階段には滅多に人が来ない。そんなわけでここは恰好のサボり場兼一部の人間の逢い引きスポットとして機能していたりする。
「あうう、は、ァん♡ せんせ♡ あまぎせんせ、っの、おっきい♡」
「……、体勢変えンぞ」
「あッやだやだ、抜いちゃや、です」
「るせェ」
 謎のイケメン、十条要。周麻酔期看護師。普段は麻酔科の風早先生とコンビ組んでる。この男について知ってることと言えばその程度だ。後はどうやら、俺っちに気があるらしいってことくらい。
「おら、ちゃんと捕まってろ、よッ」
「ひう……⁉」
 十条の腕を自分の首に巻き付けさせて、両足を抱え上げ突き上げる。俗に言う駅弁ってやつ。こいつ細くて軽いし、背中を壁に押し付けたままヤればそれ程キツくもない。むしろ野郎の腕力でしっかり抱き着いといてくれたら俺っちは楽出来ちゃったりする。
「うあ、ふかっ、深いぃ♡ だめぇ奥入っちゃ、ア♡」
「なァにが〝だめぇ♡〟だ、てめェから誘っといて……ッ、責任、取れや!」
「きゃあん! あ~♡ おぐむりぃ……♡」
「チッ……しょーもねェエロ看護師っしょ……」
 がつんがつんと殆ど抉るように腰を打ち付けているっつうのに、痛がるどころか蕩けていく一方の十条が若干心配になる。
 物好きにも俺っちに抱かれたがってる奴と、丁度良くストレスと性欲を発散したい俺っち。利害の一致でセックスすることを決めたわけだが、何だか予想以上に楽しんでしまっている自分がいてうんざりする。第一ここはクリーンであるべき場所、病院である。もっと言うとこいつは他所の科の看護師だ。万が一手ェ出したことがバレたりしたら気まずいどころの話じゃない。
「っ、ハマっちまったら、洒落ンなんねェっつーの」
 半ば無意識に呟いた言葉は奴にしっかり拾われていたらしく、すかさずきゅううとナカが締まった。先にイかされて堪るか、クソ。
「ッの野郎ォ……! ぜってェ~泣かせてやる……ッ」
「ふふ♡ 自棄になっちゃって、かあわいい……♡ んっ、嵌ってしまえば、良いのですよ」
「ンだとォ? ナマ言ってンじゃねェぞてめェ」
「ああ、ッ♡ そ、な激しいのっ、だめれす♡」
 〝だめ〟じゃねェだろ。イインだろ、これが。ド変態が。
 そんな変態にまんまと興奮させられてンのが悔しくてならねェが、残念ながらこれが男の|性《さが》だ。何故今こんな場所で事に及んでいるのか? 答えは簡単、そこに穴があったから。そして俺っちの股間に元気な棒があったから。それだけだ。
 ぱんぱん、肉がぶつかる乾いた音に、ぐちゅん、ぶちゅんと聞くに堪えない湿った音が重なって耳を犯す。なんて酷いアンサンブルだろう。犬みたいに短い息を吐きながら無心で腰を振っていると、睡眠不足でぐらぐらする頭に酸欠が追い打ちをかけてくる。畜生、もう限界。
「一番奥にッ、種付けしてやンよ! オライけっ……!」
「やぁ、きちゃ、あ♡ あまぎせんせえのお注射でっ、おれ、種付けされちゃう♡ 赤ちゃんできひゃいますう♡」
 アホか、デキねェっての! 冷静な自分がそう叫ぶのに、耳元でアンアン鳴かれると本当にデキちまいそうな気がしてくるから不思議だ。
「俺っちと、おまえのガキ、ならっ……はッ、別嬪に、なるぜ……?」
 言ってからはたと気付く。ンなことあるわけねェっしょ、いい加減頭回んなくなってンな。
 イく直前、十条がはくはくと必死に呼吸を試みつつ、俺っちの首を引き寄せた。眼前に迫るトロットロの野郎の顔面。薄い唇が押し当てられたかと思えばぬる、と熱い舌が入ってきて、フェラの要領で舌をじゅるると吸われ脳味噌がびりびり痺れた。何だこのバカテク。何だこいつ。熱烈なキスに気を取られている間に、俺っちは奴の胎ン中に思いっきりぶちまけていた。
「ッ、ぁ、バッカ締めンじゃねェ……!」
「ん、あは♡ ナカでどくどくしてる……♡ あっついのいっぱい、出ましたね……?」
 射精の瞬間に思いっきり締め付ける奴がいるかよ。お陰で俺っちは精液が底を尽きるンじゃねェかってちょっと焦るくらいまで搾り取られる羽目になった。
「はっ、はあ、あ~~~クソ……ヨかった……」
「あんっ♡ ぁ、ふふ、せんせ」
 ずるると抜けていく感覚にも感じたのか小さく喘いだそいつが手を伸ばして頬に触れてきた。ちゅ、ちゅ、と唇を合わせるだけの口づけを数回繰り返し、男の端正な顔が離れていく。じょり、と顎を撫でられる感触に「そう言えば」と思い出して、頬を包む手に自分のそれを重ねた。
「髭……痛くねェの」
「いいえ、興奮します……♡」
「おめェもう何でも良いンじゃねーか」
 俺っちは考えることを放棄した。変態の思考回路なんぞ理解出来るわけがなかった。
 しかしまァ、久々に心地好い疲労を感じる。これなら上質な仮眠が取れそうだ。ここ最近の激務でろくに眠れていなかったから有難い。
「おまえさ……、俺が眠りたい時、また、来てよ……」
 階段の踊り場に座り込んで彼に凭れながら、むにゃむにゃとごちる。瞼が重くて今にもくっつきそうだ。
 こいつがどういうつもりで近付いてきたのか、吐かせるつもりだったのだ、はじめは。けれどそんなことは最早どうでも良くなってしまった。俺っちは医者である前にただの男で、欲望と快楽には勝てないということなのだ、結局のところ。それは医者だって教師だって社長さんだって、男ならもれなく皆そうに違いない。
「――はい。いつでもお傍にいますよ」
「……ん……サンキュな……」
 今日は何だか流されてばかりだ。まあいいか。宥めるように髪を梳く手が優しくて、俺っちは誘われるままに微睡みに落ちていった。意識が完全に沈む間際、髪に唇を落とされた気もするが覚えてない。
「俺がいないと眠れない身体にして差し上げます。……おやすみなさい、天城先生」
 朝の清澄な空気に相応しくない不穏な呟きの真意は奴のみぞ知る。





【白衣の天使に(性的な意味で)狙われています】





・28歳外科医×25歳看護師
・麻酔科の巴先生は看護師のジュンくんとニコイチ
・要は風早先生とのコンビを解消したくて仕方ない
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