苦くて美味い
本当に今日の今日まで周囲からは特段何とも言われてこなかった朔夜との関係性だった。
受験シーズンも無事終わり高校生でいられる貴重な三年間も残りあと僅か。頭で理解していてもいつもとさして変わらない日常の尊さなど今のところまだ実感は沸かない。
堅かったとは言え無事に桜が咲いた報告にと立ち寄った学校は、存外人がいて驚いた。ついでに忘れ物を取りに教室へ行くとここにも疎らに人がいる。だらしなく座ってスマートフォンをいじっていた前の座席のクラスメイトを見遣る。
「よお。合格おめでと~」
「あら朗二く~ん。おめでと~。ありがとう~。何してんの?」
「忘れ物。すぐ帰るけど。お前こそ何してんの」
「え~~? 内緒お~~~」
「あっそ」
どうせ彼女を待っている。さっさと支度を済ませて教室の入り口を見ると、普段の下校時の通り俯き加減にスマートフォンをいじる朔夜が立っていた。
何のことはない。三年間ついぞ同じクラスにはなれなかった隣の家の幼馴染が自分の支度が整うことを待っている、ただそれだけの当たり前だと思っていた光景だが、これももう終わりかと思うとちょっとだけ感慨深い気持ちにならないこともない。
因みに、誰にも言ってはいないが保育園から高校まで全く同じ学校に通い、家も隣、性別も一緒の朔夜とは中学の時から恋人として付き合っている。
別にすすんで隠しているわけではないのだが、何となく学生のあり方としては違う気がすると勝手に思ってなるべく公にはしてこなかった。第一、こんな狭い世界の価値観の中でわざわざ突飛なことをひけらかして互いに生き辛くなるのも嫌だ。
まあ、率直に言えばからかわれたりバカにされたら腹が立つというのが大部分ではある。
共に三年間、部活や委員とも縁遠かった二人。学校が終わればこうして朔夜が教室まで迎えに来て買い食いをしながら一緒に家まで帰るというルーティンは自分にとってはもはや呼吸と変わらないほど自然的な行動になっていた。
確かに、そう思えば隠したいキモチとは裏腹な行動に矛盾はあったかもわからない。今日も今日とて明日に迫ったバレンタインデーのフェアをやっているデパ地下へ乗り込む予定だったし、だからと言ってそれが周囲にどういう風に映っていたのかなど正直露程も意識したことはなかった。
つまり、全くどこからも二人が付き合っていることなどバレる要素はないと今まで本気でずっと思っていた。
「じゃーな。来月チョコ忘れたらぶっ飛ばすから」
「めんどくせえ~~。でもお返し欲しすぎるからあげちゃうんよな~~。てか、かれぴには毎年手作りあげてんの?」
「?? カレピ????」
「愛しのさくちゃんだよ」
なのですぐには理解できず、目線で促されるまま教室の入り口の方に目をやると、つまらなさそうな顔でこちらを見ていた朔夜と目が合った。角の机にたむろしていた私服の女子がでかい声で「しまさくもチョコ欲しい」と聞いているのが耳に届く。
「朔夜モテるから心配だよね」
「……ハ、別に俺あいつよりモテてますがっ……てか急にめんどくせー絡み方してくんなよお前っ……」
「おほほ、お返し目当ての爆モテおつ。素直じゃないよな朗くんは。かれぴは潔く認めたぜ~」
あんまり衝撃だったのかキーンと耳鳴りがして一瞬だけ世界の音が消えた。
「っっっっは……!?」
「この前ぇ、付き合ってんの? って聞いたらぁ、手出したらコロスって言われちゃった♡」
「……え……???」
「てかださね~~」
「え? ……何それ、一旦保留で……」
「ぶわははっなんだ保留って……!」
二年間前の席で仲良くしていたクラスメイトの想定外過ぎる告発にてんぱって、反射的に朔夜がいる方とは反対側の入り口に急いで向かってしまう。誤魔化そうとしたつもりもなかったのだけれど、面と向かって関係性のことを言われるとやっぱり動揺する。バレたくない気持ちと嘘はつきたくない気持ちが半々に押し寄せる。でも、向かいながら思った。朔夜はきっとすぐに駆け寄ってくるしこう言う。なんなのお前。
「いやおい、なんなのお前……待ってたんですけど」
「…………」
ほらね~~。ちらっと目だけ合わせて構わずせかせかと歩き出す。
「は、シカト!?!?!?!?!? うざ!!!!!!」
「……朔夜うるさい、あんま目立つな……」
「エッ……? 目立ってるかしら……え? まさかボクが女子と喋ったからとかそういうこと……?」
「きっしょ……んなわけねーだろ、黙れ」
軽口を叩き折って下足箱まで超高速でやってくると、素早く靴を履き替え校門まで無言で早歩きする。気にしいの朔夜がこの態度の真相を究明するまで意地でもついてくるのは分かっているのである程度学校から離れた線路沿いの道まで急ぎ、立ち止まって振り返った。
「ほんとなんなの。感じ悪」
家に向かうルートからは大きく逸れた。にも関わらず、予想通りちゃんと後ろをついてきていた朔夜がむすっとした顔で詰め寄ってくる。
「てか、さっき|勿斗《ないと》と何喋ったの」
勿斗とは先程のクラスメイトである。一年の時は朔夜と同じクラスだった。
「……匂わせのリーク…………」
「……?」
「てかさ、ハッキリ言うぜ。今までちゃんと話してこなかったけどさ、世間的に俺たちマイノリティなわけじゃん」
「なになにっ急に別れ話?? 一生嫌なんだけど」
「違う聞けっっ……付き合うっつってもまだ高校生だし、普通のカップルとはやっぱ違うし、もしバレたら変な目で見られたりいじめられたりしないとも限らんわけじゃん」
「高校生はオトナよ~? まあもう卒業ですが。そもそも性別で人間見てるやつらとは関わんないしいいじゃん」
「関わるかもしれないだろお~~! これから社会とのつながりも多くなってくし、色々まかれてかなきゃ叶わん夢だってあるかもしんないだろお」
「ふーん。てか、俺たち普通のカップルと何が違うの?」
顔をあげるとスマートフォンをズボンのポケットに仕舞った朔夜から、来た道を引き返すように促され渋々その横につく。大通りに出たらまた人がいっぱいいる。それにどことなく不安を感じるのはどうしてだろう。
「……全部だろ。簡単に人前で手つないだりできないし、嫌な目でみてくる人だって」
「手? したいならすりゃいいじゃん。嫌?」
すんなりと右手を差し出されて躊躇する。なんだか咄嗟に、わざわざ人前で愛を主張する意味ってなんなんだろうと思う。つまり、スキンシップとはこの国では思ったよりセンシティブ。もしかしたらばものすごく故意の性的な主張。
「い、嫌じゃないけどでも、だから」
結局握れないまま知らんぷりをした。穏やかな顔で手をひっこめた朔夜は前を見ながら一人ごとのように零す。
「別に俺たち以外の人間が俺たちのことどう思ってもどうでもよくね? 良く思われなかったとしても俺と朗の一年後にそいつら関係あんの」
「…………」
「勿斗は付き合ってんのかって聞いてきたし、一応これでも誤魔化したつもりだったんだけど」
「だってさ……朔夜は認めたってあいつ言うからなんかてんぱって……」
「へー。好きだったのかな? まあ、中学の頃からちんこ握ってるし俺の圧倒的勝ちですが」
「いや、ねーよ……。彼女いるし。世の人間とお前を一緒にすんな」
けらけらと笑った朔夜が、大通りの手前でまたどこか一人ごとのようにして呟いた。
「一緒にいても恥ずかしくない人間でいたつもりだったのになあ。別に俺たち愛し合ってますとか自慢したいわけじゃないし、でもやっぱそう見られんのは嫌なもんなのかな」
思わず朔夜の顔を見ると、一歩先の雑踏を寂しそうに見つめる横顔はこちらを見てくれなかった。
「朔夜」
「ん?」
「付き合ってるってバレるのが嫌なわけじゃない。でもそれで俺たちどっちか一人でも無駄に傷つくのは避けたいよなって言いたかった。どうしていきたいとかはまた別の話で、好きな人が男だから恥ずかしいとか、一緒にいんの見られたくないとか、そういうこと思ってない」
「あーー、……分かってるよ」
朔夜がこうして諦めた様に笑うとき今までの大体は、放課後になる前に用事があるから先に帰ると連絡が来た。最悪学校に来ないこともあった。
原因は簡単で単純。今みたいなやり取りをする中で、もう顔も見たくないほど傷ついたからだと分かっているのに、否、分かっていたからこそ、ほとぼりが冷めるまで放って置くという選択を今までしてきた。
だって、腑に落ちないのに相手の顔色を見て謝ったって結局いつか同じ理由でぶつかる。こっちが妥協しないのはほぼ絶対条件で、理屈的におかしなことを主張しているつもりもない。
だから朔夜は今のやり取りに全部納得してまで自分と一緒にいるかどうかを再度選びなおすために時間をかけているのだと思う。
反省はしてもこの性格は曲げられない。それは朔夜が一番分かっている。
だから時折、こんな自分のどこがいいのかと不安になってしまうことだってやっぱりある。朔夜が嫌になったら終わる関係なのは理解していても、繕う前に言葉が先に出ているのだからしょうもないのだけれど。
「明日ケーキ持って行っていい」
互いに無言で大通りを歩きながら今の距離感を図る。明日じゃなくて、本当は今日、一緒に食べようと思って今朝早く起きて作っていた。
「……」
「いや?」
「……狡くね。わかんない。ごめん」
「……」
面と向かってそう言われると思ったよりショックでまた黙って歩く。
いつもは朔夜が合わせてくれているから気付かなかったが、歩調の全然合わない朔夜と歩くのが段々しんどくなってくる。
少し速度を緩めたら、朔夜の背中はあっという間に人込みに流れて見えなくなった。なんだか一気に疲れてしまって立ち止まる。
あーあ。
高校最後のバレンタイン、苦すぎじゃね、とため息を吐いて俯いた。
それからは、横断歩道を渡るのすら面倒で交差点のガードレールによりかかってしばらくぼーっとしていた。幾人も目の前を通ったけれど、誰一人としてこちらを気にする素振りなど見せない。
ならば、他人から見た自分は今どんな風に見えているだろう。
「……」
言われてみれば、確かに心底どうでもいい。だって、明日この場所ですれ違う人の何割と今すれ違っているというのか。そもそも忘れている。昨日一瞬すれ違っただけの赤の他人の顔なんて。
謝ろうかな、と目を瞑ってほんのちょびっとだけ思った。
「あ、いたっ……おい、ほんとお前なんなの……!?」
「……」
真横から急に声をかけられてびっくりして顔を上げると、汗だくの朔夜がいた。まさかはぐれたと思って探していたのだろうか。きょとんとしたまま黙っていると苛立った顔で舌打ちをした朔夜にいくぞ、と強引に手を握られた。
ちょうど信号が変わって、目の前の大きな交差点を引かれるままにどんどん歩く。人込みの中手を繋いで、朔夜に引っ張られながら先へ進む。
胸がムズムズぎゅうぎゅうして、安心感からかまた可愛げのかけらもない言葉ばかり発してしまう。やめたらいいのにやめられないのが自分という人間だった。
「……先に行ったのお前じゃん……」
「は? 別に先に行ったつもりねえし! ついてこいよバカっ、じゃなきゃ待ってぐらい言え!」
「だって。一緒にいたくないんだろなって」
「……」
朔夜がすごいスピードで歩くからかほっぺたがスースーして寒かった。そんなに強く風が吹いているわけでもないのに変だなと思う。
横断歩道を渡り切っても朔夜はまだまっすぐ進んでいく。周りと違う方。人があまり行かない方向。広い歩道のある線路の高架下に入った瞬間、朔夜はようやく立ち止まって振り返った。頭上を轟音が駆けていく。
「そんなわけない、だ、ろ……」
「ある。わかんないは、嫌だって意味だもん」
「…………」
「狡くても一緒にいたかった」
俯いて小さくごめん、と言ってすぐ、やっと自分の目から涙が零れていたのに気が付いた。
やけに頬が寒かったのは涙で頬が濡れていたからだった。そもそも受験が終わったのはついこの前で、それまで多少なりともストレスやプレッシャーに苛まれていたのは否めない。やっと全部終わった解放感で気分はすごくはしゃいでしまっていたのかもしれない。
本当はずっと楽しみにしていた。上手く焼けるようになるまで何回も練習したケーキを食べてもらうのも、明日一緒に行こうとしていた海辺のライトアップイベントも、もしかしたら全部なしかと思ったら虚しくて寂しくて涙が出るほど心の底から悲しかった。
すぐに気が付けたら良かったのだけれど、残念ながらたった今ちゃんと自覚した。朔夜を傷つけるつもりなんてなかったのに、あんな話題勢いのまま出すんじゃなかったと後悔している。
涙がぽろぽろと落ちて止まらないのは分かっているが自分ではどうしようもなかった。
「……」
「…………」
二人で黙ったまま長いこと佇んだ。短い間隔で何度も通過していく電車の音と、仕方なく鼻水を啜る音がしばらく響いた。泣いている事に困惑しているのか狼狽えた顔でこちらを見つめる朔夜はいつまでも何も言わなかった。
こういう時の朔夜がさっきみたいな推進力を持てなくなるのは、きっと本当に好かれているという自信が持てないからなのだと思う。
当たり前だとも当然思った。恥ずかしいから、照れるから、わざわざ口に出すまでもないから、何かと理由をつけて愛情表現を分かりやすくしてこなかったのは自分だという自覚もあったから。
「……」
人通りが少ないとは言え、全くいないわけではないので少し気持ちのほとぼりが冷めると周囲の視線が痛かった。男同士向き合って、片方は泣いているし、もう片方はおろおろと佇む。
客観的に見たら滑稽過ぎて笑える。これを見て痴情の縺れかと咄嗟に思う人はどれぐらいいるのかな。多分、そんなにいないし居ても名前を聞かれることなんてない。
ないのにね。
そう思ったら本当に何もかもどうでもよくなる。自分が撒いた種だろうが、そんなことより今日、朔夜と一緒にケーキが食べたい。絶対に。
厚ぼったくなった目がちょっと恥ずかしいので一瞬だけ目を合わせて朔夜に一歩近寄った。
「…………きょう、ケーキたべよ……」
「………………うん……」
「……」
ちょっと間はあったが、わかんないとは言われなかったので心底ほっとする。
「……てか、いいのかよ。チョコ見に行かなくて」
「じゃあ行く。朔夜、あしたも俺といるでしょ?」
「は?」
「夜ライトアップみにいこ」
「…………行く」
ずっと不安気な表情だった朔夜がようやく呆れ顔になって右のほっぺたを強く拭ってくれた。
それが嬉しくてたまらなくて脳の奥がきゅうと痺れる。無意識に少しづつ縮まっていった身体の距離はいつの間にかめちゃくちゃセンシティブな感じになっていたと気が付いたのは、朔夜の唇がぱっと一瞬だけこの口にくっついたその瞬間だった。
「……!!!?」
「お前が泣くのは女よりずるい。仕返し。行こう」
「なっ泣きたくて泣いたわけじゃねえし……!」
「ふーん。でも俺傷ついたしな。罰として手繋ぐからかして」
「罰…………!?」
「あれご褒美でしたあ???」
言い返す間もなく強引に右手を引っ掴まれてアウターのポケットに突っ込まれる。純粋にドキドキした。そして、好きな人と手を繋ぐことの大半に理由はないのだと知る。ともすれば、ポケットの中に互いの体温でじわっと熱く染み出る形にならない想い。つまりはこれが愛ってやつかと、なんだか妙に納得してしまった。
「…………」
「? さく今どこ向かってる?」
「え? ……アレヤベ、ドッチダッケ?」
「っってんぱるぐらい恥ずかしいならやんなっつの……」
「だってっ……きみの手あったかくてなんかエロイんだもんっ……(小声)」
「クソ煩悩野郎じゃん(怒)」
>>>苦くて美味い(終)
powered by 小説執筆ツール「arei」