コメンタリー:4.その瞼が開くとき
4.その瞼が開くとき
四話冒頭は、穏やかな夜の時間から始まります。既に心置きなく話をできる相手が、棺の中で眠ったままの吸血鬼しかいなくなっている状態のルー少年は、寂しい子供と言わざるを得ないかもしれません。しかしながら、病気で衰弱し亡くなった母と違い、変わらない様子で眠り続けるロクスブルギーの存在は、ルー少年を安心させました。
ルー少年がロクスブルギーに語りかけているシーンなどはもう少し尺をとっても良かったかもしれないなと思うのですが、ロクスブルギーが微動だにしない部分の尺を増すのも中弛みしそうだったので、主なエピソードだけを載せる形にしました。その代わりではないですが、初稿から改稿版にする際には再会後の二人のやり取りの部分を大幅に加筆しています。
ルー少年から吸血鬼への心の距離はどんどん近付いていきます。この時には既に、血をあげても良いだとか、同じ景色を楽しみたいだとか、より親しい間柄の相手に対するような態度をしています。そしてロクスブルギーの顔を見つめ、髪に隠れていた泣き黒子を見つけて、人間のように黒子があるんだというささやかな親近感を得てちょっと嬉しくなったり、星空よりも綺麗だと声をかけたりもしています。ロクスブルギーは何も返事をしていないのに、ひとりで照れたりしているおませな坊やです。ロクスブルギーも、後になってこの様子を――実はある程度聞こえてはいたのですが――見逃したのは残念だったなと思っているかもしれません。
余談ですが、ロクスブルギーを指して「このひと」と表記するときには「人」としないようにしています。吸血鬼ですからね。
そんなほのぼのとした少年と吸血鬼の穏やかな時間は、あるとき唐突に終わりを迎えることになります。『ロクスブルギーの棺』をオークションに出品するという話が、ルー少年の知らないところで進んでいたのです。ルーの父親は、その大変稀少価値の高い棺を所有しているということや、それに過去最高の値がついたりすることによって同好の士から注目を浴びることを楽しみにしていました。そのくらい、父にとってはその趣味がライフワークの一環になっていたのです。そんな父の嬉しそうな様子から、ルー少年は棺を売らないでと口に出せませんでした。捻くれて反抗している反面で、優しい子でもあります。
吸血鬼は不変であっても周囲の状況は不変ではない、というのは、ロクスブルギーの視点でも同様のことであったりします。彼自身は何も変わらなくても、彼を取り巻く環境は変化を続け、常に彼を置いてゆくのです。
棺が家から無くなる=ロクスブルギーがいなくなることがどうしても嫌なルー少年は様々な考えを巡らせますが、そのどれもが、そんな甘い話あるわけがないと容易に否定できてしまうようなものでした。それでもその行方を知っていればあるいは、いつか再会する手立てを得られるかもしれないと、オークション会場に忍び込むことを決意します。
そのオークション会場には、目を覆いたくなるほどおぞましい夜鬼の遺物が集まってきていました。夜鬼の身体の一部――目玉や腕など――が置いてあったり、ルー少年の入っていたトランクのような加工品もあったでしょう。現実味のありすぎるホラーハウスのような一室で、ルー少年は慎重に周囲の様子を伺い、棺の在処が分かる瞬間を待ちます。設定としてルーは、平均よりちょっと賢いくらいではあるのですが、ここで不用意にうろうろしないという選択ができる点で、こうした作戦実行能力に関しては幼い頃から光るものがあったのかもしれません。
やがて階下で惨劇が始まり、ルー少年はそれに直面することとなります。人間が夜鬼に貪り食われるのを目の当たりにして逃げ出し、手近な部屋に入った少年は、そこで偶然にも家から運び出された『ロクスブルギーの棺』を見つけます。このとき逃げ込んだのが別の部屋だったなら、ルー少年――と、会場のどこかで息を潜めて幸運にも難を逃れていたガーランド卿――は、じきに夜鬼に食われて命を落としていたでしょう。ここが、ひとつの運命の分岐点であったと言えるでしょう。
ルー少年はロクスブルギーに血を与えれば目覚めるのではないかという、当たり前すぎる考えに至ります。何故、この時までその方法を試したことがなかったのか? 答えは簡単で、横たわるその美しいひとが紛れもない「化け物」であるからに他なりません。生物としての本能が、自分の命を危険に陥れる化け物を目覚めさせることへ、知らず警鐘を鳴らしていたのでしょう。しかし別方向からの命の危機が差し迫り、いよいよ彼はその本能を押し退けて化け物を目覚めさせることを選択します。
ここで鏡を割る描写がありますが、鏡が割れるのは多くの場合不吉の予兆です。そこで自ら鏡を割るということは、化け物を目覚めさせるということの不穏さを表現しています。書籍版ではここに、割れた鏡の破片に少年の顔が映る描写を加えたのですが、気に入っている描写のひとつです。結構な暗闇なので、その様子が明瞭に見えたりはしないのかもしれませんが、演出優先で加えました。情景描写が少しリッチな書籍版も機会があればぜひよろしくお願いします(boothにて販売中!)。
部屋の外に迫る夜鬼、そして目の前には吸血鬼。一見するともはや絶体絶命の状態にある少年は、ここで死の覚悟すらします。そのうえで、殺されるのなら吸血鬼の方が良いと祈るようなその時間は、とても長く感じられたかもしれません。眠っている吸血鬼の口に血を注ぎ入れる様子は、命の危機迫る状況ながらもどことなく耽美で儀式めいた雰囲気をイメージしています。
そしてとうとう、ロクスブルギーそのひとが目覚めるときが訪れます――
(5話コメンタリーにつづく!)
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