氷解
アイドルになるために生まれてきたような男だ、と思った。
声、表情、身のこなし。そのすべてが心を捕らえて離さない。
ステージの真ん中へ躍り出たあいつが、口を開く、まばたきをする、腕を持ち上げる。そのひとつひとつを、固唾を飲んで見つめる。指先のわずかな動きでさえも完璧。ピンスポを浴びて凛と立つ姿に、“その場所”ははじめから『彼』のためにあったのだとすら思わされる──虜になる。
初めて隣から見た『HiMERU』は、そんなアイドルだった。
副所長から握らされた出処の怪しい情報により、現『HiMERU』であるあいつは“別人”なのだと俺っちは知った。ンじゃああの男は一体どこのどいつで、これまでどんな人生を送ってきて、リーダーたる俺っちにはどんな感情を抱いてるのか。
腹に一物どころじゃねェ、一から十まで秘密まみれの嘘まみれ。そんな人間と、『ユニット』のお仲間だからって仲良しこよしできるか? 当然ノーだ。だがそんなことはどうだってよかった。
俺っちはこの出会いを心の底から歓迎した。パチで当たって台から虹色の光がビャービャー出て出玉が止まらないって時ばりに、アドレナリンが迸りまくっていた。
だって考えてもみろ、あいつが元のHiMERUじゃねェなら、あいつ自身はアイドルとしてはド素人のはずっしょ。なのに奴の『HiMERU』は完璧だった。恥ずかしげもなく紡がれる自信満々な口上が、そりゃァもうかっこよくて思わず茶化しちまうくらいに。
あの男は──メルメルは、アイドルの天才だ。
あるいは『HiMERU』になると決めた日から『Crazy:BのHiMERU』として復活を遂げるその瞬間まで、想像を絶する努力の日々を送ってきたに違いなかった。白状すると、俺っちはもうすっかり『HiMERU』っつうアイドルのファンになっちまっていた。
だから、おまえがらしくもなく俺っちを追い掛けて来てくれたあの時。ほんとうに、嘘じゃなく、涙が出そうなほど嬉しかったンだぜ? 『アイドル・天城燐音』を失うことが惜しいと、他でもないおまえに言われたようで。
分厚い氷の中に閉じ込めて葬るつもりでいた俺っちの夢が、魂が、おまえのひと言で浮かばれたンだ。
「──本気で、アイドルを辞めるつもりだったのですか」
まさか同じタイミングで同じ時のことを思い出してたなんてな。こりゃ運命じゃねェか? なんて言ったら途端にへそを曲げるだろうから、あくまで質問に答えるだけにする。
「本気だったよ」
メルメルは「そうですか」と気のない返事をした。自分から聞いといて傷ついた顔をするンだから、詰めが甘めェのな、ほんと。
腹ン中を晒したがらないメルメルだけど、考えてることは案外わかりやすい、と思う。ただし俺っちとこいつとが多くを語らずとも解りあえるのは、ふたりの間に『アイドル』を介した場合(と、絶対に認めねェだろうがベッドの上で)だけだ。
俺っちとメルメルは似た者同士。でもそれは俺たちがアイドルだから。この命をアイドルのかたちで燃やし続ける、理由があるから。目的は違えど歩む道は同じ、目的のために手段を選ばない点も同じ。ま、互いに都合のいいパートナーってわけっしょ。
聞いたことはねェけどメルメルだってそう思ってる、確信がある。豪速球のキラーパスでキャッチボールできる相手なんざ俺っちくらいのもんだろ。たまにわざと零しやがるのが難点だけど。
「辞めなくてよかったっしょ、あの時」
「そうですね。椎名と桜河に感謝してください、副所長ら『サミット』メンバーの寛大な措置にも」
「違げェっての」
ほォらな、わざとずれた答えを寄越す。俺っちはソファに座った状態から、身体を横に倒した。ぼすん。隣にいるメルメルの組んだ脚の、ちょうど膝あたりに後頭部が当たった。
「ちょっ、寝にくい」
「寝やすくしてやる義理はありませんよ控室ですよここ」
出番まであと十五分ってとこか。ここからスタジオまでの距離に衣装や髪を最終チェックする時間を勘案し、逆算。まだイチャイチャする時間はある。
「辞めなくてよかったってのは、メルメル。おまえのこと」
「は?」
「俺っちとじゃねェとつまんねェんだよおまえは。たぶん、いや絶対そう」
「……」
明らかな仏頂面に笑いが込み上げる。図星だからって照れンなって。組んでいた脚が解かれるのを見計らって、すかさず膝枕を奪取してやった。睨んでくる目に迫力はない。
「──べつに、あなたがいなくたってやれましたよ、HiMERUは。そもそもがはじめからソロアイドルなのですから」
「ふゥ〜ん?」
なァ、メルメル。俺はおまえとアイドルやンの、すっげェ楽しいよ。ステージの上でならおまえがどう動くか、何を見てるか、手に取るようにわかる。おまえとアイドルとして渡り合ってる間は、言葉にできない高揚に包まれる。命懸けの博打に挑むよりずっと燃えるし、おまえとなら世界を相手取って戦っても勝てるかもって、そう思ってンのは俺だけじゃねェと思ってたンだけど……違った?
なんてことをつらつら考えていたら口元が弛んでいたのか、真顔のメルメルからデコピンを喰らった。
「いッて」
「髪。ヘアメイクさんが泣きますよ」
冷たく言ってソファからどいてしまう。俺っちの頭は重力に抵抗できずに座面に沈んだ。あ〜あ、あと五分もありゃ本音を聞き出せたはずなンだがなァ。ここじゃ延長戦に持ち込むこともできやしない。仕方ねェ、今回は俺っちの負けってことにしといてやるか。
さァ、名残惜しいが仕事の時間だ。鏡に向かってファンの求める天城燐音の顔をつくる。アイドルはいつだって望まれたものを差し出さなくては。たっぷりの愛と引き換えに。
(歌詞、振付……おし、大丈夫。きっちり準備してきた、抜かりはねェ)
おまえに愛想尽かされねェように、とびきりかっこいいアイドルでいなきゃなんねェしな。本日も精々頑張らせていただきましょうかねェ。
「よォし、今日の燐音くんも完璧っしょ! いこうぜメルメル──」
必要以上に明るく言いながら振り返ったら、柔らかくてあったかいものが口に当たった。しかもなんかいいにおいまでする。
目を剥いて固まった俺っちを無視して満足そうに触れたところを撫で、くるりと背を向けて控室を出ていくメルメル。取り残される俺っち。おいおい。
「……やられた……」
つい漏らした呟きは誰にも拾われることはない。
本番前でナーバスになってるのを見透かされたわけじゃない、はず。上手く正しくやらなければという、根っこに染みついた価値観は簡単には抜けない。だから俺っちは人一倍レッスンするし、人並みに緊張もする。
そんな風に固く硬く積み上げた氷の壁を、あの男はこうして、いとも簡単に溶かしてしまう。
(ずりィなァ……)
敗因はおまえというアイドルに惚れ込んだ俺っちの弱味。無意識に強ばっていた肩の力はすっかり抜けて、急激に視界が開けてくる。もはや上手くいく気しかしねェ。
「……やってやンよ!」
俺っちは歩調を早め、逸る気持ちのまま、前を歩く背中に飛びついた。
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「めっずらしいじゃんメルメル〜♡ どした? デレ期?」
「別になんでもない、うるさい、鬱陶しい」
「俺っちやる気満々だし、今日はおめェのファン全員かっぱらってやンよ」
「できるものならどうぞ。期待はしていませんが」
「へっ、俺っちも負けっぱなしじゃいられねェからなァ」
「負け……? なんの話ですか?」
「こっちの話〜」
(ワンライお題『アイドル』)
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