焦熱

 アイドルになるために生まれてきたような男だ、と思った。

“目を覚ませ! 耳を澄ませろ! 俺っちたちの歌を聞け! てめェらが本当に欲しがってるものを、『Crazy:B』だけが与えてやんよ!”

 初めて『Crazy:BのHiMERU』としてステージに立ったあの日、あの時。
 俺だけじゃない、あの場にいた誰もが、突き刺すような輝きに心を奪われた。何かとんでもないことをしでかしてくれそうな予感に、期待に、胸が震えた。一瞬たりとも目を離してはいけないと思った。
 いわゆる模範的な『アイドル』とは天と地ほどもかけ離れた素行不良ぶりだったけれど、赤などとうに通り越して鮮烈な青色に燃える炎は、確かに美しかったのだ。ほんとうに。

「──本気で、アイドルを辞めるつもりだったのですか」
 “諦めるつもりだったのか”と言おうとして、口に出す前に咄嗟に言い換えた。
 仮に。この男が──天城燐音が、本当にアイドルを辞めて故郷に帰っていたとして、諦められようはずもない。これは俺の勝手な想像であるが、あながち間違いではないと言える。
 天城がアイドル以外の道を選択することがあっても、諦められるわけがないのだ。奴は決して忘れない。きっと悔やみ続ける。“そうありたい”と望んだ光に、一度は手が届きかけたのだから。
「本気だったよ」
 俺は「そうですか」とだけ返す。黒歴史を掘り起こされて恥じ入るでもなくとぼけるでもなく、即座に正しく察して俺の知りたい答えだけをぽんと投げて寄越す。WBC選手もびっくりの高精度ダブルプレー。しかし残念なことに、俺と天城のこの神憑り的な連携はふたりの間に『アイドル』を介した場合(と、あまり認めたくはないがベッドの上で)のみ成立する。

 俺と奴とが似た者同士なのは両者共がアイドルである間だけ。そうでなければ交わらなかった人生だ。
 俺たちの因果はそれぞれ別の場所に根を張っているし、互いに触れることのできない深淵を胸の内に抱えていることも承知している。相互不理解。ひとたびステージを降りれば別の言語で話す他人同士。だってHiMERUはギャンブルなんて穢らわしいもの、話題にするのも嫌なのです。

「辞めなくてよかったっしょ、あの時」
「そうですね。椎名と桜河に感謝してください、副所長ら『サミット』メンバーの寛大な措置にも」
「違げェっての」
 ソファで隣同士に座っていた天城が、おもむろに上体を倒した。ぼすん。倒れた先には俺の組んだ脚がある。
「ちょっ、寝にくい」
「寝やすくしてやる義理はありませんよ控室ですよここ」
 あと十五分もすれば声が掛かるだろう。生放送の音楽番組で貴重なデュエット曲を初披露するため、俺たちはここで品行方正に待機しているはず、なのだが。
「辞めなくてよかったってのは、メルメル。おまえのこと」
「は?」
「俺っちとじゃねェとつまんねェんだよおまえは。たぶん、いや絶対そう」
「……」
 渋々組んでいた脚を解いて真っ直ぐ床に下ろせば、赤い頭が我が物顔で腿に乗ってくる。こんなところをスタッフに見られるわけにはいかない。
「──べつに、あなたがいなくたってやれましたよ、HiMERUは。そもそもがはじめからソロアイドルなのですから」
「ふゥ〜ん?」
 にやにや、やけに機嫌よさそうに笑う。こういう顔をしている天城はろくなことを考えない。俺は腿に転がったそいつの額を爪の先で弾いた。
「いッて」
「髪。ヘアメイクさんが泣きますよ」
 努めて淡々と指摘すると、大袈裟にくちびるを尖らせつつも大人しく従った。従順で利口なパートナーのポーズ。無性にため息を吐きたくなる。
 本当は忠告をするまでもない。出番が近いことなど当然把握していて、ステージへ向かう前に衣装や髪を最終チェックする時間まで考慮した上で、こうして仕掛けてきていることも知っている。どこまでも抜け目のない奴。まったく敵わない。

 出番まであとすこし。ひと度アイドルのスイッチが入ったら、またあの閃光に目を灼かれてしまう。あんたの炎にどうしようもなく焦がれているということを、思い知らされてしまう。だから。
「よォし、今日の燐音くんも完璧っしょ! いこうぜメルメル──」
 こちらを向いたくちびるをほんの一瞬、奪って。
 触れたばかりのそこを親指ですり、と撫で、すぐに背を向けた。そのまま振り返らずに扉へ向かう。
(こんな不意打ちみたいな方法でしかあんたを乱せないのは、悔しいけど)
 たまにはあんたが俺に焦がれてくれないと、フェアじゃないだろう?

 天城燐音、どうしたってひとの心を魅了してやまない男。アイドルになるために生まれてきた、美しい、男。
 今日もあんたの隣に立てることが腹が立つほどに幸福で、光栄で、その一挙手一投足を余すことなく目に焼き付けていたくて──何より“生きている”と思えるんだってこと。
 そう、目も眩むほどの光に灼かれたあの時、俺は『アイドル』に恋をしたんだってこと。

 あんたとじゃないと、つまらない。それどころかもう、生きている実感すら得られないだなんて。そんなことは死ぬまで認めないし、死んでも言ってやらない。





(ワンライお題『アイドル』)
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