6-3 擬蟲神

 村は今、炎に包まれていた。私の手には、ふうこの柔らかい小さな手が握られている。彼女の手を引きながら、私は笑顔で村の中を歩いていた。私たちが通るたび、炎はさらに勢いを増し、家々は次々に崩れ落ち、燃え尽きていく。村の人々の悲鳴が遠くから聞こえるけど、それがどうしてか、今は心地よい音楽のように私には響いていた。全ては、ふうこのため。愛するふうこを傷つけたこの村が、灰に還るのは当然のことだと思えた。

「ふうこ、簡単なことだった! ぜんぶ焼き尽くせば、もう怖いものは何もなくなるわ!」

 ふうこの手を強く握りしめながら、私は無邪気に微笑んだ。彼女のために、この村を滅ぼすことができるなんて、なんて素晴らしいことだろう。炎は私の意のままに動き、まるで私たちの行く先を導くように、村全体を炎の海へと沈めていく。

「全てが灰に還った時、この世界には私と貴方だけが残る。ねぇ、幸せなことでしょう? ふうこ!」

 私は、ふうこの瞳を見つめた。だけど、彼女は何か違う。私が思っていたような喜びに満ちた表情ではなく、不安そうな瞳で私を見つめている。なぜ? こんなにも素晴らしいことが起きているのに。私たちが、やっと自由になれるのに。

 ふうこの目が、かすかに怯えているのを感じた瞬間、胸の奥に小さな苛立ちが芽生えた。まだ彼女を脅かす存在がいるのか――そう考えると、私の中で何かが再び燃え上がった。

「まだ、怖いものがいるのね。大丈夫、ふうこ。私が全部、滅ぼしてあげるから」

 私は優しく囁きながら、さらに手を強く引いた。ふうこの目には恐れが宿っていたけど、私には関係ない。彼女のために、すべてを灰にしてしまえば、きっと笑顔を取り戻してくれるはずだ。ふうこさえ守られれば、それでいいんだ。

 空は黒い雲に覆われ、雷鳴が轟き、炎が激しく燃え広がっていく。その中で、私はまるで子供のように無邪気に笑った。村全体が燃え尽きていくのは、私たち二人が自由になるための道程。何もかも消え去った後、ここは私たちだけの楽園になる。誰にも邪魔されない、私たちの世界。

「ねえ、ふうこ。これが終わったら、私たちはずっと一緒だよ」

 私の言葉に、ふうこは小さく頷いた。しかし、その目の奥には、どうしても消せない恐怖が見え隠れしていた。でも大丈夫。もう少しで、すべてが終わる。すべてを消し去れば、きっと彼女も理解するはず。

 ふうこの手は冷たく、少し震えていたけど、私は彼女を守るために、その手を強く握りしめた。



 ふうこの手を引いて歩いていた私は、彼女が急に足を止めたことに気付き、立ち止まった。どうしたのだろう? 私は不安に駆られながら振り返ると、そこには怯えた表情を浮かべるふうこが立っていた。彼女の瞳には恐怖が宿っていて、まるで私に触れることさえ躊躇っているように見える。

「どうしたの? 大丈夫だよ」

 そう言って、ふうこの頬に手を伸ばした。その瞬間、私は目を見開いた。手が、血にまみれていた。赤黒い液体が指先から滴り落ち、冷たくねっとりとした感触が肌に残る。心臓が一瞬止まったかのように、私の全身が凍りつく。

「どうして……?」

 自分の体を見下ろすと、そこには想像を絶する光景が広がっていた。服は血で染まり、足元にまで赤い汚れが流れ込んでいた。いつの間に、こんなことが起きたのだろう? そして、右手には――まるで生まれつきそこにあったかのように――日本刀が握られていた。刃は濡れたように光り、その上には生々しい血の跡が残っている。

 何が起きたの? どうして私は、こんなものを持っているの?

 記憶がぼんやりとしていて、まるで霧の中を彷徨っているようだった。さっきまで何があったのか、私は全く覚えていない。刀を握っている感覚さえ、今になってようやく実感している。私はただ、ふうこの手を握って、彼女と一緒に逃げるつもりだった。それだけなのに。

 再びふうこに目を向けると、彼女の顔は苦痛に歪んでいた。彼女の視線は、私の手元――いや、彼女の首元にしっかりと食い込んでいる私の手をじっと見つめている。ふうこの肌は蒼白で、その瞳には恐怖が色濃く映し出されていた。

「ふうこ……どうしてそんな顔をしてるの?」

 私は問いかけるが、彼女は一言も発さない。いや、発せないのだ。ふうこの唇は震え、必死に息をしようとしているのに、その喉元に私の指が食い込み、呼吸を奪っている。

「え……?」

 驚きとともに、自分の手が何をしているのかようやく理解した。私の指はふうこの細い首をぐっと掴んでいたのだ。私は……ふうこの首を絞めている。気付かぬうちに、彼女を苦しめていた。

 どうして?

 慌てて手を離すが、私の手にはまだその温もりが残っていた。ふうこは胸を押さえながら、よろよろと後ずさりし、怯えた瞳で私を見つめている。鳳子の首には、私の指が残した赤い痕がはっきりと刻まれていた。

「ふうこ……ごめん……私は、ただ……」

 言葉が出てこない。何をしてしまったのか、私自身がわからない。どうして、私は彼女を傷つけたのか? 私の心の奥底で、何かがずっとささやいている。何かが私の中で歪んで、私を操っているのではないかという不安が胸を締め付ける。

 ふうこはただ怯えたように私を見つめ、涙が頬を伝っていた。その姿が痛ましく、胸が締め付けられるような罪悪感が押し寄せてくる。私は、彼女を守りたいと思っていたはずなのに――どうして、こんなにも彼女を苦しめているのだろう?

 その時、ふと、頭の奥底に嫌な感覚が芽生えた。遠くで誰かが叫んでいるような、鈍い音が耳の奥で反響する。その音は次第に大きくなり、私の頭を締め付ける。何か――何か恐ろしいことが起きたのだろうか?

 ――どろり、どろり。

 どこからともなく、何かが這うような音が聞こえてくる。まるで鼓膜を直接削られるような耳鳴りがする。

 不意に視界が暗くなって、何も見えなくなった。
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