戯言に耽溺

 恋の病とはよく言ったもので、実際、自覚症状が出はじめた時にはもう手遅れだったりする。

 あいつの姿を目で追ってしまう。名を呼ばれることを期待してしまう。近くを通れば残り香を探してしまう。すこしでも触れられやしないかと、さりげなくかつ確かな下心を持って物理的な距離を縮めにかかってしまう。
 その目で見つめてほしい。蜂蜜みたいに甘そうで、お月さまみたいに凛とした、その金色の目で。
 その声で呼んでほしい。低くて柔らかくてどことなく気怠そうな、その独特の色っぽい声で。
 こんなことを考えちまった日には病の進行度はとっくにステージ4、手の施しようがありませんってか。余命宣告されるにはまだ早いっての。

 そもそも俺は恋なんて生まれてこの方したことがない。もしあのまま故郷にいたら自発的に恋愛をするなんてことはまずなかったろうし、都会に出てきてからは紆余曲折あったものの『恋人はファンの皆さん』……もとい『恋人は仕事』なアイドル屋さんだ。事実恋なんてしてる場合じゃない。厄介なファンも、まァ中にはいたりするしな。
 ただ、初めて『アイドル』というものと出会ったあの瞬間、何かとてつもない衝撃に沸騰した血液が体内を駆け巡ったあの時、ひょっとしたら俺は一目惚れをしたのかもしれなかった。ステージでまばゆく煌めく星々に。
 それが俺にとって生涯唯一の恋になるかもって根拠もなく夢想してた頃が、いっそ懐かしい。





 HiMERU──ここではメルメルと呼ぶが──という男はあらゆるものを持っていた。そのプライドの高さに見合ったスキル、現状に満足せず研鑚を積む貪欲さ、必要とあらば手段を選ばない合理性、アイドルへの執着。ステージの中央に立てば観客の視線を総獲りしてしまえるだけの華がある。羨ましい、と思った。負けていられないとも。
 メルメルはあの性格だから、自分より下位だと判断した相手の言うことはまず間違いなく聞かない。扱いづらいこと山の如しってかんじだが、勝負師の俺としちゃァ攻略のしがいがあるっつうか……どう籠絡してやろうかって作戦を練るのも、けっこう楽しいもんなんだぜ?
 同時に俺は、あの男が『何か』隠しているということを知っていた。『HiMERU』というアイドルの生殺与奪に関わる重大な機密。まだ知り合って間もない頃、話題を振ってみた際は〝二度と触れるな抹殺するぞボケカス(意訳)〟的な脅しを喰らったりもしている。奴がとんでもなく重たいもんを抱えていて、そのためにアイドルに齧りついていなければならないのだということは理解したつもりでいる。それについては藪蛇になるから突っつくのをやめたけれど。
 まァそんなわけで、俺は『メルメル』に興味があった。そんな中俺とあいつとでキー局の連ドラにダブル主演しろとのお達し。そりゃ喜んでお受けするっしょ。

「──ゆうべ、何があったのか覚えていますか?」

 寝て起きたら身に覚えのねェホテルのベッド、隣に裸のメルメル、俺はパンツしか身に着けてない。言葉も出なかったねェ、あン時は。
「お、ぼえてねェけど……トモさんたちと飲んでたあたりまでしか……」
「そうだろうと思いました」
 いやいやいや、なんでそんな落ち着いてンだよ、おまえ。あっ何? もしかして俺無理矢理ヤった? そんでメンタル叩き折っちまったとか?
 メルメルはゆうべの出来事を事細かに語り聞かせてくれた。いい声で何言ってンだてめェ、そのお綺麗なツラで〝アナル〟とか〝騎乗位〟とか言うのやめ……なくていいけど、もうちょいオブラートに包んでくれ。でもま、ともかく悪くなかったなら良かった。
 このへんで俺は異変に気づく。
 ──〝良かった〟? 良かったって……なんだ? なんで安心した俺? 『ユニット』の仲間でドラマの相棒であるHiMERUと酔った勢いでヤっちまったンだぞ、気にするとこそこじゃなくね? おそらく今地球上で最も美しい土下座を披露しているであろう俺の脳内は、ぴしりと揃った指先とは裏腹に大混乱だ。
 だけどいくら混乱したってすっぽ抜けた夜の記憶は戻ってこない。ああクソ、もったいねェ。
(だから〝もったいねェ〟って何……⁉)
 俺に抱かれるメルメルがどんな風だったかを覚えてなくて〝もったいない〟? わかる。男として理解できる感情だ、こいつ絶対エロいもん。今メルメルがこのかんじなら次も誘いに乗ってくれる可能性はじゅうぶんにあるし、俺は慎重に次の機会を窺って
(違ァ~~~~~~~う‼)
 なんかおかしい。変だ。こんな形で自覚することになるとは思ってなかった。 俺のメルメルへの『興味』って、そういうことかよ。

 そんなかんじで足を踏み外してからはあっという間。冒頭の通りに俺の病は悪化の一途を辿り、ますますあの男を知りたくなった。恋に落ちるって深い落とし穴に落っこちるとかじゃなくて、際限なく坂を転げ落ちるみたいなパターンもあるンだな、とどこか冷静に分析している自分がいた。
 俺は転がる過程であちこちぶつけて擦り傷だらけ。かさぶたの数が増えるほどに好きなところが増えて困った。こはくちゃんと話してる間はお兄ちゃんっぽく見られたいのか心なしかキリッとしてるところ、ニキの飯を気に入ってて食堂の日替わりランチメニューを欠かさずチェックしてるところ、俺には甘えていいと思ってンのかやたらと対応が雑なところ。な、可愛いとこあンじゃん?




 そんでまァあんなことやこんなことがあって、俺たちは互いに同じ種類の『好き』を向け合っているってことがわかって。晴れて彼氏の位置に収まることができたわけだけれど、賢い俺はなんとなく察した。メルメルはたぶん今でも俺を信じきれていない。
 哀しいかな俺はその推測の裏を取ることに成功してしまった。先日セックスの最中に半ばトびかけてガキみてェにぐずりはじめたあいつが、鼻をすんすん啜りながら口にしたのだ。「俺を捨てないで」と。
 どうやらこの思い込みは俺の想定していた以上に根深い。彼は不安なのだ、ずっと。今も。ショックを受けると同時、可愛い恋人が普段は決して見せないいじらしさに燐音くんの燐音くんはバキバキになった。結果すまねェと思いつつも気を失うまで抱き潰しちまったからどうしようもない。その節は愚息がわりィことをした。

 本題。メルメルの不安とどうやって付き合っていこうか、っつう話。まずは俺が愛情を形にして示すべきだと考えた。
「はよ、メルメル♡ 会いたかったぜ♡」
「──おはようございます。昨日も会ったでしょう」

 翌日も。
「今日も最高に別嬪だなァ~俺っちのダーリンは♡ メルメルしか勝たん♡ 大好き♡」
「HiMERUが最高なのは当然ですがぞっとする言い方はやめてくださいね」

 その翌日も。
「愛してンぜメルメル♡ おめェ見てるとちんちんがイライラしてくる♡ はやくベッドいこ♡」
「──熱でもあるのですか?」
 毎日毎日恥ずかしげもなく熱烈なアピールを繰り返していたら真顔で心配された。そりゃそうか。
「おめェのことちゃんと好きだぜって毎日伝えようと思ったンだよ」
「なんだ、てっきり気でも狂ったのかと……いやそれもなぜですか?」
 メルメルは自分が口を滑らせたことに気づいてない。セックスの後半にもなるとほとんどわけがわからなくなっているらしく、いつもされるがままで覚えていないことも多いそうだ。そんだけ気持ち良くなってくれてるなら嬉しいけど、覚えてないってことは裏を返せば『記憶を飛ばして心を守りたい』っていう防衛本能が働いた結果なのかもしれねェし、〝あン時ああ言ってたぜ〟なんてあとから聞きたかねェよなァ。
「ん~……お互い好きでも言わなきゃ伝わんねェこともあるっしょ?」
 主旨を伏せてそう言えば、メルメルはなぜかひりついた空気を纏ってこっちを振り向いた。今夜は仕事を終わらせてから彼のマンションに帰ってきており、リビングのソファに座ったそいつと突っ立ってる俺一触即発、という状況だ。
「……言っていることがすべてとは、限らないでしょう」
「あン?」
「口ではなんとでも言えますから、ね。ファンを喜ばせるためと言って笑顔で欺くのがアイドルなのですよ?」
 困り果てて天井を仰いだ。こいつの人間不信も大したもんだ。うんでもわからなくもねェよ、この業界は信用しちゃならねェ連中ばかりだ。だけどきっと、メルメルが闘ってる相手はそういう奴らだけじゃない。もっと強大で理不尽で抗いようのない、『構造』とか『社会』とかなんだろう。わかんねェけど。
 俺はメルメルが好きだけど、じゃあゲイなのかと聞かれたら違う気がするし、だから俺たちは絶対的に異なる。でも本来交わらなかったはずのふたりが運命の女神さまの悪戯か何かで不意に出会い、今は同じ線上にいるのだ。風はうしろから吹いている。ツキは掴んで逃さねェのがこの俺、『Crazy:B』の頭目、おめェの相棒兼パートナーである天城燐音さまだろうが。
「俺はな、メルメルの不安を百パーわかってやることはできねェ」
 フローリングの床を睨んでいたメルメルが躊躇いがちに目線を上げた。不安定に揺れる明るい金色とぶつかる。
「俺とおまえは違う、すべてを知ることはできねェ、でもわかりてェと思ってンだよ。俺の残りの人生をぜんぶ賭けてでもな」
「……」
「教えてくれよ、おまえのこと。言われたくねェこと、回避したいこと、俺にしてほしいこと、なんでも」
 返事はないがお構いなしにソファと彼との間に割り込んだ。薄い身体を持ち上げて膝の上に座らせ、背後から腹に腕を回してホールドしてしまえば逃げられない。
「俺はおまえを好きでいる努力をするよ。当然好きでいてもらえるようにも頑張る、この先もおまえといたいから。そういうもんじゃねェの、誰かと生きてくって」
「……っ、」
 抱き締めた肩から震えが伝わる。ったくおまえは、こんなほっせェ身体になんてもんを抱えてンだよ、なァ。
「言ったろ、〝終わらせてやんねェ〟って。……できればそうだな、『死がふたりを分かつまで』、とか?」
 初夏に雑誌のブライダル特集にモデルで参加した時のことを思い出しつつ、なるだけ穏やかに、真摯に言葉を紡いだ。くちびるをきゅっと引き結んだメルメルは瞳をあっちこっちに泳がせては百面相してる。お~、照れてる照れてる。
「……、…………かっこつけすぎだろ」
「声ちっさ」
 ふふ、と控えめな笑い声が返ってきて、ようやく安堵した。
「かっこつけすぎっつうか、燐音くんほど男前な彼氏いねェっしょ、実際? いたらお目にかかりてェもんだね」
「はいはい」
「あってめェさては返事すンのダルくなってきてンな?」
 こいつはまだまだ何かを隠しているし、俺にも言えないようなことをたったひとりで守ろうとしている、と、確信している。なら俺はその秘密ごとおまえを愛すよ。きっとそれは、俺にしかできねェことだろ?
「──もし、」
「ん?」
「もし俺がまた、不安に搦め取られて……あなたの気持ちを、信用できないと言ったら?」
 これも確信しているが、その日は必ずまたやって来る。メルメルと俺が違う人間である以上避けられないことだ。だから、
「そン時はわからせてやるから安心しな」
 おまえには俺が必要で、俺にもおまえが必要だって。どんな手を使ってでも絶対に認めさせてやるから、せいぜい覚悟しておくンだな。
 挑発的に笑った俺のスケベ心を敏感に感じ取ったのか急に逃げ腰になったメルメルを、キスのひとつで封殺して。まずは今夜、おまえの身体にたっぷりじっくり教え込んでやろうじゃねェの。
「泣いてヨがって〝わかった〟って言うまで寝かさねェぜ、メルメル?」


 長らく止まっていた時は動き出した。夜は今や俺たちのもの。
 ふたり戯言に溺れて、ほの白い夜明けを待つ。





   ●





 ずいと目の前に差し出されたタブレットを受け取り、ふたりして画面を覗き込んだ。
「映画のタイアップでありますよご両人! いやあ良かったですねえ〜!」
 副所長がいつもの、否、いつも以上に騒々しい大声と無駄にキラキラした笑顔で囃し立てる。

 ──来夏公開予定の木曜ドラマ『fiction』劇場作品、製作は引き続き××テレビ。主題歌と挿入歌は本作のダブル主演を務める天城燐音(『Crazy:B』©COSMIC PRODUCTION)とHiMERU(同上)による期間限定特別デュオが担当。完全新作の両A面シングルは現在鋭意製作中──と、ここまで当人たちへの告知、一切なし。
「サプラ~~~イズ! 如何ですか驚きました? 驚きましたでしょう! 自分もここまで思い通りにことが運ぶとは思っておりませんで、己の敏腕に恐れおののいているところであります! いやいやまったく! 上手くいきすぎて笑いが止まりませんなあ!」
「俺っちたちの実力っしょ」
「──我々に感謝していただきたいですね」
「ええ、ええ! それは当然!」
 眼鏡のブリッジを押し上げた副所長は、相変わらずの胡散臭い笑みを貼りつけて宣う。
「勿論、受けますでしょう?」
 俺は隣の天城とコンマ一秒、視線を絡めた。

「断る理由がありません」

 俺たちは、アイドル。今から最も美しい嘘をご覧に入れてやる。





(『ルール・ブルーに告げる』 おわり)

(次ページはおまけのインタビューです)


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