IX、悼み(2)


 その日は曇天であった。先日、少女を処刑した父はいつにも増して意気消沈しているように思えた。雲に覆われた空は父の心の中を表しているかのようであった。
 父が庭に出ていく姿を見た。その後ろ姿は哀愁が漂っている。しばらくした後、私は気になって静かに父の元へ向かった。
 父は薔薇の植え込みがある場所から少し離れた花壇の近くにしゃがんでいた。そこでようやく声をかけた。
 「父さん」
 父はしゃがんだままこちらの顔を見上げた。その後立ち上がり「どうした」と訊いてきた。
 ここのところ、父は何か事あるごとに新しい花を植えているような気がしていたのだ。
 目の前の花壇には成長の度合いが違う同じ種類の花が植えられているのだとわかった。あるものはすでに開花しており、またあるものは蕾の状態だ。種が植えられたばかりの土もある。
 「これは…」
 その特殊な植え方に違和感を抱いた。同じ花を同じ場所に植えるならわざわざ種を蒔く時期をずらさなくてもいいのではないだろうか。
 「シルヴァン…これは悼みの花なのだ」
 哀しげな声色で呟いた父はまさに「慈悲」と「慰み」に溢れていた。それは他の人間が想像する死刑執行人の人物像とは程遠い、一人の慈悲深い人間の心であった。
 父は己が処刑した人間の数だけこの花壇に花を植えていたという。処刑が行われる度に新しい種を蒔いたのだ。
 花壇には少なくとも三十個の花が咲いていた。それだけではない。この花壇以外の場所にも違う花がまた同じようにして植えられていた。おそらく父はこうしてせめてもの追悼として花を育てていたのだろう…。
 処刑された人間はもう二度と生き返ることはないが、植えた種からは新芽が息吹き美しい花が咲く。そしてそれは毎年繰り返す。これがこの処刑人の男の心を慰めるというのか。
 私が知らないだけで父はこれをずっと昔から繰り返してきたのかもしれない。孤高に咲き誇る薔薇も、もしかしたら「処刑された人間への追悼」の意味があったのかもしれない。これはただの私の憶測なので真実は違うかもしれないが。
 父はこうまでしないと自分の精神を保てなかったのではないだろうか。死刑執行人という役職に就いている以上、逃れられず抗うことすらできない何かに囚われている気がしてならないのだ…。
 処刑台の上で感傷は無用、哀れみも不要。そう言っていたはずの父は心のどこかに弱さと慈悲を隠し持っていた。
 私はその花たちを見て改めて思い知る。
 今の荒れ狂った社会の中で、一体どれだけの人々がこうして処刑台送りにされているというのか。この時の私が想像している以上に世の中は哀しみと苦しみに包まれていた。
次へ

powered by 小説執筆ツール「notes」

48 回読まれています