砂上船から見届ける(ことしかできない)


「カウントダウンだ、リップ。本当にいいんだな?」
「はい。バーソロミューさんは甲板に出ないようお願いします」
 きっとこれが彼女との最後の会話だ。
 今から行うのは自殺行為に等しい、いやそのものだというのに、彼女の目は恐怖ではなく決意を秘めていた。

 甲板から展望室に入ると、扉は自動で閉まった。砂漠の遊覧船であるため、展望室は窓が大きく取られた構造になっている。窓の向こうにはこちらに背を向けたリップ、そして彼女が見上げる遥か先には、マリンホテル上空に浮かぶ全長1000メートルものの星剣・エピタフが嫌というほどよく見えた。
 通信から作戦開始までのカウントダウンをするエジソン・オルタの声が聞こえる。残り5秒。3、2、1。
 作戦通り核融合炉が止まった直後に、エピタフが発射された。
 同時にリップがトラッシュ&クラッシュを使用、次の瞬間には両腕に亀裂が入った。機械が軋むような轟音と共に、あふれ出した魔力流が甲板を吹き荒れる。そして、音速で飛んでいく巨剣がみるみる小さくなるのが目に映った。

 ……今回の作戦において、バーソロミュー・ロバーツにできることは|何もない《・・・・》。リップのように物質を圧縮する腕はなく、マシュやパーシヴァルのように人々を護る盾はなく、ニキチッチのように飛翔する術はなく、XX・オルタのように重力を操る宝具はなく、エジソン・オルタのように大勢の部下はおらず、BBコスモや岸波のように電子領域に強いわけでもない。砂上船でこのポイントにリップを連れてくることさえ、|ガイド君《AI》が十分にこなせる。
 だが、何もないからこそ。彼女の決意を見届ける必要が、|責任《・・》があった。
 ――たとえ、苦しむ彼女の側にいることさえできなくても。

 時間にして3秒。たったそれだけの短い時間だが、この瞬間だけはひどく長く感じられた。
 轟音が止んだ甲板から、代わりに大きなガラス細工が砕け散るような音がした。リップの特徴的だった大きな腕は完全に崩壊し、光の粒子となって消えていく。それだけで、彼女がどうなったのか理解した。
 倒れる彼女を見て甲板に向かいかけた脚を止める。魔力流が残る甲板は危険だ。私を巻き込むまいと、最後まで気を遣ってくれた彼女の意思を無駄にするわけにはいかない。
「甲板に流れる魔力流は残り40秒で消滅する計算です。……彼女に駆け寄りたいのは重々承知しておりますが、今しばらく、お待ちください」
 残存する魔力流の影響だろう、若干のノイズと共にガイド君の声が聞こえる。その声はまるで、苦渋の色を浮かべているようだった。
 彼女には作戦前に「今回は私が操船しよう。君は休むといい」と言ったが、心優しい船員は譲らなかった。
「……ああ。ありがとう」
 ひどく乾いた声で、そう返すしかなかった。

 窓の遥か向こうで、マスターとニキチッチを乗せた飛竜が圧縮されたエピタフを|躱《かわ》した。飛竜は墜落することなくその身を矢のようにしてエピタフと衝撃波を超えて飛翔する。直後に|白い光《パーシヴァル》がエピタフとぶつかり合い、弾けて消えた。わずかに軌道を逸らしたエピタフがどの塔にも触れることなくオールド・ドバイに着弾する直前、白亜の城が顕現してぶつかり合う。300メートル級の星剣は何一つ破壊することなく、砂漠へと弾かれていった。砂が大きく巻き上がるが、海とは違い津波が発生することはない。
 その反対側、エリアIではXX・オルタの宝具であろう巨大な赤い渦がエレシュキガルに迫るのが見えた。だがXX・オルタの姿は見えない。

「Mr.ロバーツ、甲板の安全が確認されました。パッションリップさまは消滅してはおりませんが、…………」
 その声で我に返る。無言でうなずいて、一度止めた脚を再び甲板に向ける。いつの間にか唇を噛みしめていたのに気づいて、一つ息を吐く。

 静かになった甲板に出る。膝をついて彼女の身を起こす。意識はない。霊核はギリギリ無事だが、ダメージが大きすぎる。近いうちに消滅することは明白だった。
 それでもうら若き乙女を硬い床に寝かせておくわけにはいかない。リップを抱えあげて室内に運ぶ。その体はひどく軽く感じられたのに、足取りは重かった。
(作戦の初動は成功だ。後はマスターたちに任せるのが正しい。……それに、この後のことも考えなくては)
 何度も反芻した言葉を再び繰り返す。マスターたちがエレシュキガルと戦っている音が遠くから聞こえた。

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