2-3 禁忌を犯した少女たち
「巫女さんが演舞を失敗した……?」
「そんなこと、今までなかっただに。こりゃあおかしいだよ」
その声が飛び交う中、村人たちの視線が一斉に冷たく仁美里に注がれた。何事もなかったかのように振る舞おうとした仁美里の表情も、一瞬硬直する。演舞での失敗は決して許されない――それは村の掟だった。
「きっとあのよそ者が巫女さんを村から連れ出したからだ」
一人が口にすると、その言葉が引き金となり、村全体がざわめき始めた。
あの日、仁美里が村を出たことは、結局神主をはじめとする村人全員に知られてしまった。村の掟を破り、村を出た巫女。その巫女を連れ出したのは鳳子。そのせいで神の怒りが蘇った――そう信じられるようになったのだ。それからというもの、村で起こる悪いことはすべて鳳子のせいにされるようになった。演舞の失敗も、畑の作物が枯れたことも、村で行われた神事での不手際も、すべてが鳳子のせいだという風潮が出来上がっていった。
そして、あの日以来、鳳子は村人たちから酷い仕打ちを受け続けた。それまで助けてくれていた村人たちも、鳳子に関わることを避けるようになった。彼女に味方する者は誰一人いなくなり、まるで村全体が鳳子を追い詰めるかのように、日々のいじめがエスカレートしていった。
「そうだ、世成のクソガキが巫女を連れ出したせいだ!」
「今まで巫女様が失敗したことなんて一度もなかったのに、あのよそ者が現れてからおかしくなったんだ」
村の男たちの目は、仁美里ではなく、どこか遠くにいるはずの鳳子に向けられていた。まるで彼女が村に災いをもたらす虫であるかのように、厄介者として扱い始めたのだ。
村人たちの間で鳴り響く怒声が、擬羽村の静寂を破っていた。桜の花びらが風に舞い散る中、誰もが口々に「鳳子のせいだ」とその名を責め立てた。
次々に投げかけられる言葉が、怒涛のように鳳子へと向かっていく。そしてその嵐の中、突然、轟く雷鳴の如く、一際低い声がその場を制した。
「黙りなさい」
それは、仁美里の声だった。
その瞬間、村人たちは一斉に沈黙した。まるで神がその場に降り立ったかのように、彼らは仁美里の一言に怯え、静まり返った。仁美里は神事の正装を纏い、神聖な佇まいをしていたが、その表情には厳しさがあった。まるで、彼女の内なる感情が、冷酷な神の化身として姿を現したかのようだった。
「あの子を今すぐ連れて来て」
仁美里の短い命令に、村人たちはすぐさま行動を起こした。
そして、鳳子が連れられてくると、村人たちの視線は一斉に彼女に向けられた。
鳳子は以前よりも少しだけやせ細っていた。村人たちからのいじめが続いていたせいだろう。だが、それでも鳳子は笑顔を絶やさず、なるべく明るく振る舞っていた。引きずられるようにして仁美里の前に立たされると、彼女は怯えながらも、仁美里に微笑みかけた。
仁美里は、彼女に一瞥をくれた後、無言のまま髪を掴み上げた。その瞬間、手が少しだけ震えていることに気づき、仁美里は素早く握り直す。感情を抑えるように、彼女はゆっくりと深呼吸した。
鳳子の髪を掴んだまま、仁美里は顔を近づけた。その目はわずかに伏せられ、唇は一瞬ためらうように動いたが、すぐに冷たい言葉が鳳子の耳元に落とされた。
「あなたが悪いのよ」
言葉を発する瞬間、仁美里の手はほんの少しだけ緩んだ。しかし、その一瞬の緩みを誰にも気づかれないように再び力を込め、鳳子の髪を掴み続けた。
鳳子は無言で困ったような笑みを浮かべていた。仁美里はその表情を見て、唇をぎゅっと噛みしめた。
そして、ためらいを隠すように、仁美里は一度だけ鳳子の頬を強く叩いた。手のひらに伝わる衝撃を感じた瞬間、仁美里の目はわずかに揺れたが、すぐにそれを消し去るようにまっすぐ前を向いた。
「これで、罰は終わりよ」
村に静寂が戻り、桜の花びらが再びゆっくりと舞い降りてきた。鳳子の頬にはまだ赤い痕が残り、仁美里の手はわずかに震えたままだった。だが、仁美里はその震えを隠すように、堂々と立ち続けていた。村人たちは、彼女の一言で鳳子に対する怒りを収めたかのように、散り散りに解散していった。
しかし、その場で冷静に仁美里を見つめる人物が一人だけいた。村の神主であり、仁美里の父である男だ。彼は一言も発することなく、ただ静かにその場を見守っていた。
村人たちが散り始めても、神主は動かない。彼の目は鋭く、冷静さを保ちながらも、その奥底には怒りが秘められていた。怒りの表情は浮かべていないが、その重たい視線は、仁美里に鋭く突き刺さった。
仁美里は、その視線を感じ取った。村人たちに向けていた強い態度が、ふと揺らぐ。彼女は一瞬、神主の方を見つめ返した。
神主の目は、まるで全てを見通しているかのように仁美里を見据えていた。彼女の演舞の失敗、鳳子に対する罰、そして何よりも、あの日村を出たこと――全てを知っている。村人たちには悟られぬように冷静を装っていたが、仁美里は、父が怒りを隠していることを痛いほど理解していた。
仁美里は、何も言わずに父の目を見返した。彼女の瞳に浮かぶのは、恐れでも後悔でもない。ただ、これから訪れる罰に対する覚悟だけが、そこにはあった。
神主は、静かに仁美里に背を向けた。その背中が言葉なく伝えるのは、許しではなく、試練の予兆だった。仁美里は父が去っていく後ろ姿を見送りながら、胸の奥で冷たい重みを感じていた。
やがて、神主の姿が消えると、仁美里はその場に立ち尽くし、冷たい風が吹き抜ける村の空気を感じた。その風は、春のものとは思えないほど凍りつくように冷たかった。
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