コメンタリー:2.かつてその中には
2.かつてその中には
二話のタイトルは、一話冒頭の書き出しの文章が引用されています。この二話では「かつて」の部分が語られます。話の語り手(視点主)が誰であるのかは、WEB掲載版だと少し分かりづらかったかもなと読み返して感じました。しかし、仮に今ここで二話の語り手=一話に出てきた教会の男と繋がらなくても、読み進めるうちには分かることなのでまあいいか、と気楽に考えていたのでそのままにしたのだと思います。書籍版では全体が三人称視点になったこともあり、ここは分かりやすく修正されています。少し間を置いてから読むことで、客観的に見られるようになったのだと思います。
ここでは『ロクスブルギーの棺』が、かつて教会の男(ルー)の家に保管されていたこと、その当時は棺の中に美しい吸血鬼が眠っていたことが明らかになります。ひねくれ始めていた少年だった頃のルーが、父へのささやかな反発心からその棺を開けたことで、読者もようやくロクスブルギーと対面することになります。
美しい容姿を説明する文章というのは、いつも塩梅に苦労をする部分です。あまり仰々しく書きすぎても文章がくどくなってしまうし、かといって簡潔すぎると「並外れて美しい容姿である」という説得力が薄れてしまうような。どの程度容姿について詳細に描写するかということを今回も悩んだのですが、ロクスブルギーの容姿そのものは「美しく整っているが派手ではない」というイメージだったので、結局描写は簡潔めになりました。綺麗だ、と思ったルーの感想がすべてと言ってもいいかもしれません。「金糸銀糸で彩られた異国風の服」という描写がありますが、実はこの時のロクスブルギーはいわゆる洋装ではなく、現実でいうところの西アジアないし中東あたりの伝統衣装のような、立ち襟で裾の長い、露出の少ない服を着ています。これは棺が様々な人の手を渡り、遠くから運ばれてきたものだという雰囲気をそれとなく加えたかったためです。
この時のロクスブルギーの状態がどのようなものだったのか、ということについては「仮死状態」と説明するのが一番分かりやすいかもしれません。通常『吸血鬼』は人間のように規則正しい睡眠を必要としませんが、例えば長時間日光に晒されたり、肉体の損傷が激しかったり、極端に自分の血を失ったりしたような場合には、年単位で活動を停止して休眠することができます。特にロクスブルギーは肉体だけでなく、精神的にもかなり疲弊しており、自らの意志で棺――人間の死、永遠に眠りにつくときに入るもの――に納まり眠りにつくことを自ら望んだという経緯があるので、かなり深く永い休眠状態にありました。棺を開けられるようなことがなければ、もう何十年か眠ったままだったかもしれません。
こうしてルー少年は、棺の中の美しい吸血鬼に心を奪われます。疑り深い子供は吸血鬼が作り物なのではないかと思い不躾にもべたべたと触れるのですが、作り物ではないと意識していくたびに、何かいけないことをしているような気になったのだと思います。頬に触れるというのは、相当に親しくなければしないことですし、唇に触れることなどはおそらく恋人でもなければまずしないのではないかと思うので、そんなことも想像したのではないでしょうか。おませな坊やです。
ルーの父親はロクスブルギーについて、「茨の君」という呼び名を持つ高貴な存在であると語っています。これはロクスブルギーが吸血鬼の中でも特別強力な個体のひとりであることや、彼がかつて吸血鬼の治めていた国において、領地を治める王のひとりであったという設定があるためです。この物語の中ではそれほど重要な情報ではないため、全てを書かずにそうした立場にあったということを大まかに伝聞されているものとして表現しています。
しかし何故、ロクスブルギーの名前と素性が棺と共に語り継がれているのでしょうか。それは最初に彼の素性を知る人間――即ち彼が棺に入り眠るところを見届けた人が、その逸話と共に棺を手放したからに他なりません。それに対してロクスブルギーがどのような感情を持っているのかは、また別の機会に語ることになるでしょう。
しばらくの間、休眠中のロクスブルギーとルー少年の会話無き交流の日々が続きます。前述のとおり仮死状態のようになっていたロクスブルギーですが、頻繁に棺を開けて声をかけられることで、意識だけはうっすらと覚醒していきました。この時点で本人に起きようという気はなかったので、眠りながら意識の傍らでルーの声だけを聞いているような形です。
ルー少年は取り留めのない様々な話を、応えのない吸血鬼にし続けます。このとき既にルーの母親はこの世を去っており、父親はその悲しみから逃れるように仕事をし、その傍ら趣味に没頭してしまいます。また父親が奇妙なもの(夜鬼の遺物など)を蒐集している噂などが、この親子を緩やかに周囲から孤立させていきました。眠り続けている吸血鬼は、返答がない代わりに離れていくこともなかったため、孤独な少年は次第に吸血鬼を心の拠り所にしていきました。そうして次第に、一方的ではない話がしたい、仲良くなりたいと願うようになり、自らの名前を伝えます。自分だけがロクスブルギーの名前を知っているという状態は、「友人」という観点から言えば不平等だと考えたのです。
棺に彫り込まれた薔薇を撫でるシーンは、個人的に気に入っている場面です。作中に何度か出てくるのですが、その時々でルーが何を思いながら触れていたのかを考えてみるのも面白いかもしれません。そこは明確にこうだという答えを用意していない、余白の部分になります。しかしどんな感情であっても、そこには何かしらの愛情が込められていることは間違いないでしょう。そのように伝わっていれば良いなと、筆者としては思うのでありました。
(3話コメンタリーにつづく!)
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