第十夜 誘蛾灯とみる夢

 ライブが好きだ。生きてるってかんじがする。
 汗だくになって飛んで跳ねて走り回って、まばゆいスポットライトと歓声を浴びて、声が涸れるまでファンへの愛を叫んで。命を削るように。星が燃えるように。
 ああ生まれてきてよかったと、ここが自分の居場所だと、何の疑いもなくそう思えたならその瞬間に死んだって構わない。けれどそれは、まだだ。なまじっかアイドルとして生きて、一度はぼろきれみたいに汚れて死んで、仲間の手で墓の下から引きずり出されて何の因果かまだ、俺はアイドルだ。
 アイドルでい続ける理由がある。
 それはたくさんの星々の中から俺を見つけてくれたファンのため。この広大な宇宙で頼りない光を放つちっぽけな六等星を、掌で掬い上げて綺麗だねなんて言ってくれた奇特な奴ら。決して趣味が良いとは言えねェな。けれどそんな人達には、俺らを見て笑ってほしいと願う。
 それは最近になって増えた、幸せでいてほしい奴らのため。全員が全員社会生活がド下手くそで笑っちまうけど、それでもあいつらは世界と関わることを諦めない。幕が開く前の暗いステージ袖で、フットライトの微かな灯りを反射して静かに光るおまえらの目が、『アイドル・天城燐音』の導火線に火を点けるのだ。
 それはたったひとりの弟のため。何でも難しく考える悪癖のある俺よりもずうっと利口で馬鹿な、可愛い一彩。俺をアイドルにしてくれてありがとうな。おまえに憧れてもらえる背中を見せ続けることも、今の兄ちゃんの目標なンだぜ。
 それは他でもない、俺自身のため。あるいは俺の夢のため。つまるところ俺は、随分昔からアイドルに恋をしている。裏切られても、突き放されても、踏みにじられても、愛している。一生懸命愛しても愛されないことだってあると、知っている。虹彩を突き抜けて網膜を焼く強い輝き。その光に囚われたまま、もうずっと、焦がれている。



 終演後のライブハウスは作り物めいた静けさで満たされている。あれほど騒がしく鳴っていたBGMもお客の話し声も潮が引くように遠ざかり、夜通し続くかと思われた乱痴気騒ぎは邯鄲の夢だったと知る。
 音楽特区にある半地下のライブハウス、出演者に宛がわれた何てことのない控室。そう広くもない室内に響くのはふたり分の息遣いだけだった。
「……、は、っ……ん」
 甘い息を吐き出したメルメルはそっぽを向いた顔を腕で隠してしまっている。その態度は頑なで、ユニット衣装のまま背中からソファに倒してまぐわう間、一度も顔を見せないつもりなのかもしれない。冷たい蛍光灯に見下ろされながらヤるのは、確かにちょっと落ち着かねェけどさ。
「手ェ、退けろ」
「っやだ、天城」
 手首を掴んだ手を弱々しい抵抗で解かれる。
「なんで」
「なんで、じゃ、ない……っ」
「なんで、〝なんでじゃない〟なの。言ってくンなきゃわかんねェ」
 なんて、我ながら意地が悪い。
 ついさっき解かれて放り出された手で細い手首を辿れば緩く閉じられた掌に行き着く。わざといやらしい手付きで指を一本摘まんでは開いて、その動作をゆっくり五回繰り返す。花が綻ぶみたいに開いた右手にこちらの左手を重ねて、長い指の間に自分のそれを滑り込ませた。そうしてきゅっと握り込めばメルメルの右手の操縦権はもう俺のもの、顔の上から退かすのも容易だ。
「このっ、ぅあ!」
 なおも顔を背け続けるクソガキを躾けるべく、すかさずナカに埋めたままの熱の塊で内側を掻き回してやる。突然のことに素直な身体は大きく跳ね、腰が浮いた。
「きゃは♡ 今俺っちが挿入ってンの忘れてたっしょ? いけねェなァ~」
「んっあ、う♡ ン♡ ぃや、だっ、て」
「メルメルはさァ、なんかに気ィ取られっとそれしか見えなくなっちまうよなァ。視野狭窄、良くねェぜ~? 三百六十度、全体を見通さねェと足元を掬われちまう」
「うっさ、い、こんな時にっ」
「こんな時に、何? お説教は勘弁? それとも、」
「んうッ♡」
 俺がピストンをぴたりと止めたのはメルメルにとっては想定外。目を白黒させる彼に、ぐっと屈んで近付く。お辞儀でもするように上体を曲げ、半端に投げ出されてた脚を折り畳んだら、ナカで角度が変わってイイところに当たったらしい。激レアな可愛い声が聞けた。
「それとも――こうやってセックスしてる時くらいは、愛の言葉でも欲しいっての?」
 鼻先が当たりそうな距離でそんな風に揶揄うと、ただでさえ上気していた頬にカッと赤みがさした。
「――ッ、な、わけ、」
「ねェっしょ、ぎゃはは!」
「ふ、うう♡ きゅ、に動かな、で、くださ」
 奥を貫く衝撃に合わせて途切れ途切れに上がる抗議の声は、俺の耳には入らない。言葉のあやでも〝こんな時に〟と確かに抜かしたこの男の、本心に少しだけ触れた気がした。俺の問い掛けにほんの僅か言葉を詰まらせたおまえに、期待しちゃいたいンだけど、どうよ?
「っ、も、やめろと、言っ、て」
「バァカやめねェよ、おめェの下の口はこ~んなに、俺っちのこと欲しがってンだか、らっ」
「ひゃめっ、ア、ひ♡」
「ハッ……やっと顔、こっち向けたなァ? メルメル♡」
 勝ちを確信して舌なめずりをした俺を、天邪鬼な彼の後孔がきゅうと、いたく正直に締め付けた。
 俺とHiMERUは時々こうして身体を重ねる。
 それは世に言う愛の交歓だとか、互いの気持ちを確かめる儀式だとか、そんなお綺麗な文脈からはすぽんと外れた、まるで意味を成さない行為だ。
 はじめは好奇心。二度目は子どもじみた競争心。三度目はノリ。四度目は――もう忘れた。今日みたいにライブの熱気に当てられて控室でなし崩しに致すことも、酔った勢いで手を出すことも何度かあった。誘うのは決まって俺から。俺もおまえも何の情もない、いろんな欲をただ吐き出してぶつけるだけの、喧嘩紛いの無茶苦茶なセックス。その先はどん詰まりだ、何もありゃしない。ンなこと俺もこいつもきっと、理解している。それで良いと思っていた。それが自分達らしいと。
(……の、はずだったンだけどなァ)
 ままならないもので、いつしかこいつと肌を合わせる行為は意味を持ってしまっていた。例えばこいつの匂いは俺にとっちゃ精神安定剤みたいなモン。共につくる空気は緊張を解いて安らぐための一種のお薬、確実に変容していく俺らの距離。こんなはずじゃなかった、過ちを犯した奴は決まってそう言う。顧みて気付いた時にはもう泥沼だ。
「前からと後ろから、どっちでイきたい?」
「――ッ、う、しろ」
「はいはい、前からな」
「ば、ッかじゃないですか、ぁんっ♡」
 ゆるゆると腰を動かしながら、衣装の黒いインナーを押し上げるふたつの突起に目を留める。今日はまだ触ってもいねェはずだが、その場所はすっかり気持ちイイことを知り、ひとりでに硬くなることを覚えたのだろうか。
「フフ、メルメル、乳首カワイ~♡」
「きゃうッ⁉ ァ、だっめ、れす♡」
 爪の先で軽く弾くと、やはりそこはしっかりと芯を持っていた。律動を止めないままに服の上から小さな突起をいじくり倒す。布をぴんと引っ張って先端を擦るように左右に動かせば、メルメルは引き攣った声を上げて悦んだ。俺が教えた愉悦を覚え込んだ身体。エッチなことなんかなァんにも知らなかったいい子ちゃんが、今じゃ俺の与える快楽にこんなにも従順だ。腹の奥底の嗜虐心が疼く。こいつを可愛がるなって言う方が無茶っしょ。
「どーお、気持ちい?」
 まだ胸に直接触れたわけじゃない。それでも布が擦れる刺激と同時にナカへ叩き込まれる強烈な快感に、彼は後頭部をソファに擦り付けて感じ入っていた。
「あまぎ、あまぎっ♡ さわっ、て」
 いい加減焦れたらしいメルメルが自由な両手で俺のうなじを引き寄せる。
「うんとやらしいキスしてくれたら、良いぜ」
 挑発的に片眉を跳ね上げる。奴はその挑発に、乗った。
 はじめ俺達に必要なかった唇を合わせる行為が、常習化したのはいつからだったか。実を言うと俺はあまりキスが好きじゃない。なんつーか、勘違いするから。割り切った関係ならキスはしない主義だ。
 あれほどたどたどしかったメルメルは繰り返すうちにキスにハマっちまったようだった。人間は学習する生き物。おかしな負けず嫌いまで発揮して、今じゃリードまでしてくれやがる。俺の舌を口内に迎え入れたら吸って舐めて擽って、最上級のおもてなしを披露してくれる。舌を絡ませつつ両耳を手で覆われると、互いの口ン中で混ざった唾液が奏でるぢゅぷ、とかくちゅ、とかいう卑猥な音が脳髄まで響いて馬鹿になりそうな気がする。
「は、おまえほんっと、キス好きだよなァ」
「噛み千切りますよ、あんたのっ、舌」
 合間の息継ぎと併せて憎まれ口を叩く余裕はあるらしい。鉄壁の理性を突っついて崩すのは俺の役割だ。
 背中の下に手を差し入れて繋がったまま半身を起こさせれば、丁度目の前がこいつの胸だ。脱がせるのは面倒だからと雑に捲ったインナーを口に咥えさせ、美味そうな乳首にかぷりと齧り付いた。
「んんん♡ んい、ッン♡ いうう♡」
「んふ……きもひいっしょ? イった? すっげェきゅんきゅんしてる、おまえのナカ。精液飲まして欲しいの?」
 シラフならぶん殴られること必至の明け透けな言葉で指摘しても反撃はなく、潤んだ金色の目が揺れるだけ。鉄壁も俺にかかりゃこんなモン。
 ……とまあ苛めンのはこのくらいにして、俺の方もそろそろやばい。もうこいつの足腰は使い物にならないようなので、対面座位で繰り返し突き上げる。この体位は深くハマりすぎて嫌だと以前泣きながら拒否られた記憶があるが、ここまできてブレーキが利くわけがない。
「メルメル、っ、あは、おまえずっとイッて、る? すンごい、締まる……ッ」
「あ~♡ イッて、りゅ♡ ずっとイッ、むりっ♡ も、むりぃ、ほんとにこわれる♡ ゃ、あ~~ッ♡」
 ばちんばちんと腰を叩き付ける痛みはじんと甘い痺れに変わる。イきたい。足りない。もっとと求める気持ちに身体がついていかない。
「あ~クソ、出そ、メルメル、」
「り、んね……っ」
 もう駄目だと思った。名前を呼ぶ声が、ぐずぐずのグレーズみたいに蕩けてて、甘ったるくて。それは愛とか恋とか、俺達からすればお伽話じみた遠い世界の代物にくっ付いてくるモンじゃなかったか。
「りんねっ、りんね、なかに」
「言う、な」
「だして、」
 ――ああ、ずりィなおまえは。だって俺は、おまえの名前も知らない。心臓をぎゅうぎゅう締め付けるこの痛みはおまえに返してやれない。
「てめ……覚えてろ、よ、ッ」
 今の俺に出来ンのは噛ませ犬みてェなダセェ捨て台詞を吐くことだけだ、悔しいけれど。



 なんとなく帰る気になれずに雪崩れ込んだラブホのベッドの上。未だ呼吸の整いきらないメルメルが天井を向いたまま、ずりずりと移動して俺の二の腕に頭を乗っけた。事後のこいつは当社比で懐っこくて可愛い。
「おまえの夢を見た」
 水色の頭がずれて裸の胸に擦り寄る。
「おまえとセックスする夢を、毎晩見てンだ。もう九日になる。だからこれも、もしかしたら俺の夢なんじゃないかって――思ってる」
「――。どこからが、夢だと?」
「ライブしてたとこから、ずっと夢かもって。なんかすげェ満たされてンだもん今。幸せなの、俺」
「……」
「だから、ああ、夢かァって。……夢じゃん?」
「あなたが無条件に幸せを享受する世界がリアルなわけがない、と? 馬鹿なことを言う」
 眠たそうな眼差しがこちらを見上げる。それからまたずりずりとシーツを這いずって、メルメルは俺の頭を胸に抱き締めるとゆっくりと瞼を下ろした。
「……あなたは……愛されていますよ、ちゃんと。椎名にも。桜河にも。家族にも――勿論、ファンにもね」
 俺っちは掌で顔を覆って唸る。
「おっまえ」
「――何か不満が?」
「おまえに、愛されたい」
 言えば隠れていた金色がふたつ、「え」と言って瞬いた。いつもそう、言ってから気付く。とんでもねェことをしでかしたンじゃねェの、俺? もうどうにでもしてくれ。
 俺を突き飛ばすかと思われたその手は、けれどそっと背中に回された。穏やかな声音と体温が俺を包む。
「――夢の中では、俺に愛されていたのですか」
「おう……そのパターンもあったな」
「醒めたくないと、思いましたか? その夢から」
「んー、いや、それはねェっしょ。いろんな仕事だったり学生だったりやったけど、俺はアイドルが良い」
「俺に――愛されない世界だとしても?」
 淡々と投げられる問に、冷やかしの意図は感じられなかった。その瞳はいつの間にか真っ直ぐ俺を見ている。
「……。だな。俺はアイドルを切り捨てられねェ」
「そう、ですか。あなたらしいです」
 ふわりとほどける金色。抱き締められながら、その色のあたたかさに泣きたくなった。彼は続ける。
「――俺も、あなたの夢を見たのですよ。あなたとセックスをする、夢を」
「……マジ?」
「墓まで持って行くつもりでいましたけれど……気が変わりました。一度しか言わないのですよ、俺は夢で俺を抱いていた非の打ち所のない燐音よりも、今夜俺を抱いた駄目でクズで臆病者の、アイドルの天城燐音がいい」
 俺は瞠目する。それってつまりどういうことなンだよ。
「も……っとわかりやすく言って」
「一度しか言わないと言ったでしょう、馬鹿なんですか。好きですよ」
「~~~っおまえなんでそんなカッコイイの……」
 ああそうか、俺もおまえも、とっくに引き返せないとこまで来てたンだな。今更アイドルでいる以外の人生なんか選択出来ねェし、アイドルのおまえに惚れ込んだ。そしてあわよくばアイドルの俺を見て、愛してほしい。
「おまえに愛してもらえるように、頑張る……から」
 だから、もう一回ヤろうぜ。耳に唇をくっ付けて直に吹き込めば、「本当に馬鹿か。明日も仕事なのですよ」とごもっともなことを言われた。
「なァ、良いっしょ? 今度はとびきり甘いキスしてやるから。来いよ、欲しがれ、俺を」
「……偉っそうに」
 瞬間、その明るい色の瞳が熱を帯びて嬉しそうに細められたのを、目敏い俺は見逃したりしない。



 目も眩むばかりの光に誘われて、愚かしくもここまで来た。近付けば身を焼かれる、それでも俺は幾度も、そこへ飛び込むことを選ぶのだろう。命を削るように。星が燃えるように。
 瞼の裏に焼き付いた、あいつの瞳と同じ色をした光の海が、風にそよぐ稲穂みたいに煌めいて揺れていた。
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