第×夜(故郷で君主を世襲した燐音さま×HiMERU)

 こんな夢を見た。 
 
 俺はだだっ広い座敷のど真ん中に正座していた。
 この時点で直感的に〝夢だ〟と思った。なんだか現実味がなかったからだ。部屋をぐるりと見渡すと視界の端の方が薄ぼんやりとしているし、音や匂いといった感覚も遠い。気がする。そんな中、板の間と尻との間に挟まれ血流が滞った可哀想な足の、じんじん痺れる痛みだけがいやにリアルだった。 
「よォ」
 すっと引き戸が開いて、男が姿を現した。気安い挨拶を投げて寄越したのはよく見知った人間。天城燐音だ。 
「――夢ですね」 
「何だって?」 
「いえ、こちらの話です」 
 彼は自分の知る天城よりも少し大人びて見えた。歳は二十五、六だろうか――今でも『Crazy:B』のメンバーの中で一番男っぽいけれど、更にガタイが良くなったし精悍さも増したようだ。いつものヘアバンドではなく濃紺の布を頭に巻いて、赤いラインが印象的な民族衣装風の衣服を身に纏った天城燐音。俺に向けられる瞳は風のない日の穏やかな海面にも似て、しんと凪いでいる。 
 ――何だろう、知っているのに、知らない。こんな天城は知らない。握り締めた掌がじわりと湿って、脈拍が忙しなくなる。体温が上がる。夢なのに? 
「そんなに見つめて、どうした?」 
 対面に腰を下ろした天城がそう言って少し笑った。俺が座っている板の間よりも一段高くて立派な、例えるならばそう、王さまが座るような席に当たり前に坐した男が嘯く。 
「俺に見惚れてた?」 
「は、違う」 
「ま、久しぶりだもんなァ。別に見られンのが嫌なわけじゃねェし、構わねェよ。なァHiMERU」 
「っ、」 
 動揺を押し隠して唇を噛んだ。すっかり牙も毒も抜けた柔らかい表情で微笑まれると調子が狂う。 
 さて、一旦状況を整理したい。まずここは夢の中である。そしてこいつは数年後の、恐らくアイドルを辞め故郷に帰り『君主』とやらを世襲した天城燐音なのだろう――使用人らしき人々から〝燐音さま〟と呼ばれ応じる姿が随分堂に入っている。それからこいつは俺を〝メルメル〟と呼ばない。何というかそう……ちゃんとしている。天城なのにちゃんとしているのだ。 
「で、心は決まったか?」 
「――何がです?」 
「オイオイとぼけンなよ、俺に嫁ぐためにここへ来たンだろ? おまえがアイドル辞めるって聞いた時は流石に驚いたぜ」 
「はいぃ?」 
 耳を疑うフレーズに思わず声が裏返った。あ、今、ファンに見せられない顔してた。まあここにはこの男しかいないから良いのだが。しかし夢とは言え突拍子もないな。 
「……そういうことになっているのですか?」 
「今質問してンのは俺」 
「えーっと、いや、失礼。そういうことになっているなら良いのです、そういうことにしておきましょう」 
「さっきから何言ってンの? やっとプロポーズ受ける気になってくれたンだよな?」 
 天城は混乱しているがそれはそれ。これは俺の夢だから放っておく。突拍子もないことが続くのは仕方ないことと割り切るしかない、ここは自分の順応力が高いことに感謝しておこう。アドリブ(無茶振りとも言う)の多い『ユニット』に所属していると滅多なことでは驚かなくなる。 
 そう考えた俺はしかし、直後の発言で板の間にひっくり返ることとなる。 
「じゃ、同衾するかァ~」 
「何て?」 
「|夫婦《めおと》になって初めての夜だぜ。やることやるに決まってンだろ」 
 「ってワケだから着替えろ」と腕を取られ、部屋の外で待つ召使いの元へ導かれる。待て待て展開が早すぎやしないか。戸が閉まるぎりぎりまで、奴はへらりと笑って手を振っていた。 



 白い着物に着替えた俺は如何にも閨ですといった趣の部屋へと案内された。幾重にも吊るされた帳の奥に人影がある。先に天城が待っているようだった。 
「――失礼します」 
「お、なンだよしおらしいな。おまえらしくもねェ」 
 ふは、と肩を揺らすそいつに、やはりペースを乱される。俺の知らない天城燐音に。 
 彼が胡坐をかく布団に自分も静かに腰を下ろした。これが所謂明晰夢というやつなら、夢の中での行動は好きに出来るはず。逃げ出すことだって出来たはずなのだ。でもなんとなく、この天城がどんな風に俺を抱くのかが気になった。現実でも時々事故みたいに肌を重ね合わせることのある『あいつ』と今対面している『こいつ』は間違いなく同一人物なのだけれど、何かが決定的に違う。その|何か《・・》を知りたかった。 
 同様に白い着物を身に着けた天城の下りた前髪の隙間から碧色がこちらを伺うように覗く。しおらしいのはどっちだ、と口から出そうになった。いつだって強引に、時に乱暴に手を伸ばしてくる癖に。 
「……っ」 
 なのに今俺に触れる手は、ひどく優しい。その上いつもと違ってスマートだ。頬をひと撫でしてから耳を掠めて項に回された左手、そっと顎に添えられた右手、完璧なエスコート。この後に何をされるかなんて考えなくともわかる、もう何度あんたとセックスしたと思ってるんだ。 
「……、……?」 
 キスされる。目を瞑って身構えて数秒待ってみても、唇はおろか体温すら近づく予感がない。訝しく思って恐る恐る瞼を持ち上げてみれば、眉をハの字にして困ったように笑む男の顔がほんの数センチ先にあった。 
「嫌?」 
「え」 
「嫌ならやめる」 
 赤い髪と同じ色の睫毛に縁取られた碧が、憂いを帯びて深い色に沈んだ。俺は慌てた。そんな顔を、させたいわけじゃなかった。 
 ――そうだ、この男は本当は人一倍繊細で傷付きやすくて、心優しいのだ。 
「あまぎ、あの」 
「ん?」 
「嫌じゃない、です、から。……続きを」 
「……そ? 無理してねェか?」 
 無言で首を振る。無理はしている。ちゃんとした大人の天城にドギマギして緊張しているだなんて言えるわけがない。まともに君主さまを務めている天城燐音が、こんなに格好良いなんて。 
 ふっと息だけで笑った気配がした。背中に手が添えられ、反対の手で肩を押され丁寧に布団に倒される。それから彼が俺に覆い被さって―― 
「……ふう」 
 ――来なかった。彼は俺を寝かせた隣にぼすんと身を投げ出したのだ。 
「なんで、」 
「だァっておまえガチガチ。そんなんじゃ入るモンも入ンねェっての! フフ、いーよ俺は、待てるから」 
 寝返りを打ってこちらに身体を向けた男の両腕に囲われる。身に馴染んだ温もりと、嗅ぎ慣れないお香の香りがした。 
「おまえを抱き締めて眠るだけでも満たされるよ。構わないか?」 
「そん、えっ、なんで……天城なら、HiMERUが無理でも手前勝手に手を出してくるはず」 
「あ~うん、ガキだったなァ俺も。その節はスミマセンデシタ」 
「あっう、謝らないでください……!」 
「あはは、そうだなァ。今更謝っても遅ェか」 
 違う、そうじゃなくて。そんな風に謝られたら、現在の自分達は『間違っている』と認めなければならないじゃないか。 
 勿論始まりは仕様もない好奇心で、それ以来ずるずると続いてしまっている奇妙な関係は、とても褒められたものではないと知っているけれど。それでも最近は、ちゃんとあの男を認めているのだ。ステージの上で『HiMERU』と対等に並び立てるあいつを。魂そのものを燃やすみたいに、持てるぜんぶをアイドルに注ぐあいつを、好ましく思っている。 
 それが愛とか恋とか呼べる代物かはまだわからないけれど、傍にいたい。あいつが命を燃やした後の残り火をぶつけられるのは悪い気分じゃない。その熱を一番近くで受け止める権利は、他の誰にも譲りたくないと思う。それじゃ駄目か。それだけではまだ、これからも彼の隣に在ることを望んではいけないのか。 
「……HiMERU」 
「――はい」 
「やっぱ俺じゃ駄目みてェだなァ」 
「え……?」 
 俺の瞳を覗き込んだまま静かに言葉を紡いでいく唇が、動いた。 
「戻れよ」 
「もど……、あ」 
 顔を上げた俺は、抱き締める天城の肩越しの風景が白い光に包まれ始めていることに気が付いた。夢から覚める予兆だ。もう一度男の顔に視線を戻す。 
「あなたは……いい男すぎます。天城にしては」 
「え~? 俺だってやる時ゃやるっつーの。君主さまがしっかりしてなきゃ民が路頭に迷っちまうだろ」 
「ええ、立派だと思いますよ……本当に。あなたの故郷の方々は幸せですね」 
 白い光は次第にその範囲を広げていた。もうすぐだ。彼は少しだけ拗ねたような顔をして、「本当に行っちまうの?」と零した。 
「そっちの俺より、俺の方がおまえを幸せにしてやれると思うンですけど?」 
「ふふ、そうかもしれませんね。でもあれはあれで良い所があるのですよ、あなたならご存じでしょう」 
「……まァな~。放っとけねェよな、『俺っち』は」 
 〝何かが違う〟と感じた彼は、よく知っている顔で屈託なく笑った。この男は何も違ってなどいなかった、ただアイドルじゃなかっただけだ。俺が大事にしたいと思っているのは『アイドル・天城燐音』なのだ。非の打ち所のない君主さまとは程遠いどうしようもない男でも、楽屋で性急に事に及ぼうとしたせいでそこらにぶつけた痣が痛んでも、ライブ会場の熱気で溶け出したようなギラギラした瞳で見つめられたら、もう降伏するほかないのだ。 
 俺は目をしっかり開いて天城を見た。 
「あなたは俺がいなくても大丈夫、『あれ』は――まだ俺がいてやらないと駄目なのですよ」 
 そう言い終わるか終わらないかのうちに、アラームの規則正しいリズムが俺を夢の波間から引っ張り上げた。





「……」 
 おかしな夢を見た。 
 目を擦りこすりスケジュールを確認する。今夜は音楽特区のライブハウスを借りてのワンマンだ。体調は万全、肌艶も良い。珈琲を淹れてお馴染みの情報番組を眺める毎朝のルーティンをこなしながら、今朝はいつもと違うことがひとつ。なんだか無性に、あのいけ好かないリーダーの顔が見たかった。





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