壱
【各本丸。各審神者へ伝達。至急確認されたし】
そんな通達があってから、その本丸の審神者と初期刀は「その日が来るまで」何も変わらない日々を過ごした。
いつか来る終わりであり、望んでいたことである。誰もがそれを望み、願い――そして夢を見ていたのだから。
広間に集められた刀達は初期刀と並び座っている審神者の姿に緊張感が走っていた。何が始まるのか……何を告げられるのだろうか。
それぞれ顔を見合せている者や、静かに待っている者様々である。
「皆、集まってもらってありがとう」
乱れていた空気感が、審神者の一言でしんと静まりかえった。刀達の顔を見渡し、審神者はゆっくりと話し始める為に佇まいを改めて背筋を伸ばす。そして隣に居る初期刀は気遣うように審神者を見詰めていた。
始まりの一振として、ここまでの大所帯になるまでを共に歴史修正主義者である時間遡行軍と戦い、唯一の「人」であり「総責任者」の審神者を傍で支えてきた。
それは一種の家族愛であり親愛となり、十八という若さで百振りも越える刀達の「主」をまるで我が子のように審神者は愛してきた。
だからこそ、初期刀である彼は|十年以上も《・・・・・》審神者をしてきた主に同情した。
「今日は皆に伝える事があります。政府からついに……この時が来ました」
言葉を切ってもう一度広間に集まった刀達一振一振の顔を見て、そしてふわりと優しく微笑んでとてもそれは幸せな事だと審神者は表情で教えてくれる。
――ついに今日、私達の役目は終わりを迎えます。
ざわめきと、戸惑いと、喜び。
我々の歴史は守られたのだ。そう小さいながらも言葉が交わされ、審神者は嬉しそうに皆の顔を見渡して隣の初期刀に今後の説明を頼もうと視線を合わせて頷く。
後の説明を任された初期刀は頷き返し今後についてを説明し始めた。
――
――――
自室で一息ついて、審神者は残りの一週間の予定を考えた。処理する内容のものと、本丸……刀達の今後について。そして……自分について。
通達が来た五日前、厳重に封がされていたそれを見て緊張が走ったのを今でも覚えている。
「……あの時は本当に肝が冷えた心地だったなぁ」
ぼそり。誰に言うでもなく言葉をこぼして、審神者は困った顔をする。政府から届いた手紙は、律儀に審神者本人と初期刀が読んだのを確認すると即座に砂になって消えてしまったのだから。
――歴史は守られた。各本丸、各審神者は所持している刀剣男士を刀解・破壊・寄付のいずれかを選び、審神者としての任を完了せよ。
また、やむを得ない事情で刀剣男士を所持する場合は届出が必須となる。詳細については管狐から追って確認するように。
尚、任を完了された審神者から順に|経過する為《・・・・・》留意されたし。
思い出せる範囲で頭の中で内容を反芻し、思わず大きな溜め息が出てしまう。確かに望んでいた事ではある。だがあまりにも急な事で思考が追い付いていないのも確かだ。
少し前までは普通に出陣もしていたし、戦ってもいた。そして通達が来てから、皆に告げる日まで出陣し、戦略を練り、歴史を守り続けた。男士達からしたら突然なのだから驚きもするだろうし、戸惑いも当然だっただろう。
それでも、そうしないといけない理由が審神者にはあるのだと気付いていたし、分かってもいた。
「……ふぅ」
一人しかいない部屋で大きな溜め息をまた零してしまう。当たり前だった日常が終わりを告げ、明日から貴方はただの一般人になりますよ、なんて言われて納得出来る人がいたら……確実に人の心が無いのかもしれない。
歴史を守る事は未来を守るということ。戦うことは意味のある事であり、審神者もこの命が尽きるまで戦うのだと覚悟していた。
事実、審神者の本丸は何代も審神者が代替わりをしてきたのである。その今代の審神者で五代目なのだ。
審神者になってから代替わり後に残る刀剣男士も居るが、殆どは主の元へ行くか、政府の男士として残る者が居る。勿論、男士の意思を尊重したいと思った今代の審神者は選択肢を与えた。
すると殆どの男士は先代の審神者の元へ行きたい、政府に所属する者ばかりだった為、本丸はそのままではあったが仕事内容や、本丸で受け継がれてきた物語――またの名を本丸の歩んできた、記録されてきた歴史とも言うだろう――はそのままとなっている。
だからこそ、膨大に残っているものを完了させる為には時間が必要だったのだ。そしてひと段落した今だからこそ、審神者は自分の愛する我が子のような男士達に告げる事が出来たのだから。
「主」
トントン、と襖が控えめに叩かれる音がした後、審神者から入室の許可を貰えるとゆっくりと開かれる。そして現れた刀に審神者は予想もしてなかったという驚きの表情をした。
接点が少なかったわけでも、関わりが無かった訳でもない。だからと言ってそこまで多くの時間の中で積極的な存在では無いと言うことは性格的にも把握していた。
刀は皆、審神者の力によって顕現し戦ってきた。歴史を守り、未来を守るため。
美術品として展示されている刀剣達は、振るってもらえる、使って貰える事を喜びとしている。また、その中でも奉納された刀としてのみで、戦場に出たことがほとんど無い刀も勿論いた。
実在していたのか、していなかったのか。刀にとっての歴史とは明確でありながらも曖昧だったりもする。だからこそ審神者は背景を見るのではなく、自身と向き合ってくれている刀達の今を見つめた。
彼等一振一振と付き合っていきながら歴史を守り、そして何を感じて何を思って過ごしているのかと考えてきた。少しでも良い主と思って貰えるように、気持ち良く過ごして貰えるように。
決して浅くない関係、されどあくまで彼等は付喪神。深く関わりを持ち過ぎないよう細心の注意を払ってきたつもりである。――初期刀を除いて。
初期刀は本丸の要である審神者を一番傍で守りながら支えていく存在。例え前審神者より引き継ぎを行ったとて、一番に心を預けられる存在が必要不可欠である。
初期刀は審神者の名を知る事が許されている。最終権限を持つ審神者の代理も時には務める事も出来るのだ。そして……管狐より政府からの報せを受け取る事も。
審神者に何かあれば、その全ての権限を行使できるのが初期刀の務めでもある。その為、審神者の自室には初期刀と、当番制で近侍となった刀以外は殆ど訪れたりしないのだ。
だからこそ、当番でも無ければ呼び出した訳でもない刀が部屋に訪れて来た事は……審神者になってから記憶にある限りだと無いに等しい。
「――太郎太刀さん? どうかされたんですか?」
珍しいですね、と言葉に含ませながら向かい側にどうぞと指し示すも部屋に入らずその場に座り、動かずに審神者へと視線を向ける。なかなか話し出さず動かない太郎太刀に無理強いはせず、審神者はどうしたのかともう一度問い質した。
まるでその時間が長いと思えるのではと感じた時、ようやっとの事で太郎太刀は口を開いた。
「我々の主ではなくなる以上、有事に備えて一振だけでも共に現世へ連れて行くべきではと感じます」
「……それは何故ですか?」
「主はまだ未成年です。例え政府の計らいで生活が出来るとしても、それはあくまで場所提供のみ。今後何が起こるか分かりません」
「であれば初期刀の彼を選びます。それであれば皆安心ですし、良いでしょう?」
付かず離れず、適切な距離で会話をする。あくまでも刀と主として、彼の進言してくれた言葉に頷きながらもこうしていつもりだと提案していく。
確かに、やむを得ない事情であれば届出を出せば許されるだろう。流石の政府も未来、世界の為に尽力し、時間を消費してきた審神者を無下にはできまい。
聞くところによれば、審神者と男士が恋仲であったり婚姻を結んだりもしている本丸もあるようだ。案外、そこまで厳格な関係性でなくても良いのかもしれない。
時間も生死も共に過ごす主従関係でありながらも仲間であるのだから、例え付喪神であれど情も湧くというものである。
しかし審神者自身はそれは自分の身を危険に晒すことと考えていた。
理由は至極簡単な話。たった一振へ傾倒してしまっては、付喪神である刀達にとって平等に扱ってくれなくなると考えてしまうだろうと思ったからだ。今ここにいるのは死ぬまで審神者として仕事をしている、刀剣男士を使役しているただの力のあるだけの人間なのだから、と。
心が動こうと、孤独で泣きそうになりながらも、それでも「そうあるべきなのが審神者である」と自分を奮い立たせた。そうしなければ、自分の価値が崩れてしまうだろうと恐れた。
審神者の言葉を聞き、太郎太刀はそっと目を伏せる。「それも選択肢としては間違っていません」と言うと同時に、太郎太刀の背後からもう一振が我慢ならないと言った様子で顔を出してきた。
「もー! 兄貴さあ、素直に言ったらどうなの!」
「じ、次郎太刀さん? いつのまに……」
ぷくぷくと頬を膨らませ現れた次郎太刀は太郎太刀を指差してハッキリと「兄貴は主と共に行きたいって言ってるんだよ!」と伝えてくれる。
これもまた予想外過ぎて、審神者はぽかんとした顔になってしまう。何故、太郎太刀は自分と共に現世へ行きたいのだろう。一番最初の疑問はどうしてもそこだろう。驚きで固まっている審神者にお構い無しに次郎太刀は言葉を続けていく。
「兄貴ってば、他の皆の前では平気そうにしてたけどさぁ。毎分主は本当に大丈夫なのかどうかばーっかりアタシに聞くんだよ? だったら着いていけばいいじゃん、って言ってもそこで渋るし!」
「は、はぁ……」
「だからさ、直接言いに行けばいいって伝えたら……」
「こうなった、と……?」
「そういうこと!」と腰に手を当てて、にっこりと微笑む次郎太刀に、審神者はまたしても空返事をしてしまう。
そういう事とはどういう事だ。そもそもそんなことを言えばここの本丸の刀達は皆そう思ってるに違いない。どれだけ適切な距離で接していても、情は湧いてしまうものだから。
刀達にとって主とは唯一無二であり、仕える相手である。そんな主に着いて行きたいと思う刀は多いはず。しかしその中でも、次郎太刀が太郎太刀にこうして背中を押し、審神者にも進言しに来た。……自分は着いていくとは言わずに、だ。
だからこそ審神者は他の意味でも驚きを隠せないでいた。きっと刀達には刀達としての、主である自分との距離感を今この瞬間に考えているのか、と。
今まで接してきて、当たり前だった日常から百八十度変わろうとしている。今後の関わりも、接し方も……そして環境でさえも。全てが丸っきりと変わっていくのだ。
「え、あ、主……?」
「え?」
ふと、次郎太刀の戸惑った様子に上擦った声が出てしまう。意識した途端、まるで滝のように涙が止まらなくなる。
栓をする事が出来なくなった蛇口のように、堰き止めてくれていた岩が崩れてしまったかのように。とめどなく溢れ、頬を濡らしていく。
「ぁ……ごめんなさい……っ」
さっと顔を隠し、俯く。そんな審神者に次郎太刀は心配そう顔をしつつ、それでも近付くことはしない。今ここで動き出すべき相手が居るはずなのだから。
――だがタイミング悪く戻ってきた近侍である初期刀によって二振りは部屋を出るしかなくなってしまった。
――
――――
初期刀に泣いてしまった理由を話したあと、今日はもう休むようにと部屋へ押し込まれてしまった審神者は、布団の中で先程の太郎太刀と次郎太刀を思い出していた。
当たり前だった環境が変化してしまう。当たり前に共に暮らしていた刀達との別れは、審神者にとって大き過ぎる変化となっていたのだと改めて自覚する。
離れたくない、このままずっと皆と共に暮らしていたい。どんなに危険と隣り合わせだったとしても、そこにあるのは平和な空間と、安心出来る時間。あまりにもかけがえのないものとなっていた。
「……一緒に、現世に、か」
何度も寝返りを繰り返しながら、審神者はぽつりと言葉をこぼす。出来ることならば皆と離れたくないと今ここに来て強く思っていた。
しかし元々は歴史を守る為の組織で、政府からの指示であったのだから、寧ろ喜ばしい事だ。平和が戻ってくる、穏やかな、平穏な日々が帰ってくるのだから。
――そこに男士が居ないというだけの話なのだ。
刀達皆がどう願い、どうしていきたいのかを考えなくちゃいけない。まだ、本当の別れではないから。
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