【サンプル】ウェルカム・トゥ・深淵





 男は路地を歩いていた。上下左右に違法建築された建物に阻まれてろくに月明かりは届かず、品の無いネオンの灯りが煌々と足元を照らしているような路地だった。
 アルコールで少し火照った顔を冬の寒風が刺すように流れていく。今日はなんだかうまく酔えず、同席した人間とも話が弾まなかったので早めに切り上げてきた次第だった。それが理由で、まだ夜も中盤に差し掛かるくらいの時間帯なものだから建物より漏れてくる喧騒がいつもより活気があった。恐らくあと数分もしたら机や椅子が飛び交う乱闘騒ぎになりそうな騒がしさだ。
「……っ、すみません、」
 酔いが浅いわりにしっかり注意力は散漫になっていたのだろうか──曲がり角の向こうにいた人影とぶつかりそうになる。咄嗟に後ろへ避けたので衝突は免れたが、視界に入ってきたその人物の容姿に視線を奪われた。
 暗闇でもよく目立つ白い髪。薬の中毒者とも思ったが目つきも足取りもまともだ。顔を合わせた瞬間ふっと軽やかな笑みを向けられて、無意識に息を止めていた。
 月光も相まって青白くさえ見える肌であるとか、深海を思わせる暗い青の瞳だとか、吹けば飛んでしまいそうなくらいの細身とか、少女の容姿はどれにつけても浮世離れしている。非常識だ。恰好がシャツにスラックスなんて男装めいたものでなくて、白いワンピースだったら、この国の怪談として語られる皿を数える幽霊女に見えてもおかしくなかった。人間みのない美しさをしている。
「ごめんなさい、どこかぶつけてはいませんか」
「っ、いえこちらこそ……。それより、こんな夜中に出歩いていては危険ですよ」
 背丈は他の女子と比べたらそこそこあるし、身の振りも随分と落ち着いているけれど、微笑を浮かばせた端整な顔はまだどこかに幼さを残している。そのことを指摘すると、少女は笑みを深くした。
「ご心配ありがとうございます。でも少し買い出しに行っていただけですし、もう帰りですから大丈夫ですよ」
 彼女が提げている袋には酒瓶や缶ビールがぎっしりと顔を覗かせていた。
「こんな時間に? ……それに貴女、未成年でしょう。よく買えましたね」
「そうですね。でも身分を気にしないなんてここじゃそう珍しくないでしょう……ほら、貴方だって」
 つい、と少女の細い指が男の胸元を指差した。そこにはロザリオが鈍い輝きを発しながらチェーンにぶらさがっている。
「十字架というと大陸の方の宗教ですか。確か禁酒の戒がありませんでしたっけ……」
 少女は男の職業だけでなく、酒を飲んできた帰りだということも言い当ててみせた。他者から見てわかるほど酔っている自覚が無かったので彼女の観察力の高さに目を見張った。
「……それは一部の宗派だけですね。一般的には儀礼の際に口にすることが多いですよ 」
「へえ、それは失礼しました」
「そうだ、申し遅れましたね。私はクレイン・ノーマンと申します。御推察の通り、神父をしております。何か困りごとがありましたら是非ご相談にいらしてください」
 定型文めいた挨拶をすると、返事に少女は|白《はく》とだけ名乗った。見事に体を表している名だと思った。
 白は少し考えるような素振りをして、ある提案をした。
「そうだ。神父さんにまだ余裕があるのならついでにもう一杯いかがですか」
 彼女の同居人──もとい保護者は居酒屋を経営しているのだという。ここで知り合ったのも何かの縁、ということでクレインはその提案に乗ることにした。こどもをこんな時間に放っておけない、とわざわざ言い訳がましく付け足したら彼女は「わざわざ理由をつけないとお酒を飲めないだなんて、大人は大変だなあ」と笑った。

 白に案内されて乱雑な道を進む。空き瓶やごみ袋がところ狭しと打ち捨てられているのを彼女は慣れた足取りでかわしていった。クレインもそれに倣う。
「そういえば、よく私が酒の帰りだとわかりましたね」
「こんな時間に通りを歩いていて酔っていない人の方が少ないってだけですよ」
「それじゃあ職業がわかったのは……」
「あはは、単に知識として知っていただけです。本を読むのが趣味なもので」
 話をしている内にわかったことがある。白の笑顔はとびきりの作り物だということだ。
 確かによくできている。完璧と言って良いくらい人好きのする綺麗な顔だ。単に行儀と愛想を良くして振る舞っているだけではなく、ちょっとおどけたような、飄々としているところがより人を惹き付けるアクセントになっている。だけど、その精巧さが翻って人を不快にさせないようにするためのポーズだということを強調させた。他者は騙せるのだろうが、仕事柄人の内面に触れることの多いクレインは違和感を抱いたし、その違和感は直ちに確信に変貌した。
 この少女は笑顔の裏に何かを隠している。
 策謀か、はたまた空漠か。どちらにしろ──この手で暴いてやる。

 階段を昇ったり降りたり通路を右へ曲がり左へ曲がりを繰り返し、『十徳酒家』と汚い字で書かれたぼろぼろの段ボールがかろうじて戸にへばりついていた。少し建てつけの悪い扉をぎい、と押すとすぐにアルコールの香りが鼻をつく。店内はオレンジ色の光で照らされており、たまにちかちかと点滅していた。
「ただいま」
「おせえぞ白──あン? 客か?」
「……あれが店長ですか」
「そして僕の現状の保護者です」
 真っ赤な顔をした女性がカウンターの奥で立っていた。どこか異国風の──大陸の東の方だろうか、真っ赤に染め抜いた上衣が特徴的だ──雰囲気を漂わせる、童顔の女だ。背丈も白の方が高いし保護被保護の関係が全くの逆に見えた。
「……その、かなり無礼だとは存じているのですが。貴女がた、年齢は……」
「僕が十五で……|緋《あけ》が十六だったっけ」
「たぶんこないだ十七んなった」
 そこまで飲んでいないはずなのに頭痛がしてきた。クレインより三つ下の人間が営業主で、従業員はその二つ下。営業形態としてあんまりにも危うすぎる。未成年飲酒云々もあるけれど、こっちもこっちで問題だ。
「そういえば誕生日っていつなの……」
「知るか。夏とか」
「半年前がこの間なのか。アバウトだなあ」
「うるせ」
「神父さん、とりあえず一杯用意しますね。ご希望に添えるかはわかりませんけど、何かオーダーはありますか」
「それなら……果実酒の方が馴染みがあるので、あればそちらの方が有難いですね」

 とぷ、とセルフでワインを注ぎ直す。これで三杯目だ。
 お世辞にも十徳酒家は良い店とは言えない。酒はさして上等なものを置いていないし、ろくな肴を出さないし、おまけに話し相手に取れるのが呂律の回っていない女店主か何を考えているかよくわからない小娘だけ。しかも前者に関しては酔いが深くなるにつれ会話もままならなくなり、金を払ってアルコール中毒者の世話をさせられているみたいだった。最終的に、誰より速いペースで飲んでいた緋はいつの間にかカウンターの下で潰れていた。白いわく「いつものこと」とのことなのでクレインも気にせず飲み続けた。
「ずいぶんと自由な店ですね」
「儲けを考えずに営業してますから。緋がそれで良いなら僕がとやかく言えませんよ。お隣失礼しますね」
 カウンターの向こうから出てきてひょいとクレインの左隣へ座る。
「緋のお守り大変だったでしょう。ここからは僕がお相手しますね」
 ワインを出して以降裏方に回っていた彼女は、皿洗いやら何やら雑用に明け暮れていたらしい。ここに住まわせてもらっているのだから当然、と言うが些かオーバーワークではなかろうか。ここよりまだまともな環境なら探せばあるだろうに。
 いつの間にか時計は頂点を指してから一周半近く回っていた。それでも帰ろうという気になっていないのは、まだクレインは本懐を遂げていないからだ。
 自分用に持ってきたらしい焼酎のソーダ割りをこくこくと飲み干していく彼女へとわざわざ体の向きを直すと、白も雰囲気の変化を感じたのかふとグラスを口もとから離した。
「いい加減正体を現してはいかがですか」
「正体ですか」
「優しそうな人間を女こどもというトラップで巣穴に誘い込む。それで見事に罠にかかった獲物を、どうする気でしょう」
 少し考え込むようなジェスチャーを取って、また無味乾燥とした笑顔を見せた。
「そこまで読めているんだったらついてこなければ良かったのに。怖いもの見たさですか」
 互いに作った笑顔の仮面を剥がさずに苛烈な睨み合いが始まる。白は問いにクレインが答えるのを待っているようだったし、クレインは黙ったまま白の二の句を待った。緋のいびきだけが間抜けに空間に響く。
 数秒後、不意に白が堪えきれなかったように笑い声を上げて均衡をぶち壊しにした。
「はは……! そこまで考えてくださって申し訳ないんですけど、本当にそういうのでは無いんですよ、この店。緋がただ話し相手を見つけるためだけに営業しているんです。別に酒がまずいのも何か薬を混ぜているんじゃなくてこれくらいの安いものしか用意できないってだけですよ」
「………………」
 やっと年相応な白の顔を見た気がした。だけどそれも一瞬のことで、またやけに大人ぶったような少女の顔に戻ってしまう。
「……これは大変な失礼をしました。何と詫びればいいか……」
「いえ、この店が見るからに怪しいというのはわかりますから。それに、そのくらい用心深い方がこの街では生き残りやすいですし」
「──でも安心した。これなら後顧の憂いもありませんね」
「…………へ、」
 ドミノ倒しとかトランプタワーみたいに、緻密に作り上げたものを崩すときはとっても気持ちが良い。あれらは指のひと突きだけで全てが台無しになるときが一番の山場であるわけで、クレインは他者よりずっとその快感に酔い痴れる瞬間が好きだった。しかもより悪趣味なことに、わざわざドミノや紙切れを自分で組み立てる必要が無いならそっちの方が時間の浪費が無くて良いと考えていた。
 つまるところ、自分は完璧に出来上がったものをめいっぱい駄目にするのが好きなようで、その悪癖が長い時を経てぶり返した。度し難い欲情が腹の底から湧いて出て吐露しなければいけなかった。
 白は、クレインが今までに見た女の中でいちばん綺麗だった。彼女の容姿に目を奪われたとき、パズルのピースがぴたりとはまったみたいな感覚があった。クレインにとっての完璧に、この少女は何物よりも近しい存在に見えたのだ。
 だから何をしたかって、掃除が行き届いていない埃まみれの床に白を押し倒した。
「……ぅ、げほ、」
 初めてこの少女が不快そうに顔を歪めたのを見た。心臓を起点にして全身がずく、と歓喜に打ち震える。この上なく気分が昂揚していた。無意識に口角が上がる。
 本当のところ、クレイン・ノーマンは全く以て善人の側に立つことのできない人間性をしている。今だってこんなに加害性を剥き出しにしているし、聖職者をやっているけど実は神なんてこれっぽっちも信じていない。嗜む以上に酒を飲むことについて不良神父と揶揄した人もいるが、きっと彼らが思っているより自分は悪い人間なのだ。
 ぴたりと視線が合ったので──殴る理由なんてそれだけで事足りる──間髪入れず握った拳を思いきり振り抜く。乾いた音が静かな店内に響いた。
 白は何を、ともやめろとも言わなかった。クレインの突然の凶行に抵抗の意を示さない。
 それに気を良くして、更に細い体に触れてみると見た目通り女子らしい柔らかさなんてこれっぽっちも無く、皮と骨ばっかりの硬い感触が伝わってくる。左胸に手を這わせるととく、とくと震えていた。早くもないし遅くもない。
「随分と落ち着いていますね」
「あはは。それなりに慣れているもので。もっと怯えた方が嬉しいですか」
「ご自由に。こちらはこちらで好きにしますから」
 じい、とこちらを見据えるふたつの眼は相も変わらずなんの感情も籠っていない。不気味なくらいに空っぽな笑い声は聞きすぎてもう耳に馴染んでいるくらいだった。
 細い首筋に手を這わせる。僅かに目が見開かれたのに喜悦に浸りながら、ゆっくりと肌に指を沈めていく。少しすると、酸素を求めてか唇が僅かに震え始めた。
「このままいったら、死にますよ」
 わざわざ言って聞かせることで意地でも死の間際だと思い知らせる。死に瀕すれば、さしもの化けの皮も剥がれてきっと本来の姿を露わにするはずだ。
 さあ、見せてみろ。少しくらい命乞いでもしてみたらどうだ。お前の体は生きたいと悲鳴を上げてどくどくと強く脈打っているぞ。抵抗でも懇願でも良いから、お前のこころは何も思わないのか。まるでこっちが乞うているような願望を懐きながら窒息に苦しむかんばせを見つめ続けた。
「……、……」
 すると、白は声もなく笑った。
 ぞく、と心臓に錘を垂らされた感覚がした。この状況では声が出ないのなんか当たり前なのに、出せなくしたのはクレイン自身なのに、弓なりに曲がっただけで音を発さない唇が恐ろしかった。でも、何が一番おぞましいって、どこを見ているのか定かでない瞳だった。
 ああ、彼女の作り笑顔が隠そうとしていたのは、これだったのか。
 そこにあったのは、何もかもがどろどろに入り混じって他者に理解を要さない、圧倒的な混沌だった。これをわかってはいけない。自分の中に取り込んではいけない。瞬時に脳味噌が危険信号を放つ。
 思わず手の力を緩めてしまう。飛ぶように後ろに体を退けた。突然気道が確保できた白はというと、肺に空気が大量に流入したからか勢いよく噎せていた。
 彼女が人間らしい素振りを見せたのはそこまでで、以降少女の口から発された言葉ひとつひとつがクレインの頭をおかしくさせるようなものばかりだった。白は乱れた髪を整えながらなんでも無かったように話し始める。
「げほっ……ん、~っ……、もうおしまいですか。レイプでもなんでも、僕のことをどうにかしたいっていうならすればいいのに」
「……希死念慮か被虐趣味でもお持ちでしたか」
「いやいや全く。痛みは喜ばしいものでは無いし、死にたいだなんて思ったこともありませんよ」
 ずい、と白がクレインを覗き込むように身を寄せた。俯いていたところにばっちり視線が交差した。避けるより早く冷たい手がクレインの頬を捕らえて、否が応にも見合う羽目になる。蛇に睨まれた蛙みたいに、深淵めいた瞳に見入られて指先ひとつ動かせなくなる。
「あはは、おかしいの。加害者の方がそんな顔をしてどうするんですか。僕のことを虐げて楽しかったんでしょう、続けなくていいんですか」
「どうしてそんな態度でいられるんですか」
「ええ? 別に僕が嫌がったところで止めなかっただろうに……。そうだな、僕は今生きてるし、生きたいって思った。それがわかったらつい、笑っていたんですよ。それだけのこと」
 何から何までちんぷんかんぷんなことを言う。からからと笑う声がクレインの脳味噌をぐちゃぐちゃにかき回しているような気分になって終いには頭を抱えて狼狽するしかできなくなっていた。
「はは。かなり顔色が悪いですよ。やっぱり安酒だと悪酔いしやすいのかな。ご自宅までお送りしましょうか」
「……いえ。こんな時間に女性を出歩かせるものではない」
「そう、あはは。お気遣いありがとうございます。夜道にはどうかお気をつけくださいね」
 彼女の笑顔に見送られ、逃げるように飛び出した。二時間前に彼女に案内されて通った道を遡っていく。路傍で酔い潰れた何者かを蹴っ飛ばしてしまったらしく殺すぞと怒号を浴びせられたが、構わず走り抜ける。
 脳裏にはまだ深淵で満たしたような白の瞳が残っていた。あれより怖いものなんて無い。
(了)



 ここまでご覧くださりありがとうございます。当日頒布する本ではここから発展していくふたりの話をし続けます。気になった方は是非イベント当日R-15「不定観測」にてお待ちしております。よろしくお願い致します。

powered by 小説執筆ツール「arei」