13話

BACKBONE.
 13、confidence error


 一昨年の春にチューンが解散したと発表されたのを知ってはいたが、その後は本格的に965の活動が多忙になってきてマツリとはほとんど連絡を取らないまま二年が経とうとしていた。
 見れば事務所のモデル部のページにはちゃんと在籍していたので、コルト自体を辞めたわけではないのと思うが活動履歴を見てみるとここ一年は目立った活動をしていない。SNSも告知を含めて今年の春から更新されておらずいよいよ気になった。
「……みゅうさん、マツリから連絡きてますか?」
「マツリ? ……いや、特になんもないけど。なんかあったって?」
「あ、いえ、特に何もないから、どうしてるかなって思って」
「確かに。チューン解散したんだっけ。忙しかったからな最近……。今日は後ろもないしお渡し会終わったら一緒に連絡してみるか」
「っはい!」
 超絶ヒットした夏クールのドラマの最終回からは二週間。見た目にもめちゃくちゃに忙しくしていたここ数か月のみゅうのスケジュールだったが、今のところまだまだ落ち着く様子もなく十五分程度の移動時間でもってもうとうとするほど身体的に疲労がたまっているのが見て取れた。
 ツアー期間ですら高熱で死にそうになっているのを見てきた手前、この疲労の反動は一体いつどこで発散するつもりなのかと内心ドキドキもしている。
 今は個人で受けている仕事もあるし昔みたいに呼ばれたらすぐ行けるわけでもない。ただでさえ溜め込みやすい性格なのに何か月も休みがない今の状態とはいつ倒れてもおかしくない状況だと恐らく本人もよくよく分かっているとは思うのだけれど。
 無論、ドラマに関しては加連綾のビジュアルがドンピシャに良すぎて久々に重課金のオタクに舞い戻っったし、役どころも演技も最高で視聴中に幾度誰が主役なんですか!?!?!?!?!?!と叫んだことか。
 すごく良かった。物凄く最高だった。その確たる証拠として望幸恋史上最もやんちゃで直情的な加連綾という男の人格はあっという間に世間の加連綾くんになり、それに追随して望幸恋という名前もびっくりするほどお茶の間に浸透していった。
 放映後すぐは世間の熱にのっかって浮ついたメールも何通かしたが、既読もつかず勿論返信もなかったので何かあったのかと普通に心配していた。だがその直後、朝から晩まで死ぬほどテレビに露出しているのを見て驚いた反面、どうでもいいメールになど返信出来るはずもない、ヒットするとはこういうことかと妙に納得もした。
 自分的にはワンスリーだって一般的に十分名前が売れている部類に入ると思っていたのだけれど、やっぱり界隈外の人間にも顔と名前ぐらいは分かるよ、と言わしめるのにはこんなに圧倒的なバズりが必要不可欠なのだと見せつけられた気さえした。
 それほど老若男女に流行り倒したこの旋風は、マイナスな意見はゼロではないにしろ低迷していた各局のドラマ市場を熱く煽りまくった一作となった。
 一方で、そんな中で迎えることとなった本日のRI2Eミニアルバム即売会とは正直みゅう目当てのミーハーファンでかなりの大混雑と大混乱が予測されていた。
 お渡し分の予定枚数は即日売り切れ、五十枚限定ツーショット特典付き有料チケットもありがたいことに各人それぞれ即完売。急遽事前に販売されることとなった握手券付きのグッズも予想を遥かに超える売れ行きで、直前になって大きな会場へ変更したほどの一大イベントとなってしまった。
 暦で言えば秋にはなるが、年々残暑が厳しく日中はまだまだ暑い。ちゃんと休めてもいないであろうみゅうの体調が一番の心配のタネだったが無理せず休憩を挟みながらやろうとスタッフともども話し合ってはいたのだが。
「きゃーーー!!! 加連くん愛してますう!!!」
「……”うっせ”。」
「ぎゃーーーーー」
「来てくれてありがとね~!!」
「加連くん!!!!! ミサンガあげます!!!!」
「え? やば、多分いらないと思う。 ”かえす”!」
「あ゛~~!!!!!」
「うそうそありがと~! またね!」
「加連様!!!」
「ンなんだよ!!!!」
「すきです!!!!」
「は!?しらねーよ!!!」
「ありがとうございます!!!!」
「いいえ! ありがとー!」
「は……?? ……かっこよ……」
「あの……ハレくんごめん私と握手してください……」
「するけど……隣……加連綾の破壊力尋常じゃなくない?????」
「気持ちはわかるけども……」
「ヴッ、俺も加連綾が好きだッッ」
「それはわたしも好きだけどもッッ」
 加連綾、もとい望幸恋のブースは予想通り開始三分で待機時間百二十分超えの大混雑。気持ちはがしもキツくしてもらっていたのだが、並んだ人数が人数だけに午前の三時間では小休止ですらも挟む暇は一秒もなかった。
 勿論、RI2Eが好きで来てくれた人もたくさんいたので今のところ自分のブースにも人が途切れることは無かったが、午後は恐らくそうもいかないだろうなとふと横を見る。
 予定より三十分押して午前締め分の人数をやっと捌き終えたみゅうはブースのカーテンが閉められた瞬間にその場にしゃがみこんでしまったことに驚いて急いで駆け寄る。
「みゅうさん」
「……お疲れぇ、お~もったよりこれは、しんどかった……」
「つ、疲れましたよね……椅子、あっち行って水飲みましょ……」
「ペース早くて目が回った」
「目? 眩暈とかします?」
「……いや大丈夫。てか加連綾ダメ、むっちゃ疲れた」
「ですよね……でもみんなすごく喜んでました……、なんか食べますか? フルーツあるよ」
 連続した何百人との一瞬の会話の中で、求められる応えを精神誠意丁寧に返す。そりゃああれだけやれば疲れて当たり前だ。だが、かつては自分も恐らくそれを強いてきた側。相変わらず一切の手抜きを許さないその姿勢には内緒だけれど呆れ半分、望幸恋が大好きで仕方なかった日々の気持ちを思い出して改めてこっち側に来てしまったことをしみじみと実感した。
「ちょっとマジで横になろかな……」
「うん。何か食わなくて平気ですか」
「一瞬休む、先に食ってて……」
「……三〇分タイマーしときますから、ゆっくり休んで」
「助かるぅ、ごめんね……」
 それから一時間半の休憩中本気で寝落ちてしまったみゅうの姿を見守りながらどうか今日が無事に終わりますようにと思わず祈った。
 だって、例えここから熱が出てもどこか調子が悪くなっても望幸恋が絶対に途中で退かないのは分かっている。ならばせめて身体の異変が起きませんよう、どうかみゅうの納得のいくイベントで終えられますようにと、冷房の効いた休憩所で一人SNSを開き先にイベントに来てくれた人へ向けてお礼の投稿を済ましておく。
 みゅうのことなので起きたら必ずやるだろうが間があくほどファン心理は擦れていくもの。
 午前中のファンマナーが決して良くはないと従来の古株が思えば思うほどきっと勝手に怒っているだの新規のせいだのと揉める元にもなり得る。だからいつも欠かさずそこに先にアプローチしておくのは荒れないファン層作りの土台なのだと常々思った。
 人が増えれば増えるほど自身の生き様が彼らにリフレクトする精度は恐らく下がる。今だけ好きな人、昔から好きな人、お金が全ての人、気持ちを求める人、特に、多くの人が望幸恋を加連綾として見ている今、向こう側では誰もがその熱にヒートアップし神経質にもなっているのだろうから。
 もっとも、こういう配慮のやり方も全てみゅうから学んだことだった。みゅうのファンへのアプローチとして考えると母数としてまだまだ非力だけれど、少しでも場を整える力になれていたらそれでいい。
 それからきっちり三〇分後にアラームで起き上がったみゅうは無言でぼーっとサンドイッチを食べながら案の定SNSを更新した。マネージャーが撮ったイベント中の写真を何枚かと、たった今自分で撮った眠たそうな緩い笑顔。珍しく今日は疲れを隠さないスタイルだ。ごくたまにあるがかなりレアだと驚く。
「……これはかわいすぎません? 待ち受けにしちゃお……」
「ヤメロ。でもま、疲れてないはウソになるからねー……」
「……」
 つまりそれとは、嘘を吐けないほど誤魔化しのきかない疲労がたまっているという無言の警告を放ったという紛れもない事実でもあるのだけれど。
 予定通り午後の部が始まると、相変わらず隣のブースでは加連綾を求める黄色い声は止まずそれに向かって何べんも何べんも加連綾を引き出すみゅうに当然ながら苦痛の色は一切見えなかった。
 気にかけたつもりながらもあっという間に数時間は経っていて、いよいよ自分のブースの最後尾が見えてきた。気持ちゆっくりめに一人一人と話をしていたがただそれだけだって疲れるには疲れる。
 ふと、ちょっと待ってね、という声が聞こえて隣を見ると、みゅうもさすがにドリンク休憩を挟むことにしたようでひとまずほっとする。
 自分も、もう少ししたら休憩しようと気を取り直して前を見ると、背の高い男の人が立っていたので一瞬びっくりしたが咄嗟に口は動いた。そのまま顔を見あげる。
「こ、んにち」
「やっほー」
「……!? ま、マア!?」
 その様子には後列がざわついた。そりゃあそうだ。コルトの門出マツリとは、かつては望幸恋よりも顔が広かった事務所きっての人気看板モデル。よくよく見ればハーフアップにしたミディアムウルフの髪色は白にほど近い薄いピンク色になっていた。おかしなことに違和感は一つもなくて思わず首を傾げる。随分似合っている。恐ろしいほどに。
「いえーい。二時間は並んだよ~。久しぶり。色々おめでとー」
「マジで並んでくれたの? ありがとな!? てか、てか、元気だった!?」
「えー、全然連絡もくれなかったくせにホントに心配してくれてた??」
「いやそれが、ほんと偶然今朝二人で言ってたんだよ! どうしてるかなって、終わったら連絡してみようってさ」
「ふーーん。俺は今専門通ってる。春はちょっとだけ忙しかったかな」
「?? せんもん???」
「うん。美容の。やばい、はがしのおねーさん気を遣ってくれてる、すいませんほんと~……」
「す、すみませ、あっ、わざわざありがとね……!?」
「いーえー。じゃあ今日は連絡待っててみようかな~」
「絶対するよ! 気を付けてな!」
 笑ってひらひらと手を振って出て行こうとしたマツリに、隣からだいぶ大きな声で「オイ」と声がかかった。水のペットボトルを持ったままのみゅうだった。待機列で待つ大勢の視線が一気にマツリへ向く。
 驚いた顔で立ち止まったマツリは、困った様にはにかんで小さくなんだよおと呟く。
「てめー、俺は無視か! 並べよ!」
「やだよ。待機時間やばかったもん」
「連絡くれた?」
「え、いつ?」
「ここ最近」
「してないけど……」
「なんで」
「……ハレちゃん、あの人大丈夫???」
「マア」
「も~、何だよお」
「元気だった?」
 いつもの軽口のあと、とても穏やかな声でそう問うたみゅうに口を尖らせたマツリは一瞬黙ってふいとそっぽを向く。
「べつにい」
「怒んなよ。ごめんな。忙しかったんだよ」
「知ってるし。もーー、なんだよこれ! 行くからね! バイバイ!」
「おう。また夜な」
 たびたび待機列からの声に対応しながら遠ざかっていくマツリの背中を見つめながらそりゃそうだよな、と今更思った。
 忙しかったのは本当だが、その間に起きたであろうマツリの大きな節目には一言の声すらもかけてやれていなかった。僅か一年で終わってしまったグループの解散も、その後の進路や仕事のことも、何一つ気にかけてあげられなかった空白の時間が二年。
 今の一瞬の二人のやり取りがどれほどみゅうの思いやりに溢れたものだったのかを思い知る。マツリはきっとして怒っていたに違いなかった。頼りたい時に頼れない唯一のトモダチ。それはマツリ自身の深く大きな優しさでもあったことをみゅうは頭の片隅ではずっと分かっていたのだと思う。
 いつでも遠慮なく頼れとは言えない状況が続いていたのは自分で理解していたから尚更。
 余裕なんてないのは今も一緒なのに。
「…………」
 言い訳こそできたが、謝ることさえ出来なかった。またしても自身の浅はかさが歯痒くて今すぐにマツリを追いかけたい衝動を必死に堪えてから、少しだけ休憩をとろうと決めたのだった。


 結局、会場の締め時間である二十一時をギリギリいっぱいまで使ってようやく握手列を捌ききったみゅうはそのままのテンションでマツリに電話をかけた。
 十九時前には自分の待機列を消化し終えて先に連絡をしてはあったので、一応待ってくれてはいたのだろう。時間にぶーたれてはいたものの、三十分後に社宅近くの店に集合となった。
「あーしんどかった。握手券は余計だったよな正直」
「予想以上に売れましたもんね……。みゅうさんに会いたい人がいっぱいいた証拠ですよね」
「……今だけな。タイミング悪かった」
「え、逆でしょう? この時期にやったから俺個人分もなんかオマケで捌けたんですよ。マジで良かった~」
「……いやオマケ、じゃ……ねえだろ、ったく……まだンなこと言ってんのかよ……」
 移動中の車内。軽口でそう言ったつもりだったのに、みゅうはそれきり窓の外を見たまま喋らなくなってしまって困った。
 もちろん冗談だったけれど、悪気なく実際みゅうが光ったお陰で注目されたのは本当だと思っている。
 この場合、望幸恋のメインの活動であるワンスリーが先に注目されるべきだったのだろうがタイミングとしてちょうどたまたまRI2Eのイベントが行われただけ。
 再三の悪癖がなくとも、偶然隣にいただけのラッキー待遇だったことは事実としては決して間違いではないはずで。
「……」
「…………」
 機嫌を損ねたのはもう仕方がないので話題を逸らしてぽつぽつと話しかけてはみたものの、すっかり気のない返事ばかりでとても気まずい一〇分強の道のりになった。
 ほとんど何も喋らないまま車を降りると、みゅうは大きく伸びをしてからマネージャーに向かって明日何時だっけ、と開いたウインドウ越しに問う。
「明日は渋谷に十時!」
「十時。はい了解。今日こいつの部屋泊まるから悪いんだけどここに迎え来て貰ってもいいですか?」
「えっ!?」
「オーケー。会社近くだから逆に助かるよ。じゃあハレ、みゅうくんをよろしく頼むね」
「ええっ、あはいっ、今日はお疲れ様でした! ありがとうございました!」
「ありがとー! また明日ね~」
「はい。こちらこそありがとう。お疲れ様です。二人とも飲み過ぎないこと!」
 赤いテールランプが去っていくのを見送ると、さっさと歩き出してしまうみゅうの少しうしろを黙ってついていく。怒ってるくせに泊まるんだ、と若干不満げに思った瞬間みゅうがなんだよと言うのであまりのタイミングに顔をあげる。
「えっ……??」
「嫌なら帰るけど」
「え、え? な、なにも俺言ってな、」
「わかりやすいんだよ。どうせ機嫌悪いのに泊まんのかよって思っただろ」
「っお、もっってないしっっっ、勝手に俺のあたま想像すんのやめてくださいっっ」
「……ふーん、じゃ行っていいの」
「いつでもどうぞ!? でも下着はコンビニで買ってきてくださいね!」
「えー。よ。お疲れ。遅くなってスミマセン」
 ふいの意地悪にあくせくとしていると驚くほど自然に会話の軸をずらされ、はたと目の前を見る。面白くなさそうな顔をして立っていたマツリがほんとだよ、と零してスマートフォンをとんとんと指で叩いた。
「てかさ、さっきから二億回は宅のみにしない?って聞いてんだよ。開けスマホ」
「えマジ? 全然見てなかった」
「まったくさあ。どうせ疲れてんだからまたぐでんぐでんになるんだろ。誰が介抱すると思ってんだよ、ねえハレちゃん」
「あ、ご、ごめん俺も見てなくて……」
「それな。許さない。から、ハレちゃんちで飲も。はい二人とも回れ右。コンビニ行くよ~」
 背中を押されて促されるままに、マンションの階下にあるコンビニへ寄ってあっという間に帰宅する。
 すると、それまでは何ともなかったはずなのに、何の気なく自室の玄関を跨いだ途端どっと身体の力が抜けて死にそうになった。やっとこ靴を脱ぎ重たい身体を引きずってリビングの床に腰を降ろしたが最後、一歩も動けなくなって思わず笑ってしまった。
 言わずもがな、みゅうはローテーブルに突っ伏したまま動かない。恐らくこれを見越していたのであろうマツリは冷めた口調で炭酸水の口を開けた。
「だから言ってんだよ。あんなイベントこなした身体で遊べるわけないじゃん。馬鹿だよね二人とも」
「いや、これは場所が駄目だよ、こんなん誰だって強制的にオフになるって……」
「急に思い出してくれんのはいいけど、全然まだ渦中なんだから無理して誘ってくれなくていいよ。なんなら、もっと前に思い出してくれたら良かったのにね」
 容赦ない口ぶりには反論の余地もなかったが、一呼吸置いて突っ伏したままのみゅうから細い声がぽつぽつと漏れだす。間違いなく誰より疲れているだろう。明日もあるのに風呂でも沸かしてやりたい。
 思いはすれど、身体は微塵も動かないのだが。
「……ン~なことどうでもいいから、なんだっけ、専門? の話しろ」
「はあ……。嫌。ハレちゃん、お風呂溜めていい?」
「イヤぁ……? オレがやるから話してて……」
「この見栄っ張りコンビがよお。てか、宝が夜食におにぎり作ってくれたって。取ってくる」
「え、?」
「えっ???」
 言う間にさっさと風呂場の給湯スイッチを押し、玄関を出て行くマツリの圧倒的な行動力には二人揃って悶絶した。なんて愛情深くて優しい子だろう。涙が出そうだった。
「ウ、ああいうとこですよねアイツほんと、」
「いやマジで……」
 ようやっと身体を起こしたみゅうが、コンビニの袋をまさぐって水を取り出したのを何の気なしに眺める。
 すると、間髪入れずに鞄から小さなピルケースを出して何かしらを数粒サッと口にいれて飲み込んだではないか。
 とてつもなくあっという間だったがみゅうが薬を持ち歩いているだなんてたった今初めて知った。何事もなかったかのように喉を鳴らして水を飲んでいるが、見てしまったからには突っ込まないわけにもやはりいかなくて。
「薬ですか!?」
「ん~……」
「どっか悪いの!?」
「いいえ。まあ、……気休めみたいなもん」
「え、サ、サプリとか?」
「んーー……」
「……」
 結局、答えを明確にしないで曖昧に濁したまま頬杖をついてスマートフォンに目をやったみゅうには、とうとう我慢できずに小さく息が漏れた。
 そんな素振りをされたらこちとら心配で仕方がないのに、理由を聞いてもちゃんと答えてもらえないのは結構なストレスだった。何もないならそれでいい。でももし何かしら慢性的な”症状”があることなら知っておきたいと思うのは、過干渉だろうか?
 恐らく今のみゅうの状態は事務所史上誰も経験したことがない未知の多忙。間違いなく世間は望幸恋に注目しているしその裏ではコルトのビジネス的手腕が問われているも同然だろう。
 それに気が付いているみゅうだからこそ、自分が今、身心を壊すのだけは許されないその状況を重荷に感じないわけもない。
 キャパはとっくに超えていると思う。でも、それがどんな形でみゅうに影響しているのかを少なくとも自分は未だ知らない。そもそも、誰か一人でも気付けているのだろうか?
 容量オーバーした望幸恋のストレスの捌けどころ。疲労の微塵も感じさせない表の露出の代償を。
「…………」
 その途端、ものすごく強い不安に襲われてどうにかして先ほど簡単に飲み込んでしまったあの薬の正体を聞き出そうと顔をあげてみゅうを見遣る。
 だが、そのあまりの様子に思わず言葉を呑み込んでしまった。
「…………」
 それはいつかのがらんどうの真っ暗な目だった。スマートフォンの画面をじっとみつめたまま微動だにしないでただ一点をみつめる鈍い鉛。世界の何をも反射しない、内の暗闇ばかりを覗かせる絶望のひかり色。
「……みゅうさん……?」
「………………」
 答えもしないが、みるみるうちにみゅうの顔面から血の気が引いていくのが分かる。さすがに驚いて身を乗り出したそのとき、みゅうのスマートフォンが静かに着信した。
「……」
「……?」
 数秒置いて口元を抑えながら緩慢な動作で電話に出たみゅうは、今までに見たことがないぐらい激しく動揺していた。知らずに息が詰まる。
「は、え、なんて??? 誰から……」
「……」
「どこから、俺それ、元の記事知らない……名前出てるわけじゃないんでしょ……? いやいい、今社宅いるから行く、事務所いるんだよね?」
 言いながら重たそうに立ち上がって何も持たずに玄関へ向かうみゅうを反射的に追いかける。壁についた筋張った手の血管が浮いていてひどく緊張している様子が分かった。靴を履いている最中に通話は切れたようだったが、スマートフォンを固く握りしめたままのみゅうはこちらを振り返らずに「ちょっと行ってくる」とだけ呟く。
「っ……え、事務所……!? っ俺も、……と、途中までなら行っていいよね……!?」
「…………とりあえず、来ないで、……」
 ほんの一瞬迷った素振りは見せたものの、そう言って無情に締められたドアの前でわけもわからず立ち尽くした。
 頭の中では証拠、誰から、どこから、元の記事、事務所という言葉達が何度も繰り返し乱反射する。
 心臓がバクバクする。なんとなくだがこれは、スキャンダル、ゴシップの類だろうと勘の鈍い自分でもさすがに察するしかなかった。根も葉もないことならきっとまだいいが、あれほど狼狽した姿を見てしまったら何かしらの心当たりがあることなのだろうか。
「……」
 突っ立ったままに様々な思いが頭を過ぎる。多忙の合間にストレスで狂った過剰な欲望が何に現れるかは本当に人それぞれ。喫煙、飲酒、性欲、散財、賭博、そして犯罪。特に人気の絶頂期にあるタレントの今を狙う週刊記者はいつでもその綻びを待っている。
 一方で、世には本当に多くのスキャンダルが腐るほど溢れかえっているのも知っていた。勿論、やましいことがないのなら一ミリも怯える必要はない、ということも。
 深く息を吸って呼吸を整えるふりをする。
 とにかく今は、万が一みゅうに何かがあっても決して責めたくないという勝手な気持ちでいっぱいだった。例え世間がそれを許さなくとも。最悪の何があっても味方でいる。もし法的にいけないことをしていたとしても、なんなら一生更生に付き合う。
 あまりにも急すぎる展開に混乱して一人玄関でそう覚悟を決めていると、突然扉が開いて入って来ようとしたマツリがびくりと動きを止めた。目がまん丸だった。
「っえ、なにしてんの???」
「……みゅうさんが……」
「え!? まさか倒れた!? 救急車呼ぶ!?」
「いや、ちが、す、す、」
「好……?」
「す、スキャンダル、かもしんない、いま事務所、電話で、なんか、証拠とか誰からとか、すっごいどうようして出てって、俺もっていったら、来ないでって、でも、でも、おれはみゅうさんのみかたでいたいから、だからっ」
「え、え、え????? 落ち着いて?? なんて? スキャンダル?」
「わ、わ、わかんないけどぉお…………」
「週刊誌かなんかってこと???」
「わかんないい~~……」
「へ~~……えー……?」
 困った顔をしながらも存外冷静に靴を脱ぐマツリは、首を傾げながらさっさとリビングに戻っていく。こちとらあまりにもショックでどうしても動けずにその後ろ姿を見つめながら玄関で固まっていると、マツリからキツく呼ばれてハッとなって走って側に寄る。
「えっでもどうしよう、捕まったりするやつかなあっ……」
「いいや、いくらなんでもそこまで落ちぶれてはないでしょ。俺たちがテンパってもしょうがない。あるとしたら過去のオイタだろ」
「いやでも、だって、さっきなんかクスリ? みたいの飲んでたし……」
「んな堂々と飲むかっ頭痛薬かなんかだろ! もう、ハレちゃんていざとなったらみゅうくんのこと信じてるのか信じてないのかわかんないじゃん!」
「じんじでるもん!!! じんじでるげどお!!! みゅうざんだっでひどだもん!!!!!! まぢがうごどだっであるがもじんないじゃん!!!!!!」
「ええ……、待って涙出てないのに鼻水すご、汚い、かみなよ……」
 ティッシュを箱ごと渡されて鼻をかんだらいよいよ涙が出そうになってくる。マツリが冷静でいればいるほど底なしの不安が腹から湧いてきてわけもわからず後悔の念が押し寄せて到底黙ってなどいられない。
「マネージャー以外でずっと接点あったの多分俺なのに」
「なんで防げなかったんだろうって?? てかまだ何があったか分かんないのになんでそんなに落ち込めるかな。そもそも疲れてんだよ。お風呂入ってきな?」
「こんな時に風呂なんか入れないっっ」
「ああそう。じゃあ飯でも食いなよ。どうせあの人だってこんな大事な時に……とかこのタイミングで……とか馬鹿ほど落ち込んで帰ってくるんだからそれまでになんとかメンタル固めておきなよね。共倒れは面倒見切れないから」
「か、帰ってくるかわかんないじゃん……」
「もう。しっかりしてよ。来るでしょ? 鍵も財布も全部ここに置いてってるんだから」
 呆れたようにそう諭されて、確かにそこにあるみゅうの荷物を視界に入れたらやっと少しだけほっとした。
 そうか、一旦は絶対にここに帰ってくる。ならば、何があっても自分はみゅうの世界一味方であることを最大限に伝える心構えをしなくてはなるまいと。


 それから、みゅうが出て行ってからはおおよそ二時間が経過した。
「…………」
「……」
 どちらからともなく始まった互いのこれまでの世間話も冗談も、増してや今後の展望についてなどいよいよ話題は底をついた。
 時折、おそいね、とマツリが零すのにただ頷く。
 そしてとうとう午前零時を過ぎたところで、マツリが行ってみるかと囁いた。
「事務所でしょ? もう話なんて終わってそうじゃない? 迎えいく?」
「……。嫌じゃないかな……」
「関係ないよ。一人でたそがれてるだけかもしんないし」
「……」
 一人でたそがれている、という光景があまりにもしっくりきて、そんなこと思いもしなかったと密かに俯く。言われた後なら気付くのだ。そもそも当たり前に帰りづらいよなあ、とか、顔を合わせるのは嫌だろうなあ、と。なんでもう一歩、その先のことを想像できないのだろうかと自分の視野の狭さにいつも落胆してしまう。
 だって、この先その程度の想像力のない自分がみゅうの苛みをどこまで想像出来得るだろう?
 万一救われたいと縋られた時、果たして求められた答えを返してあげられるだろうか。
 不安で仕方がなかった。
 外に出ると、湿度が高く蒸し暑くて空に低く浮かぶ月の輪郭は滲んでぼやけていた。横目にしてエントランスを出ると案の定、と言うべきか、マンションの敷地内にある花壇の縁に腰かけているみゅうの姿を見つけた。
 ほっとした反面、猫背に俯いたその姿があんまりにも可哀想でしばらく見つめる。
 手には茶封筒が握られていた。
「……っ……」
「……。みゅうくん、もう日付変わったよ。おいでよ。明日もあるんでしょ」
 それでも、こういう時にはやはりマツリが一番強い。そう声をかけてぐんぐんと近づいていき、そばに立って「見せてよ」と言う。みゅうはすぐには反応しなかった。
「FAX? 何系? 女?」
「…………なら、まあ、まだマシかもな……」
「え?」
 そうして、がさがさの低い声が怯えたようにつぶやくのは、
「……ハレ……?」
 なんでかどうしてか、切実に、自分を呼ぶ声で。
「……」
 一瞬足が竦んで動かなかったが、小さくはい、となんとか答えた。スニーカーを引きずるようにして側に寄ると、こちらを見上げた鉛の目には確かに自分の光が反射していてとても綺麗に、透明に、揺らめいていた。
「お前、……”人生の推し”が、……嘘、……ついてても平気……?」
「……え……?」
「俺の才能、全部、俺のものじゃなかったって今更知ったら、幻滅する、?」
「……」
「もう、……歌いたくないって言っても、……おれのこと、好きでいられる……?」
「……そんなの、いられます、ずっとずっと大好きだから、……泣かないで……」
 言いながら、目を合わせていられずに濡れた頬をみつめる。
 大粒の涙がみゅうの目からぼろぼろと零れて止まらなかった。その一つ一つが世界の全ての光を反射してきらきらと本当に綺麗に光っている。
 それを見ていると、例え悲しくても、切なくても、みゅうの感情には美しさが必ず伴うものなのだと妙に納得した。
 だから惹かれる。人生そのものが、磨かれた宝石みたいに、いつなん時もドラマチックに輝いている宿命なのだから。
「……見して」
 握りしめたみゅうの掌からしわの寄った茶封筒をマツリがゆっくりと抜き取ると、抵抗しないみゅうはまた悲しそうに何度も瞬いた。頬にはいくつもの涙の跡ができていく。
 綺麗だから穢れやすい。繊細だから壊れやすい。きっと、強くはないから傷つきやすい。咄嗟にみゅうの肩を抱いてせめて精一杯宥めているつもりだったが、封筒の中身を見つめるマツリの表情が段々と訝し気に曇っていくのをただただ黙って見守ることしかできなかった。


>>>
なんかちょっとニュアンスがふざけてるみたいになるんですが
真面目に読む努力をしてください……(?)

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