14話

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家政婦Aさんの証言
不倫です。でも結局あの人(蕪武焼氏)は私のことなんて本気じゃなくて。奥様と離婚するつもりもないし、かと言って私との関係を大事にするわけでもないというか。数年お子さん(蕪武焼氏の)の面倒を見てくれないかってお金をもらって家政婦として雇われたりもしました。当時は愛してたので家の中のことを任されるってすごく高揚感はあったんですけど、今思えばいいように使われてたなって。結婚したいっていうのを信じてたので息子みたいに思った時期もありました。十四歳の時に突然家を出たきり実家に帰ってきた様子は一度もないですね。
でも、〇〇くん(蕪武焼氏の息子)今は親戚の芸能事務所に所属しているみたいです。最近すごいヒットした有名なドラマに出ていてびっくりしましたよ。売れてるなー垢ぬけたなーって。奥様は長いこと精神が不安定でらっしゃるので分からないですけれど流石に彼(蕪武焼氏)とは連絡とってるんじゃないですか?
お金なら腐るほどあるんだし、一人息子だし援助しないわけがないと思います。
(蕪武焼氏が)他にも複数の人との恋愛関係があるのは事実でその人達にも何かとお金を振り込んでいるような素振りもありました。隠し子とかいるのかなって思ってましたね。養育費とかかなって。
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【電子版限定】
空前の大ブームを起こしている人気ドラマ「ダイヤモンドソング」 中でも加連綾役で一躍した望幸恋(コルト)のバックボーンに迫ろうとしたところ、とんでもない事実関係が発覚!?
本記事では芸能生活ノースキャンダルの清廉潔白を売りにした望幸恋最大の|隠し事《タブー》に注目する。

加連綾役が大当たり、望幸恋”やんちゃ”の引き出しに隠されたルーツ

結論から言うとなんと望幸恋はある超大御所俳優の二世俳優だということが発覚した。冒頭では名前を伏せてお伝えするが、これはかなりのビッグネームで驚いた。
だが、これにより加連綾という一見望幸恋の品行方正な実像には影も無い引出のようにも思えた”やんちゃな演技”には、なるほど納得と誰もが腑に落ちるであろうそんな真実を明らかにする。
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 一説では、今この瞬間にも無数に同時発生している並行世界のことをパラレルワールドというらしい。
 それは、あらゆる分岐点に存在し、生きるという行為が選択の連続である限り毎秒毎瞬どれかの世界線を無意識的に選んで目の前の現実に映し出し続けている。
 つまり、例え望んでいようとなかろうと、死なないを選び続けるしかないのなら嫌でもどれかは選ばざるを得ないということ。
 ならばもし、その選択に不正解という概念が万一あったなら、一体どれが間違いだったのかと、悔やんでも悔やみきれないというものだった。
 だってその”パラレル”を飛び越えた瞬間ならなんとなくだがいくつか心当たりがあった。
 たった一人で冬の夜空を見上げた決意の日。
 不本意ながらグループ活動を良しとしたスタートライン。
 届いた声の根源を不意に掴んでしまったフードコート。
 未来を予感させるほど依存しなければ保てない重たすぎる頂への熱。
 そして、身の振り方すら忘れてしまうほど没頭した魅力的な赤い情熱との交錯。
 ともすれば、これらのどれか、或いはすべてが”間違い”だったから、このどうしようもなく絶望的な世界線にきてしまったのだろうかと思わなくもない。
 ああなったら嫌だ、こうなったら嫌だ、のほとんど総てが詰まった現状は間違いなく人生史上一番辛かった。
 ときに、パラレルワールド、もとい人生の恐ろしいところは、いわく同時多発的に起こったラインの一つに乗ったが最後、もう二度とその分岐点には引き返せないということ。
 でも、そればかりは誰のせいにも出来ないなと思った。心当たりも然り、後から思ってみればこそ、ここに至るまで自分で望んで何度も何度も世界線を選択してきた自覚が自分にはあるのだから。
「…………」
 早朝四時半。夢か思考か分からないほど浅い眠りから目覚めた御幸恋は、自室のベッドでぼんやりと、だったらやっぱりもう、潔くやめるしかないよなあ、とどちらかの続きを淡々と思った。



BACKBONE.
 14、バター・ミー



 世間に望幸恋の”正体”が暴露されてからは、ひと月ほども経った。
 相変わらず例のドラマ関連の仕事はひっきりなしで、続編の話もさながら、次の連続ドラマのクランクイン、更には大きな映画の撮影もまさに最中で、いい意味で世間体を気にしていられる余裕は微塵もないような気になっていた。
 ただ、長いこと懸念していた心配事はそっくり想定通りに起こった。
 週刊誌の暴露後、追随してネット中に溢れかえったのは言わばただの”芸能人同士の親子関係を示唆する”記事。それ以上でも以下でもない。
 けれど、それを見た周囲の態度はものの一瞬で魔法の様に書き替わり、どこへ行ってもやたらと気を遣われたり或いは遠巻きにされたり、はたまたとても親し気にされた。
 一言で言うなら、ほらな、だった。
 特にライブ放送なんかではその件に突っ込まれるとどうやってもぎこちなくなってしまうので、本音では出たくないと言いたいぐらいだったが、元々こなすはずのスケジュールの手前、キャンセルするわけにもいかない。
 意識しなくともどんどん蓄積していく漠然としたプレッシャー。
 それでも、苦しい素振りは顔にも態度にもろくに出せないで押し込めてしまうのは、どこに行っても誰から語らせても彼らが大スターだったからだ。

「慎さんはほんっとにいい人だった。売れなくて金も無くて死のうかと思ってた時代に声かけてくれたり客演してくれたり、あの人がいなかったら俺はとっくにこの世にはいなかったよ」
「カブさんの太郎譚を見て俺は芸能界入ってるから。家政婦の人も相手してもらえてんだから恨まれるような筋合いもないと思うけどね。俺はカブさんの生き様を否定しないよ」
「あらあ、武良のお子さんだなんてどうしてこんなに愛らしいのかしらね。武良は表現に関しては確かに天才だった。ただひとつだけ、不得手だったのが家庭よ。人間だもの、仕方がないこともあるわ」
「今でこそ武良さん、表にはあまり出てらっしゃらないでしょう。でも、よく後輩の相談にのってらしたり非常に懐の深いお優しい方でした。またお元気にお会いしたいわ」

「だってあの二人のハイブリッドってことですもんね!? でもなあんでかスターの元に生まれると苦労したくなるのかな! 下積みの経験もしっかりされててねえ」
「……まあ、親は関係なしに一応一人の人間として、自分のやりたいことを全うしたかったので……」
「いやあ~、まだ若いのにこの貫禄ですよ。親の力は借りない! 自分の力で売れるんだ! ってことですね。実際見事ですよ。自立心は同じ年代の子よりもかなり高いほうでしょ?」
「…………んん、借り、ない、というか……借りられないが正しいですよね、あまりにもプレッシャーで。見ての通りそんな言うほど何も継いでないので……」
 愛想笑いが出来ていなかったのか、生放送なのにぴたっと空気が止まって慌てる。すぐさま謙遜ですとわざとらしく顔に張り付けてやると、なんとか再び時間が流れ始めたようでほっとした。司会者の豪快な笑い声が響く。
「さすが、謙虚です! さあ、この後も大人気ドラマ「ダイヤモンドソング」から望幸恋、濤岡桐をゲストに当時のお話を聞いていこうと思います。どうぞ、チャンネルはそのままで!」
 こうして、現役時代、否、今現在かも分からないが、世界にしつこく恩を売り続ける二人の生き様が、未だちっとも寂れずに堂々と存在しているのを目の当たりにすると、自分の親のことながら、上手いもんだと感心すらする。
 特に、抱えきれなくなった感情のはけ口を絶対に外に向けては出さなかった武良瞳の外界からの印象は顕著だ。
 まあ、当たり前だよなあ、とせせら笑う。
 家庭、というか、一人息子の人生を犠牲にしてまで外面ばっかり良くしながら、自身の弱さは全部内に内に吐き出してたんだから。挙句、それに塗れた俺を見て、お前、なんて言った?
 なんなら、今ここで言ってやったって良い。
 これまで週刊誌が一生懸命記事にして叩いてきたことはまんざら噓でもねえよ? アル中の精神病者。死にぞこないで合ってる。恥ずかしいのはどっちだ。
 母親のはの字にもなろうとしなかった実際の武良瞳は、他所からは決して理解されない苦悩を子供の俺にぶつけて生きながらえてきたんだ。
 弱さに溺れていく自分に負け続けてしかいなかったくせに、表では堂々と人間のフリしてんじゃねえ。反吐が出る。
「……」
 それでも、とふいの思いが喉に張り付いて飲み込めず、少し咳き込む。
 それでも、死にたいとは母の口からは聞いたことがなかった。
 そんなんでも、仕事に行きたくない、こんなことはやりたくない、とは一度も口にしなかったっけ。
 プライドの高い香水の臭いが記憶の端から漂ってきてイライラした。責める気持ちは当たり前に消えないけれど、人でなしなのだと一概に罵りきることもできないもどかしさ。
 子という呪いが胸に渦巻く。忙しないセットの組み換え中に、胃が煮えるほど熱くなってくる。制御できないヒートアップした感情が左心房から全身に送り出されていく。
 苛立っている、ということしか頭にないまま、スタンバイの声に促されセットのソファに腰かける。何かと言われながら質問コーナーのフリップを手渡されたので頭を下げて受け取る。
 集中出来ていないのは明らかなので一瞬目を瞑って呼吸を止めた。周囲の雑音がやけにハッキリと耳に響いてくる。うるせえな。本番、本番。あー。しんど。
「えっみゅうくん汗大丈夫??」
 すると突如、隣に座る主人公役の濤岡桐が焦ったようにそう声をかけてくるのでびっくりして目を開ける。
 汗?
 反射的に首筋に手をやると、急に全ての五感が過敏になって頭皮から足先までびっしょりと滴るほどの汗をかいていることにたった今気が付いた。状況が飲み込めなくて身体がぎくりと固まる。
「……????」
「あらあ、本当だ。ごめんね、気が付くの遅れたね! 暑かった? 直してきていいよ、後から入りなよ」
 正面に座る大御所の司会者はあっけらかんとそう言ったが、お前じゃあるまいしまさかそんなわけにもいかないだろうと余計にしどろもどろになる。
「い、いや、そんなわけには、桐、ひどい……?」
「いやまあ、けえ~っこう……ええ、でも、この一瞬で!? さっきまで普通だったよね? え、え、とりあえずハンカチ貸そっか?」
「ああ、貸したげて貸したげて~」
「ごめんなさ……」
 逡巡の間にもタイトルコールの秒読みが始まる。
 待て待て。しっかりしろ。これは生放送。とにかく、汗だくだろうが何だろうがやることはやらなくちゃいけない。動揺しながらも止まらない汗を必死になって拭い、且つ、笑おうとした。
「…………」
 その瞬間、あ、今笑うの本当に嫌だ、と強く自覚した。
 そもそも、かつてこれほどまでに心と体がちぐはぐなことがあっただろうか。
 暑い。つらい。しんどい。出来ることなら今すぐ帰って一人になりたい。疲れた。
 あれ、すごい疲れてるよね?
 明日も明後日もとにかく身体が休まるまで何もしないで家にいたいって思ってない?
 それなのに、こんなに強烈に嫌だと言っている自分の身体の欲求を、今すぐに叶えてあげられないという事実にものすごく落胆している自分がいた。
 けれども同時に、それは叶えられなくて当然だとも思っていた。
 目の前にある仕事を放って、疲れたから寝たいだなんて口が裂けても言えない。言えないだろう、だって、俺は、

 あのスーパースター達の息子だぞ? できるか、そんなみっともない真似

 ずっと当たっていたはずの照明がひどく眩しい。複数台のカメラの放つプレッシャーに負けそうになる。裏切られたような、罪悪感のような、とにかく強い失意だ、泣きたくなる。だんだん喉元を絞められているように苦しくなってきて緊張する。

「はい、皆さんのおかげでなんとか続きました。ありがとう! お待たせしました、で~は、改めて簡単に自己紹介をお願いします!」
「はあい、な、ぜか、一人だけライブした後みたいになっていますぅ。ダイヤモンドソング、加連綾役をやらせて頂きました、御幸恋と申します。よろしくお願いいたしま~す」
「凄かったねえ~~この短時間で歌もダンスもって、まさにスーパースターだったね~」
「いやごめんなさい、やってないですね! ボクの新陳代謝が不健康なだけなんですが、とりあえず元気です!」
「元気ならいいけどねえ!? 無理しないでね!? 晃役の濤岡桐です。続編もどうぞよろしくお願いします!」

 幸い、本番が始まると汗も不安もスッと引き、いつもの調子で喋っていたらあっという間に終わっていた。
 その後も特に何も思うことなくドラマの撮影を夜までこなし、マネージャーのスケジュール調整の傍ら、事務所で溜まった書き物をできるだけ片付けることにした。
 実は密かに、少しでも仕事が嫌だと思ったら一旦考える時間を作ろうと思っていたが、通常運転とはまさにこのこと。普段から芸能の仕事に対してだけは、頂けてありがたいという気持ちのまま臨めているつもりだったので、あの生放送の一瞬、抗えないほど没頭してしまった頭の芯から痺れるような拒否感がまるで嘘のようだった。
 今は何ともないからこそ、何だったんだろう、とサイン色紙を書く手を止めてパソコンに向かうマネージャーを見遣る。
「……今日の生放送見てた?」
「ん?」
「昼前の」
「打ち合わせ中で見られなかったんだよね。何か気になることあった?」
「あー、……なんかさ、分かんないけど、本番中なのに急に水浴びレベルの汗出てきて止まんなくなってさ。見た目的にやばかったかなって思って。あそういえば桐にハンカチ借りたんだった。クリーニングして返さなきゃ……」
 思い出したので、リュックの外ポケットを開けてネイビーのハンカチが入っているのを確認する。顔を上げるとマネージャーが真剣な表情でこちらを見つめていた。
「……眠れてる? 急ぎの分終わったね。帰ろうか今日は」
「え、」
「ハンカチは預かるね。クリーニング出しておくから」
「え? あ……、まだいいよ。今はもう全然大丈夫だから。もうちょっとやっといたら楽だし」
「ううん。帰ろう。あのね。身体に少しでも想定外のことが起きるのは普通じゃないんだよ。僕は今まで色んな人の側で無理して仕事して身体を壊す姿をたくさん見てきた。自分の気持ちを軽んじちゃダメだよ」
「……あ、うん……いや、やりたくないわけじゃないよ……?」
「もちろん分かってる。でも身体が休みたいってサインかもしれないし、今日は割り切って帰ろう。送るね! 行こうか」
「……」
 急かすように促され、そのままマネージャーの運転で自宅前まで送ってもらうことになった。途中から、この人また事務所に戻るんだろうな、とは思ったが何と言っていいか分からず、罪悪感が喉の奥に残った。
 だが、そのお陰で帰宅時間は異例の二十三時前。最近は専ら日付の変わった深夜帯に帰っては早朝に家を出ることが続いていたので休める時間が増えるのは素直にありがたかった。
「ちゃんと切り替えてゆっくり休んでね。おやすみ!」
「ありがとう、……また明日……」
「うん! たくさん寝ること。もし体調が優れなかったら遠慮なく連絡して」
「……はい……」
 見えなくなるまでテールランプを黙って見送ったはいいものの、いつものように急に歩きたくなくなるぐらいの倦怠感を感じて、思わず膝に手をついて俯きながら堪えた。
 すると、待ってましたと言わんばかりに、耳の側ではくすぐるようなこちょこちょとした何かが響く。何であるかはちゃんと聞こえてこないし、言葉とも音楽ともとれないとても不快な雑音。
 耳障りで不愉快だと緩く頭を振って振り払おうとした瞬間、目の奥がズキンと強く痛むので反射的に目を瞑る。
 これらはもう、慣れてしまったと言えるほどにはいつもの不調だった。 
 仕事を終えて一人になると外で頑張るためのアドレナリンが切れるのか、もう大分長い間強弱のある頭痛と耳鳴りに悩まされていた。
 本当にひどいと一睡も出来ないほどの痛みもあるがそれは稀で、もやもやとした違和感程度のものから鎮痛薬が必要なレベルの痛みが毎日欠かさずあった。
 色んな要因があるだろうが、とにかく身体にも心にも耐えきれないほどの甚大なストレスがかかっているのは自分で十分理解していた。
 そのうえで、このことはまだ誰にも言えていなかった。
 全ては、外に出ればなんとかなっているという現状が、しんどいから助けてくれと言葉にするのを強く阻んでいた。 
 時間帯なのか人気がないのを幸いに、しばらくマンションの入り口でじっと頭痛を堪えるのだが、良くはならないのを知っているのでなんとか部屋までは辿り着かないといけない。
 大袈裟でなく怪我でもしている人みたいに足を引き摺って本当にゆっくりとエントランスを進む。確かに物は多い方だがそれにしたって異常にリュックが重たくてまるで人を背負っているようだった。
 それこそ汗だくになりながらもやっとの思いで玄関を跨ぎ、一生分の力を出してようやくソファに突っ伏す。
「う……、っ……痛……」
 誰にも聞こえない、誰にも見られない、この自室だけが本当に本当の身心の異常を異常と認め素直に曝け出せる唯一心の底から安心できる場所だった。
 痛くて涙が出る。どうにかしてほしくて腕や髪やうなじや首元など色んなところを無意識に掻きむしる。呼吸の度に疼く痛みを必死になって逃がそうと響いたみっともない喘鳴が、誰にも届かないことだけが今は救いだった。
 これはまさに、週刊誌に親子関係を晒された日から徐々に表れてきた自分の心のキャパシティの限界だと自分でも思っていた。
 世間から見たら決して悪い噂を書かれたわけじゃない。
 だが、望幸恋からしたら、その核である御幸恋の絶対に知られたくなかったプライドであることは確かな事実。オリジナルじゃないことが世間に知れた自分にはもう、自分自身としての価値はゼロだった。
 一方で、蕪武焼慎と武良瞳という素晴らしいコーティングのかかった今の御幸恋はさぞかし七色に光っていることだろう。
 悔しい。ドラマの当たり役を引いて調子に乗って多くの露出を引き受けた自負はある。当然、その活動だけでも望幸恋として得たものが本当にたくさんあったのに。
 悔しいんだよ。俺のアイデンティティは結局あの二人がいないと成り立たなかったものだと世界が認めてしまうのがやっぱり心から悔しい。
 最初から自分のものなんて無かったと背景を見ながら賞賛されることに何の価値があるんだ。
 ハイブリッドなんかじゃない、だったら最初から自信もセットで付けといてくれ。分かってんだよ。何を犠牲にしても、自分の欲求に抗えない人達だからすごいもんが出来るのは。
 だからといって、何かを犠牲にした成果だとも知らないやつが、手放しで賞賛するんじゃねえ。
 なれないものに必死になってなろうとする気持ちなんか、一生かけても追えないくせに、出来上がったものを見て、良いか悪いか、偉そうにジャッジするだけの、外野のくせに、
 いつの間にか声をあげて泣いているのに気が付いて、いよいよ末期だなと頭の片隅で冷静に思う。
 このひと月は毎日毎日自分で自分の価値を求めて詰る声に苦しんでゆっくり休む気持ちの余裕などなかった。
 ただ、家の外で身体が言うことを聞かなくなったのは今日が初めてだった。
 この部屋でどうなっていようがそれは一向に構わないが、表舞台で迷惑をかけるかもしれないとなると話は別だ。倒れたり、動けなくならなくて本当に良かった、と痛みの裏側でぼんやりと思う。
 増してや、親子関係が公表されてしまった以上、もう自分だけの肩書で済まなくなったということでもある。
 そうなる前には絶対にどこかで誰かに助けを請わなくてはならない。
 だって、そんな状況で世間に情けない姿を晒すことになったとしたら、それこそ恥ずかしくてあのベランダから飛び降りて死ぬかもしれないんだから。
「…………は……」
 はた、とその思考に気が付いて驚くと、突っ伏していたはずの頭が勝手にゆっくりと持ち上がっていくのを奇妙に感じる。
「…………」
 そのまま、オートモードの視線が掃き出し窓の奥、どうしてかベランダへと向いていくのにぞわりと鳥肌がたった。
 あれ?
 今やれるんじゃね?
「…………え……?」
 その瞬間、ぴたっと頭痛が止む。あんなに痛くて堪らなかったはずなのに嘘みたいにどこも痛くなかった。
 代わりに、ベランダを凝視したまま全身が信じられないぐらいぶるぶると震えているのが分かった。
 確かに今、その衝動がここにあった。お陰で全部の重荷が一瞬ではじけ飛んで”楽になった”。
 無意識に今飛び降りて死ねるという可能性を視野に入れた、それだけで、こんなにも?
「……、っだめだめ、は……? 何考えて……」
 自意識でコントロールできなかったその現象が無性に恐ろしくて、震える手が急いでスマートフォンを探す。
 誰もいない、誰も見ていない今、全てを放棄してさっさと死んでしまえる状況にあるこの場所が突如地獄のように思えた。
 自分が何を考えているのかわからなくてとても怖い。実際、そこまで追い詰められていたつもりも毛頭なかったから尚更。
 パニックになりながら必死になって探すのは「助けてくれる誰か」なのだが、通話履歴を何度上下に往復しても誰にもかけられなかった。誰に頼ったらいいのか咄嗟には分からなかった。
 だって、こんな頭のおかしな自分をどこの誰なら面倒見切ってくれるというのだ。誰にも迷惑をかけたくない。おかしくなったと思われたくもない。
 でも、誰かに今、ここにきてもらわないときっとして朝までに死のうとする。直観でそう思った。
 昼間の拒否感がじわじわと頭の中に蘇る。やりたくない。行きたくない。こんなに疲れてしんどいのに、誰にも気を遣いたくなんてない。親の名前しか出さない大人にどうして愛想笑いしてまで面子を保たなくちゃいけないんだ? やめなよ。死んだらいい。そしたら全部やめれるじゃん? 悩んでまでやるようなことじゃなくない? ねえ。
「っ……ちがう……」
 必死になって電話帳の上を右往左往する。社長か? マネージャー? 先生? 誰ならこの心の奥で死んだらいいと囁く弱い自分を制御する方法を知っている? 早く来て、助けて、だって多分、俺はまだ、本気で死にたいとは、思ってなんかないはずで、
「…………」
 葛藤に支配されて膝をついたまま呆然と胸の前で握りしめていたスマートフォンが、ブ、ブ、と静かに音をたてて二度震えた。
 恐る恐る目をやると、画面には晴祝慶人とメール通知が表示されていた。
 何の感情も湧かない。けれど、縋るようにして指で画面に触れると瞬く間にトークルームが展開する。起きてますか?
 
晴祝慶人
 今日は早く帰れたって聞いたので!
 さっきヒルマエトーク見ました。体おかしくないですか?
 先生に言いましたか?

「…………」
 画面を見つめ過ぎて目の前がチカチカする。体おかしくないですかって??? 分かるんだ。俺に起きてる異常を、お前は見ただけで分かってくれるんだ?????
 そして、次の瞬間には画面が着信モードに変わっていた。躊躇いながらも、タップして耳にあてると、何故だか「たすかった」と心の底から感じた。ゆっくり目を閉じて冷めた床に小さく蹲って唸る。
「……ハレ……」
「寝てました? 既読になったからこっちのが早いかなって……! 大丈夫でした?」
「……うん、……」
「明日早いですか?」
「あした……?」
「……なんか、やっぱりしんどいですか? 飯食いました? 俺行きましょうか?」
「…………」
「嫌だったら、アレですけど……絶対体おかしくなってますよね? 汗異常だったってみんな心配してましたよ」
「……あ、あの……」
「ん?」
「これるなら、きて、ほしい、いま、……今これんの、お前……」
「はい……行っていいなら行きます。大丈夫? タクってすぐ行くから。チェーン、外しといてくださいね」
「うん……」
「……みゅうさん? 大丈夫? 泣いてますか……? 電話、切らないで繋げといてもらっていいですか……?」
「……う、……ん……」
「すぐ行くから、ちょっとだけ待ってて! 頭痛いやつ? 熱は? 薬は飲めました?」
「うん……」
 目を開けると大きな窓枠だけが外の明かりで光っている真っ暗なリビングがやけに居づらくて四つん這いで玄関へ続く廊下の暗がりへ逃げる。
 背後のベランダから意識が離せなくて怖い。スマートフォンを床に置いてスピーカーボタンをタップする。身体が震えている。無意識に自分で自分を抱きしめるようにして抑えておく。
 その時ふと、ずっと何かを訴えてくる耳元のこちょこちょに耳を貸すと、近いところで死なないの? と聞こえた気がして息を呑む。

 死なないの? あんな啖呵切って家出てきたのに。やれないなら言うなよ。恥ずかしいな。こんなみっともない姿世間にもハレにも晒して、嫌われても知らないよ。どうせあいつだって思ってるよ。みゅうさんは両親がすごいからすごいんですね。そりゃあすごくて当然ですよねって。
 
「…………」
 途端、冷水を浴びせられたかのように急速に思考がクリアになってきて、こればかりは自身の猜疑心だと頭でハッキリと分かった。怯えていたのさえ馬鹿馬鹿しくなって、ナンダ、とさえ思えた。
 見目は秀逸そうな誘惑だったが、これは間違いなく語る相手が悪かった。
 だって晴祝慶人が、否、晴祝慶人だけはというべきか。そんなことを言うはずもないとそれだけは頑なに信じていたから。
 冷静になればなるほど、精神の異常にかまけてよりによって晴祝慶人に縋ろうとしている自分が殊更情けなく思えてくる。
 つーか何を言ってんだか。そんな理由だけで死ねるわけがない。だって、今死んだって何の意味もないと分かっているからこそどれほど疲れていても人前に立っているんだろ?
 それが仕事だから。
 社会責任の無かった|子供の御幸恋《おまえ》とは今は立場が違う。やれないの一言でどれほど多くの人に影響があると思っている。この道を選んだのは自分。ならば、選んでくれた人に精神誠意応えるのがプロ。
 御幸恋がどんなに嫌がって死にたいと思っても、望幸恋には実質関係がない。よく分かっている。
 きっと今日は現場に|御幸恋《こども》の感情を持ち込み過ぎたのだ。イヤダが勝って危うく負けるところだったというわけだ。そういうことか、アブナイ、アブナイ。
 全てが腑に落ちて肩の力が抜けると、頭の痛みが鈍く戻ってくる。やれやれと立ち上がってシューズボックスの上に常備してあるペットボトルの水と鎮痛薬を難なく飲み下す。
 少しふらふらするが、大丈夫。我慢できないほどの痛みではないことを確かめる。
「ねえみゅうさんーー、既読無視やめてよっ、なんか言って、つきましたよっ……倒れてないよね????」
 スピーカーから泣きそうな声が聞こえてきて床に目を落とすと、タクシーに乗車中は継続的にメッセージを送ってくれていたらしい。見れば相当数の吹き出しがトークルームに追加されていて、申し訳なかったと思う反面、気持ちの余裕からかちょっと笑えた。
「ごめんごめん。今エントランス開けるから。十一階な」
「っい、いきてたっ……マジで震えてますから今っっ……」
「うん、ちょっと寝てた」
「いや寝れそうならいいことですけどさあっ」
「てかこんな夜中に悪い……ありがとね……」
「ええ、いや、そう言われると俺はマジで何も出来ない存在なんでアレなんですけども……」
「俺は物理的に推しがいてくれるだけでいのちが助かりますので」
「どこで覚えたんですかっ。でも物理的に居るなら助かってないですねそれ。一度死にます」
「ふ、一度ね。でも最終的に生きてんならつまり助かってねそれ?」
「それまた別の話になりますね。一旦、物理的に居ていのち助かってるは俺の表現的にないかな。ショック死の可能性もまあありますので」
「ああそ~お……?」
 外廊下を歩く音が近づいてくる。いい加減明かりをつけてから、インターホンが鳴る前に鍵を回して扉を少し押し開ける。おさがりにあげた黒いキャップ。その隙間から不安げな目が覗いていた。
「歩けてる……。こんばんはっ、お待たせです」
「うん。ねえ、まだ画面見たくないからカーテン選んでくんない?」
「カーテン?? どこの?」
「そこのでかい窓。ベランダの」
 咄嗟に向こうをさした指が微かに震えていたが、気取られない様にすぐひっこめてリビングの明かりをつけた。
「確かに。前の部屋もカーテンしてなかったからあんまり違和感なかったけど、防犯上まったくよくないすね」
「んん。アニマルセラピーしてんのバレるかもしんないから」
「あにまるせらぴい???」
 きょとんとした顔で見上げてくるので、立ったままそれごとしっかり抱きしめると、耳元でぶわりと顔に熱を持ったのが分かった。前々から思ってはいたが、晴祝慶人とは鈍いというか察しが悪いというか全く想像力のない人間で時折呆れた。
「は~。まあ、こういうアレだ。イイ感じ」
「お、おれ、あにまるじゃ、な……」
「相当の効果だから問題ね~」
 直立不動のままにやや緊張したハレの声がぴったりくっついた身体を通して深く響いてくるのを目を閉じて受け止める。
「……しんどかったですか、生放送……」
「うん」
「……ですよね……」
「でも仕事だから頑張った。えらかろう」
「……はい、銀河一えらいです、……でも、無理しないでほしいって言っときます……」
「遠慮なく受け取りまあす。ありがとう」
「みゅうさん」
「ん?」
「みゅうさんのことが世界一大好きだから言いますけど、俺はみゅうさんが誰かのおかげで今のみゅうさんになれたわけじゃ絶対ないと思うから、……誰が何て言っても、みゅうさんはみゅうさんのおかげでみゅうさん出来てるってことだけは、疑わないでいてね……」
「……」
 それが本来の欲しい言葉なのかはよく分からないが、晴祝慶人のとてもあたたかな愛情が伝わってきて一瞬で泣きそうになる。
 騒がれてからは顔を合わせる度、もどかしそうな顔をしながらこういう類のことを一生懸命になって喋ることが多くなった晴祝慶人だった。
 こんな風に外側から全肯定しながらあり方を逐一確認してくれる人などそうはいない。素直に嬉しいしありがたいと思ってはいるのだが、何だか気恥ずかしくていつも無下にするふりをした。
「言い回しがへたくそ……」
「っつ、伝われっっっ……」
「伝わってはいる、多分」
 未だにわざと背を向けているベランダにはまだ何か特別な引力があるようで恐ろしく思った。
 なるべく視界にいれないようにしながら休む準備を始めるが、未だ目の奥が鈍く痛み続けているということにこれほど安堵する夜もなかった。




 鎮痛薬とアニマルセラピーですっかり鳴りを潜めた御幸恋は、どうやら次の日の朝までゆっくり眠れたようだった。
 久しぶりの一人じゃない部屋は最初こそ落ち着かないと思ったが気が付いたら夢も見ないほどどっぷりと深く眠っていて自然に目が覚めるまで一度も覚醒せずに休むことができていた。
 ぼんやりとした意識のまま夜が明けた空をベッドの上から見つめると、ベランダから見える外の景色が朝の陽光にきらきらと光っているように見えた。
 身体を起こしてソファを見遣ると、ハレが寝息をたてている。起こさないようにそっとベッドを降り立ってベランダへ続く窓を静かに開けた。
「…………」
 澄んだ空気。心地よい風。階下ではもう車が走っているようだ。上からか下からかどこからともなく漂う煙草の匂い。遠くでカーンカーン、という鉄を打つような音が響いている。明るい水色の彼方を白い鳥が羽ばたく。
 今日も誰かの一日が始まっている。或いは終わるのかもしれない。
 こんなにも平穏で、光り輝く明るい世界。
 それを胸いっぱいに吸い込みながら、よくもまあ、と呆然と思う。
「みゅうさん……、おはようございます……」
 後ろからハレの声が聞こえてちらっと振り返る。寝ぐせのついた頭。眠そうに目を擦っている。
「おはよう」
「ねむれた? 今日天気良さそうですね」
「久々にちゃんと寝れたなあ。嬉しい」
 心底穏やかな気持ちだった。窓を開けたまま室内に戻り、ハレの隣に腰かけてその肩にもたれかかる。そのまま目を瞑って俄かには信じがたい”今日”の訪れを噛みしめざるを得なかった。
「ビューティフルワールドって語呂がいいよね」
「……美しい世界?」
「ああ、そっちのがいいかな」
「曲の話です?」
「うーん、ありきたりか」
 だって、あまりにも見えている世界が違いすぎて、自分でも全く理解できなかったのだ。
 昨日とはまるで、全てが別の世界線のようだった。だからよくもまあ、こんなに美しい世界から落ちて死のうなんて考えられたもんだな、と。
 



>>>
ねえもしかして私、ホラー得意かもしれなくない……?(?)

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