コメンタリー:1.棺

1.棺

 かつてその中には吸血鬼がいた――

 物語の最初の一文。これは、物語を考え付いたとき一番に思い浮かんだ文章です。
 一般に、小説の書き出しはとても大事だと言われています。個人的に、この始めの文章はなかなか良かったのではないかと思います。かつて、ということは、今はもう吸血鬼はいないということです。ではなぜ居なくなったのか? そんなささやかな疑問、あるいは興味を自然と与えることができるのではないかという期待を込めた書き出しです。
 この書き出しに続く物語として、『ロクスブルギーの棺』は生まれました。

 改稿終了時に掲載した編集後記にも載せているのですが、執筆のきっかけは吸血鬼が出てくるTRPGのシナリオで遊んだことです。吸血鬼というモチーフはとても好きだったので、過去にも物語を考えたことがあったのですが、残念ながらこれまで形にすることはありませんでした。そこで改めて「自分の考えた最強の(?)吸血鬼を書いてみよう」となったのです。

 最初に悩んだのは、|吸血鬼《きゅうけつき》という言葉になんというルビを当てるか、ということです。古今東西様々な作品に登場する吸血鬼は、その名前も生態も様々です。一般的には吸血鬼という種を指す場合『ヴァンパイア』という呼称が多いでしょうか。今作では『ドラクル』という呼称を採用しました。決めた段階では、単純に響きがかっこいいからというところが大きかったような気がしますが、この呼称にしたことで、この物語における吸血鬼の性質が決定していきます。

 『ドラクル』というのは、かの有名な『ドラキュラ伯爵』のモデルとされたヴラド3世の父親、ヴラド2世の添え名です。ドラゴン騎士団に叙勲された彼が『ドラクル(竜公)』と呼ばれ、その子であるヴラド3世が『ドラキュラ(小竜公)』と呼ばれたのです。また、聖書においては悪魔は蛇や竜として描かれることも多く、『竜公』は『悪魔公』とも解釈されたとか。
 本作の『|吸血鬼《ドラクル》』はその語源から「竜」という要素を強くピックアップし、「死体が蘇って不死となった化け物」ではなく「|竜種《ドラゴン》から変異して生まれた超存在」という性質を持つに至りました。

 そうした経緯があるので、ポピュラーな吸血鬼とは異なる部分もあったりします。人間に噛みついて血を吸うことはしますが、噛まれたからといって吸血鬼になってしまったりはしません(これは元々、吸血鬼が何らかの病気に罹患することによって起きる病状と思われていたため、噛まれると感染するという説ができあがったのだった気がします)。鏡に姿も映るし、流れる水の上を渡ることもできますし、銀やにんにくが弱点ということもありません。

 しかし、万能でありすぎても物語としては面白みに欠けるので、陽の光には弱い、という「吸血鬼らしい」設定は採用しました。これは『吸血鬼』を『|夜鬼《ナイトゴーント》』という、夜にうろつく化け物の一系統として設定したためです。『夜鬼』の元ネタは、クトゥルフ神話に登場する悪魔のような化け物です。この世界においては様々な化け物が『夜鬼』として一括りにされていて、その中で特筆した差異を持つ個体群に対し、『吸血鬼』や『人狼』のように個別の種族名をつけているような形です。多くの名前の無い『夜鬼』と『吸血鬼』は成り立ちから全く違う生き物ではあるのですが……。

 いきなり物語から大きく脱線しましたが、このように、作中の設定に関してはある程度元にした要素に基づいて決めつつ、「こうしたいな」という要素を組み合わせて作っています。

 さて、本文の解説に戻りましょう。冒頭ではこのように、この作品における『吸血鬼』がどのような存在であるかが、ある骨董屋の店主を通じて語られています。そして登場するのが、タイトルにもなっている『ロクスブルギーの棺』です。物語の序盤で、この棺は骨董屋に並ぶ商品のひとつとして紹介されています。

 ロクスブルギーの名前について、薔薇の花から取ることにしたのは前述したTRPGで吸血鬼のキャラクターを作った際にもそうしたので決めていたことなのですが、実は吸血鬼と薔薇に明確な関連性は無かったりします。何故か関係あるイメージが強くあるのですが、いくら調べても出てきませんでした。「ポーの一族」という漫画作品で、薔薇と共に描かれているイラストが多くあるのが後世に影響したのではないかという説を見かけたくらいです。今度読んでみようと思います。

 ロクスブルギーは|十六夜薔薇《いざよいばら》という和名を持つ、原種(純粋な原種でなく原種系の交雑という説もあります)の薔薇です。十五夜の満月を過ぎて少し欠けた月のように、花の一方が必ず欠けているところからそのように名付けられた、という由来が美しかったので採用しました。

 その十六夜薔薇が蓋に彫りこまれた美しい棺を頻繁に見に来る男が、骨董屋の店主を悩ませていました。この男が、物語の視点主となるルー・ループス・カウフマンです。この時点では、名前もまだ出てきていませんね。背が高く、険しい顔をした近寄りがたい印象の人物として書かれていますが、声をかけると意外と柔らかい笑顔を見せるという人物像は、当初から定めていたようです。

 ルーの名前は、初期案として「気弱な聖職者と吸血鬼」のほかに、「吸血鬼と人狼」という二人組の話を考えていた名残があります。「ルー」も「ループス」も共に狼を指す言葉です。ファミリーネームの「カウフマン」に関しては商人を指す言葉なので、おそらく普通の人間としてデザインしようと決めた時点で、商人の息子という出自にしようとしたのだと思います。

 この時のルーの状況としては、この街に駐在する審問官として配属されてきたばかりの状態だったのだと思われます。なので骨董屋も彼の顔を知りません。ルーはこの美しい状態の吸血鬼の棺が偽物である=本物は焼けてしまっていることを知る数少ない人間なので、本来はわざわざ近寄って確認する必要もありません。ただぼんやりと眺めて、忘れがたい過去に想いを馳せていたところに、骨董屋の店主が声をかけたことで偽物の棺に触れることになります。

 当初、美しい工芸品としてどこかで棺を見た人が模造品を作ったのだろう、くらいにルーは考えていたのだと思いますが、店主の語った棺の逸話が、二十年前の真実と虚構が入り混じったものであったので、オークションの関係者が生きている=ロクスブルギーについて何か知っているのではないかと(後々出てきますが、恩人であるロクスブルギーが夜鬼を使って人間を虐殺したかのような作り話を不愉快に思うところもあって)、棺の売り手を問い詰めるべく店主に情報を開示するよう求めます。教会の審問官に対して、ともすれば必要以上に怯えている店主ですが、これはこの世界において教会機関が持つ権力が非常に大きいことを示している場面でもあります。

 こうして棺の売り手の情報を手に入れたルーが雨の中を歩いていくシーンで、この第1話は終わります。この段階では、この男がどういった目的、どういった感情で吸血鬼を追っているのかという細部は分からないようになっています。何故彼は吸血鬼を追っているのか、そういう興味を持って次の話に進んでもらえたらいいなという期待を込めて、このような引きにしています。

 興味を引く書き出しと引き。1話目は特にこのあたりを意識して書いていました。もし、読んでくださった方がそのような感想を持ってくださっていたら書き手冥利に尽きる次第です。

(2話コメンタリーにつづく!)


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