4-3 終止符
神社の奥まった静かな一室。そこには、神主――乙咲清弥と暁、そして鳳子と仁美里が静かに座っていた。重い沈黙が続く中、鳳子は仁美里のそばで、畏れと不安の入り混じった表情を浮かべ、視線を落としていた。対して、仁美里はその隣で毅然とした態度を崩さず、父である清弥の顔を見つめていた。
暁は穏やかな表情を保ちながらも、その瞳は鋭い光を放ち、状況を探るようにしていた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「鳳子が乙咲家で生活することになったと聞きました。もちろん、彼女がしっかりとした環境で暮らせるか、確認したく思いまして」
暁の声は柔らかいが、その裏には何かを探ろうとする意図が透けて見える。鳳子は肩を震わせ、仁美里に寄り添うように身を寄せた。
「鳳子は村の一員として守られる存在だ。彼女の面倒は我々が責任を持って見る。外の者が口を挟む余地はない」
神主である清弥の冷ややかな声が静寂を破り、村の掟を強く主張する。しかしその内側では、怒りが煮えたぎっていた。清弥の胸には、娘が勝手に暁を拒絶し、村の秘密を危険にさらしたという激しい憤りがあった。己の娘でありながら、村の秩序を危うくする行動を取ったことが許しがたかった。それでも、村を守る為には鳳子を村の仲間として扱うしかなかった。
清弥は内心の怒りを抑え込みながらも、表面には感情を出さぬように努めたが、彼の視線は娘への冷たく厳しいものだった。対して、暁は微笑を浮かべつつも、さらに問いかけた。
「なるほど。だが、あなたの娘は非常に影響力を持っているようだ。彼女の判断が村を動かすとは……村の掟がそれほど柔軟だとは思いませんでしたが」
暁の視線は仁美里に向けられた。彼女の顔に動揺の色は見えないが、その手は微かに震えていた。鳳子が暁の視線に気づき、不安げに仁美里を見上げた。
「娘が勝手に決めたことだ。私自身、まったく予期していなかったが、村の決定に従うべきだろう」
清弥は、仁美里が自己判断で暁を拒絶したことに対して内心怒りを覚えていたが、それを表に出すことはしなかった。村の統治者としての威厳を守るため、感情を抑え込んだ。
「そうですか。まあ、巫女様の意思は村にとっても重いのでしょうね」
暁の目が鋭く光り、彼はさらに質問を重ねた。
「ただ一つ気になるのは……なぜこの村がそこまで鳳子を守ろうとするのか、ということです。外の者には理解しがたい理由があるのか? それとも……外の世界に知られてはいけない何かが?」
暁の言葉に、清弥はわずかに眉を動かしたが、すぐに冷静な声で答えた。
「村は村だ。外界とは異なる秩序の中で生きている。守るべきものがあり、それは我々の役目だ。貴様の知る必要はない」
暁の目が鳳子に向かう。その瞬間、鳳子は一層強く仁美里にしがみついた。仁美里は鳳子を庇うように腕を回し、暁に対して決意のこもった視線を向けた。
「なるほど、では私も外部の人間として、村の事情に口出しするわけにはいきませんね。ただ、鳳子が健全に暮らせることを願っております。私にできることがあれば、お伝えください」
暁はそう言いながら立ち上がり、神主に頭を軽く下げた。
「安心しろ、我々は彼女を守る。それがこの村の使命だ」
清弥の言葉に、暁は一瞬何かを考え込むように視線を落としたが、最終的に頷いてその場を後にすることにした。
「それでは、これでお邪魔しました」
暁が去っていくと、清弥は深い溜息をつき、すぐに仁美里を見据えた。娘の行動が村の危機を招いたことへの怒りが、胸の中で煮えたぎっていた。しかし、その怒りを今すぐ表に出すわけにはいかなかった。
――そんなに、その娘がお気に入りか?
清弥の目が、仁美里に向かって無言で問いかける。
――巫女として、村の仲間を守っただけよ。
仁美里もまた、無言で清弥にそう告げていた。それは言葉ではない。長い一族の歴史の中で育まれた、無意識のうちに通じ合う思考の交錯。彼らの間には言葉を必要としない理解があった。それを無意識に察した鳳子は、二人の沈黙の中に何かを感じ取り、まるで二人だけの世界に閉じ込められたような孤独を覚えた。
鳳子にだけは聞こえない言葉が二人の間で行き交っている。その事実が、不意に仁美里との距離を遠く感じさせた。
(……ずるい)
鳳子は仁美里の背中に隠れるようにして、見えないように唇を噛みしめた。その時、仁美里の柔らかな手が、鳳子の肩を抱いた。
「パパ、これで今度こそ、ふうこは村の仲間。そして今日から私の家族よ。傷つけることは絶対に許さないわ」
仁美里の言葉には強い決意が込められていた。村の長でもある神主であり、彼女の父である乙咲清弥が鳳子を村の一員として認めたことは、村全体が鳳子をよそ者として扱うことを禁じるという意味だった。
清弥は冷たい眼差しで仁美里を見つめ、しばらく沈黙していたが、やがてゆっくりと頷いた。
「禁忌を犯さなければ、もう誰も鳳子に手出しはしないだろう。お前が責任を持って、村の掟をしっかり教え込むことだな」
「ええ、もちろんよ」
仁美里は一瞬、表情を柔らかくし、清弥の言葉に応える。しかしすぐに、彼女の声は再び冷静なものに戻った。長い間続いた過ちが、ようやく許されたことに、心の中で安堵が広がる。胸が熱くなるのを感じながら、仁美里はふと父の視線を避け、そっと目を伏せた。
「……ありがとう、パパ」
小さく呟いた後、仁美里は鳳子に向かって明るい笑顔を見せた。
「ふうこ、屋敷を案内するから、一緒に行こう!」
そう言って、彼女は鳳子の手を引き、廊下へと駆け出した。彼女たちの背中を見送ることなく、清弥は一人静かに部屋に残り、仁美里の未来について思案を巡らせていた。
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