どうかあなたの隣に置いてください




『……やっぱり俺が写しだからか』

 ぐす、ずび、と鼻をすする音が部屋に木霊する。金髪碧眼の麗しい娘はその日も薄汚れたぼろぼろの布を目深に被り、古馴染みである清光の部屋に転がり込んでいた。彼女、ずっと片想いしていた憧れの太刀に振られてしまったらしい。曰く「鏡もまともに直視出来んのか貴様は。俺の隣に立ちたいならば相応の女になってから来るんだな」などと、一刀両断されたのだとか。ちり紙を数枚取って鼻をちょんとつまんでやれば、素直に両手で受け取って鼻をかみ始めた。

『そんなの関係あるわけないじゃん。国広だって分かってんでしょ、何で駄目なのか』

 主にめいっぱい愛されたい。故に可愛くありたい。常々そう考え身繕いを欠かさない清光としては、正直な所彼女を振った張本刃の言い分には大いに頷いてしまう。が、コンプレックスの塊の如きこの娘に対してその言い方は些か厳しいものがあろう、とも思う。件の太刀が言葉にしたのは写しどうこうの話ではなく、身なりに対する指摘だ。戦装束は襟のよれたボタンダウンに、皺と埃だらけのジャケット。裾が所々解れたり破れたりしている、プリーツスカート。ネクタイもなんだかふにゃふにゃしている。その草臥れっぷりはダメージ加工のおしゃれなどとは口が裂けても言い張れないまでの域に届いてしまっている。名に纏わる伝承の影響か、それ故の本歌との折り合いの悪さか。はたまた付喪神時代にその美貌で散々な目に遭ってきたのか。兎角目立ちたくないが為に、この娘はいつもみすぼらしい恰好をしていた。血や泥で汚れているくらいがちょうどいい、などと宣う始末である。万屋街で見掛ける男士の山姥切国広もそれなりの草臥れ具合だが、女士の姿で顕現しているこの山姥切国広も相当な草臥れっぷりだ。同じ山姥切国広でもどこぞの広報担当本丸のやたら大柄で歌が上手い同位体は幾ばくか小綺麗にできている(彼方は客商売でもあるため当然と言えば当然なのだが)というのに、勿体ない。刀剣男士・女士共に纏う戦装束は人間の衣服とは違い、各々の持つ霊力で編まれた代物である為、強度が高く頑丈なつくりにはなっている。戦闘で負傷すれば裂けることはあるものの、針と糸で繕わずとも手入れ部屋に入ればあっという間に元に戻るのはそういう仕組みだからだ。……その筈なのだが、男女共顕現時から既にその使い古しぶりなのだからあれはもう、彼彼女等の捻くれてしまった精神性が反映された結果編み上げられているものなのかもしれない。故に、その指摘は衣被の彼女にとって修正困難なものであろうことは容易に想像できた。刀剣の横綱に選ばれたくば性根から叩き直せ、そう言っているに等しいのだから。

『っう、分かっている、分かっては、いるんだが、ッ』
『やーっぱ、そればっかりはどうしようもないよねぇ。大包平も厳しいなぁ……』

 彼女を振った件の太刀。大包平という女士は、指摘に一切の容赦をしない。容姿を美しく見せることと身だしなみを整えることは、全く別の話だ。そこにこの娘の内面や好悪の話など含まれてはいない。大包平の言う「相応しくあれ」とはなにも着飾れという意味ではないということも、曲がったことは許さない真っ直ぐな彼女の性格から容易に判断できる。彼女自身、この娘の厄介な特性を分かった上で話しているのだろう。纏う衣服さえ歪めてしまう今のままの精神性では、とてもじゃないが交際できたものではない。そう言っていたのだ。

『ね、修行行って来たら?』
『う……』
『国広はあのひとにさ、どーしても好きになって欲しいんでしょ』
『……ああ』
『あの大包平に、好きって言える勇気があるじゃん。じゃあ写しがなんだ、俺は俺だって胸張れる勇気もちゃんとあるってことじゃん』
『そう、だろうか……』
『俺に相応しい女になってから来い、だっけ? それってつまりさ、国広がそうなれるまで、大包平は待っててくれるってことじゃないの?』

 清光は既に修行の旅を終えている。それは今よりもっともっと、主に愛されて使われたいが為の修行だった。けれど皆が皆、使ってくれる主の為の修行じゃなくていいのだ。確かに皆審神者の持ち物ではあるし、戦う為の道具をやってはいるけれど、得た肉体と意思は千差万別だ。やりたいことも違う、できることも大きく異なる。修行は『今よりも強くなりたい』『変わりたい』という、己自身の選択でもある。だから行きたくない者、必要性を感じない者が無理に申し出ることはない。今までの自分を見つめ直し、これから自分がどうなりたいかを思い描いていく準備をする為の旅だ。旅に出る理由なんか、何でも良い。旅道具に詰めていく荷物の中身は、必ずしも使命である必要などない。この本丸の審神者であり清光の大好きな主は、どんな理由でも笑って送り出してくれたのだから。

『……そうだと、いいな』

 ぐしぐしと袖で乱雑に涙を拭った娘は、くずかごにちり紙を投げ入れて立ち上がる。
 練度にはすでに達していた。しかし修行の意思は示せないままだったこの娘が。
 清光の一押しによって、遂に旅立つことになった訳である。

 ―――さてそんなことがあったのも、今は昔のこと。

「清光、助けてくれ! 爪紅が上手く塗れん……どうやったら綺麗になるんだ!」
「んー? 別にいいけど……あ」

 果たして襤褸頭巾を取り去り、輝く金の髪と翡翠の瞳を堂々と陽光に晒すようになった今の彼女は、見事日本刀の女王を射止めてみせた。何かある毎に清光の部屋に転がり込んでくるところは、変わっていない。そこが可愛くてついつい構ってしまう訳だが、最近ちょっと困ったことになり始めた。清光以外誰もいないと思ったのか勢いよく障子を開いた彼女だが、待った方が良かったのではないか。生憎清光の部屋には今日もう一振の、客刃がいた。

「……ま、待ってくれ。何で此処に大包平がいるんだ」
「貴様の行動などお見通しという奴だ、この浮気者め」

 金剛石の如く煌めく鋼色の瞳。陶器のように滑らかな肌。真白のブラウスを大胆に開いていても、不思議と品を失わない胸元。艶に満ちた赤銅色の長い髪を蝶の髪留めできっちりと纏め上げた、絶世の美女が頬杖を突いて国広をじとりと睨み上げている。大包平という刀剣は男にしても女にしても頭一つ飛び抜けた美刃なのだと思い知らされたのは、彼女の顕現当時のことだったか。こんなの無理、絶対勝てない、俺ついに主から飽きられちゃうかもと全く要らぬ不安を抱いたのも、懐かしい。

「貴様、俺という極上の女をこいびとにしておきながら他の女の部屋に転がり込むのか?」
「ち、違うぞ!? あんたの手と足にも綺麗に爪紅を塗ってやりたくてだな……! この本丸で清光が一番上手いのは、あんただって分かっているだろう!!」
「俺を美しく飾る為なのだろう! ならば俺の爪で練習しろ!」
「あんたの綺麗な爪から爪紅がはみ出してる様を、俺は見たくないんだ!!!!! 頼むから俺自身の爪で練習をさせてくれ!!!!!」

 上手く出来るようになるまでは、という気持ちもまぁ、分からんでもない。修行を終えて戦装束を綺麗に編めるようになった彼女は、今度は好きな|刀《ひと》を美しく着飾りたいという方向に転換したらしい。この間も「今度ふたりで海に行くんだが、大包平に履かせるサンダルはどんなものが良いだろうか」という相談に乗っていた。大方その時の為に足の爪も彩ってあげたいのだろう。健気なことである。尽くす女が板につき過ぎて、貢ぎ癖がついていそうでちょっと心配にはなるが。

 悪い気はしないとはいえ、だ。困っているというのは、つまり。

「ねぇちょっとふたりともー。俺を挟んでいちゃつくの、やめてくんない?」





次へ

powered by 小説執筆ツール「notes」