第△夜(平成のスパダリエリート攻め様×取引先のリーマン)

 こんな夢を見た。

 早朝ロケのために早起きした朝のように、思考にぼやっともやがかかる。まだ意識がはっきりしない。
 気が付けば俺は中空から地上の有象無象を見下ろしていた。時折こういう夢を見ることがある。俗に言う『神さま視点』というやつだ。
(ここは……?)
 夢の世界に適応するべく、数回瞬きをして脳を休眠モードから揺り起こす。とりあえずきょろきょろと辺りを見回してみた。
 屋内。洋風のゴージャスな内装。天井の高いホール。中央に絢爛なフラワーアレンジメント。せかせかと行き交う黒服。耳を澄ませば人々の間では多国籍な言語が交わされ、電話のベルが休みなく響く。
(ホテルの……フロント?)
 それも星が幾つかつくレベルの、一流とか超一流とか呼ばれる類いのもの。こんなところには仕事でもそう来ることはない。
 どうしてこのような場所に漂う(?)ことになったのか見当もつかないまま、だらりと宙に寝そべっていた俺は首を傾げた。今の俺の姿は誰からも見えていないはずだからやりたい放題である(そもそもこれは夢だし)。



 そうして浮かぶこと数分。あまりにも見慣れた背格好をした人間がロビーを横切った。
(⁉ 俺‼)
 「『HiMERU』かも」と考えたのはほんの一瞬だ。この俺が見間違えるはずがない。眉をキッと吊り上げ、迷いのない足取りでつかつかとフロントへ向かう男はどう見ても『俺』だ。賭けても良い――なんてどこぞのギャンブル狂みたいな言い回しでげんなりするが。
「どうも。十条です」
「十条さま、お待ちしておりました。こちらルームキーでございます。ごゆっくりお寛ぎください」
「ありがとうございます」
 フロントでカードキーを受け取るとその足で真っ直ぐエレベーターへ向かった。俺も慌てて後を追う。ネイビーのスーツ姿で重たそうなブリーフケースを提げ、落ち着かない様子で階数表示を睨み付ける『俺』は、見たところごく普通のビジネスマンのようだった。
 チンとベルが鳴って箱が停止する。慣れた素振りでカードキーを使って自動ドアを抜け、エグゼクティブフロアの利用者専用の、ひと回り小さなエレベーターに乗り込んだ。光るボタンはホテルの最上階を示している。
(スイート……に、何の用だ?)
 時刻は先程確認した、まだ日中だ。つまり普通に考えれば『俺』は勤務中なわけで。そんな状況で、如何にも仕事真面目そうな――否、『俺』が俺であるなら真面目なのは間違いない――一介のサラリーマンが何故、高級ホテルのスイートに?
(何かやましいことでもあるんじゃないだろうな)
 俺は一抹の不安を抱きつつ、後を追って目的のフロアへと降り立った。
「失礼します」
 解錠して部屋に踏み入った『俺』はそう律儀に断りを入れた。先に誰か来ているのか?
「おう、十条くん。待ってたぜ」
「――天城常務」
 俺は目を瞠った。白い革張りの必要以上に大きなソファに悠々と腰掛けてグラスを揺らしていたのは、天城燐音だったのだ。『俺』が纏っているものよりも数段上質な、仕立ての良いスーツを身に着けた彼は、立ち上がって俺達を出迎えた。
「まだ昼間なのですが……それに、これから商談なのですよ」
「やだなァただの水っしょ。酒は労働の後の楽しみにとっとくよ」
「それなら良いのです。ではお持ちした資料を――」
 そう言ってブリーフケースを漁り始める『俺』を天城がやんわり止めた。
「待てって、せっかちさん。コート預かるよ。ドリンク何がいい?」
「あ……では珈琲を」
「はいはい」
 コートをハンガーに掛けた天城は何やらリモコンを操作し、天井からスクリーンを下ろしたりプロジェクターを起動したりしている。ついでに空調温度の調整もしていた。こまごまと気の利く奴だな。こっちの天城もこうなら良いのに。
 そうして本当に商談が始まった。とある広告代理店の営業である『俺』こと十条要と、大手メーカーの常務取締役を務める天城燐音。冷やかしも茶化しもせずじっと話に聞き入り、時に的確な質問を投げて寄越す男が、俺の知るユニットリーダーとまるで結び付かない。
(こいつ……真剣な顔も出来たのか……)
 思わずそんな失礼なことを考える程度には、衝撃だったのだ。
 やがて何事もなく商談は終わった。
「じゃあまァそういうことで、契約成立だ。細かい条件は改めてメールしとくわ。そちらの部長さんによろしく」
「――、はい! ありがとうございます」
 無事契約を取れた安堵からか『俺』はすっかり気を抜いて珈琲を啜っている。しかし俺の方は未だ疑念が拭えない。これで終わりなら、わざわざホテルで密会みたいに落ち合う必要などないからだ。そうだろう?
 丁度その時だった。黙って見守る俺の前で、案の定天城が行動を起こした。油断しきった『俺』に彼がにじり寄り、耳元で何事かを囁く。声にならない悲鳴を上げて飛び上がる『俺』。
「〜〜〜ッ⁉」
「きゃは♡ 先にシャワー浴びてくるから、イイ子で待ってな」
 ぽんと頭を撫でた男は宣言通りバスルームへ向かって行った。取り残された俺達は、いや俺は唖然だ。あいつは何を言った?
「……まったく、あのひとは……」
 ――おい『俺』、その恋する乙女みたいな顔をやめないか。



 それからの『俺』はあまりに落ち着きがなくて見ていられなかった。天城と入れ替わりでシャワーを浴びに行ったけれど、緊張のせいか何もないところで躓いて助けられたりしていた。
 一方の俺は部屋に残って天城の様子を観察している。ベッドを整えて、サイドテーブルにミネラルウォーターのボトルを置いて、スキンとローションを用意して、もう一度空調の調節をして。バスローブ姿の彼はひと通り準備を終えた後にグラスに赤ワインを注ぎ、ようやく寛ぎ始めた。
(ええ……なんか……出来る男みたいだな)
 俺の知っている奴はこんなに気の利く男ではない。むしろ俺や桜河や椎名が迷惑を被るほど、傍若無人な俺様である。だからこの天城を見ているとなんと言うか、むずむずする。
「おっ、おかえり」
「――お待たせ、しました」
 タオルで髪を拭きながら戻ってきた『俺』に、ベッドに腰掛けた彼は穏やかに目を細めて手招きをした。
「こっちおいで。髪乾かしてやンよ」
 おずおずと歩み寄った『俺』の横髪に優しく指を通してキスをする。気付かない振りをしていたがこいつらはやっぱりこういう関係らしい。隣に座らせると、ベッドサイドに置いておいたドライヤーを手に取った天城が弱風を丁寧に当てながら水色の髪を梳いていく。『俺』は幸せそうに頬をピンク色に染めて大人しくしていた。喉をゴロゴロ鳴らして擦り寄る猫のような懐きっぷりだ。
(…………)
 もし。もしこっちの天城が、こんな風に優秀で気配りが出来て優しかったら、俺と今みたいに、惰性のセフレをやっていただろうか。きっとそうはなっていない。この『綺麗な天城』がアイドルだったなら、そういう危ない橋は渡らないだろうから。ファンには勿論、俺にだって真摯に誠実に接して、決して間違いは起こさないはずだ。
(……。なんか、嫌だ)
 心の奥がモヤッとした。俺もアイドルとしての立場とファンを何よりも大切にしているし、スキャンダルの種など無いに越したことはないのに。それでも一瞬過ぎった彼に触れられない可能性に、肺のあたりが鈍く痛む。何だこれは。これでは――まるで。
「あ……天城、さん」
「燐音って呼んで。要」
「り、燐音……さん、ッン」
(あっ⁉)
 俺が他所に思考を飛ばしている間に、奴らはグイグイ先に進んでいた。するりと悪戯に太腿を撫で上げる大きな掌。今触れられているのは己ではないのに、あの体温を思い出してカッと顔が熱くなった。
「要、こっち」
「……は、い」
 『俺』の手を取った天城は大きなガラス窓の側へと導いた。陽が沈みかけた街は点々とあかりを灯し始め、足元には無数の星々が散らばるようだ。
 高層階から見下ろすロマンティックなシティビューに目を奪われたのも束の間、恋人達はどんどんヒートアップしていく。
「後ろ、俺のために解してくれたンだよな……? いーこ。窓に手ェついて」
「う、はい……」
(う、うわ〜〜〜〜‼)
 普段似たようなことをしているとは言え、いや似たようなことをしているからか? 見るに堪えない光景だ。自分達のハメ撮りでも見せられている気分で居た堪れない。どうしてこんな目に? 俺が何をしたと言うんだ。
「俺とエッチなことするの想像した?」
「……」
「ん?」
「し、しました……っ」
「へェ? いけねェ子だな」
「あ、ぅ、燐音さん」
「要……可愛い」
「燐音さん……」
 ガラスに『俺』を押し付けて男は後ろからぎゅうと抱きすくめる。そこに反射する恍惚とした表情をついうっかりしっかり見てしまい俺は悲鳴を上げた。
(ちょっと‼ 今令和ですよ⁉ 天城、ちょっ……聞こえねえのかこのくそったれ‼)
 聞こえないのだ。これは俺の夢で、俺は姿の見えない神さまだから。そんなわけで必死の制止も虚しく、天城がそのまま窓際で『俺』を抱こうとする。
(……ッ嫌だ……)
 確かにこの世界の天城燐音は完璧だ。悪いところがない。社会的に地位のあるエリートで、見た目も中身も申し分ない優男だ。だけど違う。俺が抱かれたいのは、――好きになったのは、『この天城』じゃない。
 脳内をぐるぐると、そんな思考が支配する。気が付いたら拒絶の言葉が口をついて飛び出していた。

「やめっ……、……? え?」
 見慣れた自室のベッドの上、大汗をかきながら目を覚ました。
 夢、そうだ、夢だったんだ。途中からわけがわからなくなってしまっていた。
 ふと違和感を覚え、自らの股間を見やった。思った通りそこはしっかり起立していた。
「……ちくしょう……」
 俺は泣きながらトイレで抜いた。

 ──ああ、どんな顔であいつに会ったらいい。





【こんな天城は嫌だ・オブ・ザ・イヤー授賞】

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