SS.君は無慈悲な月の女王
「はいはーい!みなさん大好きラスボス系後輩BBちゃんです!ところで、貴方は誰ですか?」
どこか全体的にピンクな雰囲気を醸し出したスタジオのような場所に、俺は背もたれに体重をかけて座っていた。何故か置いてあったソファはどうやら上質な物だったようで特に腰を痛めるわけでもなく、良い座り心地で思わず寛いでしまう。
「俺は藤丸立香。なあ、ここは何処だ?俺は自室で眠っていたはずだけど、夢だとするなら流石に鮮明すぎる」
「う〜ん、私としては貴方がどうやって生身で月に単身突撃してきたのか知りたいですけどね」
彼女としても俺は完全なイレギュラーだったようで、困ったように腕を組んで思案顔になっていた。
というか、
「というか、今君はここを月と言ったかい?」
「ええ、そうですけど」
俺は思わぬ事態に頭を抱えてしまった。
ここが月だとするなら、何故こんなスタジオめいた施設があるんだ……。
まったく理由が分からず、俺は唸り声をグラデーションのように徐々に徐々に大きくしていく事しかできなかった。なんだかバックで流れている小気味の良い音楽が、余計に俺の思考を邪魔しているように感じてくる。
「う〜ん、仕方ありませんね。今日からアナタの事は立香センパイと呼ぶことにします。良いですか?特別ですからね!私が『センパイ』という呼称を使うのは」
彼女は念を押すように言うと、至近距離に位置していた身体を引っ込めた。
「なんですか?もしかして、ド至近距離に居た美少女元祖ラスボス系後輩を意識してたんですか?もう、センパイたら初心ですねえ」
名前も知らない彼女は悪戯を成功させた子供のようね表情を浮かべて俺を誂う。まあ、そこに不快感を感じなかったのは彼女に敵対心とか邪な心がな――いや、少しくらい含まれてたかもしれないけど、害になるような物ではなかった、という事だろう。
「そうですねー、センパイにはこの月の上級AIとしての役割を与えましょう!勤め先はズバリ、放送室です!!」
放送室?上級AI?なんだか意味は解るけれど、自分に対して与えられる称号や物ではない気がするな。
「それで、俺はその『上級AI』とやらになってどうすれば良いんだ?」
「それはですねー、まあ適当にやってください」
それはどっちの適当なんだろう。適切な方の『適当』なのか、パッパラパーな方の『適当』なのか。まあ、どちらにしも彼女はこちらの行動に一々干渉してきたりはしないようだ。それは泳がされているのか、それとも僕への配慮なのかは解らないのだが。
まあ、良いだろう。どうせ利用されていようと、されていなかろうと右も左も解らない俺からすれば構わないことだろう。
「わかった」
俺は短く肯定の言葉だけ告げて、ソファからゆっくりと立ち上がる。あの座り心地の良さとおさらばするのは少しばかり残念だが、まあ仕方ないだろう。それにどうせまた、この場所に呼ばれるだろうからな。あこまで気にすることでもないだろう。
「では行ってらっしゃい、センパイ!」
その言葉を皮切りに、俺の視界は暗幕した。
それからというものの俺は与えられた仕事は熟し、偶にマスターと呼ばれる人たちと談笑したり、ある時は菓子やパンを作っては購買に送るという生活を繰り返していた。正直、自分が普段通っている学校とは別の制服を身に纏うのは新鮮だったし、何故か『彼女』から手渡されていた眼鏡を掛けていたら、無表情な少女から執拗に「その眼鏡を外して」と付き纏われて大変だったが、まあ良いだろう。それで実害になった事はないし、別にその女の子の人柄は嫌いじゃなかったのだから。
さて、再び『彼女』に呼ばれてこのスタジオに来た訳だけど、俺は最早慣れっこというか、慣れざるを得なかったというか。まあ、とにかく彼女の事に関して言えば、「慣れた」の一言に尽きる。
「で、今回呼んだ理由は?」
「ええ、少しお仕事の息抜きにセンパイであそ――いえ、一緒に遊ぼうかと思いまして」
絶対、「センパイで遊ぶ」って言うのが本音んだろうな。まあ、俺としては『彼女』の悪戯心満載の行動にはある程度割り切ったつもりだからあまり気にしていないんだが。
「と、言うわけでツイスターゲームやりましょう!」
「なにが『と、言うわけで』なのか知らないけどそれは却下だ!」
「ええ?センパイ、もしかして私と直接触れ合うのを緊張しているんですか?だとしたら御安心を!このBB、センパイを男として意識した事ありませんから!」
彼女は何故か自信満々にその豊満な胸を張って――ん?待て。
「君の名前ってBBっていうの?」
そう聞くと、BBはポカンと口を大きく開き、珍しく驚きの表情を浮かべていた。俺はその表情が面白く感じて脳内フォルダに保存した(まあ、俺はコンピュータでもないし、あくまで擬似的って言い表すべきだろうけど)。
「いや。いやいやいや、センパイ!?私の名前知らなかったんですか!?」
「うん、だって名乗ってなかったし」
BBは「確かに」と信じられないというような顔で地べたに手をと膝を付いて無様な格好を晒していた。
「こほん、まったく私の名前を覚えていないなんて度し難いですねえ、センパイ!後で私のためにとびっきり美味しいスイーツを作ってくださいね!約束ですから」
なんだよそれ、と思いつつも俺も別に悪い気はしないから二つ返事で了承した。罰則をこんなに喜色な表情で受けるものなど、俺を覗けば他に居ないだろうな、と思いながらソファのクッションに体重を掛けて圧し潰す。
「ああ、あとツイスターゲームはやってもらいますからね?これは決定事項ですから!」
……へ!?
「いや、ちょっとまってくれよBB!」
「何ですかセンパイ。可愛いラスボス系後輩の名前を呼びたいからって話の腰を折り過ぎです」
「いや、君が可愛いのは百歩譲っても――」
「百歩じゃなくて一歩!!」
「――ああ、解った解った。解ったから!あんまり大きな声で遮るの辞めてくれないか、心臓に悪い」
「いえ、そっちが百歩とか言うのが悪いです。可愛い後輩に少しくらい悪いとは思わないんですか?」
BBがムスッとした表情で腕を組んで外方を向くものだから、俺は彼女のご機嫌取りに奔走する羽目になっているのだが、これは俺だけが悪いのか?
「まったく、センパイは仕方ないですね。さっ、準備はできましたから早くシートの上に乗ってください」
「なっ――何時の間に!」
「センパイは間抜けですねえ。そんな感じだと、簡単に出し抜かれちゃいますよ?」
俺はそれ以上の問答は無意味だと判断して、大人しくシートの上に立つ。
「そう言えば、ルーレットによる指示出しは誰がやるんだ?俺達のほかに誰も居ないみたいだけど……」
俺はもう一度辺りを見回すが、機材がごちゃごちゃしているだけで人は見当たらない。
「ああ、それに関しては平気です。お間抜けさんなセンパイとは違って、完璧なAIである私は用意だって周到なんですよ!」
そう言って、スタジオのステージにあるスクリーンにルーレットが映し出される。なんだかんだで、この場所にある機材なども機能しているようで驚きを通り越して感心した。
「ふっふっふっ、どうです、センパイ!これがBBちゃんの出した答えです!さあ、首を洗って待っててください。どうせ直ぐに敗北するんですから!」
なんだかなあ……。
俺は最初の指示出し通り右足を赤に置いた。
「ふむ、センパイの身体って意外と柔らかいんですねえ」
意外と、は余計だ。まあ、ストレッチは欠かしていないし、なんだか必要に駆られて筋トレもしているのだから当然と言えば当然だ。
「それでは私も、ルーレット・スタート!」
BBはルーレットの指示通り、右手を直ぐ近くの青に置く。なんだか四つん這いのような格好で、無心にならないと変な気が湧いてきそうだった。
「さーて、センパイはどれだけ耐えられますかねえ?見ものですね!」
舐めやがって、と言おうと思ったけれど、それではBBの思う壺だ。きっと彼女は俺が挑発に乗ってミスする事を狙っているのだろう。
なら、その手には乗ってやらない。
俺はルーレットの指示通り、左手を右足より少し進んだ黄色に置く。なんだか今にもクラウチングスタートしそうな格好になったが、別に走る気はない。走ったら負けだ。
それからしばらくして、BBと接近して直接対決となった。
「センパイは何時まで私の身体に耐えられるんですかねえ?もうそろそろ降参しても良いんですよ?」
「君だって赤面して息を荒くしているじゃないか?案外男の体には免疫ないんじゃないか?大人しく降参することをオススメするよ」
俺達はお互いの負けず嫌いが災いして手足が複雑に絡み合って当たっちゃいけないところに肌は触れ合っていたりして、かなり危険な状態だった。
「なあ、首に腕をかけるのやめてくれない?結構苦しいんだけど」
「そう言うなら降参してはどうですか?私としても胸を膝で圧迫されるの苦しいんで辞めてほしいんですから」
「いいや、そう言うなら君が降参するんだ」
お互いに「ぐぬぬうぅぅ」という唸り声を上げて、余計な体力を浪費していく。そんなに体力を浪費していけばどうなるかなど目に見えているというのに、俺達は互いのプライドと尊厳のために意固地になって辞めない。
「次は……、右手を赤か!」
俺はそこに手を置くと、ふわりと柔らかい感触に包まれる。
「いやあん!」
BBはいきなり身悶えて震える。俺の腕は彼女の太腿に触れていた。
「……は?」
BBは身悶えたのが原因か段々態勢を崩していく。それはこのツイスターゲームの崩壊を意味する。複雑に絡み合った俺達の手足は皆纏めてシートの上に投げ出された。その衝撃で俺は大きく背中を打った。
「いたた……」
俺は背中を擦ろうと起き上がるそぶりをするが、ふと上に人間一人分の体重を感じて上手く起き上がれない。それもがっしりと固定されているようで身を捩ってもどうにもならない。その原因を究明するために目を開くと、そこにはBBが抱きつくような形で抱きついていた。
「うう……、痛いですねえ」
彼女もまた起き上がろうとするが、現状に気付いたようで真っ直ぐと俺を見る。そして視線が交わる時、気まずい空気が俺達の間に流れた。なんだかバックで流れている音楽の事も気にならずただただ、眼の前で頬を染めているBBに見惚れている。意識せざるを得ないと言わしめるまでに、俺達の間に物理的な距離は生じていなかった。
最初に動いたのはBBだった。彼女は俺に巻き付いていた手を解き、何でもなかったように服の皺を整える。
しかし、俺は見逃さなかった。彼女の耳が真っ赤に染まっていることを。
「なに見てるんですか、センパイ?」
彼女はジト目で座り込んでいる俺を咎めるように、または恥ずかしさを紛らわすようにそう言った。その様子が妙に何時よりしおらしくて、可愛らしくてつい声を上げて笑ってしまう。
「ああ!笑いましたねぇぇ」
BBは目を鋭くして若干怒り肩になって俺に圧を掛けるように詰めてきた。
「ごめんって!でもさ、そうしている君が妙に可愛くてさ!」
「な!私は何時だって可愛い完璧元祖ラスボス系美少女後輩AIです!そんな事、言われなくても……」
BBは最初の威勢の良さとは打って変わって、だんだん声が萎んでいく。それは風船の中に詰まった空気が抜けていくようで、彼女の屈辱的感情を良く表しているように俺の目には映った。
「まあ、良いですけど。私は寛容ですからね!センパイが私のあーんなところや、こーんなところに触れたことに関しては目を瞑りましょう」
「そうしてくれると助かるよ」
なんだか幸せな気分だった。彼女とこんなにも楽しい時間を過ごせている事がとても俺には輝いて感じて、だからこそこんな幸せな時間はそう長くは続かないのだろう。
「へ?」
BBの間の抜けた声で、俺達の笑い声は途切れた。
「センパイ、それって……?」
俺が自分の体をみると、端から段々光の粒に成りつつあることが確認できた。でも俺はその事象に焦るでもなく、何故かそうなることを予測していたように頭はBBの反応とは正反対に酷く冷静だった。
そうして、BBが何か叫んでいるのが耳に届かぬまま、俺の意識は元いた時間へと浮上した。
どうやら俺は美味しいスイーツを作るという約束を叶えられなかったらしい。
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