コメンタリー序文
お世話になっております。巡里廻です。
この度、拙作『ロクスブルギーの棺』のコメンタリーを執筆することといたしました。
今回は序文として、コメンタリーを書くにあたり、創作に対して考えていることなどをざっくりとお話ししていければと思っています。あくまで非商業でゆるーく活動している一個人の意見であることを踏まえて、おおらかな気持ちでご覧頂けましたら幸いです。
作品の解説自体は次回から開始していきますので、作品の解説が気になる方は更新をお待ちください。
さて、今回解説をしていく『ロクスブルギーの棺』は、既に初稿・改稿版を経て、最終稿である書籍版も制作されている作品になります。執筆当初はTwitterで少しずつ連載をしており、縁のある数名のフォロワーが目を通してくれていました。それから時間が経ち、活動の拠点をMisskey.designに移してからは、やはり一次創作をメインに活動されている方々の集まる場ということもあって(私の書いたものとしては)より多くの人の目に触れるようになっていきました。大変ありがたいことです。同時に、創作をされる方々の様々な思いや考えに触れる機会も多くあり、私自身、創作に対して以前よりも多くのことを考えるようになりました。
私はどちらかというと、作品の解釈は「可能な限り読者に委ねたい」と考えるタイプの書き手です。それは「物語を読む」という体験の主役は読者であるからと思うからです。十人読者がいれば、十人がそれぞれの感想を持つことでしょう。それこそが読書の体験であり、醍醐味だと思うのです。
そのため、作品の中で一から十まですべてを解説はしませんし、その必要は無いと考えています。説明的な文章が挟まることで文章が冗長になりテンポが悪くなるということを防ぐ意味でも、文章は簡潔に分かりやすくすることを、自分の中では重視しています。言葉の意味として大きな誤解が生まれてはいけませんが、解釈の余地、余白のようなものをある程度残して書いているつもりです。
しかしながら、書き手である私の中にはもちろん、ここにはこうした意図がある、ここの人物はこのようなことを考えている、といった、いわゆる「模範解答」のようなものが存在していることがあります(全く何も考えていないことも稀にありますが……)。読んでくださっている方の中には、そうした意図を正確に汲み取ることで楽しさを見出したり、作品についてより深く理解したいという方もおられることでしょう。商業作品においても、作者へのインタビューやあとがき、書籍のオマケのページなどでそうしたことが語られる機会もあるかと思いますが、余すところなく、というのはなかなか難しいのではないかと思います。
ある意味、しっかりがっつり解説をつける、というのも趣味でやっているからこそできることのひとつなのではないかと思い、現状自身の代表作(?)ともいえるこちらの作品でやってみようと考えた次第です。果たして本当に余すところなく解説できるのかどうか、むしろ筆者であるこちらが試されているような気さえします。
形式としては、一話ずつ自身も目を通しつつ、解説を書いていきたいと思います。「この時はこう考えていた」とか「こういう案もあった」というようなことも思い出せる限り書いてみようと思います。そのため時折脱線するかもしれませんがご容赦ください。
基本的にはどなたでもご覧頂けるWEB掲載(pixiv/Nolaノベル/個人サイト)版をベースに解説をしていきますが、書籍版も内容そのものは大きく変わってはいませんので対応できるかと思います。
是非お手元に本編を用意して、併せてお楽しみ頂けましたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
巡里 廻
powered by 小説執筆ツール「arei」