理想の恋愛
昨年、弓美弥に季節行事をやれと言われてから早一年。やっとその気になってきたので今年はバレンタインシーズン限定でチョコレートリキュールを使ったカクテルを出すことにした。
したはいいが、代り映えしないメニューに突如現れた新作の物珍しさからか、初日からバカみたいにオーダーが入ってすぐに売り切れて困ったので次の日からはリキュール一本分までの限定メニューに変えた。
「それは……目玉商品の仕入れはさすがに多めにとっといたほうがいいんじゃ……」
話を聞いていた榛葉が、珍しく言いにくそうにしながら苦笑する。
「ええっ……、まあ、そう……そうなんだけど、だっってバレンタインの世の中がそんな皆浮かれてるなんて知らなかったんだもん……」
「そっかあ……。美味しいし見た目もお洒落だし損にならないならもう少し多く出してもいいんじゃないかなあ……」
ダウンライトを浴びてきらきらと上品に輝くカクテルを見つめてそう言った榛葉がそっと後ろを振り返る。
つられてそちらに目がいくとテーブル席には女性客が一組。確かに両方とも限定カクテルをオーダーしたのだけれど。
「いや、自意識過剰なわけじゃないけど、うち下手にバズってもキャパ小さいからさ。限定メニューで用意した分が売れてくれるだけでも十分ありがたいことだし」
「ノンノン。プレミアに弱い人は必ずいるよ~。話題になってたからただ飲んでみたいだけなのにいつ行っても売り切れ、十分な在庫確保できてないならこんな美味しそうなもん売り出すな~~! 空売りじゃね~のか~~! ってクレーム、世の中にいくつあると思う?」
「……待ってこわ……そんな身勝手なクレームある……?」
「誰かが何かに恨みを持つきっかけなんて、自分が満たされないって理由が大半だよ」
「ウラミ!? いくらなんでも恨まれるようなことはしてないでしょっっ」
「しまちゃん。そういう可能性もあるって話だよ」
「…………」
あんまり真面目な顔で言うので思わず黙ってしまったが、次には榛葉がへらっと笑う。
「なんちゃって~。調子のってごめん。勿体ないって思うのは本当だけどしまちゃんのやりたいようにやるのが一番だよね。ハイ、これ俺から。本命です。アッ、それこそなんちゃって」
「え、わざわざありがと! でもあんま調子のんなよ……(怒)」
にへにへした榛葉から有名ブランドの生チョコの包みを渡されたので、受け取って一旦冷蔵庫に仕舞う。せっかくだから店が空いたら二人で食べるとしよう。
冷蔵庫をしめたところでカラン、と入口のベルが鳴る。見ると細かな雨雪を纏った弓美弥だった。マスクをしていたが最近の知名度までは隠せないようでテーブル席の女達が固まったのが分かった。
「いらっしゃい。時間帯珍しいね」
「ちょっとあってさ。あとで雛ちゃんも来るから」
「分かった。あ、そうだ。お前もチョコのにする?」
「? チョコの???」
「元ネタは弓美弥だろ……」
コートを預かっておしぼりと一緒に即席で作った新しいドリンクのメニュー表を渡す。しかしこういうセンスは世戸くんが抜群だった。絵もデザインも得意で現行のメニュー表は全て世戸くんが作ってくれたものでもあった。
海外に行ってしまってからしばらくは頻繁に連絡が来ていたけれど、最近はほとんど音沙汰がない。寂しくも思う反面、充実しているのだろうと安心もしていた。
戻ってきてくれたら勿論嬉しいけれど、世戸くんにはここよりも向いている場所がたくさんあると思うので好きなことを自由にやってくれたらそれが一番いい。
「!? バレンタイン限定メニュー!?!? 今日だけってこと!?!?!?」
必要な情報だけが載っているはずの殺風景なペラ紙一枚なので、まずはそこにダメだしをくらうかと思っていたがどうやら必要な情報すら読み取りづらい内容らしい。ちょっと反省した。
「あー、いや、実際は十日からやってるよ。いつまでやるかは様子見ながらと思って……」
「なんっだびっくりしたっ! 期日ぐらい書いといてもよくね? やんのはいいことだと思うけど、あんま杜撰なことするとクレームくるぞ?? そしたらもち、これで」
「…………かしこまりました~……」
「あっ待って! 俺ので最後とかじゃない? もしそうなら和眞くんに残しておいて」
「ん、大丈夫。今日はまだあと一本残ってるから」
「今日は……? ッは~~ん。ま、俺は別に困らないからなんも言わないけどね~~。ほれ榛葉、チョコは?」
「っゲホッ……!!! 急ハンドルっすね~~。勿論ございますよ。……営業チョコですけど……」
ゴボウの唐揚げをつまんでいた榛葉が咽ながらもそそくさと小さな包みをカバンから出した。粗品と書いてあるしどう見ても会社で用意した配布用のものだったが弓美弥は意外そうにして受け取った。
「お、さすがビジネスマンじゃん! いいの? 俺はないけどありがと~~~。朗にはこれ。たまたま近くの現場だったから並んであげた♪」
得意そうにするのでグラスを用意しながらふと見れば某行列店の更に話題の品、バレンタイン当日のみ五セット限定販売の超プラチナ級チョコレートが置かれていて時が止まった。同時に女達の軽い悲鳴が聞こえた。
「!?!?!?!?!?!?!?!?」
「へへ~ん、どお? 嬉しいでしょ~?」
「う、ううれ、うれしくない人いんのこれ!?」
「、、、、、、、かくのちがいぃ、、、、」
「え、てか、い、いいの!? 雛ちゃんにあげなよ!?!?」
「んー、甘いのあんまりなんだよね。それに俺今日は貰う側だし」
「やっば……え、ありがとう……どれ食いたい? と言いたいとこだけどどれもやりたくねえ……ホワイトデー何がいい……?」
「、、、、、、しまちゃ、、俺聞かれなかったです、、、、、、、」
「どうぞ独り占めして。おい榛葉、ごちゃごちゃうっせーぞ」
三段の化粧箱入りの豪華な作りだった。ウェブサイトで見ても仰々しいなと思ったが、実際に見たらこんなのは本当に宝石箱みたいだった。外箱の繊細な装飾に感嘆のため息を漏らしながら後ろの棚に置くと本当にごく自然に「朔夜に見せたらびっくりするな」と思っていたことに自分でむちゃくちゃびっくりしてしまった。
「…………」
「朗~、カクテルのあとでいいからなんか軽く食べたいな」
「あ、……うん。なんなら先に、作ろうか……」
何とか言葉は紡げても後ろを向いたまますぐには動けなかった。絶対、絶対に忘れていたはずなどないのに、一体自分はどこでこれを朔夜に見せられる気がしたのだろう。
世界と一緒になった朔夜が朔夜として形になることなんてもう一生ないのに。
「どした」
そんな異変を敏感に察知して、すぐに弓美弥が声をかけてきた。暗い方に飲み込まれそうになってからはきっとものの数十秒しか経っていないだろうに、弓美弥の洞察力にはほとほと参る。
「……」
ゆっくり振り返って、確かめる様に弓美弥としっかり目線を交わすとそれだけでもちょっと落ち着いた。ここしばらくはこんな風になることも無かったのですっかり動揺してしまった。
「大丈夫。大事に食べる」
「…………」
「……ええ、と、因みに弓美弥さん、俺の来年の参考までに、おいくらぐらいするもんすか」
「あ?」
「あ、ちょ、チョコ」
「五万だけど? お前今それどこじゃねーのわかんない?」
「あはい、、すいませ、、、話題あったほうがいっかなって、、、」
「ほんとそういうとこなんだよてめー」
「あはい……」
榛葉の慌てふためく様子を見ていたら、なんだか切ない程申し訳ない気持ちでいっぱいになって平常状態に切り替わりつつある思考が弓美弥の言葉を至極冷静に捌く。純粋にあほみたいな値段だなと驚けた。
朔夜に言ったら倒れるかも、またそんな風に続けてしまいそうになって身体がぎくっと変に止まる。でも同時に、そんなに悪いことではないんじゃないかとも思い始める。
朔夜と悲しいを一直線に考えるのは、もうやめてもいいんじゃないか。急にふっとそんな考えが胸に浮かんできた。なんかいけそう。
「でもさ、そんぐらい手間暇かかってるってことだもん。金庫にでも入れとかないと勝手に朔夜食っちゃいそう。価値も味も分かんないくせにさ」
思い切って口にしてみたけれど、存外虚しくて、反面少し息が楽になったような感覚がした。
いなくなるのを認めるのと、叶わぬ夢を見るというのは同じことのように思う。こうだったらいい、ああなんじゃないか、勝手で自由だけど所詮は理想の空想。あるはずのないifを自分の都合のいいように描くだけの自己満足。
「なんてな」
ならば、もしも万が一、今ここで想像の延長線上に生きているはずの朔夜が店に入ってきたとしたら?
「……ふふ、そんなことしたら後がやばいってさすがに学習してると思うけどな俺は」
「え、そもそも五万のチョコ勝手に食う人間性大丈夫ですか??」
「あははっ、まあそこはなあ~。個数で割ったら大したことないとか言いそうっちゃそうなんだけど」
「しまちゃんてもしかして怒ったら口利かない人?」
「ばか、見たらわかるじゃん! 食い物関係だったら最低でも二週間は許さないよこいつ」
「……まあ、許さないかもな」
矢継ぎ早に続いた榛葉と弓美弥の会話を背景に、そんな姿など今はちっとも想像できなくて、一人密かに呆れてしまった。
だって朔夜の最新はずっと変わらず永遠に二十八だし、自分はもう三十八。死んでから十年も経った今、三十八歳の朔夜が何を着て何を食べて何をして生きているのかなんてさすがに想像が出来なかった。
となると、ふとした拍子に語りかけてしまいそうになるこの”朔夜”とは、イマジナリーでも霊体でもなくこれまで一緒に過ごした朔夜という人の記憶でしかないことがよく分かった。
「……あれ、……弓美弥、どうしよう……急に……寂しくなった」
決して暗くはないのだけれど、いつまでも更新されることのない最新に、胸が詰まって泣きそうになる。堪えようとしてくるっと店に背中を向けた途端、涙に視界が溺れた。背後からは弓美弥の困ったような声がかかる。
「…………。チョコ食えチョコ。お前から振ったんだからしかたないよね……」
「ごめ、榛葉も、……つきあってくれたのに、」
「俺は全然……。でも別にいいんじゃないの?」
「……」
「大事な人のこと思い出して寂しくなってくれるのは、思い出してもらえる側からしたら嬉しいことじゃん。平気になる方が俺だったら寂しい」
「……おいお前ぇ、たまにはまあまあなこと言うじゃん!」
「えへへっへへぇっ」
榛葉の言葉はいつでも優しくて綺麗で愛情が溢れている。ありがたいと思う片隅で、でも朔夜って、そういうタイプじゃないんだけどな、とどうしても素直に受け止められない内心が大人気なくて苦笑いする。
自分の知っている限りの朔夜なら、十年経ってようやっと日常的な記憶が登場するだなんて物凄く機嫌が悪くなりそうだ。悲しいからっていつか忘れたりしたら許さないから。幸せじゃなくても、嫌でもいいから一生一緒にいて。一生俺から離れないで。
「…………」
朔夜はそういうやつだけれど、そんな自分本位の束縛を隠さないでいてくれたからこそ、自分自身も何をも繕わずに朔夜のことが好きでいられた。時には嫌われそうになったり、嫌いだと思ったりすることもその気持ちを実際にぶつけ合うことだってたくさんあった。
本音で付き合うことが必ずしも人付き合いとして正解とは言えないかもしれないけれど、互いの本心ごと全て預けてもずっと一緒にいられる相手と出会えたこと自体が奇跡のような出来事なのだと今になって心からそう思える。
だから、朔夜としたのはきっと一生分の恋愛だ。そう思うと悲しいけれどやっぱり嬉しかった。今が完璧な幸せではないかもしれないけれど、十分に完璧な幸せだった時間もあったから。
それだけでもまるきりの不幸ではないのかなと思うことがたった今出来た。
それはきっと幸せなことなのだと思う。
二人の軽口に宥められながら、しばらくしてひとしきり出きった涙をティッシュで拭うとやっと顔を上げられた。気を取り直してカクテルを作ろうとした瞬間、カラカランとベルが鳴る。見るとそこに立っていたのは間違いなく雛和眞だった。
「あ、雛ちゃんいらっしゃ……」
「あい! ゆみしゃん! おれでしゅ!」
「い……」
赤ら顔のまま幅広の二重が半分落ちた目に見えているのは恐らくゆみしゃんだけなのだろう。ふらふらしながらもまっすぐ弓美弥に向かって手をあげたのを店の全員が固唾をのんで見守る。
いやしかし、だだあがり中の知名度でこんなに酔っぱらって出歩いたらさすがにまずかろう。そう思って弓美弥を見たのに、この一瞬でびっくりするほど男の顔になって駆け寄ったと思ったら勢いのままひょいっと横抱きに雛和眞を持ち上げた。王子様か!? 女性客が今度こそ悲鳴をあげた。
「ふあ! ……ゆみしゃん……おれ、いそいできましたあ、」
「はいはい、えらいね。誰といた。ひかる? タクシー代払えた? 一人で来たの?」
「ひ、……ふみとくん……」
「あ??????? 何で???????」
「とぉ、みなみくんとあさかわさんといかりぐ、う、きぼぢわるぃ……」
「チッ……てか君飲みすぎね、朗、悪いけど便所借ります」
「水置いとく……」
二人が奥へと消えてすぐに、一部始終の眩い衝撃に耐えきれなかったらしい女性客がバタバタと慌てて会計に立った。それから「マスター、ありがたい」と妙に武士気味にそれぞれチョコを置いていってくれた。
無論、彼女たちも常連さんなのでここに来る客層のことを分かってくれてはいると思うが、一応どれをとっても口外はしないようにとホワイトデーのお返し用クーポン券を渡して手厚くお願いしておいた。
さても時刻は今日も二十三時を無事過ぎた。
店にはカウンターの榛葉だけになってしまったので冒頭で貰った生チョコを食べようかと冷蔵庫を開ける。
「榛葉、これありがと。一緒に食べよう」
「いいの? ありがとう。さっきクーポン渡してたみたいだけど、ホワイトデーはまた何かするの?」
「うーん。お返しとは別に何か考えようかなあ」
榛葉に言われて今考えた風を装ったが、実のところ来月の十日は朔夜の誕生日でもあった。
思えば命日にばかり気をとられ、ここ十年間のうち記念日を”お祝い”出来るような心の余裕など少しも無かった。つまり十年誕生日なんてスルーしていた。昔はあんなに大事にしていたのにそれもおかしな話だよな、と我ながら呆れてしまう。
ふと、誕生日ぐらいちゃんと祝えと馬鹿みたいに拗ねた不機嫌な朔夜の声が脳裏に響く。もっとも、十年前までのあいだ、記念日を疎かにしたことなど一度もないのでこれは理想の捏造。
一瞬だけ、会いたいなと願ってしまってから悲しいに辿り着く前に今目の前に居る榛葉を見る。
「またメニュー作んなきゃなあ」
「お。やる気ですな! 何するの?」
「……ケーキとかどう?」
「いえーい! 食べます!」
内情を知っている人にはバレバレだろうが、個人的な朔夜へのお祝いも兼ねてホワイトデーシーズン限定のメニューを本格的に考えてみようと思った。
また悲しみが溢れすぎてしまわないよう慎重に、朔夜に作ったケーキのことをちょっとずつちょっとずつ思い出してみることにする。
「来月しまちゃん誕生日だよね?」
「……え」
「八日じゃなかった?」
「そ~、……だったかもお。忘れてたな自分のは」
「無理を承知で聞くけどさ、店開ける前まででいいから夢の国行かない?」
「………………い、……かないだろおっ、あぶねーっ……」
「え~~行く感じだったね今! いこうよっ全部払うからあっ」
「…………弓美弥あ……」
「あ? パーク飯に心傾くぐらいなら行け行け。どうせそいつにゃ何も出来ない」
「え!? な、何もしませんけど……」
「……」
>>>理想の恋愛(終)
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