遠くの空に手を延ばす
イ・ドンシクについて知っている二、三の事柄
こちらがゆっくりポッサムをつついている間に、先に飲み食いを終えた男はとぼけた顔をして編み棒を動かしている。
釣りも飽きた、ギターは懲り懲り、と来て、まさか編み物とは。
しかも、初心者が取り組むかぎ針編みではなく、本格的な棒編みで、妙に手慣れた様子だ。
「そういえば、ドンシクさん、このセーター、誰かにあげるつもりなんですか?」とかきのジョンの皿を持って来たジェイが言った。
「……は?」
ドスの子どもに売らせるんじゃなくて、と聞くと、「イニシャルが書いてあったじゃないですか。」とジェイが言った。
「イニシャル?」
ドンシクの顔を見ると、こちらの追及を誤魔化すために、下手な口笛を吹いている。
ははん。
まさか、慣れない編み物にそういう理由があったとはね。
こちらが、被疑者を追及しようとする気配になったのを察したのか、「いや~、お前宛てじゃないから安心しろ。幼馴染が多才な男で悪いな、ジファ。」とドンシクは早口で被せて来た。
いつまでも子供っぽいヤツ。
まあきっと、未だにドンシクに構いたがられてやって来る、年下の元相棒がこの場にいないからだろう。
あのハン・ジュウォンがいれば、それなりの自意識を発揮して、もう少し大人の顔を見せたがるはずだから。
確かに、注意してみれば、無骨な幼馴染の手によって着々と編まれていく青い何かは、確かに幅からしてマフラーではなくセーター。
胸元にはプレゼントを渡す先らしい、白抜きのJの字が見える。
……今時、恋する女子高生でもここまでしないけど、どういうつもりだ?
「ドンシク、あんたそれ、ジョンジェに差し入れする腹積もりでもあるの?」
冬はまだ先だけど、と尋ねると、幼馴染は瞬きした。
まあ、あいつが模範囚で通しているなら、このセーターを編み上げる前に出て来るんじゃないかという可能性もゼロじゃないと思うけどね。
「ジョンジェ?」と言って白々しく首をかしげるので、ネタは上がってんのよ、と言わんばかりにアルファベットを指さした。
ドンシクは、ああ、と言って小さく笑った。
「自分の分じゃないのはそうなんだけど、あて先は別。」
別……?
ジェイ、ではないな。
ジフンでもない。
ドンシクの関係者で青が似合う誰か、といくつかの顔を思い出していると、かつてカマロに乗ってやってきたいけ好かない若造の顔がポップアップされてきた。
……なるほどね。
手編みのセーターという、若い世代の定番の恋愛アイテムとは無縁に思えるところを除けば、確かに、まったき中年男になったドンシクの目尻が急に下がって、やに下がったところが見られる相手は、一人しかいない。
ジェイがこれ以上ないというタイミングでコーン茶を注ぎになってきて、これ以上は追及しないで、という顔で口元にそっと指を持って来た。
全部言わなくとも、分かっているから、というところか。
案の定、三十年来つるんでいるバカは、熱に浮かされた様子で惚気てきた。
「ミサンガが編めるなら、編み棒での編み物まであと一歩だとか、イギリスでヒッピーが流行っていた時代に、ユニセックスで恋人と同じ模様で作られるセーターが着られるようになったとかなんとか、ペアルックの起源を説明されてさあ。無駄に博識というか……。」
ヒッピー?
「ここは五十年後の韓国なんですけどね、って言っても酔っぱらってて、クリスマスまでに、二人分のセーターを編みます、ってスマホでバカ高いカシミアの毛糸を直輸入しようとするから、慌てて止めたわけ。」
あ、そう。
仲の良いことで、って言えばいいのか……?
「まあ、江原道に戻ったら、仕事が忙しすぎて忘れるだろうと思ったから、半分負担してあげようかと。」
イ・ドンシクは、三人でトランプすれば必ずひとり負けしてたくせに、気が付けば、煮ても焼いても食えない男になっていた。
どこかイカレた刑事の外面と、隠し事ばかりが上手くなった男が、本来のこういうお調子者の素顔を見せるのは、それはつまり。
「……俺は、どうも編み物に才能発揮しちゃってるらしいんだよね。」
惚気てる暇があったら口を動かしな、と言おうと口を開いたその時、高校の時、格好付けてギターなんかやるんじゃなかったな、とドンシクがぽつりとこぼした。
幼馴染の、同じ年の美しく賢い妹とは友達と言われる間柄にはなく、(今思い出せば、ジョンジェと話している時に声を掛けられた記憶があるが、)本当の意味で言葉を交わしたことは、ほとんどなかった。
どんな女の子か知らないうちに、イ・ユヨンは横断幕の顔になった。
ドンシクから一番大事な片割れを奪っただけでは飽き足らず、さらなる災厄を生んだ、ギターピック。ユヨンだけでなく、父親を奪い、母親も、……気づけば元の彼女ではなくなっていた。
確かにあの頃は、編み物なんか、面白半分でも、男が好きにやれるような時代じゃなかった。だとしても、そんなこと、ドンシクだって分かってる。
「ジェイ、こいつにビール次いでやって。」というと、調理場から、ちょっと待ってね、という声が聞こえて来た。
「手酌でいいって。」と言って、ドンシクは、椅子から立ち上がって、忙しい店主の代わりに勝手知ったる冷蔵庫の中からビール瓶を取り出した。
ああ、もう。
仕方がないから、今日は奢ってやるよ。
powered by 小説執筆ツール「arei」
212 回読まれています