第五夜(編集者×官能小説家)

 こんな夢を見た。

 官能小説専門というニッチな出版社の編集者としてキャリアを積んで早十年、俺っちは運命的な出会いを果たした。
 その作家を見つけたのは新人発掘のための公募で、『HiMERU』という一風変わったペンネームも印象的だった。興味を引かれて何気なく原稿に目を通し、あまりの才能に全身を落雷で貫かれたみたいな衝撃を受けたものだ。こりゃとんでもねェ化け物が出てきたぞ、と。
 そいつは当然の如くその年の大賞を掻っ攫っていった。数多の応募作の中で、『HiMERU』の作品は圧倒的だった。彼の文は綻びが少しもない上、とてつもなく美しい。好きな作家は室生犀星だとか言っていたか。成程、道理で。歌うように心地好いリズムで情感たっぷりに綴られる濡れ場に定評がある理由も解るというもの。そして一番肝心なところ。持ってくる話が全部、めちゃめちゃにエロい。こればっかりは理屈じゃない。処女作を読んだ晩には年甲斐もなく三回抜いた。もう意味がわからない。
 そんなどエロい小説をどんな奴が書いているのか、ペンネームや作風からは老若男女の判断がつかないのが常だ。俺っちは『HiMERU』の担当編集の座を力技で分捕った。こいつはさしずめ金の卵を産むガチョウ、否、俺っち流に言えば勝ち馬だ。衰退傾向にあるジャパン・ポルノの存在感を今一度世に知らしめる一陣の風。業界に旋風を巻き起こすのはこの俺(とHiMERU)だ。
「――はじめまして。HiMERUです」
 初対面で早速度肝を抜かれた。まさかあの衝撃的などどどエロ小説を、儚げな美貌の年若い青年が生み出しているなどと、誰が想像しただろうか。俺っちは既にこの美しい男に心を奪われていた。落雷再び。人生で最初の、鮮烈なまでのひと目惚れだった。

「ハイ『コズミック書院』天城で……メルメル先生じゃねェの、どうしましたァ? ハイ、ハイ……××ホテルね、りょーかい。ダーリンの好きなスイーツ買ってく♡」
 公衆電話からの着信に応じれば相手は愛しの『メルメル』だった。今時電話を携帯しない主義らしい。
 執筆もワープロに頼らず、万年筆が彼の剣で原稿用紙が彼の盾。完璧主義で懐古趣味の頑固者、扱いづらさはピカイチ。けれどあばたもえくぼとはよく言ったもので、エグみが強いほどにハマっていく。タチの悪い酒みてェだ。
 メルメルは行き詰まるとこうして俺っちを呼ぶ。呼ばれりゃすっ飛んで行く。本が出ない場合に副編集長の蛇ちゃんにネチネチ突っつかれンのは担当の俺っちだから、捗ると言うならば好物の差し入れだってする。ただし世辞で煽てて書かせるようなことはしない。あの男も俺っちも中途半端なことを嫌い、お出しするものは完璧に、という思想が合致している。締切を延ばすための小技なら幾つも習得しているから任せてほしい。そう、例えば土下座とかな。
「お邪魔しますよ〜っと。お待たせメルメル♡」
「――その呼び方はやめろと何度言わせるのですか。HiMERUには立派なペンネームがあるのですよ、天城?」
「あんただって『燐音♡』って呼んでくれても良いンですよ」
「寝言は寝て言ってください。時間は有限です、あなたと無駄話をしている間が惜しい」
 椅子をくるりと回してメルメルがこちらを振り返る。凛と着こなした藍色の着流しは白皙を引き立て、その肌は透けるよう。とは言え白すぎる……というかいっそ青白い気がする。聞けばもう一週間このホテルに缶詰らしく、いい加減気が滅入っていたようだ。
「じゃあせんせえ、その限られた時間で俺っちに何してほしーの?」
 持参したスイーツの箱を備え付けの冷蔵庫に押し込みながら問う。
「――資料を」
「うん?」
「主人公の、心の動きに説得力が足りないのです。感情のサンプルが必要です」
「それで?」
 片目を眇めてとっくにわかりきった答えを待つ。この短いやり取りがこの後のお楽しみを数段甘美なものにするのだ。
「――抱いてください。天城」
「ンッフ♡ 喜んで」
 にやり、口端を吊り上げ笑みを返す。男の膝元に傅いてその手を取った。
 天才ポルノ作家HiMERUの秘密。その一、濃密な性描写は研究熱心な著者の実体験に基づいたものだということ。その二、彼のセックスの相手はこの俺、天城燐音だということ。こんなことは神サマだって知りやしない、ふたりだけの内緒事だ。

「ンで、野外プレイって……あんたやっぱイカれてるっしょ」
 メルメルに連れ出されたのはホテルから程近い公園だった。綺麗に整備された都会のオアシス。その一角の、林の陰に隠れて俺っち達はいた。
 彼をひと際太い木の幹に縋らせて帯は解かずに着物をたくし上げ、襟の合わせから右手を突っ込んでぐいと押し開く。華奢な肩を重力に従ってすとんと滑っていく布には目もくれなかった。興味があるのはその中身だ。
 脱がせるついでに胸の突起に掠める程度に触れてやれば、生っちろい背が悦びにふるりと震えた。思わずそこに掌を這わす。
「作家なんて、気狂いばかり、っでしょうに……それに、ん、HiMERUに付き合うあなたも大概、なのですよ」
「……あっそ」
 可愛くないことを言う唇はキスで塞いで差し上げる。これが本当のリップサービスだ。
 舌を吸い上げつつ後ろを解す手は止めない。予めローションを仕込んでおいたらしいそこは裾に隠れて見えないが、真っ赤に熟れた果実よろしくとろりと蜜を垂らしているに違いない。
「何を……考えているのですか」
 見上げてくる瞳はこんな時でも好奇心に煌めいている。指先で横髪を掬って耳に掛ける仕草はこんなにも婀娜っぽいのに、作家先生の知識欲は性欲にも勝ると言うのか。それは少々、面白くない。
「……べっつにィ? とんでもねェ淫乱先生だなって、うおッ⁉」
「そちらだって、ふふ、ほら。こんなに大きくして、すぐにでもHiMERUの|胎内《なか》に挿入りたいと涙まで零して……」
 メルメルがおもむろにこちらへ手を伸ばし、俺っちのものを逆手で軽く扱いてから泥濘む入口へと誘った。そこへ張り詰めた亀頭が触れる度、ちゅ、と淫靡な口づけの音が密やかに響く。
「――ねえ、あなた。助平はどちらでしょうね?」
 満月にも似た双眸が、三日月を象って綺麗にたわむ。幾度もこの男を抱いてりゃ解る、これは〝おゆるし〟だ。
「ひ、ァ、――ッッ♡」
 背面立位、所謂立ちバックでひと思いに最奥まで、俺っちにしか届かない一番奥まった窄まりを力任せに貫く。引き絞るようなか細い声を発して彼は絶頂を極めた。ぐっと上体を起こさせて項に噛み付く。俺っちが与える快楽にずぶずぶに浸るメルメルはもう、ひっきりなしに上がる嬌声を抑えることすら放棄していた。
「はァ、ん♡ きもち、あうっ♡ あ、あん、駄目っ……な、とこ、あたってる♡」
「……ッ、く……やべェ」
 なァ俺よ。まだ日も高ェうちから、家族連れで賑わう公園で、ガキ共のはしゃぐ声を聞きながらてめェの作家を抱く気分はどうだ? ンなモン最高に決まってる。気狂いはこいつだけじゃねェってことだ。
 俺らやっぱり相性良いンじゃねェの? だって身体の方は誂えたみてェにぴったりきてる。な、運命っしょ?
「せんせえ、なァ、俺のになってくんね?」
「んう、っ♡ だめ、ひめ、るはぁ♡ あまぎのものになどっ……」
「嘘だァ、好きな癖に。俺っちのちんぽ♡」
「うぁ、うう♡ 好、ひぅ、押さな、れぇ♡」
 腰を使うのに合わせて下腹に当てがった掌をぐっと強めに押し込む。俺のがここに入ってンだぜ、今、あんたのここに。背を反らして鳴く彼は、いい加減執筆のことなんざ考えちゃいられねェはずだ。
 顎を掴んで振り向かせる。湖面で揺らめく月は高揚の色を隠せていない。そうだ。俺を見ろ。
「そのままっ、ちゃあんと見てな。あんたを抱いてンのが誰で、ここが何処なのか。あんたがどこで気持ちヨくなってイッてンのか、記憶に焼き付けやがれ、よ……!」
「あま、ぎ、いああ♡ あッあ、くる♡ いきますっ♡」
 掻き抱いた肢体が大きく痙攣する。うねるナカに欲望を余さず吐き出して、軽く塗り込めるみたいに腰を動かしてからようやく満足して抜いた。ぱた、ぱた。重たい雫が足元の緑を白く汚していく。今夜、急に雨でも降らないだろうか。見上げれば忌々しいほどに青い空である。
「メル……大丈夫か?」
「……」
「うお……っと、先生?」
 どうにか着物を整え終えたメルメルが無言でしなだれかかってきた。疲れたからホテルまで運べということなら、如何にもこの男が言いそうではある。俺っちは構わねェが、奇異の目で見られンのはあんたの方だぜ。
 と、はあ、濡れた唇が熱っぽい吐息を漏らした。正面から俺っちの背に両腕を回した想い人は悩ましげに眉を寄せ、それから囁いたのだった。
「――部屋へ戻ったら、今度は恋を知りたい、のです。教えてくれますか?」
 彼が恥じらい混じりに口にした言葉の本意を問い質すのは、この身体をもう一度じっくり堪能させていただいてからでも遅くはないはずだ。





【蜜月】





・高卒から10年出版社勤めの29歳×脱サラ26歳
・新興の『コズミック書院』編集長は乱凪砂だが趣味の発掘のためしょっちゅう不在。茨は胃が痛い
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