7-2 遅すぎた迎え

 世成宵子の娘が生存していることが確認された。その知らせを受け、鳳仙和希はその娘について調査を進めていた。

 宵子と関わったのは、たった二度きりで、いずれも十年以上も前のことだった。最初は任務の一環として、彼女が持つ情報を入手するため。そして二度目は、暁凰雅に近づき、信用を得るために宵子と接触した。そのどちらの任務も成功に終わったが、和希にとっては二度と思い出したくもない忌まわしい記憶だった。

 擬羽村――宵子の故郷であり、狂気に満ちた信仰が今も残っている場所。彼女が寂しげに語ったその話が、ふと記憶の中で蘇る。遠い過去の断片を拾い集め、必要な情報だけを抜き出す。余計な感情を排除しながら、和希は自分の持てる全ての権限を駆使して、宵子の娘の行方を追った。

 やがて、その娘の名が「世成鳳子」であることを突き止めた。さらに、擬羽村で起こった災害の後、彼女には身元不明遺体に関連する殺人容疑がかかっていることも知った。和希は集めた資料をモニターに映し出し、じっと考え込んだ。

 鳳子に接触することの意味――それを頭の中で何度も反芻する。かつて自分が犯した罪は、実は何かの誤解であったのではないか。もし過ちを償う方法があるとすれば、それは今かもしれない。そして、かつて宵子を利用して組織に貢献したように、今度はその娘を利用し、今度こそ暁を捕えることができるかもしれない。

 その思考に自分を沈めていた和希の脳裏に、ふいに最後に見た宵子の顔が浮かんだ。

 ――あなたの子なのよ。それなのに、どうして?

 その言葉が頭の中で蘇った瞬間、胸の奥が締めつけられるような感覚に襲われた。思わず胃が裏返るような気持ちに駆られ、洗面台へと駆け込んだ。けれど、吐き出すことはできず、ただ蛇口から流れる冷たい水の音が虚しく部屋に響く。自分がこれほどまでに精神的に追い詰められていることに、和希は驚いた。

 こんなにも宵子の存在が、自分を蝕んでいたのか――。その事実を認めた瞬間、和希は無意識のうちに動き始めていた。

 鳳子の鑑別に、自分が呼び出されるよう手を回す。宵子の娘に何が起こったのか、すべてを知る必要がある。そして、鳳子――実の娘を救うことで、自分の過ちが許されるのではないか――そう思い込むようにして、和希は行動を始めた。

 彼女を救えば、きっと自分も救われる。和希はその微かな希望にすがりついていた。



 そこは、何もない真っ白な部屋だった。無機質な空間に置かれたベッドの上で、鳳子は静かに眠っているように見えたが、彼女の手首や足首は太い革の拘束具に縛りつけられていた。金属の枷が何度も擦れたせいか、皮膚は擦り切れ、痛々しい包帯が幾重にも巻かれていた。青白い蛍光灯の光がその包帯を照らし、白いシーツに映る影が妙に冷たく感じられた。

 和希は部屋に入る前に、これまでの検査記録に目を通していた。記録の中には、鳳子の身体の状態が書かれており、村で何が起こったのか想像もつかないほど、彼女の体は酷く損傷していることが明白だった。彼女があの村で経験したものは、和希には到底理解できないものだった。

「薬物の反応は?」

 和希が問いかけると、後ろに控えていた職員が無言で首を横に振る。

「薬物の反応はまったくありません。それどころか、脳の検査でも異常は見つかりませんでした……」

 その言葉に、和希は眉をひそめた。彼女が身元不明の遺体を殺害したのはほぼ確実であるらしいが、問題はその動機や殺意の有無だ。彼女が何を思い、どうしてその行為に及んだのか――現状では、鳳子はまともに会話すらできない状態であり、誰がどう見ても「正常」な精神状態には見えなかった。

 和希は、ガラス越しに鳳子の姿をじっと見つめた。彼女の顔には、まるで宵子の美貌がそのまま受け継がれているかのような面影があった。しかし、その瞳は虚ろで、生気が感じられない。長いまつげがかすかに震え、やがて彼女はゆっくりと目を開けた。虚ろな視線が宙を彷徨うように、何かを探し求めているようにも見えた。

 和希は深く息を吐き、意を決して部屋の中へ入った。扉がゆっくりと音を立てて閉まると、かすかな空気の動きが感じられた。その音に反応したのか、鳳子の体がわずかに動く。次の瞬間、彼女の目が和希の姿を捉え、突然、怯えたように身を震わせた。鋭い金属音が部屋に響き渡り、彼女は拘束具を鳴らしながら、必死に逃げようと暴れ出した。彼女の瞳には、まるで目の前にいる和希さえも敵に見えているかのような恐怖が浮かんでいた。

「落ち着いて……大丈夫だ。君に危害を加えるつもりはない」

 和希は心の中でそう呟くが、鳳子の暴れる姿を見て、言葉をかけることができなかった。何を言えばいいのか、自分自身でもわからなかった。まだ何も知らない。彼女の過去も、心も。和希にとっては、彼女に対して何も言うべき言葉を見つけられなかった。だが、鳳子は違った。

 暴れる手足が、突然静かになったかと思うと、鳳子は急に和希の方へと視線を向けた。怯えた顔が一瞬和らぎ、その虚ろな瞳にかすかな光が宿った。そして、ぽつりと口を開く。

「……どうして、そんな苦しそうな顔をしているの?」

 彼女のか細い声が、静かな部屋に響き渡った。和希は、その言葉に一瞬胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

 これが、二人の最初の出会いだった。辺りは静寂に包まれ、やがて夜が訪れる。未来に向かって進むその先に、夜明けが訪れるのかは、まだ誰にもわからない。ただ一つだけ確かなのは、この出会いが全ての始まりであり、彼らの運命がここから変わり始めるということだった。
次へ

powered by 小説執筆ツール「arei」